麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

紀伊半島一周の旅

青春18きっぷを利用した2024年春の鉄ちゃん旅最長の旅は、2泊3日での紀伊半島一周。とはいえ、紀伊半島はかなり大きいし各駅停車での紀伊半島一周は本数も少なくかなり大変なので、青春18きっぷの利用は最初の紀伊半島の玄関口である名古屋までの利用だけで、翌日の紀伊半島周遊には特急を利用したので、「青春18きっぷの旅」とはとても言えないため、単に紀伊半島の旅としてレポートを記します。

 

1日目:3月18日(月)

 

この日は青春18きっぷを使って紀伊半島の入り口である三重県松阪市までの旅。でも普通に東海道本線の各駅停車で名古屋を経由して松阪まで行くのはあまりに面白くないので、私が一度も乗ったことがない塩尻~名古屋の中央西線を乗りつぶすことをメインに、中央線を全線乗車することをこの日のテーマと決め、朝早く中央線の始発駅東京駅に降り立ち、旅のスタート。

最初の高尾駅までは中央線快速列車で1時間の旅。この中央線快速にも2024年にグリーン車が導入されるらしく、導入されれば是非乗ってみたいと思っているのですが、この3月の導入ではなく今年秋以降の導入のようなので、この区間は何の面白みもなく乗り慣れたロングシートにちょこんと座っての1時間。中央線快速には昔からよく乗っているとはいえ、実は高尾まで乗り通した経験はあまりなく、当然と言えば当然なのですが、周辺の通勤・通学の乗客が乗ってきては降り、何度も何度も入れ替わるさまが何故かとても面白く、外の風景ではなく周囲の乗客から彼ら彼女らの人生を空想して楽しんでいました。(決して変質者ではありませんので、念のため)

高尾からはようやく青春18きっぷの旅らしくなります。やってきた各駅停車は旅情あるボックスシートがある電車で、贅沢にも1人で4人用のボックス席を独占して窓からの景色を楽しみます。すぐに神奈川県に入りますが、すぐ近づく相模湖は視界が広がることもなく、あっという間に見えなくなって写真が撮れなくなるのは以前の旅でも経験済み。この区間の各駅停車に初めて乗ったのは昭和48年、中学3年の時友人と2人でカメラを持って甲府に昇仙峡を見に行ったのが最初です。そんなおよそ50年前のことを回想しながらの旅。あの時一緒に旅したM君、中学を出てからは一度も会っていませんが、今どこでなにしているのでしょうか…?
大月駅、特急列車に抜かれた向こうのホームには富士急行線が見えています。そのうちに乗りに行きたいとは思うものの、今は外国人ばっかりなのでもう少し円が上がって(戻って)外国人観光客の数が落ち着いてからにしようと思っています。

中央線らしい山並みがきれいに見えています。こんな景色が、見たかったんです!

東山梨駅、ようやく富士山を見ることが出来ました!唯一真っ白い帽子を被り、四方の山を見下ろすその様は、やがり”日本一の山”ですね!

その他も、この区間の山並みをのんびり見られて満足。中央線で来て、正解!

甲府では乗り継ぎ時間も短いため慌ててホームを移動しますが、次に乗る松本行きは甲府まで8両ぐらいあった列車の乗り継ぎ列車が半分の4両ぐらいに減ってしまったため、大混雑。旅情の全くないロングシートのほぼ全ての座席が埋まっていて、結構立っている人もいます。本来なら八ヶ岳が見える右側のボックスに陣取り、アルプスの山並みを楽しみたいと思っていたのですが叶わず、ようやく見つけた左側の優先席に何とか座り、旅情少なめの旅。その後降りる人もあまり多くなく、山並みも諏訪湖もゆっくり見ることはあんまりできずに中央線の中間地点である塩尻に到着。

塩尻からは未乗の中央西線。このあたりの区間は自家用車では何度も走っていて、時折すれ違う列車を見るたびに「いつかは乗ってみたい!」と思っていたものです。その何度かすれ違った普通列車と同じデザインの列車の座席は、ロングシートではなく進行方向を向いているので、景色を見ながら旅情を楽しむにはよい配置。因みにここからはJR東海の運行になります。

塩尻からの中央西線木曽路木曽川に沿って山深い地域を走ります。塩尻から並走する国道19号線を走り、奈良井宿に行ったのは2015年。その時には、その後に上高地に行ったことをとても懐かしく思い出しました(その時の投稿はこちら)が、列車は奈良井駅に停まった後、奈良井宿はあっという間に通過してしまいます。
旗挙八幡宮も一度は行ってみたいとずっと思っている史跡。何故か親近感を覚える木曽義仲の時代をいつかは偲びたいと思っているのですが、鉄道の旅では「ここにあるのかぁ~…」と認識するのが精一杯。

「木曾路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。」この有名な島崎藤村の夜明け前の冒頭がこの景色を見ると、”その通りだなぁ…”と思い出され、藤村の表現力に改めて感服します。決して藤村ファンではない私ですが、この名作を読んだ中学(もしかしたら高校?)時代を思い出します。

中央西線は本当に木曽川に沿うように走ります。このあたりは木曽川の水量の多いところなのか木曽川に作られたダムなのでしょうか…? 確認できないままに列車は先を急ぎます。

この列車の終着駅は中津川。ここで中央西線のローカル線の旅が終わり、ここからは名古屋近郊の快速列車の区間です。

長い中央線の最初と最後の区間が同じような都市近郊の快速列車なのが何となく不思議な感じです。ロングシートで然程旅情は感じられないのですが、見たことがない景色を楽しみます。

瑞浪、多治見、高蔵寺など一度は降りてみたいと思っている街を通過、特に多治見は何故か昔から時刻表上で親しみがある町なので、次回こそ降りてみたいと思います。高蔵寺愛知万博の会場へのアクセス駅として覚えた駅で、この駅ではその時の仕事を思い出しました。(因みに、結局愛知万博には行けませんでした。)名古屋に近づくにつれてだんだんビルも多くなり、定刻通り16:37に名古屋駅到着。

この日の泊りは松阪市に設定しているので、名古屋から後1時間ローカル線に乗る必要があります。JRはやや遠回りなルートなので時間が掛かりすぎるし、JRを走って途中伊勢鉄道を走る「快速みえ」に乗ってもJR以外の乗車券代が掛かるようだし、おまけに次の「快速みえ」の出発は1時間後で、何となく旅情は味わえそうにないし… と考え、急遽昔から憧れていた近鉄特急に乗ることにして、急ぎ近鉄駅で間もなく出る特急の指定券を購入。

30分に一本程度出ている有料の近鉄特急ですが、その利用者の多さにはちょっとビックリ。私の横の席はずっと空いたままでしたが、前の座席は四日市と津で乗客が降り、そのたびに次の乗客がその席に座ります。つまりたった1時間で3人の乗客が1つの座席を使うなんて関東圏の有料特急ではちょっと考えられない運用ですね。近鉄特急の1時間はそんな意味でもとっても新鮮な1時間でした。

松阪に泊まった理由は、松阪牛ならぬ松阪鶏を楽しむため。松阪には2019年夏に台風の前日に泊まり、松阪牛回転焼肉を楽しんでいます。(その時の投稿はこちら)今回は、松阪牛を食べるまでの予算がなかったのと、鶏肉が苦手な妻と一緒の時には絶対に食べられないだろう隠れた名物の「松阪鶏」を楽しむための宿泊です。東横インすぐ近くの「だるまや」が目星をつけていた店。

1人なので予約はしていなかったのですが、カウンターの最後の1席に何とか座ることが出来ました。その後も何組かの方が来店され、入店できずに諦めてトボトボと帰っていかれました。流石は、人気店ですね!

網で焼き、味噌だれで食べる松阪鶏はとってもまいう~!

想像したよりしつこくなく、鶏の味を引き立ててくれます。鶏焼肉を堪能して、最後は「お店の名物」と書かれたカレーまで食べてしまいました!

2日目:3月19日(火)

 

この日は紀伊半島周遊の日。紀伊半島はとっても大きいので各駅停車でのんびりと走ったのではとても1日では回り切れそうにないため、今日は特急列車を乗り継いで紀伊半島反対側の和歌山駅までの旅。最初に乗る予定の特急南紀号は松阪駅9時過ぎの出発なので、その時間まで東横インでのんびりしていてもいいのですが、恐らく早く目覚めてしまい朝から時間を持て余すであろうという自分の予想通り7時には朝食も食べ終わって暇になってしまったため、7時半には宿をチェックアウトして、特急の時間まで1時間強の松阪市のぶらり散歩。松阪市内は、前回の訪問時に観光をする予定でしたが、その際には台風で市内観光どころではなかったのですが、事前に見どころをいろいろと検討したことを何となく覚えています。この日も数時間あればゆっくりと市内を見たいのですが、1時間強なので本当にただ歩くだけで終わってしまいそうです。

最初に見えたのは松阪牛の名店「和田金」。前回、松阪牛を食べるならここかなと眼をつけていたのですが、流石に真夏のすき焼きには食指が動かず、訪問を見送ったお店。

そのすぐ先には三越のライオン像の原型が。かって三井大豪商の屋敷があり、「豪商のまち松阪」の入口&シンボルだそうです。

朝の散歩のゴールと決めていたのは松阪城址の入口。中には入らずに今度は別の道で駅までのんびりと戻ることにします。

本居宣長の宮と記念館もあります。勿論記念館を見る時間はありませんが、記念館を見ても本居宣長国学の研究なんて何にもわからないでしょうね…

御城番屋敷 ここだけはのんびりと見たかったのですが、この日は火曜日で定休日なので見学は叶いません。和田金の松阪牛とともに、3度目の目標ですね。

約1時間半の散歩を終え、松阪駅へ。定刻通りに名古屋から走ってきた特急南紀号の指定席(勿論海側!)に乗り込みます。

JR東海の特急南紀号、最初の1時間以上は海沿いではなく田園風景と山岳風景の中を走ります。途中「紀伊長島」の名前を聞いたので、「紀伊、え~もう和歌山県なの?」とかなり驚いたのですが、この紀伊長島は”紀伊”といえどもまだ三重県なのだそうです。紀伊半島の地理は、和歌山県飛地があったり奈良と3県の県境が微妙に絡まり合ったり、素人の私には理解が難しそうです。

紀北町のあたりからようやく海が見え始め、熊野からは期待通り海沿いを走ります。

この辺りからは線路と国道42号線とが海沿いを交互に走り、過去2回のドライブでも「次は列車でのんびりと海を眺めたい」と念じながらハンドルを握っていた場所。

新宮で三重県から和歌山県になり、JR東海からJR西日本に移った次の停車駅がJR東海の特急南紀の終点である紀伊勝浦。次に乗る特急列車まで約2時間あるので、紀伊勝浦の駅前をとぼとぼと漁港まで散策してみます。

港の先には2015年に左手をケガして色々と大変だった思い出の宿「ホテル浦島」が見えています。(その時のブログはこちら)懐かしい~!

漁港の市場でお昼を食べるつもりでいたのですが、何と市場は定休日のようです。残念!

仕方がないので、駅と漁港の道にあったマグロ専門店「竹原」に入り、マグロ定食@1,650円也をいただきます。

でも、このマグロ、流石にマグロの町である那智勝浦、本当に旨かったぁ~!

まだ次の列車までは時間があったので、駅前のレトロなお土産屋さんに入り、私の大好きな「那智黒」をはじめいくつかのお土産を3月まではまだ籍がある職場に送ります。この旅行の翌日に私の送別会をしてくれるとのことなので、最後に職場に行くためのお土産です。

紀伊勝浦駅で特急列車を待つ間に印象的だったのはこのポスターがまだ残っていたこと。訪れた1週間前にすぐ近くの串本で打ち上げに失敗して打ち上げ後すぐに爆発してしまったロケット… その時のニュースの記憶がまだ生々しかったので、このポスターを涙なしでは見られませんでした。次回こそは成功しますように!

次に乗るJR西日本の特急くろしお号は沿線の目玉南紀白浜のパンダをイメージした特急列車。

今回も進行方向左側の指定席に陣取り、目に前に広がる太平洋の景色を堪能します。

沿線には過去の旅で立ち寄った太地、串本などの懐かしい地名が続き、とっても嬉しい時間だったのですが、列車から見えるかなぁと期待していた橋杭岩は、残念ながら見えませんでした。これらの写真は特急列車内で撮ったものですが、この海の近さ、感じていただけますか!? 

紀勢本線はやっぱり素晴らしい!

沿線の観光中心駅南紀白浜で殆どの乗客が入れ替わります。この特急は新大阪行きなので、白浜で温泉とパンダを満喫したファミリー客でほぼ満席となり、車内は関西弁と笑い声でかなり騒がしくなります。紀伊田辺、御坊などの懐かしい名前と景色を楽しみながら16時過ぎに予定通り和歌山駅に到着。
和歌山に降り立って宿泊を決めた目的は、自分的に大好きな「和歌山ラーメン」を満喫するため。まずは和歌山駅から市内をトボトボと歩き、一度は食べてみたかった和歌山の有名店「井出商店」を目指します。

5時過ぎなので人気店と言えども井出商店には行列はありませんでしたが、空席は1席しかなく最後の空席に何とか滑り込みます。 井出商店を食べるのは、新横浜のラーメン博物館以来凄く久し振りでしたが、やっぱり旨い!

店を出るタイミングでは、数組の待ち客の姿がありました。
和歌山駅前のホテルとビジネスホテルの中間のような宿に投宿。中途半端な時間にラーメンを食べたので何となく居酒屋などを探す気にもなれず、ホテル内のレストランでチキン南蛮定食のご飯を食べずにおかずだけをビールで流し込んで夕食としました。

3日目:3月20日(水)

 

この日は朝食も食べずにホテルの部屋でのんびり。その理由は10時の開店を待ってもう1つの人気店での和歌山ラーメンを食べるため。それでもあまりに暇すぎたので、小雨と強風の中和歌山駅まで行ってみますが,、何故か駅中が騒然としています。どうやら強風のため紀勢本線の一部列車が運休になっているようです。私の予定にはあんまり影響がないとはいえ、何となく嫌ぁ~な予感がしました。
10時まで時間を潰し駅前の近鉄デパートに10時に開店と同時に入店。目的は、このデパートの地下にある和歌山ラーメンの名店「清乃」の支店に行くため。はじめてのデパートなので地下へ降りてからお店まで少々迷いましたが、何とか3人目で食券を買うことが出来ました。

でも、食べ終わって出るときには行列が…

名店、清乃… 2019年にも本店に何とか行きたいと様々検討し結局諦めた経緯がある憧れのお店。はじめての味は… やっぱり大好きな和歌山ラーメンのNO1を井出商店と争うとも噂される通りとっても美味。駅前のデパートにこんな美味しいラーメン屋さんがある和歌山市民が本当に羨ましくなりました!

この日は関空発の午後のフライトをマイルで取っているので、フライトの時間まで時間はたっぷりあるのですが、雨と風で何もしたくないような天気です。とりあえず鉄ちゃんとして一度も行ったことがない南海の和歌山市駅に行きたいと思い、バスで和歌山市駅に向かいます。途中、和歌山城が見え一瞬降りようかとも思ったのですが、この悪天候ではお城の散策もできないので降りても仕方ありません。初めて見る和歌山市駅もあまり時間をつぶせる場所もなさそうなので、停まっていた南海電車につい乗ってしまい関空を目指すことに。

(南海)和歌山市駅 この時は小雨でも晴れていて、強風!

2000年(頃)に仕事で来て以来の関空は大混雑。とりあえずどっかに座って軽く腹を満たしたいと思っても、レストランもフードコートも大混雑。仕方がないのでりんくうタウンまで1駅戻り、フードコートで本場であろう(=絶対旨い)ことを信じ買ったタコ焼きを食べていると、JALからメールが入ります。「強風で飛ばないかも。飛んでも羽田で降りられずに関西に戻るかもしれません。」

とりあえず関空に戻ろうとすると今度は関空行きの列車ダイヤが強風の影響で大幅に乱れていて、次の電車はいつ来るのか? という状況。それでも何とか関空まで行けて、何とか飛び立ったJALは何とか羽田に降りられて、”やれやれ”と安堵したのですが…
この日の悲劇は最後の最後に。自宅まで帰る宇都宮線に乗っていると、隣駅蓮田駅で「強風で利根川の橋を渡れないため、運転を見合わせます。」とのこと。隣駅まで歩けば1時間半ではありますが、結構疲れているし駅前にはタクシーも見つかりません。仕方なく動き出すのを待っていて、結局1時間半後に宇都宮線は動き出したのです。
こんなことなら、すぐに歩き始めておけば良かった… 朝、和歌山駅で感じた不吉な予感が、ここまで戻ってきて現実になるなんて思ってもいませんでした!

 



 

「只見線+α」の旅

退職して青春18きっぷで乗りたかった路線と言えば、何と言っても只見線です。
只見線… 40年以上前の大学生時代には大好きだったローカル線で、当時は夏と冬に毎年2回は乗りに行っていた記憶があります。確か大学2年と3年の時には、試験が終わり冬休みになってすぐに只見線に乗りに行き、そのまま北海道に流氷を見に行ったという何ともハチャメチャな旅をしていたものです。
今では「乗り鉄」という便利な言葉がありますが、当時そんな言葉はなく、「列車に乗りに行くのが好きな鉄道ファン」として周囲の友人たちにも認識されていた私は、「どこのローカル線が一番好き?」とよく聞かれたのですが、当時の答えはほ決まっていて、「五能線只見線と湧網線(廃止になったサロマ湖岸を走るローカル線)」と回答していたものです。それだけ、只見線には特別な思い入れがあったのです。
そんな只見線ですが、会社員になってからは一度も乗りに行く機会がなく、そのうち災害での不通が10年以上にも及び、「もう、只見線に乗りに行くことは無理なのかも…」と諦めていたのですが、2022年に奇跡的に10年以上振りに復活! すぐにも乗りに行きたいと思ったのですが、復旧後の只見線人気は凄いらしく、座れないどころかラッシュアワー並みの混雑という報道もあり、「4時間を超える只見線で、立ちっぱなしは流石に嫌だなぁ~!」と考えていたため、すぐに乗りに行くことは諦めてしばし様子を見ていました。
このたび退職することになり、青春18きっぷを使ってローカル線に乗りに行こうと決めてからは、「まずは、混雑は怖いけれど長年の恋人である只見線には絶対に会いに行こう!」と決めてプランニングに入りました。白岡を朝早く出て上越線経由で各駅停車を乗り継げば、1日3本しかない小出発の只見線全線を行く列車に乗れ、会津若松・郡山を経由してその日の最終列車で白岡に帰る究極の日帰りも可能だし、お金はかかるものの郡山から新幹線を使えば早めに自宅には帰れるのですが、折角なので郡山に1泊して、翌日に水郡線水戸線乗りつぶして水戸であんこう鍋を食べよう! と、決め最初は3/12発に決めて郡山のホテルを予約したのですが、その後3/12は全国的に天気が崩れるとの天気予報を受け、天気が良さそうな3/14(木)に出発日を変更します。「こんな風に融通が利くのも、退職後の自由な身分だから… やっぱりいいな!」と自己満足していたのですが…

 

1日目:3月14日(木)

 

40年振りの恋人である只見線に会いに行くこの日。只見線福島県会津若松新潟県の小出の間の豪雪地帯を約4時間半かけて走る列車ですが、どちら発でも直通列車は1日に3本しかなく、関東からの始発では絶対に間に合わない早朝発の列車を除けば景色が楽しめる昼間発の列車はそれぞれ1本しかありません。ネット上のブログや旅行記などでは会津若松発の列車のレポートがかなり多いようなので、混雑を避けるためにも私は小出から会津若松を目指す逆ルートを選択。40年以上前に只見線から北海道を目指した時にも小出からのルートを選択した記憶があるので、自分的にも馴染みがあるルートです。
自宅のある白岡を朝に出て、大宮からは高崎線で高崎まで、高崎からは上越線で水上へ向かいます。水上が近づくと流石に雪景色が現れ、長岡行き各駅停車に乗り換えます。

水上からはスキー客や観光客中心で「国境の長いトンネル」に入ります。この清水トンネルの前後には鉄ちゃん的には大いに興味深い湯檜曽・土合・土樽の各駅やループ線などもあるのですが、今日のメインは只見線なので各駅などを眺めるだけで先を急ぎます。

越後湯沢・石内・上越国際などスキー場として名高い駅を通り、スキー場が近いらしい雪景色を楽しみます。

11時12分に小出駅到着。只見線の出発まではまだ2時間あるのですが、関東方面から青春18きっぷを使って只見線に乗るためにはこの列車で来なければならず、そう考えると「この列車で小出駅で降りる旅行者風の人」=「2時間後の只見線に乗る旅行者」だと思われ、この列車で降りる人の数で只見線に乗りそうな人の数(混雑度合い)が判るのですが、降りた人は20~30名程度。2両編成の窓際席の争奪戦は避けられそうにはありませんが、どうやら「座れないほどの混雑」にはなりそうになく、一安心。

只見線出発まで2時間あるので、降りた旅行者は各々駅付近の散策に出かけるようです。私も駅周辺を散策、計画時には「唯一ある駅前食堂でランチ」とも考えていましたが、この日は何故か昼食を食べる気分でもなかったので、駅前をブラブラ。

只見線の発車は13:12で、駅員さんに只見線は何時にドアが開くかを尋ねたところ、12時50分頃とのこと。待合室で待っていたのですが、特にすることもないし天気も悪くなかったので、12時10分ごろにはホームに行きホームの椅子で待つことにします。只見線は2両編成、赤い旧型車両と八高線などと同じ白地に緑の最近の車両の2両なので、私は後ろの車両の入口前の椅子にぼんやり座っています。

すると、若い鉄ちゃんではなく私より年配らしい女性2人と男性1人がその後に並び、その後は全く見ず知らずの4人で列車のドアが開くまで鉄ちゃん談義が始まります。高崎からの男性と神奈川からの女性は私と同じく青春18きっぷを利用、東京からの女性はキュンパスを使っての只見線の旅だとかで、ドアが開くまでの数十分の間、「あのローカル線は良かった」などで話が盛り上がり、全く退屈しないで済みました。学生時代の汽車旅では見ず知らずの乗り合わせた人と様々情報交換するのが常でしたが、こんな情報交換なんて何十年振りだったでしょうか? とっても嬉しい数十分でした。
予告通り12:50頃にドアが開き、我々4人は無事に希望の席を確保することに成功!「只見線の座席はどっちがいいか?」については、様々な意見が分かれるところで多くのブログなどでも「どっちでも、ほぼ一緒。」という「どっちでもいい(素晴らしい!)」という意見が大半を占めるようですが、40年前の私の記憶では「田子倉ダムが見える(小出発)右側の方が好き!」だった記憶があったのと、我々が乗る車両は、右側が1人席の向かい合わせで左側が2人席の向かい合わせなので、混雑するであろうことを考えると、右側の一人席の方がいいということで、私は右側の一人席を無事に確保。その後、只見線出発までの間に上越線の列車が上下2本小出に停車して、何人かの方が只見線に乗り込んできたもののその数は思ったより多くはなく、最後まで座席が満席になることはありませんでした。(私の向かいの席は、終点までずっと空いたままでした!)
13時12分に只見線は定刻通り小出駅を出発。」小出駅を出てすぐに鉄路は右に大きくカーブを切りすぐにやや大きな川を渡るのですが、「この景色、浅草駅を出てすぐに墨田川を渡る東武線みたいだなぁ~!」と毎回思っていた大学生だった自分の40年前を思い出しました。

私が尊敬してやまない紀行作家である宮脇俊三先生は、いつも景色のいい列車に乗るとその興奮を「ゾクゾクする」と表現されていましたが、今日の只見線では発車から1分以内で魚野川を渡りながら、もうそのゾクゾクが体全体に現れます。私の視線は車窓に釘付けになり、30分前にあれだけ話した3人の鉄好きな方々のことなど全く視線に入りません。(その3人も別々のボックス席で鉄ちゃんらしく食い入るように車窓に噛り付いていました。)

只見線の車窓はあっという間にそのハイライト区間に突入します。ここでここ只見線ではどうしても「呑み鉄」がしたかった私はわざわざ埼玉の自宅から持参したお酒とつまみを取り出し、念願の呑み鉄を開始!

呑み鉄本線只見線旅!

その時の私の頭の中では、呑み鉄の先達である六角さんの曲「只見線のうた」のメロディーが何度も何度もリフレインされています。”奥会津のライフ~ライン、その名も、只見線。”というフレーズ、只見線に乗りたくて乗りたくてその「呑み鉄本線日本旅」の回を何回も繰り返し観たので、その時に流れた曲の印象的なフレーズをすっかり覚えてしまったようですね。

只見線は我々にその変化に富んだ車窓を見せながら、コトコトと着実に走って行きます。時折、駅には停まりますが途中駅で対向列車とすれ違うこともありません。

それにしても3月中盤なのに、本当に雪深いですね。でも、この雪深さが只見線廃線を救ったという側面もあるので、これらの豪雪には感謝しなければいけませんね。

大白川駅から只見駅の間は駅間20キロを超え、北海道以外では珍しい長距離区間。この辺りは記憶では私が一番好きだった区間だったかもしれない区間

この辺りには、昔確か田子倉駅という駅があったようですが、駅の跡地は見つけられませんでした。(反対側だったのかな?)

田子倉湖(ダム)。「40年振り!元気だった!?」と懐かしい旧友と会話。

新潟県から福島県に入ります。只見駅も40年振り。降りたい衝動に駆られますが、我慢・我慢。

最高のつまみである只見線の車窓風景をお供に、持参した日本酒2本(2合)を早々に飲み干してしまいましたが、これ以上は酔っぱらって寝てしまいそうなので、ここからは車窓に集中。

車窓をパチパチとシャッターを切り続けます。(下手な写真ばっかりですが)

大学3年生の秋、友人2人と只見線に乗りに来て、確かこの付近に泊まって翌朝に線路を1駅歩いた時の記憶が蘇りました。鉄橋の上を歩いていたら列車が近づいて来て大いに慌てたことも懐かしい想い出です。当時は線路をを歩くことも結構多く、警笛を鳴らされたこともかなり多かったのです。

福島県に入ってからは「会津〇〇」という駅が多くなります。ここ会津川口ではじめて対向列車とすれ違い。どうやら会津若松発の大半の方の旅行記やブログに書かれたあの列車のようです。乗客も鉄っちゃんもあっちの方がやはり多い感じです。ずっと好天でしたが、ここにきて天気予報通り雨が降っています。

会津宮下駅。このあたりが一番雪が深かったような気がします。小出駅で話しをした女性一人がこの駅で降りて行かれました。

会津柳津会津坂下など40年前には大いに馴染みがあった駅名を通り過ぎ、ややうとうととし始めたころ、徐々に雪が消えはじめて、いつの間にかすっかり雪がなくなっています。

17:24に時刻通り会津若松駅到着。40年振りの只見線の旅、本当に最高でした! ちょっと無理すれば青春18きっぷで2000円ちょっとで来られるのですから、また夏にも乗りに来ようと思いました。
会津若松をすぐ出る快速列車に乗って郡山まで。快速は混雑している上にもう夕景で車窓風景は楽しめないので、小出駅で知り合った女性1名と隣り合わせてよもやま話をしながら約1時間の列車の旅。郡山からはキュンパスを使って新幹線で帰る女性の家は私の職場だった飯田橋近くのようなので、ご近所話で盛り上がりました。
郡山駅付近のビジネスホテルにチェックイン。夕食は近くの居酒屋にて。私の大好きな「ほや」。1983年に仙台に赴任してすぐに大好きになったほや、当時は夏にしか食べられず、仙台では「夏はほや、冬はカキ」が酒飲み定番の合言葉でした。

〆は「ホルモンうどん」。「郡山に来たら…」と書いてあったのですが、名物なのでしょうか?

翌日は朝の水郡線に乗って水戸へ行き、水戸であんこう鍋を楽しむ予定でした。

 

2日目:3月15日(金)

 

熟睡中の12時過ぎに突如携帯が大きな音で鳴り始め、飛び起きます。携帯の爆音は「緊急地震速報」で、目覚めた瞬間から凄い揺れです。本当に身の危険を感じた瞬間で、揺れはさほど長い時間ではありませんでしたが、「結構ヤバいかも…」と思い、すぐにTVをつけたところ、どうやら震源地は福島県沖で最大震度5弱だったのはどうやらこのあたりのようです。宿泊しているビジネスホテルではすぐに館内放送が流れ、最初は「全員、ロビーに降りて来て!」的なアナウンスだったのですが、服も着なければ降りられないのでどうしようか迷っていたところ再度アナウンスがあり、「余震の可能性もあるので、心配な人だけ降りて来てください。但し、エレベーターは止まっているので、降りるのは階段で。」というので、30分程度様子を見ていましたが、どうやらその後は地震はなさそうなので、そのまま眠りにつきました。
朝、普通に起きて昨晩コンビニで仕入れておいた朝食を食べ、早めにチェックアウトして駅に向かおうと思ったら… 何とエレベーターはまだ止まったままです! 10階以上あるビジネスホテルでしたが、幸いにも2階だったのでとりあえず階段でロビーまで。ビジネスホテルと言えども、いつもは高層階にアサインされると嬉しくなり、昨日のチェックインの時には「2階かぁ…」と、ちょっとがっかりしたのですが、この時だけは本当に「2階でよかった!」と喜んだものです!
駅まで行き、駅のエスカレーターは動いていて喜んだのも束の間、何と郡山発着の在来線は動いていないようです!

今日乗る筈の水郡線も、真っすぐ帰るとしても利用する東北本線も動いていません。7時15分発の水郡線に乗るべく7時前に駅に行ったのですが、8時頃まで約1時間待っても水郡線はおろか東北本線も動き出しません。様々な情報が錯綜して何が正しいのか判断が難しく、「どうやら午前中は動かないらしい」といった情報もありましたが、確かにあと30分程度で水郡線が動くとも思えず、どうやら今日の水郡線と水戸のあんこうは諦めるほかはなさそうです。東北本線はまだ動き出してはいませんが。どうやら新幹線は動いているようなので、今日の青春18きっぷでの旅を諦めてとりあえず宇都宮までの新幹線特急券と白岡までの乗車券を買い、新幹線ホームへ。新幹線も遅れてはいましたが、在来線とは違い何とか動いています。

久し振りに各駅停車タイプの「やまびこ」に乗りました。昭和57年の東北新幹線開業の頃には「ひかり」タイプの早い列車が「やまびこ」で、「こだま」タイプの各駅停車は「あおば」という名前の新幹線でした。昭和61年に仙台で娘が生まれた時、名前を「あおば」にしようかと一瞬考えましたが、”おばちゃん”と呼ばれてイジメられることを恐れて、”あおばちゃん”を断念した記憶が蘇りました。しかし、現在の各駅停車のやまびこは、こだま並みに各駅で高速列車に抜かれて行くので、本当にノロノロです。

宇都宮で降りたのは、この日の目的を急遽宇都宮の新しい鉄道LRT(ライトレール)乗車に切り替えたため。繁華街や餃子の像などとは反対側になる宇都宮駅東口は大規模な再開発が終わってかなり立派になっています。その東口にできたLRTの乗り場には黄色と黒のタイガーカラーの格好いいLRTが停まっています。

平日の9時過ぎなのにLRTはほぼ満席。4人掛け席の4人目として何とか座席を確保し、車窓を楽しみます。片道約50分ですが、最初の15分は街中を走りその後は田園地帯を。

最後の15分は工業団地の中を走り、終点も工業団地の中。

LRTは大半が専用軌道を走るようですが、交差点では信号で停車します。往復全行程共降りる人も乗る人も多く、平日の昼にこれだけ乗客が多ければ経営は安心な気がしました。なお、終点で折り返し列車にそのまま乗った明らかに鉄ちゃんと思われる方は私以外には2名だけで、思いのほか地元民の宇都宮駅以外の区間乗車が多かったことも意外でした。

まだお昼前ですが、宇都宮と言えばやっぱり餃子。東口には昔みんみんの支店がありましたが、今では風景が一変しています。でも新しくできたビルの中にもみんみんの店舗があるらしいので、11:30前に入店し、”ヤキ、アゲ、スイ”の3種の定食を満喫。

焼餃子と揚げ餃子

お店を出るころには、お店には行列が出来ていました。
昼食後はグリーン車で呑み鉄をして白岡に帰ることにしました。

水郡線と水戸のアンコウ鍋は近いうちにリベンジしようと思います。

埼玉県全鉄道路線乗りつぶしの旅<その②>

埼玉県全鉄道路線乗りつぶしの旅第2弾は、3月10日の日曜日に実施。2日目は残った”難敵”の全クリと、県東北部在住の私にはあまり馴染みがない県西部の西武鉄道線を中心にした乗りつぶしの一日です。

 

第2回目:3月10日(日)

 

この日の乗りつぶしのスタート地点は気分的には西武池袋駅なのですが、大宮から乗った「湘南新宿ライン」も大宮~赤羽間は宇都宮線高崎線とは違う線路を走るので、ここも乗りつぶしの対象です。ということで、この湘南新宿ラインを池袋まで乗り通し、この区間乗りつぶし完了してからスタート。
西武池袋駅からは、鉄ちゃん的にも大好きな西武線特急「ラビュー」に乗って西武秩父を目指します。

西武池袋線はしばし東京都内を走り、秋津の先というか所沢の手前で埼玉県に入るのですが、今回のプランニングで様々地図を眺めているうちに、「都内の東久留米と清瀬の間に、ほんの僅かながら埼玉県内に入るところがある!」ことを発見しました。何となく緊張して埼玉県通過の一瞬を体験しようと身構えていたのですが、県境に印がある筈もなく「何となく、この辺かなぁ~!?」と考えながら、パチリとしてみました。

多分違っていると思いますが、違っていたら大変申し訳ありません!

今日は好天で、特急ラビューからでも富士山がきれいに見えています。富士山が見えてすぐにすぐカメラを構えるのですが、シャッターを押そうとするとラビューは速いので障害物でビューが遮られてしまい、結局富士山のショットは撮れませんでした。
所沢からはまごうことなく埼玉県ですが、このあたりには自分的にも全く馴染みがなく、住宅街が大半の平凡な車窓風景です。
途中駅飯能でラビューはその走る向きを変えるのですが、飯能で車窓の風景も一変します。飯能までは県西部のベッドタウンのイメージが圧倒的ですが、先日乗った八高線東飯能ですれ違うあたりからは、埼玉県にしては珍しい山がちな田舎風景が続きます。

西武線には支線がいっぱいあり、私はあまり詳しくはないのですが各線に様々な路線名がつけられているのですが、飯能までは「西武池袋線」で、飯能からは「西武秩父線」なのだとか。ラビューは定刻通り西武秩父駅到着。ちょっと駅を降りて駅と駅前の雰囲気を眺めます。

秩父のシンボル武甲山。この山を見るたびに「秩父に来たなぁ~!」と気持ちが昂る好きな山です。

西武秩父駅に戻り、これからは今日の前半のハイライトである週末しかない西武線秩父鉄道の直通列車に乗ります。西武秩父駅のホームからは並走するような秩父鉄道の線路と、その先には御花畑駅が見えています。

まずは西武線横瀬駅まで一駅戻ります。

横瀬駅から見る武甲山の存在感も圧倒的ですね!

飯能から来た西武線秩父鉄道の直通急行は、ここ横瀬駅で2つに分割されます。

前方の4両は先に西武秩父まで行き、その後、方向転換して秩父最深部の三峰口に向かいます。

私は前4両の出発を見送った後に、後ろ4両の長瀞行きに乗り込みます。

後ろ4両は西武秩父駅を通らずに途中から秩父鉄道の線路に移り、さっき西武秩父駅から眺めた下の線路を御花畑駅に向かいます。

西武秩父駅。右にはさっき見送った三峰口行きが

懸案の難敵②のその1を無事達成です。秩父鉄道御花畑駅で下車して、次に来る秩父鉄道に乗り込みます。

この列車は、急行料金が必要な珍しい有料急行。有料だけありスピードは速く終点の三峰口まではあっという間です。

終点の三峰口駅

今回もこのあたりの観光はできずにすぐに折り返すのですが、三峰口駅に来ると必ず食べる秩父名物「みそポテト」をいただきます。

ここ三峰口で、さっき横瀬駅で見送った三峰口行きの列車の折り返しを捕まえます。

この列車は秩父鉄道路線内を走り、最後に西武線の線路に戻る西武秩父行き。でも、三峰口駅から乗る人は殆どいなくて、正直直通列車を走らせる必要があるのかは甚だ疑問です。ネットの噂通り、「このままでは廃止も近い」のかもしれませんね。西武秩父駅の直前で秩父鉄道の線路を離れ、2時間半前に出発した西武秩父駅へ。難敵②のその2も無事にクリアです。

西武秩父駅では、お昼代わりに大好きな「みそポテト」をもう1ついただきます。三峰口では250円だったみそポテトが西武秩父では330円。「観光地値段かな?」とも思いましたが、大きさが結構違っていたので値段相応でした。

西武秩父駅から御花畑駅までは私の足でも徒歩で5分程度。次の秩父鉄道まではまだ時間があったので、駅前のお寺さんに参拝。

御花畑駅に戻ると、先ほど長瀞行きだった西武鉄道の列車が回送で停まっていました。計画時にダイヤを見ながら「長瀞発の戻り列車がないなぁ~」と不思議に思っていましたが、こっちは回送だったのですね。

秩父鉄道を今回は寄居まで乗ります。寄居より先は、次回3回目で乗りつぶしする予定。

前回も来た寄居。3路線が集まるターミナル駅なので、今回もそして3回目にも来ることになるのですが、どうやら駅ビルすらなく3路線を繋ぐ跨線橋に各線の改札があるだけのようです。ここからは東武東上線で森林公園経由で川越を目指します。東武線の乗りつぶしは次回3回目で実施予定です。

東武東上線川越市駅で降り西武線本川越駅まで、私の足でも10分以内の散歩。

西武線の中では西武新宿線に圧倒的な親近感を持っている私。幼稚園年少まで(あんまり記憶はないのですが)東伏見に住んでいて、その後も親戚が野方と西武柳沢に住んでいたので小学生の頃から頻繁に乗っていたので、私にとって「西武線西武新宿線」だったのです。でも、西武線って、西武新宿といい本川越といいどうして他の駅とちょっと離れたところにターミナルを作ったのかは、今でも不思議なまま。

これからは埼玉県内にある西武線の支線を乗りつぶし。まずは西武新宿線本川越から所沢を経由して乗り継ぎの都合で都内の小平まで。都内に入ってすぐの東村山の発車ベルは絶対「東村山音頭」だと何故か確信していたのですが、普通のベルで逆にビックリ。その後も都内の西武拝島線から西武多摩湖線を乗り継いで”庭先”の多摩湖まで。因みに、多摩湖駅はまだ東京都です。

多摩湖駅で、ゆりかもめのようなゴムタイヤの新交通システム西武山口線に乗り換えます。20分に1本の山口線、写真を撮ろうと近づいたら発車ベルが鳴り響いたので、思わず飛び乗ってしまいました。隣駅「西武園ゆうえんち駅」からは埼玉県、終点「西武球場前駅」でようやく写真が撮れました!

ここまで来たらやはりドームにはご挨拶を。

試合がない日の西武球場前駅は閑散としていますね。

「日本一を目指す」ライオンズ。埼玉県人として応援はしますが、昨年5位で山川も抜けて目立った補強もないようなので、「日本一」は贔屓目に見てもやや厳しい気がしていますが、頑張れライオンズ!

西武球場前駅から西所沢駅まで西武狭山線に乗り、ここで埼玉県内の西武線全線乗りつぶしは無事クリアになります。

その後は西武池袋線秋津駅で降り、意外と距離があった武蔵野線新秋津駅までトボトボと歩き、武蔵野線北朝霞まで。ここから最後の難敵①のその2である「むさしの号」に乗って貨物線を大宮まで行くのが今日最後のメインイベントなのですが、各路線の乗り継ぎが順調に進みここまで予想より早く来られたので、むさしの号の時間までまだ1時間半もあります。ついては3回目でやる予定だった「和光市駅から都内までの往復」を実行することにしました。朝霞台から東武東上線を埼玉県最後の駅和光市まで。

ここで東武東上線と地下鉄が別れて、次の駅は共に東京都である成増と地下鉄成増なので、まずは地下鉄に乗って地下鉄成増駅を目指します。

地下鉄駅を出て、3分も歩くと東上線成増駅に着きます。

東上線で再び朝霞台の駅まで。これで川越市朝霞台の間は3回目に乗る必要はありますが、とりあえず和光市~成増・地下鉄成増間はクリアになりました、

本日の最後は「むさしの号」の乗車。北朝霞からはノンストップで貨物線を通って大宮駅まで走ります。北朝霞を出たらすぐに貨物線に入り、西浦和はホームがない貨物線で通過。その後、左に折れ新幹線・埼京線の下をくぐります。

トンネルに入って、北浦和と与野の間に出てくるのは、前回のしもうさ号と同じ。今回も感動的な「むさしの号」体験でした。
これで2つの難敵を全て制覇して、いよいよ次回県東部の東武線を中心に乗りつぶせば、埼玉県全路線が達成できそうです!

キュン♡パスで秋田・新潟へ

退職後(年休消化中)の最初の遠くへの旅は、JR東日本の「キュン♡パス」を使っての秋田&新潟への日帰り旅。キュン♡パスとは2・3月に発売された平日限定の切符で、1万円でJR東日本エリア内の列車が乗り放題(指定席は2回まで利用可)という結構太っ腹な切符。2週間以上前の購入制限や、購入はインターネットの「えきねっと」限定 などの制限はあるものの、「青森や秋田までも、日帰りならたった1万円で行ける!」ということをTV番組などが散々取り上げた効果なのか、兎に角すごい人気でこの時期の新幹線の異常なまでの混雑は間違いなくこのキュン♡パスのせいなのです。
私も、3月には無事に有休休暇消化期間を迎えられるであろうことを信じて、3月上旬の平日にはこれを使って旅に出ることを決意、最初は五能線の「リゾートしらかみ」に乗りに行く日帰りの行程を考えていましたが、この日程が成立するかどうかは「リゾートしらかみの指定席(しかも、絶対海側のA席!)が取れるかどうか。」が最大のポイント。でも冬場のリゾートしらかみは毎日運行ではなく運行は金・土・日のみなので平日限定のキュン♡パスが使えるのは金曜日のみ。3/1(金)を最終出勤日に決めていた私がこの日程で旅ができるチャンスは、3/8の金曜日のみということなのです。(キュン♡パスの設定期間は3/14(木)まで)リゾートしらかみの海側A席が欲しい私は、1か月前の発売日(2/8)を在宅勤務にして、発売日の10時には(仕事をサボって)えきねっとでこのリゾートしらかみの席を確保しようと考えましたが、色々あって結局2/8は出勤せざるを得ない状況になり、流石に会社で仕事中にえきねっとをカチャカチャやるのはいかがなものか… と考え、仕方なく可能性は極めて低い、「えきねっとの事前予約登録」に賭けてみることにしましたが、予想通り事前登録の結果は「A席は満席」。未練がましく昼食時にえきねっとにアクセスしてみたものの、A席以外の席には多少空きはありましたが、「五能線の醍醐味は、海側席ならでは」と信じている私は、そこで五能線を諦め、行先を秋田⇒新潟として日本海の景色を五能線から羽越本線特急いなほの海側A席から見るプランに切り替え、秋田新幹線こまちの始発と接続する特急いなほのA席指定券をその日のうちに予約してしまいました。
因みに、キュン♡パス人気は本当に凄く、念のため発売日翌日にえきねっとで予約状況を見てみたら、新幹線青森行きの始発列車はもうすでに満席で、私が予約したこまちも翌々日には満席でした!

 

実施日:3月8日(金)

 

キュン♡パスは2週間前までの前売り切符なので、出発日の変更はできません。無事に年休消化期間に入った私が予定変更することなど絶対にないと思っていたのですが、日程が近づくにつれて実施当日の天候がどんどん怪しくなってきます。「8日は深夜から降雪が始まり、都内でも雪が積もり通勤時間にはダイヤが乱れる可能性がある。」などの報道が続きます。予約がなければ日程の延期等を考える日程なのですが、既に指定券まで取っているキュン♡パスはどうやら払い戻しもできそうにもなく、決行するか1万円をドブに捨てるかの2つに1つしか選択肢はなさそうです。貧乏な私に基本後者の選択肢はないのですが、「足の悪い私が無事に駅まで行き、新幹線に乗れるのか?」という不安が付き纏います。
当日朝、早々に目覚めて外を見るとかなり激しく雪が降っており、(天気予報通り)道路にもうっすらと雪が積もり始めているようです。「これは、時間ギリギリに出ると雪が更に積もりそうなので、早く家を出た方がいい!」と判断し、準備もそこそこに5時過ぎには家を出て、既に道路もかなり白くなって入る中を、転倒しないようにゆっくりと慎重に歩き、何とか無事に駅まで辿り着きました。
駅で撮った写真ですが、結構雪が降っているのをご覧いただけると思います。

この時間にしては徐々に人が増えてきて、来た電車は意外にもかなりの混雑。私と同じように「早く家を出た方が(早く会社に向かった方が)いい!」という判断の人が多い故の混雑に見えます。「私も現役時代だったら、絶対早く出ただろなぁ~!」なんて考えながら電車に乗ると、一抹の寂しさがこみ上げてきます。
無事に大宮駅に着きますが、早く出たので目指すこまちが来るまではかなりの時間があります。こまちはまだ東京駅も出ていないのですが、今のところ運休や遅延の情報もなく定刻通りのようなのでまずは一安心。ところが、こんな朝早いのに大宮駅の新幹線待合室は大混雑!しかもビジネスマンらしい人は少なく、複数で談笑しながら列車を待っている人たち(若者たちやご婦人連中)が大半で、まさしく「キュン♡パス混雑」なのでしょうね。発車時間が近くなったのでホームに出てみます。雪はさらに激しくなりますが、雪に強いはずの東北新幹線なら大丈夫ですよね!?

こまちは定刻通りに大宮駅到着。

長い列の一番後ろに並んで乗車しようとしましたが、長い列は一向に進みません。発車ベルは長時間鳴り続けて、「何でこんなに進まないの?」と少しイライラしましたが、何とか列車に乗り込んですぐにその原因が判りました! 何と入口~列車の中までも、座席のない立ち客が溢れているからなんです! 全席指定席のはやぶさやこまちは、指定席券を持たないと乗れずに、立席でも乗るためには自由席券ではなく立席特急券が必要な筈。キュン♡パスは指定席は2回までは乗れるルールですが、立席特急券も1回にカウントされるはずで、「この人たちはみんな立席券を本当に持ってるの?」と疑問になりますが、通路には人が歩くスペースがないほど立席客が乗っているため、車掌も回ってこられないし、車内販売も「通路を通れないので、今日の車内販売は中止。買いたければ、12号車まで買いに来てください!」と車内放送する始末。こんな満員新幹線、本当に凄く久し振りです! 1か月前に指定席を確保していた私は、無事に確保していた窓際席に座り、埼玉とは思えない雪景色を堪能します。自宅近辺もかなりの雪景色で、「雪景色を見たくて東北に行く」のに、自宅付近で雪景色が見えるなんて、何か皮肉です。

埼玉県内の雪景色

仙台までの1時間は、ずっと雪景色を堪能します。正月に仙台の妻の実家に行った時には、新幹線からは全く雪が見られなくて、「今年は、異常気象?」と心配になったのですが、郡山付近の今日は、3月なのに普段の年より雪深い感じです。

でも、新幹線が何となく遅いなぁ~という感じがしていましたが、その感覚通り「前の列車が徐行運転したため」仙台には6分ほど遅れての到着。普段の東北新幹線では半分近い乗客が仙台で降りて、車内がガラガラになることが多いのですが、さすがに大半がキュン♡パスの乗客だと思われる今日は、仙台でも殆ど降りる人がいません。つまり、通路やデッキにずっと立っているこれらの乗客は、最低でも盛岡までは立つことになります。 こまち号は仙台から盛岡までもノンストップ。この区間は快調な運転ですが、6分の遅れは挽回できずに、盛岡駅で後ろのはやぶさを切り離して秋田新幹線区間に入ります。この区間の雪景色は今日の雪というよりは流石に雫石などのスキー場も近い豪雪地帯の風景で、ようやく私の視界にも立ち客がいなくなった(盛岡では、どうやら全員が降りたか座れたらしい!)こともあり、ようやく落ち着いて車窓の雪景色を楽しむことが出来ました!

秋田新幹線田沢湖線を使ったミニ新幹線なので、盛岡までのように200キロを超えるスピードが出るわけではなく、のんびりと車窓風景が楽しめます。やっぱりこのあたりの風景にはこのスピードが似合います。

おまけに単線なので、時にはこまち同士のすれ違いも楽しめます。田沢湖、角館と馴染みのある名前の駅に停まり、大曲では進行方向が逆になりますが、シートを反対に直す人も誰もいないままで間もなく終着の秋田駅の到着です。このあたりで徐々に沿線の雪が無くなって来て、「間もなく、秋田に着きます。」という車内放送が流れる頃には、全く雪がなくなっているのです!

秋田には… 雪がない!

秋田と新潟に日本海と雪景色を見に来た今回の旅なのに、雪景色は地元埼玉で見られたのに秋田で見られなかったなんて、何と皮肉なのでしょう!? 秋田新幹線区間で少し遅れを挽回してくれたようで、終着の秋田駅には2分遅れでの到着。乗り換え時間が僅か20分なので急ぎホームを移動し、今回のメインである特急いなほ号で「呑み鉄」をするためにお酒とつまみを仕入れて、まずは特急いなほ号の最前部にご挨拶。

今回の旅の私的メインは、「特急いなほ号から見る日本海」なので、いなほ号の席は絶対窓側A席に座りたかったため、ここでキュン♡パスの2つ目の指定券を使っています。でも、終点秋田までほぼ満席だったこまちの乗客の中からこのいなほに移動してきた人は予想より随分少なく、いなほの自由席は意外にもにガラガラ。「こんなことなら、いなほは自由席でよかったのに…」とも思いましたが、秋田駅で慌てずに済んだだけでも指定席を取った効果はあったようです。いなほは定刻通りに秋田駅を出発。酒どころ秋田で仕入れたお酒で、いよいよ日本海を見ながらの呑み鉄の開始です!

「呑み鉄」のはじまり

羽越本線はすぐに日本海に近づき、早くも待望の日本海とご対面!

このあたりにも雪は全くなく、快晴で青空も見えています。今朝の埼玉の雪景色がまるで嘘のようです。特急列車は羽後亀田の駅を通過。この「羽後亀田」、高校生時代に小説でも映画でも熱中した名作「砂の器」で最初の頃に刑事が訪ねた地。当時、時刻表の地図でこの地に思いを馳せた頃の自分が蘇り、ちょっとウルっと来てしまいました。
今日の日本海は、本当に穏やかです。

酒田を過ぎ、陸羽西線の乗換駅である余目へ。今回の計画時、雪深い山形新幹線で新庄まで行き、最上川沿いの陸羽西線でここ余目まで来るルートも考えたのですが、この陸羽西線がまだずっと工事で運休中で、現在も代行バスで運行中だったためにこのルートを諦めたのです。駅前にはJRバスの代行バスが停まっています。

陸羽西線、早く復活してください。今度こそ、乗りに行きます!
鶴岡・あつみ温泉を過ぎると、間もなく新潟県。通過する駅名も羽前から越後に変わります。間もなく、名勝の「笹川流れ」を通ります。この笹川流れの遊覧船にもいつかは乗りたいとずっと思っています。このあたりでずっと向こうに見え続けているのは粟島。離島好きとしては、いつかはあの粟島にも行ってみたいものです!

昼前から呑んだお酒の効果もあり、途中ややウトウトもしましたが、日本海の車窓風景を満喫することが出来て、列車は定刻通り無事に新潟駅に到着! 呑み鉄としての今回の旅のメインイベントはこれで終了なのですが、新潟では2つの目的を実行するために下車します。

その1:「バスセンターのカレー」を食す!
新潟市内のB級グルメとして名高い、万代バスセンターにある立ち食いそば屋のカレー。メディア等にかなり多く登場していて、一度は食べたいと思っていました。駅からは徒歩10分程度とのことでしたが、工事で昔何回も来た頃とは全く印象が変わった新潟駅からバスセンターまではタクシーを奮発。2時半を過ぎているのにやはり食券販売機には行列が出来ていて、全員がそばではなくカレーを注文しています。

食券を出してすぐ来たカレーは噂通りの黄色いカレー。

これがあの有名な、「バスセンターのカレー」

味は、確かに美味でしたが、期待が強すぎた分そこまでの感動はありませんでした。

その2:「ぽんしゅ館」で日本酒三昧
新潟県内の3つの駅ナカ(新潟、長岡、越後湯沢)にある新潟の地酒が呑める人気スポット。2021年に越後湯沢の♨旅館に車を置いてここを訪ねる予定にしていたのに、降り出した雨で断念して以来の念願の初訪問です。新潟駅のお店はキュン♡パスで混んでる気がしたので、当初は空いていそうな(最近できた)長岡のお店に行こうかとも考えていたのですが、キュン♡パスの指定券2回を既に使い切っていたので、帰りは自由席に乗らざるを得ないため、途中駅の長岡から乗るのが怖かったため予定通り新潟駅で行くことにしましたが、実際に行ってみると予想通り(予想以上)の大混雑。
お店のシステムは、最初に500円也を払ってお猪口とコインを5枚受取り、80種類くらいある新潟の地酒の中から好きなお酒を呑むというもので、多くのお酒はコイン1枚でお猪口1杯の日本酒(地酒)が飲めるのです。(一部のお酒はコイン2枚以上)

本来なら、ゆっくりとお酒を見極めて自分の好きそうなお酒を選んで飲めば楽しいのでしょうが、元来そこまでお酒に詳しくない上に好きなお酒のタイプも定まっていない(辛口も好きだけど、甘口も決して嫌いじゃない…など、要はなんでもいい!?)軟弱モノの私は、「80種類の中から好きなお酒を3~5杯選べ」と言われてもすぐに選べるものでもありません。おまけに大混雑の店内ではゆっくりと品定めするだけの余裕もなく、結局「オススメ」や「人気」と書かれていたお酒をあっさり5杯飲んで、早々に退散してしまいました。「空いていたらもっとゆっくり選べるので、もう1回来てみたい。」と思う反面、「日本酒に詳しくないので、何度来ても結局一緒だよ」という気もしているのですが、とはいえ機会があればもう一度行きたいと思っています。

新潟での予定を終え、新幹線ホームに上がってみると間もなく出る新幹線「とき」の自由席に少しだけ空席があります。とりあえず飛び乗ってまたも呑み鉄をしてしまった新幹線、乗った時には「本庄早稲田駅にでも降りてみようかな…」とも考えていたのですが、何とこの飛び乗った「とき」は珍しく長岡から大宮までノンストップの新幹線とのことで、今更乗り換えるのも面倒になりそのまま乗り続け、大宮でも降りずに「埼玉県全鉄道乗りつぶし」のために上野まで乗り続けます。これで行きのこまちと合わせて埼玉県内の全新幹線路線もクリアとなり、ついでに上野からはいつもの宇都宮線で帰り、これで埼玉県内の宇都宮線もクリアとなりました。
夕方、埼玉県の朝の雪はもうすっかり溶けていて、「朝の雪景色は夢だったのではないか?」と思わせるほどのごく普通の日常がそこにはあり、本当に激動の一日でした。

埼玉県全鉄道路線乗りつぶしの旅<その①>

久し振りの投稿です。
突然ですが… 2024年3月末をもって、8年と5カ月勤務した第2の職場(学校法人)を退職することにしました。まだ63歳(間もなく64歳)なので、定年には2年を残しての退職です。じゃぁ、何で辞めたのかというと、話せば長くはなるのですが、やっぱり片道1時間半を終える通勤が兎に角辛くなったというのが最大の要因です。
コロナで在宅勤務という制度が定着してから早数年、今までは往復3時間の通勤も”当たり前のこと”だったので殆ど苦にならなかったのですが、コロナ禍で在宅勤務が定着し、コロナ禍が収束してからは通勤電車の混み方を含めてすっかり以前の通勤に戻ったのですが、自分の気持ちと体力については以前の自分に戻ることが出来ませんでした。毎日の仕事と通勤が終わると兎に角ぐったりとしてしまうのです。仕事なんて以前のようなプレッシャーがかかり精神的にも体力も激しく使うような仕事では全くないのにも関わらず… です。
「今の体力では、仕事は兎も角往復3時間超の通勤は… もう限界!」と、退職を決意したのは昨年の夏前。その後は年度契約の事務嘱託職員なので、何とか契約満了の3月までは無事に勤めあげて円満退職しようということが大きな目標となりました。そして、3月1日(金)に無事に最終出勤日を迎え、今週から有給休暇消化期間となり、3月末に無事に契約満了となります。

では、「会社辞めて、何すんの?」 については、正直まだ決めてはいません。在職時代人事部で様々な雇用問題の担当をしていて、「障がい者雇用問題」についても知遇を得る機会があり、各企業が毎年上がる”障がい者法定雇用率”に苦しんできている実態を見てきているので、”身体障がい者は売り手市場である。”という実態は知っているつもりなので、贅沢を言わなければ働き口はあるだろうとは思います。とはいえ、やっぱり通勤が長いのは嫌だし、年齢・体力的にも「もう、フルタイムはいいかな…」という気持ちもあります。とりあえず、来月からは9年振りにハローワーク通いをして、縁があればまた働こう と、考えています。
「このまま働かずに老後を迎える」という選択肢についても、退職前にシミュレーションしてみて、「このまま仕事をしなくとも、つつましく暮らせば何とか生きてはいけそう。」という検討結果にはなったのですが、「つつましく暮らすのが嫌だ」という訳では決してないのですが、むしろ「今後、何もしない退屈な人生は、きっと苦痛!」のような気がするので、それが仕事以外だとしてもやっぱり何かはし続けたい… と考えているのです。

とはいえ、今週からすっかり時間が出来たので、とりあえず私がすることと言えば、やっぱり「旅」。9年前に会社を辞めた時には「日本一周がしたい!」という理由で会社を辞めているので、何より「旅行第一」の退職だったのですが、今回はその時のような「旅行第一」の理由ではないとはいえ、私の唯一最大の趣味が旅行なので、「時間ができたら行きたいところ」はまだまだたくさんあります。でも、3月中は無事に年休消化期間を迎えられるかどうかの自信もなかったため、とりあえず長い旅行には行く予定は立てていません。
でも3月には毎年恒例の「青春18きっぷ」も発売され、40年振りに鉄ちゃんに戻るにはちょうど良いチャンスなので、半年前からあれこれとプランを立てていました。加えてJR東日本が2~3月の平日限定で1日1万円で乗り放題のきっぷ「キュンパス」を発売したので、こちらも含めての3・4月の旅行をあれこれ考えています。

ところで、間もなく私の「日本二周目」はゴールを迎えて、今年もしくは来年には「三周目」が始められそうなのですが、我が地元埼玉県巡りだけはどうにもあんまり調子がよくありません。埼玉県については「全市町村巡り」を始めてはいるのですが、72市区町村(さいたま市の区を含む)の内、巡れているのはまだ31市区町村のみで、まだ半分以上が未達成です。この「全市町村巡り」だけを集中的に行うというモチベーションは私にはなく、今後も暇な時に少しずつやり続けたいと思っていて、このままではこの埼玉県が「日本二周目の達成の足を大いに引っ張る」ことが危惧されるため、この埼玉県の全市町村巡りは、3周目に向けてのんびりと続けて行くことにしました。(この辺の優柔不断さこそが私の持ち味!?)
「じゃぁ、埼玉県の二周目、何にしよう?」と考え、ある時思いつきました。「そうだ、埼玉県の鉄道路線に、改めて全部乗ってみよう!」埼玉県の鉄道はJR・私鉄含めてかなりの路線があります。その路線を端から端まで乗ってみようと考えたのです。
<埼玉県鉄道路線図はこちら
埼玉県内で、鉄道が全く通っていない市はなく、町村で鉄道が通っていないところは5町村のみ(東秩父村三芳町松伏町、川島町、吉見町)とのことなので、全鉄道を乗ることによりほぼ「埼玉県を塗りつぶし」することが出来ると考え、「これぞ、二周目に相応しい!」と一人悦に入っています。(さすがは、自己中男!)

具体的には、今までの乗車経験はともかく、ゼロからスタートして隣接する都県から全鉄道路線に全て乗ってみるプランで、そのことを考え始めてからは後は実際どのくらいかかるのかを様々考えてみました。その結果、新幹線を除くと3日間掛ければ何とか全路線に乗れそうなことがわかりましたので、3月2日以降、早速実施してみることにしました。全鉄道に乗ると言っても、全部の路線の全部の線路(往復)に乗ることはせずに片道だけ乗ればOKというマイルールを作りました。でも、鉄ちゃん的にこだわったポイントは以下の2つ。この2つ共結構な難敵でしたが、時刻表と格闘の結果、何とか設定した3日間の日程の中で(理論的には)全てクリアすることが出来そうです。
①貨物線を通るJR快速 「しもうさ号」と「むさしの号」
大宮から貨物線を通って武蔵野線に直通するJRの快速が2パターンあります。1つは大宮駅を出て貨物線を通り武蔵浦和に出てから千葉方面に向かう「しもうさ号」で、もう一つは同じ貨物線を通りながら武蔵浦和駅を経由せずに八王子方面に向かう「むさしの号」。共に朝夕に計3本程度の運行ですが、両方のルートを乗りつぶすためには両方の快速に乗る必要があります。
西武線秩父鉄道の直通列車
以前、華々しくデビューして私も大昔に乗りに行ったこともある西武線から秩父鉄道への乗り入れ列車。今では規模も縮小されて乗り入れは休日のみの運行です。しかも、この直通列車ルート的には長瀞方面に向かう路線と三峰口方面に向かう路線と2パターンがあり、どうやら2つは違う線路を走って相手路線に乗り入れるようで、こちらも両方に乗る必要がありそうです。しかも、西武線の直通列車は横瀬駅長瀞行きと三峰口行きに分割されるようなので、「2回行かないと両方には乗れないかも…?」と、このクリアに向けては散々悩んだのですが、あれこれ検討した結果、何とか休日の1回の秩父行きで両方クリアすることが出来そうです。
それ以外に、埼玉県内を通る新幹線としては、上野~小山と高崎まで行く必要があり、時間はともかく料金が気になるところでしたが、「平日1万円乗り放題」のキュンパスのお陰で、日帰り旅行とセットで何とかクリアできそうです。
最初は、「退職後の最初の1週間で、3回(+1回)を全部回ってしまおう」と考えていたのですが、天候の件や思ったより疲労感が残る(もう、年!)ため、3月中の達成を目指すこととしました。

 

1日目:3月5日(火)

 

退職後初の旅行は、最終出勤日翌週の火曜日。1日目のこの日は埼玉県内のJR線乗りつぶしが中心なので、退職前に買っておいた青春18きっぷの1回目を使っての旅で、朝6時に最寄駅白岡駅からのスタートです。

以前は東京方面行きのホームから、空いているこっち(宇都宮方面行)のホームを見ながら、「あ~ぁ、仕事を放り出して反対側行きの電車に乗ってみたいなぁ~!」と願ったことが何度も。遂に念願叶ってこっち側の人になれました!
埼玉県乗りつぶしのスタート地点は、利根川を越えた茨城県古河駅。昔、チャレンジはしなかった国鉄乗りつぶしキャンペーン「チャレンジ2万キロ」を真似て、スタートかゴールで駅名標の写真を撮ろうと考えていたのですが、古河駅の上りのホームには何故か駅名標が見つかりません。間もなく列車がやってくるので、止むを得ず反対側の下りの駅名標をパチリ。

ここは、茨城県です!

古河駅では通勤電車にもまだまだ空席があります。利根川を超えると、いよいよ埼玉県の鉄旅のスタート。

今までは結構混んできている列車に白岡駅から乗っていた私ですが、いつも座っている人がどこから乗ってきているのかはずっと謎のままでしたが、約数十年たってようやくその疑問がわかりとてもスッキリ。埼玉県2つ目の駅である東鷲宮でほぼ空席が埋まって、隣の東武線接続の久喜駅でどっと乗客が乗ってきました。白岡駅から乗ってきて私の前に立ったおじさんサラリーマンが羨ましそうに私を見ていたのが印象的。「俺も、こんな風に羨ましそうな目で見ていたのかなぁ?」なんて考えながら大宮駅で下車して、そのおじさんに席を譲りました。

大宮駅からは高崎線で高崎まで。朝の高崎線の下りは学生を中心に結構混んでいるようなので、グリーン車を奮発して旅情を味わいます。大宮を出るとすぐに鉄道博物館の横を通ります。見慣れた風景ではありますが、何となく旅気分になりパチリとしてしまいます。

高崎線の埼玉県は結構長く、熊谷、深谷、本庄を過ぎてようやく埼玉県の一番端の駅神保原へ。間もなく居住30年になる埼玉県人ですが、こんな偉人、知らないなぁ~!?

神流川(かんながわと読みます)を超えると、列車は群馬県に入ります。次に乗る八高線への乗換駅は倉賀野駅ですが、次の列車までまだ時間があるので八高線の始発駅である高崎駅まで。

高崎駅前を眺めてみます。「高崎や前橋、会社員時代には本当に縁がない街だったなぁ~!」と感慨ひとしおです。他の主要都市は何らかの仕事で行ったことはあったものの、群馬県には伊香保草津の温泉には仕事で行ったものの、高崎や前橋には仕事で来た記憶が全くないのです!

高崎駅前の風景

次に乗る八高線は、2番線と4番線のホームのずっと先にある3番線からの発車。

八高線にもかなり昔に乗りに来たことがある筈なのに、全くその時の記憶がありません。やってきた列車は、ディーゼルの2輌編成のワンマン列車。

ここから先はしばらく単線区間が続きますが、埼玉県内での非電化区間はこの八高線高麗川までの区間だけなので、今回の旅で一番旅情を感じられる区間で、鉄ちゃんのテンションも上がります。
ディーゼル独特の音を発して、八高線はのんびりと出発。倉賀野までは高崎線を走り、単独路線になって再び神流川を超えると埼玉県に突入。

同じ埼玉県とは言え、仕事上でもほとんど縁のなかった本庄・児玉などののどかな田舎風景を走りながら寄居へ。ここ寄居は、八高線東武東上線秩父鉄道の3つの路線が集まるターミナル駅。3路線のターミナル駅なんて東京ならば相当巨大なターミナルなのですが、ここ埼玉県の寄居は、驚くほどの超田舎駅。

でも、ここ寄居には埼玉県巡りでまだ来る必要がありそうです。
のんびり・ゆっくり走る八高線でウトウトしながら旅は続きます。4人掛けのボックス席でディーゼルの心地よいサウンドを聞いていると、「呑み鉄」をしたくなりますね。
高崎からのディーゼル列車の終点は途中駅高麗川高麗川からは単線ではありますが電化区間となり、JRらしい近郊列車がやってきます。

八高線の名前は、八王子から高崎まで。その名の通りの八王子行きが来ますが、埼玉県内を走るのはあと2駅だけで、3駅目の箱根ヶ崎駅は、田舎ですが(失礼!)もう東京都なのです。

戻る列車の時間までの間、ここが東京都だという証拠が何か無いかなぁ~? と階段を上がってみますが、瑞穂町の案内しかありません。瑞穂町… 都内といえども超マイナーな街ですよね??

反対行きの八高線高麗川まで戻り、まるで同じ路線のようにそのまま川越線を走る電車でそのまま川越駅まで。途中駅からはたくさんの女子高生が乗ってきて久々の大混雑状況です。まだ1時前なのにこんなに高校生が多いってことは、試験期間なのでしょうか? 営業職を離れてからもう20年を超え、平日の昼間の電車に乗るなんて、本当に久しぶりなのです!

川越駅からは川越線埼京線で大宮経由で武蔵浦和まで。馴染みがありすぎる列車なので、旅情感はほぼゼロ。

武蔵浦和からは武蔵野線へ。あんまり利用頻度は多くないとはいえ、生活圏に近い電車なので同じく旅情感は希薄です。次の下車駅は千葉県の南流山駅。今日は、茨城、群馬、東京都に続いて4つ目の隣接都県です。

次の乗車はつくばエクスプレス。TXといえば秋葉原から千葉・茨城に行く列車で、埼玉県のイメージはあまりないのですが、途中埼玉県内の三郷と八潮にある2つの駅を通るのです。

時間の関係で快速に乗り、埼玉県内の2つの駅を通過して北千住まで。

北千住からは再び青春18きっぷにお世話になり王子経由で地下鉄南北線の終点赤羽岩淵に行き、埼玉高速鉄道乗りつぶし

埼玉高速鉄道は現在浦和美園止まりで、今は埼スタ浦和レッズ)専用路線のイメージですが、地元民は岩槻延伸を望んでおり、その先には蓮田まで延伸の計画すらあるのですが、岩槻も怪しいし、蓮田までなんて実現しそうな気がしません。私が生きているうちに、埼玉高速鉄道で岩槻や蓮田に行ける日は来るのでしょうか?
埼玉高速鉄道を一駅戻り東川口へ行き、再び武蔵野線へ。ここまで急いだのは”難敵その①ー1”である「しもうさ号」を捕まえるため。

今まで何とか予定通りの行程で来られたので、私史上初めての「しもうさ号」に乗車。

しもうさ号は、武蔵浦和までは普通に武蔵野線を走ります。武蔵浦和駅を出た後は武蔵野線を跨いで右に進み中浦和駅の下を通って、その後トンネルの中をしばらく進んだ後、地上に出ると、そこは何と北浦和駅与野駅の間! という、埼玉県民(というか鉄ちゃん)には感動的なルートを通るのです!
いやぁ~! しもうさ号、感動しました。周囲の人はいつものことなのでしょうか誰も外なんか見ずにスマホを眺めているようですが… この絶景、見られたことに大感動でした!
この日の最後は大宮駅からのニューシャトルで終点の内宿駅まで。

でも、このタイミングでニューシャトルに乗ったのは失敗でした。結構激しい雨が降る夕暮れ、窓は曇って景色も隣を走る新幹線も全く見えないような状況に加えて、そろそろ帰宅ラッシュが始まって大混雑の列車は全く楽しめませんでした。おまけに終点の内宿駅で急いで改札まで往復して何とか折り返しの列車に乗れた… と思ったら見事に終点内宿駅での写真を撮り忘れました!

でも、何とか1日目の予定は無事に終了。
2日目以降も、近いうちに実施しようと思います!

 

 

2023年九州ドライブ紀行<最終回:最高に贅沢な2日間>

14日目:8月15日(火)

 

九州にいられるのも、あと2日。今日と明日は、この旅というより自分史上最も贅沢をする自分史上歴史的な2日間で、今晩の九州最後の宿は湯布院温泉。大分県の湯布院温泉といえば九州を代表する温泉地で、高級旅館が多いことでも有名。我々は前回(2015年)にも湯布院のそこそこ高額な旅館で温泉を楽しんでいるのですが、当時は無職だった我々的には結構思い切って高級な宿を取ったつもりでしたが、湯布院の中では然程の宿ではなく、今では名前も思い出せない程度の宿。
今回、2度目の湯布院では、「湯布院らしい、記憶に残る高級宿に泊まりたい」と考えていました。湯布院には「御三家」と呼ばれる有名な高級宿が3つあることは旅行会社にいたので知っていたので、「どうせなら御三家のどれかに泊まりたい!」と思い半年以上前から、宿泊サイトを時折覗いていたのですが、人気の御三家の空室は中々出て来ません。2月中旬のある日も「無理だろうなぁ~」と思いながら古巣の旅行会社の宿泊サイトを見に行ったところ、御三家の1つ「亀の井別荘」に予想より安い(と言っても1人4万円はします。)空室が。まだ半年以上前なのに事前払いが必要でしたが、半年後の日程も固まっていない旅なのに、いきなり半年前に高額の宿泊費を前払いして、以降この旅のプランニングは全てこの日の湯布院での宿泊が前提で組まれた日程なのです。
大分県内も前回2015年にかなり貪欲にあちこち見て回ったので、今日は湯布院にのんびりと行ってゆっくりと高級宿を満喫するつもりでしたが、とはいえ色々と調べるうちに前回も行った中津で食べたいものが見つかります。地理的には中津は湯布院より九州の出入口である北九州に近く、今日のランチというより明日のランチで立ち寄った方が日程的には全然いいのですが、明日の夕食こそ今回の旅の最高額の食事で、明日は特にお腹を空かせておかなければならない日のため、今日のランチとして予約しておいたのです。
延岡から朝ごはんを食べずに高速道路に乗ります。この宮崎県から大分県を結ぶ高速道路は、私が一番苦手とする高速道路のパターン。半自動運転を設定していても、1車線の細い道なので何となく恐ろしいというかハンドルを握る手に力が入ります。おまけにこの道路、見事な程にトンネルばかりで、ドライバーの気が休まる時間が全くないのです。「こんなことなら、時間はあるので、(恐らく結構スピードが出せるであろう)一般道で行けば良かった。」と後悔しても後の祭り。
9時を回ったので、PAに車を停めて湯布院観光協会に電話。これは当日しか予約が取れないルールの湯布院の観光馬車を予約するため。流石に9時頃には全く電話が繋がりませんでしたが、9時半頃次のPAでようやく電話が繋がり、無事に2時半の馬車を予約完了。
中津には10時半頃に到着。ランチの予約にはまだ少し早いので、8年前にも来た中津城にご挨拶。

毎回思うのですが、このお城、何となく危なっかしい

8年前には大河ドラマ軍師官兵衛の施設もあったのですが、今回は外観だけの見学です。

中津で楽しみにしていたランチは”鱧”。個人的にはハモ大好きで、ハモのメニューがあればどこでも飛びついてしまうのですが、何故大分県の中津でハモなのかというと、「実は、ハモ料理発祥の地は、ここ中津なのです。」という噂を聞いて、「ホンマかいな?」と思いながらも、「こりゃ、是非食わねば!」と、ランチのコースを予約した次第。中津ではそれなりに有名らしい海鮮系のお店「鬼太郎」には11時半前の到着。

個室に案内されて、お目当てのハモ料理は一品ずつゆっくりと提供されます。

どれも手が込んでいてクオリティの高いご馳走ばかり。

本当かウソかは兎も角、本場を名乗ってもいいくらいの料理が続き、大満足。

でも、手が込んでいる分、提供には時間がかかります。お酒を飲めないドライバーの私は手持ち無沙汰。12時半を回った頃には予約した湯布院の馬車の時間が気になり始めて、結局デザートはスルーしてお店を出発。でも、このお店のハモは本当に旨かった! 次回はお酒と共にもう一度ゆっくりと味わいたいものです。

最後は雑炊で大満足!

湯布院の到着は2時過ぎ。駅前の有料駐車場が満車で少し焦りましたが、何とか近くに停められて一安心。観光協会で料金を払って無事にチケットをゲットしますが、予想通りこの日の馬車は完全に満席で、馬車目当てで来たお嬢さんたちが途方に暮れていました。

馬車は乗客が揃ったので定刻より早く出発。1頭の大きな馬だけで10人の大人が乗る馬車を引っ張るんだから凄いパワー。

でも、時折立ち止まったり途中でウ◯コを出したりして、やはり動物なので完全に人間の思い通りにはなりません。(ちなみに、便はちゃんと御者さんが持ち帰るようになっています。)でも、車や人もうまく避けながら決まったルートを歩くのですから、やっぱりこの馬は大変優秀!

観光スポット その1


観光スポットでの2回の小休止を含めて、1時間ちょっとの湯布院めぐり。御者さんが湯布院のことを色々と教えてくれて、とても楽しい1時間でした。

観光スポット その2

馬、休憩中。

でも、この馬車も乗客の半分は外国人。当日の電話予約という関門を突破する外国人観光客のパワーは、本当に凄い!

いよいよ湯布院の高級宿に向かいます。実は、この2日前から旅館とは何度もやり取りがあったのです。我々の予約は料金が安い方の本館で、ここ亀の井別荘の有名なのは本館ではなく「離れ」。でも、離れの宿泊は2人で10万円を超えるのでやはり私にはそこまで思い切る度胸はありません。でも、本館は2階建てでエレベーターがないようなので、3月頃に旅館に直接電話して、「足が悪いので、出来れば階段を使わない1階の部屋をお願いします。」と、依頼してOKを貰っていました。しかし、2日前に来た確認の電話では「2階です。」と言われたので、「3月に電話して、1階でOKを貰った。」ことを話します。流石に高級宿には電話のやりとりの記録が残っていて、翌日支配人と名乗る方から電話が来て、「特別に離れが空いたので、離れでご案内します。」とのこと。我々的には2階を覚悟していましたが、何ともラッキー。古巣の旅行会社、やはり高級宿にはまだまだ影響力は強いようです。安い宿の時は兎も角、こういった高級宿の時には老舗旅行会社からの予約はやっぱり強いということを再確認しました。
湯布院の散歩道のような狭くお土産屋さんに観光客が溢れている道を何とか運転して、有名な金鱗湖ほとりの旅館にチェックイン。

御三家 亀の井別荘

早速迷路のような離れにご案内されます。

離れのダイニングと寝室

この旅館の離れのウリは、源泉かけ流しの部屋のお風呂。「でも手すりがないので、私には部屋のお風呂はは難しいかな?」というと、親切なスタッフは部屋のお風呂に手すりを付けてくれたのです。さすが、高級宿の上質のサービス!

とはいえ、まずは大浴場で湯布院温泉を満喫。夕食後には九州最後の日なので、妻はお買い物に夢中です。

夕食は、アップグレードなのに「離れの特典」を利用できて、お部屋食。

美味しい料理を抜群のサービスで堪能出来て、大満足の九州最後の夜でした。

15日目:8月16日(水)

 

朝は、部屋風呂に付けてくれた手すりに敬意を表して、部屋のお風呂を満喫。部屋のお風呂がこんなに気持ち良かったのは、恐らく何百泊もの温泉経験の中でも、生涯ベスト3には間違いなく入るであろう素晴らしき体験。

源泉かけ流しの部屋風呂

本来、離れは朝食もお部屋食なのですが、アップグレードの我々は「レストランに来ていただけますか?」ということなので、朝食を食べにメインダイニングへ。和食にするか洋食にするかで大いに悩んだのですが、名旅館の朝ごはんが食べたくて、普段は朝は洋食党の私ですが、ここでは和食をチョイス。勿論、和食もとても美味しかったのですが、妻の食べていた焼きたてのパンと手づくりのジャムがとっても美味しそうで… 洋食にすれば良かった! 

新鮮なサラダも美味!

高級宿を満喫した我々は、お世話になった亀の井別荘に別れを告げ、いよいよ九州最後の観光に出掛けます。今回の九州最後の観光地は、城下町杵築。杵築は坂が多く階段が多い城下町なので足の悪い私は歩く道を選ぶ必要があると考えたので、杵築では地元のガイドさんの案内を予約しています。事前の電話打ち合わせで、本来なら坂を上り下りで歩いて観光をするのが一般的なのですが、今回は車2台でいくつかの観光ポイントに行くことにしていたので、集合場所で会ったガイドさんの軽自動車についていく形で観光開始。

杵築の風景に憬れたのも、やっぱり寅さん。ジュリー(沢田研二)と田中裕子が出会って結婚したきっかけの回に描かれていた杵築の坂の風景は、ずっと私の憧れだったのです。それらの坂の中でも一番有名な「酢屋の坂」は、本当に最高の風情。

その他、武家屋敷なども見学。

最後に小さなお城杵築城を遠望して、1時間強の杵築の観光は終了。九州の最後を飾るに相応しい、とっても素敵な時間でした。

本当は、ここ杵築でも名物のランチを食べたかったのです。杵築の名物といえば、「鯛茶漬け」。昔のお殿様に献上した鯛茶漬けが食べられるというお店を一旦は予約したのですが、今晩のことを考えて、この日は湯布院の高級宿での豪華な朝ごはんを夕食まで持たせ、最大限の空腹で今晩の夕食に向かいたいという思いから、憧れの鯛茶漬けも泣く泣くキャンセル。そのままお昼を食べずに今宵の宿に向かいます。今日は、高速道路を使わずに一般道で最後の九州の旅気分を満喫。
そんな夕食はどこの何かといえば、下関の名店「春帆楼」のふく(ふぐを下関ではふくと呼ぶのだとか)。下関には2015年の山陰山陽周遊の旅の折り返し地点として来ており、その時は貧乏旅だったので、ビジネスホテルに泊まってデパートの中にあるリーズナブルな春帆楼の支店で格安なふくを食べました。その時は安い代わりにかなり貧弱なメニューだったので、「次は本店でコースを味わうぞぉ!」と固く心に誓ったので、今回は正にそれを実現する企画。本店の宿泊とふくの白子付きのコースは二人で約10万円と、今回の旅の最高値で、昨日と2日合計で18万円以上のの宿泊代金というのは、自分史上最高に贅沢な瞬間です。
一般道をのんびりと北九州まで走り、行きは関門大橋を渡ったので、帰りは関門トンネルを走り抜け、九州にお別れ。
春帆楼は高級旅館とは言っても料理メインの宿なので、チェックインは3時ではなく4時から。3時頃には下関に着いたので、時間つぶしに前回も訪ねた「海峡ゆめタワー」へ。

九州、さようなら! またね!

懐かしい(!?)北九州の風景や巌流島などを間近に見学。

さあ、いよいよ春帆楼本館。

伊藤博文公も愛した春帆楼玄関

部屋は和室を予約していましたが、2万円高い和洋室にアップグレードしてくれたようです。部屋からは関門海峡と北九州が見え、この旅行の終盤を飾るのに相応しい景色。

部屋からも関門海峡と九州が見えます

そして何と言ってもお楽しみは夕食。

一人前とは思えないような巨大なふく刺しからスタート。

これで… 一人前!

今回、一番楽しみにしていた白子はやっぱり絶品です。

途中、豪華客船らしき船が入港し、更に我々の気分を盛り上げます。

唐揚げ、ふくチリ、雑炊… 全てにおいて大満足な夕食でした。

 

16日目:8月17日(木)

 

去年、北海道から帰った後に、原因不明の腰痛に見舞われたことがトラウマとして残っていて、この旅行中には腰に出来るだけ負担を掛けないように色々と気を配っていたのですが、嬉しいことにこの春帆楼のベッドルームには、高級なマッサージチェアが置いてあります。(勿論、タダ!)お陰で朝起きてから1時間以上も、マッサージチェアに座り半月の運転で凝り固まった腰をほぐすことができたのです。勿論、朝食も美味しかったのですが、私的にはこのマッサージチェアが最高の贅沢。

今日は山口県内を観光する1日。山口県は2015年の山陰山陽大周遊のメインとして3泊していて、有名な観光地はほぼ網羅したのですが、その時には行けなかった瀬戸内沿いの観光を、山口県の2周目とします。今日最初の目的地は離島。離島と言っても橋で繋がっている「瀬戸内のハワイ」と呼ばれ、島の正式名称は「屋代島」なのに、町の名前が「周防大島町」なので、私もどっちの呼び方が正しいのか最初は混乱してしまいました。最近は屋代島と呼ぶ人はあまり多くなく、観光ガイドなどにも周防大島で書かれているようなので、以降周防大島と呼ぶことにします。下関から周防大島までは結構遠く、中国道を使っても島に入るまで3時間後近く掛かりました。
島に入って海沿いの道をドライブ。「瀬戸内のハワイ」と呼ばれる所以のお洒落なカフェなどに立ち寄ろうとも思ったのですが、何故かお休みのお店が多く、仕方がないのでどこにも立ち寄らずに先を急いだのですが、途中車を停められて海が眺められるスポットで写真タイム。

ハワイには見えない…か

島を半分少し走った先にランチで考えていたカフェがあったので向かってみますが、お目当てのカフェの駐車場には車が溢れていて、お店の順番待ち以前に車を停められない状態に、早々にカフェでのランチを諦めます。次に、周防大島観光の拠点として考えていて、いくつかのレストランもあるらしい道の駅に向かってみますが、何と道の駅そのものが今日木曜日は定休日なのです!

道の駅は定休日

島全体に定休日が多かったことや、開いているお店の大行列の原因は、どうやらこの巨大な道の駅が定休日なことに起因するのでしょうね!
ガラガラの道の駅駐車場に車を停め、アロハなポストや海の景色を眺めて、「とりあえず、周防大島に来た!」と、足跡だけを残して満足することにしました。

周防大島の見どころはリサーチしておらず、この道の駅にある観光協会で聞くつもりだったので、観光協会も定休日ですから、見どころは判らずでお手上げ状態。仕方がないので、空いていそうなレストランを探しながら来た道を戻りますが、レストランは周防大島を出るまで、遂に見つかりませんでした。そのまま国道を走り、次の目的地は柳井。この柳井の白壁の街並が以前からの私の憧れでした。結局、レストランは見つからないままに柳井の白壁近くに車を停め、観光協会に見どころとレストラン情報を聞き、まずは教えてもらった白壁近くのカフェを目指したのですが、お店に入ると「今日、ランチはもう終わっちゃったんですけどいいですか?」 どうも我々は今日のランチには縁がないようですね。他にお店もないようなので、ケーキセット等で空腹を凌ぎます。

柳井の白壁の街は期待以上によかった!

お盆時期なのにと心配になるくらい人通りは少ないけれど、その中でTVかなにかのロケをやっており、多分フィルム越しでもこのいい雰囲気は十分伝わるような気がしました。

また、近くには有名らしい醤油の工場があり、ここも観光協会に勧められたので訪ねてみます。私の好きな甘口の醤油を九州で買ったばかりなのに、ここでもお土産に醤油を求め、現在正に毎日愛用している美味しい醤油でした。

この日の宿は岩国の東横イン

前の2日で贅の限りを尽くしたので、この日の宿は節約モード。でも、通算20泊はしている東横インで、初めて「ハートフルルーム」というバリアフリーのツインルームにアサインしていただいたのですが、この部屋が実に快適! 料金も普通のツインと同じなので、凄くお得感があります。今後、東横インに泊まる時には、ダメ元でこの部屋の空きを聞いて見ようと思いました。

岩国も下関同様2015年に宿泊していて、その時には錦帯橋岩国城はたっぷり観光しているので、今回は岩国は泊まるだけで観光はしません。

夕食は予約していた寿司居酒屋。

岩国と言えば… 獺祭!

こここ岩国の郷土料理で「岩国寿司」という押し寿司があるということで楽しみにしていましたが、お酒とつまみを楽しんだ後、「じゃあ、〆は岩国寿司!」と注文したら、「今日、岩国寿司ないんだ…」


ちょっと残念な瞬間でした。

 

17日目:8月18日(金)

 

岩国から埼玉までは一日で帰るにはちょっと厳しい距離。ましてや途中関西圏の渋滞の可能性のあるエリアを通るので、途中でもう1泊することは覚悟していました。宿泊地は関西を超えて中部圏のまだ行ったことがない街に足跡を残したいと考えており、当初は大河ドラマの影響もあり家康公ゆかりの岡崎なども考えていましたが、以前から興味津々の「豊橋カレーうどん」が突然無性に食べたくなり、結局近くにカレーうどんを提供するお店がある豊橋市内のホテルをこの旅最後の宿に決めました。
珍しく東横インでガッツリ朝食を食べて、8時前には岩国を後にします。すぐに広島県に入った後はすぐに高速に乗り、豊橋を目指します。岡山を超え、神戸を過ぎるまでは極めて順調でしたが、その後徐々に「渋滞」の文字が増えてきて、渋滞の名所である京都では遂に大渋滞に捉まってしまいます。丁度お昼前後の約2時間は渋滞のノロノロ運転に巻き込まれ、この日も結局昼食はお預け。ようやく渋滞を抜けた後にも何となく食事をする気もなく、結局先を急いで4時頃には目指す豊橋のホテルにチェックイン。
お昼も食べていないので、まだ夕食には早いけれど予約もしていないので夕方5時にはチェックしていた蕎麦屋さんに行き、まずはつまみをいくつか頼みます。

蕎麦屋さんのつまみは一品一品のボリュームが凄いので予想以上に満腹になりましたが、最後には初志貫徹して念願の「豊橋カレーうどん」をオーダー。

これが憧れの…「豊橋カレーうどん

カレーうどんを味わった後、底にご飯が隠れていて、最後までカレーとして完食する…
話には聞いていましたが、予想以上に美味で、大ファンになってしまいました!
今後、豊橋を通ったら途中下車して、またこのカレーうどんを食べたいと思いました!

 

18日目:8月19日(土)

 

長かったこの旅もいよいよ最終日。最終日は観光などをせずに真っすぐに帰るのが通例なので、今回も東名~新東名で自宅のある埼玉を目指します。途中、ナビは中部横断道路を通って中央道に抜けるルートをナビしますが、この旅では「行きと帰りでは、出来るだけ違う道を通りたい」という私の勝手な希望から、行きはずっと中央道を通ったので帰りは新東名に乗り続けることを選択しましたが、これが大失敗! 順調に圏央道に入ったかと思ったらすぐに渋滞が始まり、結局中央道に合流するまで1時間以上渋滞に嵌ってしまい、家に着いたのは2時近くになってしましました。
今回の走行距離は昨年の北海道旅行を大きく上回る4376.8キロ。(勿論、自分史上最長のドライブ!)平均燃費はハイブリッドのお陰でリッター25 .6キロも走ってくれたので、ガソリン代が高い今、ガソリン代も大きく節約できました。

これで長かったこの旅のレポートを終わることにします。
次回は… 少し空いてしまうかもしれませんが、次のステージに向けて着々と準備を進めています。

2023年九州ドライブ紀行<その4:佐多岬と宮崎グルメ>

11日目:8月12日(土)

甑島の続きです)

ホテルで朝食も食べられないのならば、このサービスがイマイチのホテルに長居することはなく、7時前には下甑島の長浜港へ向かいます。勿論自動車航走の予約はしてあるので、乗船手続きに混乱はありません。長年憧れていてやっと来られた甑島、もう一度来ることは恐らくないと思うので、その風景を心に焼き付けます。

甑島… さようなら

途中に立ち寄った(行きに下船した)里港と隣の一昨日泊まったホテルエリアワンともお別れです。
今日は薩摩半島南端の指宿温泉に宿を取っています。フェリーが到着する串木野港から指宿温泉までのルートの途中には、鹿児島の超一級の観光地である長崎鼻開聞岳)や知覧など錚々たる観光地があるのですが、我々は2013年と2015年に共にこの辺りの大半の観光地はゆっくりと観光しているので、今回はこの辺りの有名観光地はスルーしようと決めていました。今回、我々が観光しようと考えていたのは、南さつま市の海岸線。薩摩半島のやや下の方に小さな半島のような地形があります。薩摩半島の中ですから、”◯×半島”のような名前は付いていないようですが、その周囲を中心に「南さつま八景」という観光地を作ってプロモーションしているようなので、今回はこれを出来るだけ訪ねてみようというプランにしました。
10時半に串木野港に着き、その半島の付け根まで走ると丁度お昼。観光地ではないこのあたりですが、狙いをつけていた海鮮系のレストランに。この辺りの名物「タカエビ」の定食がお目当てだったのですが、「今日、タカエビは入っていない」そうで念願は叶わず。でも、煮魚定食もとっても美味でしたよ。

食後はいよいよ南さつま八景めぐり。

看板も整備されていて期待が高まります!

すぐに着いたその1の高崎山展望所は、期待通りのグッドビュー! 

「こりゃ、期待出来るぞぉ?!」と先を急ぎますが、2で「あれっ?」て感じで、3に至っては案内看板も不十分で見つかりませんでした。加えて、大半が細く曲がりくねったアップダウンの激しい道路なので、思いの外時間が掛かり、4の笠沙美術館のあたりで、これ以上探しながら行くモチベーションがすっかり失せてしまいました。

笠沙美術館の対面には、「焼酎づくり伝承展示館 杜氏の里笠沙」があります。当初、芋焼酎を買って送るのはここを考えていたのですが、甑島で送ってしまったためここに用はなくなったのですが、トイレを借りたので何となく買わなければいけないような呪縛に支配され、またもや自宅用に芋焼酎を。
お土産といえば、娘一家にまだお土産を送っていないので、「最南端の都市枕崎で買おう!」と、二人の思惑が一致。南さつま八景を忘れて枕崎に直行することに。
実は枕崎には苦い思い出があります。2015年、枕崎駅にナビをセットして向かったのですが、最後にナビが変な道を案内して、車1台すら通れないような道へ。素直にナビ通り運転していた私も流石にヤバい… とバックで戻ろうとしたのですが、何せ車1台ギリギリの超狭い道だったので、派手にガリガリという音が… 運転に支障はなかったものの右側に大きなキズをつけてしまったのです。
(その時の投稿はこちら。)
ということで、前回の枕崎は失意の中だったので何を見ても食べても気分は晴れませんでしたが、今回はそれ以来の枕崎です。前回も来た記憶のある、漁港近くの枕崎お魚センター。前回はここでランチを食べたのですが、落ち込みが激しかったので美味しいとも感じず、そんな心境なのでお土産も全く買わなかったのですが、今回は娘一家用にお土産をさまざま選び、クール便で送ります。
その後は大好きな「初恋の山」である開聞岳を眺めながらのドライブ。早く温泉に入りたくなったので、開聞岳のビュースポットにも最南端の駅西大山駅にも立ち寄らずに指宿温泉の宿を目指します。
今日の指宿温泉の宿は高級旅館ではなく、日帰り温泉に併設のリーズナブルな宿泊施設。大混雑の日帰り温泉駐車場に何とか車を停めて、チェックイン後に早速5泊振りの温泉を楽しみます。指宿温泉といえば砂蒸し風呂で、我々も2013年には砂蒸し風呂を体験したのですが、私の体で砂蒸し風呂に入るには手伝ってくれる人(男性)が必要なので、今回は止めることにしました。
夕食も宿というか日帰り温泉に併設されたレストランにて。高級メニューではありませんでしたが、鹿児島県最後の夜を満喫しました。

 

12日目:8月13日(日)

 

この日は、この旅では甑島に続いて第2のメインイベントである九州最南端である大隅半島佐多岬に立つ日。8年前、大隅半島の広さを甘く見ていた私は、都井岬からいざ佐多岬に向かおうとナビをセットすると、とんでもない時間にならないと佐多岬には着けない事実に愕然として、佐多岬行きを泣く泣く諦めた黒歴史があります。今回は、鹿児島市内から大隅半島をぐるっと回って佐多岬に行くのではやっぱり遠いので、指宿すぐ近くの山川港から対岸の根占港まで行くフェリーを利用するプラン。でもこのフェリー、車は10台強しか積めない小型のフェリーで、お盆期間中は予約を受け付けずに早い者勝ち。そして今日は8月13日の日曜日ですから、恐らく1年でも最混雑日! 我々は早く佐多岬に着きたいので朝イチ便の8時のフェリーに乗るつもりで、そうするとこの日もホテルで朝ごはんは食べられず、7時からの朝風呂にも入れません。でも今回はどうしても佐多岬に立ちたいという思いが強いので、6時半にはホテルを出て山川港に向かいます。10分後には山川港に到着しますが、6時40分の段階で既に2台の車が順番待ち。我々も3番目に並びますが、その後も車は増え続け、7時過ぎにフェリー会社の人が来て、ネットに「係員から受付した紙を貰えたら、無事に乗れる」と書かれていた通りの紙(車のサイズを書いたメモ)を無事にゲットできました。なので何台の車が2時間後の次の便になったのかは不明、勿論フェリーも自動車デッキも満席です。

小さなフェリーで大隅半島へ。

薩摩半島大隅半島の一番近いところを結ぶフェリーですが、小さなフェリーなので意外と時間が掛かり1時間弱掛りましたが、ともかく無事に根占港に着き、ここから佐多岬までは約1時間。
ところが、ここ大隅半島には先日の台風の爪痕がたくさん残っていて、通行止めの道がたくさんあるようなのです。佐多岬に向かう道はさすがに通行止めにはなっていませんでしたが、何回も川のように水が溢れているところがあり、結構スリリングなドライブ。また、道の半分が土砂で埋まっているところも数か所あり、ドライブにはかなりの慎重さが求められます。
何とか佐多岬の駐車場に着いて、ここからしばらく歩いて佐多岬の突端近くまで行こうとしたところ、遊歩道は通行止めとのこと… 

憧れの佐多岬に… 行けない!

でも、この通行止めは先日の台風のせいではなく、もっと前の大雨の影響とのこと。仕方がないので駐車場すぐ近くの展望スポットから念願の佐多岬にご対面!

最南端!

ようやく、「本土最南端」の地を踏むことが出来て満足です。

次に佐多岬のもう一つの目的である遊覧船の乗り場に行ってみますが、こちらも運休とのこと。

こりゃ、遊覧船… 出ないねぇ~

念願だった佐多岬の観光はどうにも中途半端でしたが、甑島同様「来られただけでもラッキー!」と割り切るようにします。
佐多岬の遊歩道と遊覧船で2時間は使うつもりで、この日のお昼は岬周辺で適当に済ませるプランでしたが、佐多岬を出た時間が予定より2時間も早いので、検討はしたけど「絶対に間に合わない。」と諦めていたお店に向かって見ることにします。来た道を再び慎重運転で戻り、根占港を過ぎて向かった先は鹿屋市。ここの「鹿屋カンパチ」が我々が目指した名物。

ここが名物食堂

ところが流石にお盆の日曜日で、お店のウエイティングリストを数えると待っている人数は50人を超えています。丁度1年前に海鮮丼を求めて2時間半並んだ北海道の片田舎(失礼!)の小平町の「すみれ」(記事はこちら)が一瞬頭をよぎりましたが、他に候補もなくここは回転も早そうなので覚悟を決めて待つことに。
予想以上にサービスが早いのでお客さんの回転も早く、あっという間に50人が席に付き、並んでから1時間弱で我々も念願の鹿屋カンパチにご対面。

鹿児島県最後の食事は大満足のランチでした。

鹿屋市にはもう一ヶ所行きたかった場所があります。それは鹿屋航空基地史料館。自衛隊駐屯地の入口から入るので、何となくエキサイティング。駐車場から昔の飛行機がたくさん展示されていて、航空機ヲタクではないけれど、何となくいい感じ。

中にはゼロ戦の実物をはじめ、展示物がバラエティに富んでいてとっても見甲斐があります。

知覧の特攻平和会館のように、涙なしでは見られない展示もしっかりあり、涙の準備をしていなかった我々は、当然のようにここでも涙してしまいました。(年取ると、涙もろくなるんです… 本当に!)

鹿屋市に十分に満足した我々は、今日の宿がある宮崎県の都城を目指します。
都城… 子供時代、日豊本線経由西鹿児島(現在の鹿児島中央)行きのブルートレイン「富士」の停車駅としてその地名に猛烈に憬れた街。もう一つその地名にも何故か憧れた「志布志」が都城までのルートの途中にあるので立ち寄ってみます。立ち寄った場所は鉄道の駅ではなく「うなぎの駅」。

最近、国産のうなぎといえば鹿児島産が多いのですが、鹿児島県内と言ってもここ志布志辺りがその中心地なのだとか。でもうなぎを食べるほどお腹は空いていないし、何より売っているうなぎがそんなに安くもなかったので、結局うなぎは見るだけでスルーしました。
都城に宿を取ったのは、上述の通り子供の頃からの憧れの街だったから。時刻表の文字と地図から果てしない空想を飛ばした街だったからです。今の都城ふるさと納税が日本一で、宮崎牛を始めとした焼肉の本場だという情報を仕入れていたので、今晩の夕食は焼肉に決定! 都城焼肉党というお店を予約しています。

いやぁ~! 本場都城宮崎牛、本当に旨かったぁ~!

宮崎牛


これで子供時代に戻って、ブルートレインに乗っている夢でも見られれば最高なのですが… 、そんな夢心地にさせてくれた都城の一夜でした。

 

13日目:8月14日(月)

 

今日は宮崎県の1日。前回、2015年には高千穂と宮崎市内に泊まって、宮崎県内の主要観光地には殆ど行ったので、今回は前回と違う所へ行こうとプランニングを始めたのですが、どうにも魅力的な観光ルートが作れません。泊まりも観光地としてはややマイナーな都城と延岡にしたので、その間をちょっとだけ観光して、宮崎県そのものを感じようというのが結局、今日のアバウトなプランニング。
まずは溜まった洗濯物を持って都城市内のコインランドリーへ。24時間営業のコインランドリーの洗濯乾燥機に大量の洗濯物を入れたら、今では日本全国にあるコメダコーヒーで朝ごはん。モーニングで1時間粘って洗濯が終わるのを待ちます。洗濯物を取ったら、いよいよ今日の観光の開始。まずは高速道路を使って霧島に近いえびの高原方面へ。途中にある生駒高原というのが花が見られるスポットだというので向かってみます。

最近、何でも「駅」ですねぇ~!

花の駅という売店は営業しているもののこの時期に花は無く、公園は開店休業状態。一応誰もいない料金所を通って公園に出てみますが、本当に見事なくらいに全く花はありません。

おまけに花の駅で聞いた情報によると、えびの高原方面に向かう道は通行止めとのこと。これは付近に有毒のガスが出ているからなのだとか。ガスと聞いてすっかりビビってしまった我々はえびの高原を諦めます。午前中、3時間のタイムロスでした。
次の観光地は宮崎市内に近い西都原古墳群。古墳群の案内所があるというので向かってみますが、何と今日は案内所はお休み。古墳群に予備知識もなく案内所頼みだった我々は、ナビを失い古墳群の散策を諦め、近くの博物館へ。博物館自体は規模も大きく見甲斐がある施設なのでしょうが、古墳文化に造詣が深くない我々にはどうにも巨大すぎる感じ。

この博物館の最上階から西都原古墳群を眺めて満足することにします。

 

これが西都原古墳群

今日のランチは、最近宮崎といえば宇都宮や浜松をも上回る”餃子の町”ということで餃子のお店にあたりをつけていたのですが、宮崎は餃子を持ち帰るのが定番スタイルらしく、昼から餃子をその場で食べられる餃子専門店は意外と少ないようです。なのであたりをつけていたお店は隣町。ナビをセットするとお昼を大幅に超える時間を指します。いくら餃子が好きでも流石に2時過ぎまでのドライブは受け付けません。迷っている時に、ある天啓がひらめきます。それは、昨日はうなぎの駅でも縁がなかった「うなぎ」。確かこのあたりにプランニングの時に検討した鰻屋さんがあった筈。妻に話すと、昨日から体中大好きなうなぎモードになっていた妻は大喜び。ナビでお店はすぐに見つかり、5分程のドライブで到着です。ところが、この鰻屋さんの混雑が凄く、まるで昨日の鹿屋カンパチの行列の再現のよう。カンパチとは違い、うなぎの名店ではお客の回転が早い筈はないので、こりゃ2時どころか3時すら超えかねない… ということで、泣く泣く鰻屋さんを諦めます。後から調べたらこの鰻屋さん、宮崎県でも有数の名店だったようです。う~ん、残念。
餃子とうなぎを諦めても、それでもお腹は空きます。もうあてが全くなくなったのですが、そういえばさっき行った博物館の展望所の横のレストランからカレーのいい匂いがしていた事を思い出して、博物館に戻ってカレーをいただきました。

香りに誘われてのカレーは、ドライカレーでした。

あれやこれやで意外と時間を使ってしまいましたので、これからは今日の宿がある延岡を目指すことにします。国道を北上しているうちに、突然妻がポソっと呟きます。
「そういえば、宮崎県にいるうちにマンゴーが食べたいな!」
マンゴー… いくら本場の宮崎県と言ってもどこで食べられるかは私にも見当がつきません。今日の泊まりもビジネスホテルで、夕食は和食の料亭でコースを予約しているので、そこでマンゴーは食べられそうにありません。Google地図でマンゴーをキーワードに検索すると、出てくるのはケーキ屋さんなどで、ここで少しならともかく、大きなマンゴーを食べるのは絶対無理そう。
悩むうちに観光スポットとして考えていた美々津の街並みに到着。駐車場があれば散策するつもりでしたが、近くに駐車場が見つからず、とりあえずゆっくりと車を走らせながら街並みを楽しみます。(従って、写真はありません。) 

すぐ近くには「神武天皇舟出の地」があり、半信半疑で眺めました。

ほんまかいな…

このタイミングで、今日宿泊する延岡市観光協会に電話して、「今から延岡市内に泊まるのですが、市内のどこかでマンゴーを食べられる場所はありませんか?」と聞いてみました。こんな質問は滅多にないのかかなり周囲の方にも聞いてはくれたようですが、数分後に「ないですねぇ~」というつれない返事。「もう、これは無理かな?」とも思ったのですが、諦めずに可能性のあるところに行って見ることにします。
日向市に入って道の駅に立ち寄ります。生鮮品の直売所があり、そこには当然のように立派な@3700円のマンゴーを売っていますが、我々はナイフも持っていませんしマンゴーの切り方も知りませんので、これを買っても食べる方法はなさそうです。今日のホテルが高級宿なら切ってくれるくらいのサービスは期待できますが、今日の宿もとびっきり安いビジネスホテル。3700円のマンゴーの前で老夫婦はしばし悲観に暮れていました。我々の姿があまりにも可哀想に見えたのでしょうか… 店員さんが寄って来たので、妻は我々の窮状を訴えます。すると、店員さんは隣のそばコーナーに行き、厨房の方と話した後に、「これ、買ってくれれば、このそばコーナーの人が切ってくれますよ!」という嬉しい提案! 早速レジで3700円を払い、そばコーナーのおばさんにマンゴーを託します。数分後に出てきたマンゴーは、流石に本場宮崎の人が切ってくれただけあり、高級フルーツ店さながらのビジュアル。

憧れの「宮崎マンゴー」

そば屋さんの座席で、周囲の人がみんなそばを啜っている中で我々だけマンゴーを食べています。周りの人は不思議な顔してマンゴーを食べている我々を眺めていました。
3700円は少し高い気もしましたが、妻の望みを叶えられて満足です。

やっぱり、「うなぎ」や「花」ではなく頼りになるのは「道の駅」

延岡のビジネスホテルにチェックイン。今日の夕食は近くの料亭のコース料理を予約しています。コースと言っても然程高くはなく、一人5000円以下のメニュー。今日のメインはここ延岡のこのお店「高浜」が発祥の地だというメヒカリという深海魚のフルコース。

メヒカリという深海魚は初体験ですが、お造りもお酒のアテにもいいという噂を聞いての訪問です。

ビジュアルは??ですが… 焼酎のアテには最高!

でも、最初に普通のお造りが出てきます。「あれぇ~!? メヒカリのお造りじゃなかったの?」とフレンドリーでいい感じの店員さんに聞いてみますが、「ごめんなさい。今日、メヒカリが採れなくって、生のメヒカリはお出しできないんです…」なんだそうです。でもメヒカリの南蛮漬けや唐揚げなどはとっても美味で、焼酎がグイグイ進む味でした。

コースの最後にはメヒカリ寿司が出る予定だったのですが、生物がないので寿司も普通のお寿司。ここで私は寿司を食べずに、別の延岡名物を注文します。それは宮崎が本場ですが、その中でもここ延岡が発祥で本家本元だという「チキン南蛮」。本当なら延岡の「チキン南蛮発祥の店」に行きたいくらいチキン南蛮が大好きな私ですが、妻は鶏肉が大の苦手で、そんな店に行っても妻には食べられるものがないのです。従って、今回宮崎でのチキン南蛮は諦めていたのですが、メヒカリ寿司が無かったお陰で大好物のチキン南蛮を味わうことができました。

やっぱり、宮崎と言えばコレ!

本場延岡のチキン南蛮、最高でしたよ!