麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

5、北海道一周の旅<その4:知床遊覧船・サロマ湖・紋別>


7日目:7月1日(水)

この日のメインベントは、何といっても37年来の悲願であった「知床岬に行く遊覧船に乗る」ことでした。
知床は、ご存知のように陸路からではウトロからでも羅臼からでも、我々一般人は知床半島の突端の知床岬には辿り着くことが出来ず、岬に行きたければウトロから4時間近くも乗らなければならない遊覧船を利用するしか方法はありません。(この船も、岬近くで折り返すだけで、岬に降り立てる訳ではありませんが…)

私が知床に憧れたのは、高校の先輩である加藤登紀子さん(残念ながら、大学の先輩ではありません。”都立駒場高校”の先輩です。)の「知床旅情」を聞いたことがきっかけですが、この曲「知床の岬に、ハマナスが咲く頃…」と言う詞で名曲が始まります。つまり、「この曲に憧れたのならば、岬には行かなきゃ!」というのが、私が高2の時に初めて北海道に来る前からの強い信念でした。
でも、岬まで行く遊覧船は4時間も遊覧船に乗るのですから結構高額で、知床半島を訪れる多くの方は途中の硫黄山までで折り返す1時間強のコースを選択されます。パックツアー・団体旅行も、この船を組み込んだものが大半です。
でも私は、「知床旅情」の曲に憧れてこの知床の地を訪れたのですから、多少高かろうが、時間が掛かろうが「知床岬」をこの目で見ることが絶対的な悲願でした。
また、この長いクルーズに乗ると、「野生の熊」を船上から眺められるチャンスがぐっと広がるようなのです。船会社によると、「このコースなどで野生の熊を見られる確率は、90%以上!」らしく、動物園やクマ牧場でしか熊を見たことがない私にとって、「知床半島のヌシである野生の熊を見ること。」も大きな目標&楽しみの一つでした。

過去、この船へのトライは2回で、結果的には2回ともこの船には乗れていません。1回目は高校2年の夏の旅行。この時はユースホステルで仲良くなった大学生のお兄さんお姉さんたちに強く誘われて、「知床秘境体験ツアー」に参加してしまったためです。せっかくの取った船の予約もキャンセルしましたが、当時はワクワクのこんな体験が楽しくって仕方がなかったし、「次、また来ればいいや!」と気軽に考えていました。
ところが、その次の機会はなかなか訪れませんでした。大学生時代、冬には何回もウトロに来ましたが、冬ですから当然のごとくウトロの港にはビッシリと流氷が来ており、遊覧船どころではありません。会社に入ってから夏のウトロにも何度か来ていますが、遊覧船に乗ったのは、全て岬まで行かない短い「硫黄山コース」です。(このコースは野生の熊を見られる確率は低いので、クマに出会うこともありませんでした。)

ようやく2度目のチャンスが来たのが6年前。前回のブログに掲載した晴天の羅臼岳を見た翌日、満を持して遊覧船に乗り込む予定でしたが、翌日は波が荒く、「船は全便欠航!」の非常な連絡が携帯に入り、大きく落ち込みました。

「3度目の正直」となる今回は、乗船するまでは極めて順調でした。船内では、知床岬と熊が見やすいように進行方向一番右側のベストポジションを確保します。この日から7月ですが、「6月、このコースで熊を見られた確率は100%!」とのことらしく、期待は否応なしに高まります。船には、有料レンタルの双眼鏡もあったのですが、この旅行のために(と言うより、ここでクマを見るために)わざわざamazonで買った双眼鏡からも、景色はよく見えています。

最初の見どころ「乙女の涙(フレべの滝)」あたりまでは順調。前回、船が欠航になったため車で見に来たこの滝を、今回は海から満喫します。
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ここで「信じられない」悲劇が突然私を襲います。外を眺めていると突然、眼鏡の左側のレンズががポロっと落ちてしまったのです!! どうやらフレームのねじが外れてしまったらしく、すぐに小さいネジを座席の回りをくまなく探しましたが、全く見つかりません。海側の特等席なので、もしかしたら小さいネジなので海に落ちてしまったのかも知れません!??
長期間のドライブ旅行なので、万が一のこのような事態を想定して、念のため同スペックの眼鏡をもう一つ持っては来ていますが、その眼鏡の替えはウトロ港の駐車場に停まっているマイカーのダッシュボードの中です。船から降りて取りに戻りたくっても、出航したばかりの船はあと3時間半の航海を予定通り続けるのです!!

仕方がないのでどうしたら一番良い条件で景色が見られるか懸命に研究します。でも不幸にも私の”利き目”(より良く見えるほうの目)は病気前から左目で、片目で見る場合は常に左目を使うのです。眼鏡を反対にかけて左目で見ようとしてみますが、やっぱり左と右の視力が結構違うので、この方法もあまり良くは見えません。
結局、唯一使える手である左手で眼鏡を支えながら、右目だけで何とか景色を見るしかありません! 裸眼の視力が0.01ぐらいの私ですから、眼鏡なしではすぐ横にいる妻の顔さえ満足に見えませんし、折角買った双眼鏡も左手一本で眼鏡と双眼鏡の両方は持てないので、全く役には立ちません!

そうこうしているうちに、「見どころ」は容赦なくやって来ます。最初は「ほら、あそこ。オジロワシですよ!」。大半のお客さんは判って写真をパチパチと撮っていますが、片目の私には残念ながら見つけることができません!

この日のクルーズは、「今日のお客さん、本当にラッキー!」と言われるくらい野生動物との遭遇がたくさんあったようです。野生の熊はクルーズ中に1回見られればラッキーなのに、「ほら、ここにも、あそこにも…」と4頭ぐらいと出会えたようなので、私以外全員が野生の熊をたっぷりと見られたようなのですが… 結局、片目の私は遂に4回のチャンスでも一度もクマさんを見ることは出来ませんでした!

「野生の熊」が見えないので、「ほら、あの辺にクマが!」と言われる方向に向かってとにかくランダムにシャッターを切りまくってみます。「クマが写っていればいいなぁ~!」と願ってとにかくシャッターを切りまくりましたが、後で何度見てもクマさんはいませんでした。
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(「このへんにいるよ」と言われたのですが…)

せいぜい私が何とか撮れるのは、「山並み」と「滝」ぐらいでしょうか…
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たくさん遭遇したという野生動物、熊以外も見えたものは残念ながらありませんでした。「野生のイルカ」だけは何とか見えましたが、泳ぎの速いイルカの動きにはついて行けずに、シャッターは切れませんでした。

悶々としながらも、37年越しの念願であった知床岬に到達です。この写真に小さく映っている岬の灯台ですが、片目の私は船上からは見ることが出来ず、写真で何とか確認できた感じです。
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「3度目の正直」になる筈だった知床岬へのクルーズですが、予期せぬトラブルで3度目も失敗でしたので、次回は”替え眼鏡”と双眼鏡を持って4度目のチャレンジをしようと思います!

車に戻り、眼鏡を変えるとドライブには全く支障はありません。「今回は、クマが見られなかっただけ」なので、「備えが万全だったお陰で、被害は僅少…」と言えなくもないのですが…

数日後、この眼鏡を作った「眼鏡市場」を札幌市内で見つけたので、修理をお願いしてみました。さすがに全国チェーンのお店の対応は素早く、15分以内でメガネは簡単に元通りになり、「お金は?」「いりません!」と呆気ないほどに簡単でした。
よりによって、「最悪のタイミングのメガネ故障」でした!


午後は知床から海岸線を北上します。ウトロにある「オシンコシンの滝」はウトロから斜里に向かう道にあり、車を停めれば簡単に見られるので毎回必ず眺める滝です。
とは言え、結構迫力がある滝で、落ち込んでいた私の気分を少なからず癒してくれました。
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斜里からもオホーツク沿いの道を北上します。このあたりの懐かしの各駅、小清水原生花園網走市内は、前回知床の船が欠航になったお陰でじっくりと観光していたので、今回はスルーさせていただきます。
秋になると「サンゴ草」が美しい能取岬にだけ30年以上ぶりに立ち寄ってみますが、季節が違うので有名な「サンゴ草」が見られる筈はありません。
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この日の宿泊は、サロマ湖にある「船長の家」。30年以上前には、北海道で一番有名な若い人向けの民宿で、北海道の各地にある民宿のオーナーの多くは、ここ「船長の家」で修行をしてから各地に民宿を開いたという、いわば「北海道民宿の先駆者」のような伝統ある民宿(因みに、『霧多布里』の宿主もここ『船長』の出身だそうです!)らしいのですが、今では経営方針を完全に変えて「とにかく、凄い量の食事を出す、民宿のような旅館(または『旅館のような民宿』)」になっており、今では「ライバルはホテル」と公言されていると伺ったことがあります。

民宿であれば私でも泊まれるのかが心配だったので、旅行前に埼玉から電話して聞いてみましたが、「部屋は1階にも(少し)ある」ことと「その部屋には、何と風呂まである!」ということで、その部屋の宿泊をお願いします。
バストイレ付の部屋とは… やっぱりもはや民宿ではないようですね!

夕食は、確かに驚くほどの量が並んでいます。4人掛けのテーブルですが、大きなテーブルでも2人分の料理がテーブルに乗り切れません!
(この左側にも、まだまだ料理が並んでいるのです!)
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食べながらも、「焼き立てのエビ」などの何品かが追加で運ばれてきます。とにかく、品数・量的にはこんな凄い夕食は初めてかも知れません!
カニ大好きの私が、カニを食べ切れませんでした!

近くのテーブルの人たちの会話を何気なく聞いていると、「この宿には、いつも予約が取れなくって泊まれなかった。今回、やっと予約が取れて5年越しの悲願が叶った!」という話をされています。一か月前6月のはじめに簡単に予約が取れた我々、結構ラッキーだったのかも知れません。

夕食後のお楽しみは「大抽選会」。新鮮な海産物が全員に当たるということで参加し、妻には「干物」が当たりました。翌日、海産物の直営店で渡されるようなのですが…

8日目:7月2日(木)

「夕食も凄かったんだから、朝食も凄いんだろう…」と半ば予想はしていましたので、凄い量の朝食を見ても夕食ほどの衝撃はありません。でも、この内容で料金は@8000円と値段だけは民宿並みなので、改めて感服してしまいます。

朝食後は、隣にある直営店での「海産物朝市」に宿泊者全員向かいます。ここで昨日の大抽選会の景品を受け取り、まとめて宅配便で家まで送らせようという商売なのですが、確かにすべての品が観光地のそれよりも安いので、全員が目を血走らせながら真剣にショッピングしています。でも、我々夫婦は海産物を送る宛もないので、ドライブ中のつまみになりそうな乾きものを仕入れただけで、「干物、どうしよう?」と迷いながら「船長の家」を後にします。

今日もオホーツク添いの海岸線を観光しながらさらに北上する予定で、まず訪れたのはすぐ近くのサロマ湖岸にある「ワッカ原生花園」。
レンタサイクルなどで広い原生花園を観光する人が多いのですが、我々が選んだのは「観光馬車での観光」。今日も相変わらずの曇天で毎日本当に寒く、この日は全身がすっぽり入るベンチコートを借りて馬車に乗って、ちょうど良い寒さでした!
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朝旅館で貰った干物、結局この馬車を貸切で運行してくれた方に、差し上げてしまいました。
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サロマ湖の全体が見渡せる展望台に向かってみます。天気は相変わらず良くないので、登るだけ無駄か?とも思いましたが、駐車場からでも結構歩き、ようやく頂上まで辿り着いた時だけ幸いにも雲が切れて、サロマ湖が眺められました!
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次は個人的な興味で、大学生時代に強烈な思い出があるサロマ湖の反対側の突端の地に向かいます。
サロマ湖を地図で見ると、オホーツク海サロマ湖の間に細い陸地があり、その突端でサロマ湖とオホーツクがつながっているようで、「この、一番先はどうなっているのだろう? 行ってみたいなぁ~!」と以前から思っていたのですが、その当時でも1日に2本しか列車が来ない湧網線の盲腸線だった「湧別」という駅から行ける北側の突端に、「竜宮荘」という民宿があることを知り、2年連続で2泊して氷結したサロマ湖と流氷に覆われたオホーツクを満喫したのです。

龍宮荘の客室は2階にあり、左右両方に窓がありました。左側の窓からは目の前に氷結したサロマ湖が一面に見え、右側の窓からは目の前に流氷に覆われたオホーツク海が見える、「ダブルオーシャンフロント」的なこれ以上ない眺望です。この宿のあたりの陸地は30メートルぐらいしかないように思え、サロマ湖岸からオホーツク海岸までは1分もあれば着いてしまいます。この民宿から突端までは徒歩で15分ぐらいだったでしょうか… とにかく、何にもない「最果ての地」に感動しまくったことを覚えています。

「あの民宿のあたり、どうなっているんだろう?」と、ずっとずっと気になっていたのです。もう、民宿がなくなっているだろうことは何となく判ってはいたのですが…
35年振りに訪ねた思い出の場所、民宿のあったあたりに家はなく、今は工事中になっていて通行止めのその先には、プレハブと道路が広がっています。
名残と言う意味では、すぐ近くに「龍宮台展望台」という展望台があり、展望台からサロマ湖と振り向くとオホーツクが見えるという意味では龍宮荘の景観を引き継いでいます。
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オホーツク海岸線の主要都市は紋別紋別にも観光スポットがいくつかあるので、夏に来るのは初めてだったこの街の観光も楽しみます。。
「オホーツクラベンダー畑」。富良野に行かない今回のコースで、、初めてみたラベンダーでした。
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紋別の観光地は、冬の「流氷」を全面的にフューチャーした観光地が圧倒的で、そういう意味では網走と似ているように思いました。ガリンコ号といい、”流氷の天使”クリオネといい、網走と同じようなみどころです。マイナス20℃の「極寒体験」も網走にもあったような…

本日の宿は浜頓別の「トシカの宿」という民宿。私が大学生時代に唯一記録していた旅行ノートによると、1981年3月10日にこの民宿に1泊していますが、正直当時のことは殆ど覚えていません。当時とは経営者も変わっているようで、オーナーとも初対面です。「1981年3月10日に来ましたよ!」と言っても、「あ、そう」と言う反応で、それ以上の会話は進みませんでした…