麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

12.東北一周の旅<その2:山形県>


2日目:8月8日(月)

この日は、山形県内を観光して、日本海沿いの名湯あつみ温泉に宿泊する予定です。昨年10月に行った「南東北紅葉紀行」の二日目の日程と結果的に酷似した日程になってしまったのですが、昨年見られなかった出羽三山をどうしても見たいということもあり、あえて近くでも昨年行けなかったみどころを訪ねることにしました。

この日最初の訪問地は蔵王御釜蔵王には昨年も行き、ロープウェイでの展望を楽しんだのですが、昨年は時間の都合で断念したさらに奥で宮城県との県境にある御釜を、28年以上振り(平成になってからははじめて)制覇しようと勇んで朝早くから車を走らせました。

この日の天気も快晴で、今日も気温がムチャ上がるらしく、ラジオでは朝から熱中症の注意を繰り返しています。空を見上げると、文字通り雲一つない絶好の天気です。
米沢から1時間強を過ぎ、順調に蔵王の山頂に向かって快適につづら折りの道をドライブします。ところがナビが「あと5分」とゴールが近いことを告知した頃から、突然ガスが発生してきて視界が遮られます。昨年以来日本一周の旅で何度も味わった「山の上で、全く視界が利かない状況に突入!」の見事なほどの再現です。
とりあえず 駐車場に車を停めて、刈田岳の頂上まで散策しますが、頂上で霧が晴れる筈もなく、周囲は見事に真っ白です。
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御釜が見えるはずの展望スポットまで戻り、「私の記憶では、あの辺に御釜が見えるはず!」と記憶がもっと不確からしい妻に説明しますが、私の記憶も昭和時代の記憶なので迫力はありません。
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晴れるまで待つ余裕も元気もなく、全く予想外のことに落胆は隠しようがありませんでしたが、「全部叶ったら、次に来る理由がなくなっちゃうよね?」と二周目以降に向けて前向きに考えることとしました。
でもやっぱり、山を降り始めた5分後には、ガスはすっかり晴れて、朝同様の雲一つない天気の山形でした!やっぱり、悔し~い?

次は山形市内にある山形県内各地のお土産がまとめて揃うスポットの「ぐっと山形」。ここで、今日午後にノーアポで訪ねる予定の友人の職場と、次の岩手で会う予定の二人へのお土産を仕入れます。このぐっと山形、ここでかなりの山形県内の名物が揃うので、非常に便利です。「他の県にも、こんな施設があればいいのになぁ~?」と思ってしまいます。
山形名物の玉こんにゃくなども食べましたが、久しぶりに美味でした。

次は高速道路で出羽三山にはまっすぐ向かわずに、山形県内の一般道を少しだけドライブしながら庄内地方を目指します。寄り道の目的地は、この旅では棚田としては唯一の見学となる二つの棚田。最初に山辺町の大蕨の棚田を見学して、次に朝日町の椹平(けやきだいら)の棚田を見るコースが、観光地があまり多いとは言えない山形県中部地区をドライブするには丁度良いと考えていたのです。
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(大蕨の棚田) 
二つの棚田共、全国に名を馳せたような有名な棚田でもありませんし、「やっぱり棚田を見るベストタイミングは、まだ稲が十分に生育していない5~6月に限るなぁ~!」と改めて感じました。
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 (椹平の棚田)
棚田の見学を終えていなか道を走っていたら、「最上川ビュースポット」という看板が現れたので、車を停めてみます。十分にしたはずの下調べには全く引っ掛からなかったのですが、こういうサプライズがあるので、やっぱり一般道のドライブはやめられませんね!
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国道に戻ってお昼を食べます。前回もではありますが、山形と言えば何と言ってもそばという個人的な思い入れが強いため、この日の昼食はそばと決めていて、ネットでも評価が高いそば屋さんに決めていました。
1時少し前なのに駐車場にはまだ車がたくさんあり、ちょっとだけ嫌な予感がします。案の定、入口には「本日そば売り切れ。うどんならあります。」の貼り紙が。
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空腹で今から別の店を探す余裕もなかったので、うどんで我慢することにしますが、やっぱり悔しいので店員さんに聞いてみます。
「このお店、いつもこんなに早くお蕎麦売り切れちゃうの? さすが人気店!」「そんなこんなありません。実は今日、そば打ちの職人さんが急遽腰痛で帰ってしまったんです!」とのこと。
まぁ、うどんも悪くはなかったですが…
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いよいよ本日のメインである出羽三山出羽三山といっても月山、湯殿山羽黒山と3つの山と神社があり、全部行ける余裕はありません。その場合、出羽三山の代表として多くの方が選ぶのは羽黒山。一番庄内地方に近く、冬でも参拝しやすいということもありますが、観光的には何と言っても五重塔の存在です。
とは言え、羽黒山五重塔へは階段を使わないと行けないようで、写真を見る限り手すり等は全く無さそうです。事前に観光協会に階段の勾配などの状況について質問のメールを打っていたのですが、資料は送ってくれたものの明快な返事はありませんでした。
 
とりあえず近くの「いでは文化資料館」に入館し、日本中の五重塔(改めて見ると、まだ我々が未訪の五重塔がこんなにたくさんあることに、改めて気付きました!)と出羽三山の資料を見ながら、係員さんに階段について聞いてみます。「上まで階段で登ろうなんて恐れ多いことは考えていませんが、せめて五重塔までの往復なら私でも大丈夫ですよね?」という私の問いに、係員さんはかなり困ったような顔をしています。その顔色から伺うと、「あんたには、無理じゃない?」という顔です。とは言え、ここまで来て出羽三山の最大の目的である五重塔を諦める訳にはいかないため、「とりあえず行けるところまで行ってみよう!」ということで登山口に向かいます。
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私にとってラッキーだったのは、五重塔までの階段の大半下りだったこと。手すりのない階段では、登りより下りがとにかく苦手なのです。昇るのは何とかなっても、その階段を下ることを考えると、昇るのが怖くなり、「止めよう!」と引き返すことが多いのですが、今回は下ることさえ出来れば帰りは登りなので何とかなりそうな感じです。
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とは言え、私にはそれなりに辛い下りでしたが、五重塔というモチベーションがはっきりしていたことと多くの階段はそう急でもなかったので、何とか五重塔までたどり着くことができました。
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登りが先だったら、恐らく諦めていたでしょう。幸運に感謝です。
帰りは登りなのでさほど苦労せずに、駐車場まで戻ることができました。

その後、車で羽黒山上の神社を目指します。元気ならば、五重塔からそのまま上に登る参拝道があるのですが、今の私には五重塔ですらやっとなので、これ以上を望むべくはありません。

山頂の神社で参拝をして、コレクションである交通安全のお札を仕入れます。
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羽黒山の参拝を終えた後は、酒田と鶴岡の真ん中付近にある友人の職場をノーアポで訪ねますが、本日友人は休みとのこと。この友人とはそんなに久し振りではなく、昨年仙台で酒を酌み交わしているので、「どうしても久し振りに会いたい」という訳ではないのですが、「明日は出勤します」とのことなので、折角土産まで持って庄内まできたのですから、明日もう一度訪ねて見ることにします。

今晩の宿はあつみ温泉。10月の湯野浜温泉に続いての庄内の名湯への宿泊ですが、ここあつみ温泉と言えば昔から二つの名旅館がその覇を競っていることで業界的には有名です。
今回、そのうちの一つに宿泊したのですが、感想は「??」。
翌日、プロの友人に聞くと、「最近は、もう一つの方が評判がいい!」とのこと。
業界を卒業して1年以上経っている私、最新情報にはやっぱり疎かったようです。

3日目:8月9日(火)

庄内の二都市である酒田と鶴岡。病気後初の旅行(記事はこちら)の時には妻の要望もあり酒田を訪ね、昨年紅葉で来た際(記事はこちら)には、酒田を再訪して鶴岡にも…と目論んでいたのですが、鶴岡では話題のクラゲの水族館である「加茂水族館」に行ってしまったため結果的には未だ未訪である「鶴岡市内」も、出羽三山と並んで今回どうしても行きたかった場所でした。

まず最初に訪ねたのは、クリスチャンの妻のために「鶴岡カトリック教会」。ここの「黒いマリア像」が有名とのことで、クリスチャンならば一度は行ってみたい教会なのだとか。
平日の午前中なので誰もいない…と思いきや、教会にはパイプオルガンの調べが流れています。入場自由なのでひっそりと入り上を覗くと、どうもパイプオルガンの練習をされているようです。お祈りをする妻の良いBGMになりました。
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黒いマリア像は、やはりその名の通り黒くてなにやら由緒ありげな佇まいでした。
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それよりも妻は、教会のプリントに同じ信者の友人の名前を見つけたことが嬉しいようで、このクラシカルな教会で毎週お祈りをしている友人がとても羨ましそうでした。

鶴岡市内の観光地の代表と言えば、「致道博物館」。仙台の旅行会社に勤務していた時代、何度も日程表にその名前を書き込んだ鶴岡を代表する観光地です。「何度もお客様に勧めておきながら、自分では行ったことがない。」という私の(旅行会社社員の)いつものパターンだったので、当時のお客様の顔を思い出しながら、贖罪の意味も込めた訪問です。
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致道博物館は、明治村のようにこの近くの歴史的建造物を移設して展示しています。しかし、建造物はともかく内部に展示している展示物は、器の歴史的建造物とは全く関係がないようです。つまり、外側の建造物を見る屋外博物館と、例えば日本刀の博物館などの小さないろいろの博物館が少しずつ観られる二つのみどころがあるのです。昔、この事を正しく知っていたらお客様に良いこともそうでないことももっと的確にご案内出来たのに…と改めて昭和の時代の自分を反省してしまいました。
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鶴岡を後にして、昨日会えなかった友人の職場に再び向かいます。友人の職場は郊外のイオンモールにある旅行会社のカウンター。平日の午前中なので、カウンターにはお客様の姿はなく、30分以上カウンターに座りこんでよもやま話をさせて貰いました。
他のスタッフのクレームがでても仕方ない状況でしたが、お土産のお菓子のお陰もあり、図々しく居座ってしまいました。

もうお昼の時間になり、すっかり予定より遅くなってしまいましたが、今日のお昼は天童まで戻ってうなぎを食べる予定です。ただ、昨日そばを食べられなかったこともあり、そばに変更する手もあったのですが、妻のご希望は「遅くなってもうなぎ」とのことなので、イオンモールでランチタイムなのにたこ焼きで腹ごしらえをして、庄内地方を後にします。
うなぎは別に天童の名物ではなく、お店が私の綿密な調査に引っ掛かったので選択したのですが、老舗のうなぎ店らしく我々の注文後にうなぎをさばき始めるといううなぎ好きには堪らないお店だったので、結局我々がうなぎを食べ終わったのは、3時近くになってしまいました。
「空腹は最高のソース」なので、個人的には意外と安いうなぎに満足だったのですが、妻にはうなぎそのものはともかくたれがご満足いただけなかったようです。

この日午後はいくつかの観光プランを考えていたのですが、もう3時も回っているので、時間がかかる観光地には行けそうにありません。個人的には山寺に久し振りに行きたい気持ちが強かったのですが、山寺の階段には手すりがないことは判っていたのと、妻に「昔山寺には何度も行っているので、反対!」と言われ、山寺は諦めることに。28年振りの今日の宿にも早めにチェックインしたいこともあり、天童にあるという「ひまわり迷路」をちょっとだけ見て、今日の宿に向かうことにしたのですが、その季節限定の観光地であるひまわり迷路が見つかりません。ナビやガイドブック情報によると間違いなくこの目印のあたりなのですが、周辺をくまなく走ってもひまわりどころか看板も見当たりません。人に尋ねるにも車通りはあるものの人も歩いておらず… 結局、諦めて宿に向かうことにしました。

宿に向かう途中にどうしても行きたかった場所である山刀伐(なたぎり)峠に寄り道です。昔、観光バスでこの辺を通ると、バスガイドさんが決まって奥の細道最大の難所であったというこの山刀伐峠の話をしたのが、未だに強く印象に残っているが故です。とは言え、本当の峠道に沿うルートは、バスがいつも通るメイン国道ではなく、もう少しマイナーな道路で、その雰囲気に近くなったので、「芭蕉の気持ちになって一句捻ろうか?」などと考えながらハンドルを握っていたら、突然「峠入口」の看板が現れます。

元気な頃ならそのまま旧道を散策していたのかも知れませんが、今の私には散歩をする元気もなく、ちょっとだけ芭蕉を偲んだだけにします。
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今晩の宿は赤倉温泉。実は、この日の宿には懐かしい思い出と、その後どうなっているかを知りたいという自分の強い思いがあり、早くから事情等を何もいわずに電話予約をしていたのです。

昭和60年なので私が結婚する年の4月、この旅館の社長夫妻を団長とするこの付近の方々の中国旅行の添乗員として、10日間を越える長い旅行にご一緒しています。
当時の中国はまだ解放前で、日程もホテルも現地に行ってみないとわからないという社会主義国特有のシステムで、まだまだ解放されていない場所も多く残る中での10名の珍道中でした。私も初めての中国旅行でしたし、日程もホテルもわからないので添乗員として役に立つのか?という状況の中でしたが、ここの社長のお陰で何とか無事に帰って来ることができたのです。
その数年後の平成元年、社長から「あのメンバーで今度はカナダに行くから、プラン作って説明においで!」という嬉しい電話をいただいたので、折角なので説明に行くとき、家族を連れてそのまま温泉旅行にしよう! と今考えるとかなりの公私混同で今なら間違いなくコンプライアンスに引っかかりそうな温泉旅行として、この宿に妻と子供二人(下の子はまだ0歳)を連れて来たのです。(勿論、宿泊費はちゃんと自腹で払いましたよ!)
ところが、説明会も無事に終わり家族旅行モードに切り替わった夕食後に、今まで一度も熱を出したことがなかった下の子が突然40度以上の高熱を出し、旅館の方々に病院に連れていっていただくなど、ドタバタの大騒ぎに。思い出深い温泉旅行になったのです。

その翌月に私が横浜に転勤を告げられ、社長には電話で転勤のご挨拶をするだけになってしまい、カナダ旅行も後任者に引き継ぎました。後日、「カナダ旅行は、無事行ったよ。」という話は後任に聞いたものの、ちゃんとご挨拶が出来なかったことに何となくずっと引っ掛かった気持ちを持ち続けていたのです。

勿論、そんな気持ちは私の独りよがりの気持ちであることには間違いはありません。当時70歳ぐらいだった社長がご存命ならば、100歳は越えているはずで、今更行っても会える確率は限りなくゼロに近いことは十分に判っているつもりなのですが、自分的には「どうしても、けじめとして一度は行っておきたい!」という心境だったのです。

奥の細道の地ですから、宮城県県境に近い山形県でも一番奥にあるひなびた温泉なので、温泉の風景は昭和の時代と一つも変わっていないようで、旅館の面影も昭和のあの時のまんまのようです。
チェックインが終わり、部屋に案内されるタイミングで、「実は私、昭和60年に先代ご夫妻と中国にご一緒した添乗員です。」と名乗ってみました。経営者らしい女性はやはり先代社長夫妻の娘さんらしく、女性はご夫妻が中国とカナダに行かれたことはよく覚えていらっしゃいました。ご夫妻のその後についてお伺いしたところ、社長は平成元年のカナダ旅行から帰ってきてすぐに体調を崩され、まもなくご逝去されたとのことでした。奥様はその後もかなり長生きされ、震災の年までお元気だったとか…
無理をお願いしてお二人の写真にご挨拶させていただくことができ、勝手ながら28年間の肩の荷を下ろせたような気持ちになりました。
来るのがちょっと遅れたものの、「来て良かった!」と心の底から思えた山形県最後の夜でした。