麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

娘が出発


娘は、一昨日の深夜に滋賀へと旅立ちました。

木曜日は本人は最後の出勤ですが、会社が用意した引越し屋が夕方に荷物を取りに来るというので、妻は昼前に池袋を出て自宅に戻ります。大した引っ越し荷物はなく、恐らく引越し屋に依頼する量は無いと思われ、先日の我々の引っ越し(二重生活の開始)とほぼ同じくらいの荷物の総量ではありましたが、「住居の移動を伴う転勤」ですので、会社が引越屋を手配してくれたようです。

私は会社を木曜日の定刻である5時過ぎに退社します。産業医からは「フル勤務なのだから1時間早く帰るのなら1時間早く働き始めたら?」というアドバイスに従い、木曜日は8時前に出社し、業務を開始しております。このあたりはストイックに勤めたいと思います。

車内でいつも通りにブログを投稿、自宅に戻ったのは6時半過ぎです。いつも通り妻と二人ですが、3日ぶりの自宅にくつろいで夕食を取った後、今日が最後の娘の帰宅を待ちます。もっとも、最後まで車通勤なので今日もアルコールなしの送別会とのこと、帰りは遅くなるのを覚悟していました。

娘が帰ってきたのは10時過ぎ。最後の晩をゆっくり寛ぐのかと思いきや、「車ですぐに出発する!」ということで休憩する間もなく出発準備です。
「危ないから朝出たら」ともアドバイスしましたが、「会社の引越屋の荷物引き渡しが11時。その時間までにアパートの鍵を受け取らなければ…」との無謀なスケジュール。「止めろ!」と注意したものの「会社が恐らく安く頼んだから、文句言ったけど変更できなかった!」とのことで、本当に徹夜のスケジュールです。

関東から関西に赴任するのに、車通勤を課しているのに前の日は通常通り19時まで勤務で、翌日朝11時に荷物渡し。つまり会社終わったら「すぐに車で移動せよ!」というスケジュールだから、万が一何かあったら「絶対に会社を訴えても裁判すれば勝てる!!」とは思いましたが、「会社と喧嘩しろ!」という訳にもいかず、サラリーマンの悲しい務めだなぁ…と思いながら準備も手伝えずに、ただただ見守ることしかできませんでした。

娘は最後の荷物整理をしています。朝寝坊の娘が絶対に手放せない音の異常に大きい目覚まし時計や我が家の唯一のペット金魚など、最後に車に乗せていくものを着々と整理します。殆ど荷物が整理し終わった後には風呂に入り、日付が回ったころにいよいよ出発です。

深夜12時過ぎに赴任なので、車での出発を両親で見送りです。ナビで到着時間は7時過ぎを指しています。改めて「遠いところへ赴任するんだ」と思わざるを得ませんでした。

「じゃぁ!」と言って娘は出発、私と妻は、たった1台だけであっという間に遠ざかるテールランプを、ただただひたすら見つめていたものです。

その日は恐らく眠れないと思ったので、倒れてしばらくは愛用しましたが、最近は殆ど飲むことのない睡眠導入剤を口にしましたが、当然のごとく時間以上まんじりとも出来ません。睡眠導入剤が効いたのか、ようやく2時過ぎには眠りにつくことができました。


翌日、茫然自失感で何もする気になれませんでしたが、妻も同じ感じで、「朝から何もする気にならない日」でした。5年前に新入社員だった息子が、入社式の後にその足で配属先の名古屋に赴任した時にもあった感覚です。ただあの時は5人だった家族が4人になり、まだ娘と母がいましたので、寂しさは感じましたがまだ4人いるので、寂しさを紛らわせることはできました。ただ今回は3人家族が2人になるわけで、25年前の結婚当初に戻った感じです。

私は25歳の年の12月に結婚しました。幸いにもすぐに子宝に恵まれ、9月には今回転勤した長女が生まれました。つまり我々は、本当に夫婦二人だけで過ごしたことが僅か数か月しかありませんでした。おまけに、妊娠で体調が安定しない妻は、徒歩20分の実家にしょっちゅう帰っていたので…
娘が生まれたちょうど2年後、1日違いで今度は長男が生まれます。それから我が家は18年間4人暮らし、病気の母親を引き取ってからは5人という大人数がいつも一緒に住む家族でした。
それが一人減り、二人減り… ついに25年前に逆戻り、私と妻の二人だけに戻ってしまいました。25年経って2回目の二人だけの生活を送ることになります。

翌日、娘は無事に赴任先に到着。鍵を受け取り早速一人暮らしのスタートです。今はメールでやり取りが頻繁に出来るので、関東と関西にいる距離は意外と感じません。

でも気持ちを切り替えるにはもう少し時間が必要なようです。