麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

"流されて"佐渡<前編:45年前の記憶>

5月中旬に新潟県佐渡島への旅を楽しみましたので、今回はその5日間の旅をレポートします。
私が過去に佐渡に行ったのは大学1年生の1979年の6月だったと記憶しています。入学直後の4月に運命的に旅行のサークルと出会い、公式行事以外で初めてのサークル内のメンバー募集に応募しての旅への参加です。このサークル、メンバーの誰かが行きたい旅を考えたら、部室の壁にツアータイトルと大まかな日程を掲示し、「参加したい!」と思ったら希望者はその紙に自分の名前を書くシステム。5月に2年生の先輩が掲示したそのツアーのタイトルが、「流されて、佐渡」。今では詳しい掲載内容などは全く覚えていませんが、日付の記載だけで日程などは殆ど書かれていなかったような記憶があります。でも、そのツアータイトルに魅せられて、私もすぐに名前を書いたことを覚えています。
最終的にその旅は3年生1、2年生1、1年生が私を含め3人の男5人旅。まだ上越新幹線なんて走っていないし特急列車になんぞ全く興味のなかった我々は、夜に上野駅に集合して夜行急行「佐渡7号」のボックス席の自由席に乗って、いきなりの夜行列車での酒盛りからの旅のスタート。因みに、上越新幹線開業は1982年なのでその3年後、その頃1年生の我々はまだ18~19歳でしたが、当時は大学生になったら20歳にならなくても飲酒は許されるというのが世間の風潮でした。
翌朝、佐渡汽船にて佐渡島に渡り、佐渡島の北のはずれの弾崎灯台までバスで行き、そこから二ツ亀~大野亀まで歩いて、大野亀の海岸で酒盛り&野宿。朝起きたら車座になってそのまま寝ていた5人は数頭の野犬に囲まれていて、結構怖くて飛び起きたのも懐かしい思い出。翌日は尖閣湾などを観光して、民宿のような安宿に泊まってまた宴会をしたくらいの記憶しかありませんが、とても楽しい旅でした。
45年も前のことですからその旅の記憶なんて実際は殆どなく、単なる呑兵衛の旅だったので佐渡の観光なんてあんまり出来なかったと思われ、「いつかは佐渡を再訪したい」とずっと念じていて、妻もかねてから「一度は佐渡に行ってみたい」とずっと言っていたので、2人の念願を叶えるべく数年前から佐渡旅行計画を検討していたのですが、妻の体調不良やコロナもありその実施がずっと先延ばしになっており、ようやく退職後の今回のタイミングでに実現出来たのです!

 

1日目:5月12日(日)

 

片手片足運転なのでレンタカーを運転できない私は、佐渡島へもフェリーにマイカーを積み込んでいくしかありません。車を航送できるフェリーは1日5便あるようですが、埼玉から行くことを考えると新潟港発12:35の便がベスト。そのフェリーに乗るために朝5時半過ぎには埼玉県をスタート。ところがナビは予想された圏央道~関越道ではなく東北道北関東道~関越道を「スマートルート」として推奨しているようです。スマートルートということは運転しやすく楽なルートだろうから、今回はナビに素直に従うことにして、ナビ通り快適に進み、長~い長~い関越トンネルを抜けて、予想通りかなり早く10時頃には新潟市内へ。3月にカレーを食べに来たバスセンターから昔仕事で何度となく来た朱鷺メッセを過ぎて佐渡汽船のターミナルへ。早すぎる到着ですが、ギリギリについてバタバタするのが嫌いな我々夫婦のいつものタイミングで、早速佐渡汽船にチェックイン。

佐渡汽船の自動車受付

その後はフェリーターミナルで暇つぶし。ターミナル内の船の展示物や佐渡のお土産を流石にまだ買いませんが早速下見します。その後フェリーターミナル内の食堂にて早めのお昼。

この日のお昼は夫婦揃って「ブリカツ丼」。「佐渡天然ブリカツ丼」は佐渡のご当地名物で、旅行中1度は食べたいといろいろと調べていたのですが、今回他の食べたいものが多すぎるため、泣く泣く「佐渡天然ブリカツ丼」を諦めていたのです。でも、ここ新潟港にも佐渡でも天然でもないけどブリカツ丼があるので、迷わず注文!

旅の最初としては、まぁ満足… かな?

恐らく本場佐渡での味には敵わないのでしょうが、何となく本場が想像出来る味でとりあえず満足。

我々の乗るフェリーは、「おけさ丸」。

この日はGW直後なのでフェリーはかなり空いているようです。私はカーペット席に座るのが嫌なので1等の椅子席を奮発したのですが、何と船室のお客は我々だけの貸切!

実は、往復とも我々だけでした!

何より、あれだけ多い訪日観光客の姿を全く見ないのには驚きでした。
ウトウトしているうちに、フェリーは2時間半で佐渡両津港に到着です。ところが両津港に到着すると結構激しい雨が降っています。旅行前の天気予報では、今日日曜日の夜までは天気は何とか持ち、明日月曜日が終日雨という予報だったのですが、雨が降り出すのが数時間早くなったようです。雨天の観光についてもいくつかプランを考えていて、天気が持てばまず佐渡=トキということで空港から近い「トキの森公園」に行くつもりでしたが、傘をさして公園を歩いてトキを探すのも嫌なので、雨天観光プランその1として考えていた「佐渡歴史伝説館」へ。

雨の中入場口に行くと、何と閉まっています。「今日、日曜日なのに、何で?」と思いますが、周囲には誰もいないので聞きようがありません。仕方がないので写真だけ撮って車に戻ります。

その後は雨天観光プランその2として考えていた佐渡奉行所跡にも向かってみますが、思いのほか時間が掛かったので入場を諦めて本日の宿に向かうことに。ということで到着後の約2時間で佐渡島の中央部のくびれたところ(平野部)をドライブして明日からの下見をした格好になりましたが、佐渡島は意外と(失礼!)都会なことに少しびっくり。ドライブしていても人家が途切れることは殆どなく、埼玉にあるチェーン店系の大規模店舗はみんな佐渡にも揃っている感じです。我々も離島をあちこち旅してきましたが、こんなにも都会の香りがする島は淡路島ぐらいではないでしょうか… 淡路島は両端が橋でつながっているのですが、佐渡は勿論橋などはありません… 間違いなく「日本一、都会な離島」ですね!?
今回、佐渡には3泊しましたが、3泊とも全部違う宿です。初日の宿は佐渡市役所や繁華街に近いホテル「たびのホテル佐渡」。佐渡の観光の拠点としては場所も設備も料金も文句のないホテルです。因みに、このホテルの1階には「佐渡天然ブリカツ丼」を提供する店もあり、実はここで食べることも考えてもいたのです。
この日の夕食は佐渡在住の友人と。旅行会社時代の同僚で、約10年前に故郷佐渡に戻った彼は、現在は佐渡市の市議会議員として活躍されているようで、10年以上振りの再会。彼の地元の寿司屋にご案内いただき、ふぐ刺し・天ぷらを含む佐渡の寿司コースを満喫しました。

佐渡歴史伝説館は、日曜なのに何でやってないの?」と、市議会議員に文句を言ってしまいました。

 

5月13日(月)

 

この日の天気予報は終日雨の予報。1週間前に天気予報が出てからはずっと「1日:雨」の予報だったので、出発ギリギリまで雨天時の観光コースをずっと考えていました。でも、昨日の雨の降り始めが天気予報より半日近く早かったため、今朝の予報ではありがたいことに午後には止むと予報が好転。この予報に気をよくしての2日目のスタートです。
ところでこの日のホテル「たびのホテル佐渡」は、シティホテルとビジネスホテルの中間ぐらいのホテルですが、ホテルには温泉ではないけど大浴場もあり、寛げます。我々が泊まった部屋はたまたま大浴場が目の前(向かい)の部屋だったので、朝早く部屋目の前の大浴場に行った私は、大きな浴槽を独占使用することが出来たのです! このホテル、お気に入りになりました。次回も佐渡に行くときには、ここに泊まって(今度こそ)佐渡天然ブリカツ丼をいただこうと思います!
ホテルが気に入ったとはいえ、この日はホテルで朝食は取らずに出発。理由は後で朝昼兼用の食事を楽しむことにしているので、ホテルの部屋でヨーグルトだけを食べての出発です。まだ雨は結構激しく降っているのですが、この日の最初の見どころは雨天でも観光出来る場所として観光日程のワイルドカードと考えていた史跡佐渡金山。世界遺産登録を目指している今佐渡で最も熱いスポットです。まだ9時前ですが佐渡金山は8時オープンなので駐車場には数台のマイカーが。混んでいなさそうで一安心です。佐渡金山には2つの見学ルートがあり各々の料金が設定されているのですが、我々は両方見られる共通券を購入して、まずは江戸時代の金山が見られる「宗太夫坑 江戸金山絵巻コース」へ。この坑道、階段はかなり多いのですが、手すりがちゃんとあるので我々足が悪い人でも大丈夫です。階段を下りて進んでいくと、かっての金坑の様子をリアルな人形が動いて説明してくれます。

時折、人形が声を発するのですが、ある人形などは、「酒が飲みてぇ~、馴染みの女に会いてぇ~」などと呟きます。思わず微笑んでしまいましたが、世界遺産としてはどうなんだろう…? と、余計なことを考えてしまいます。

酒が飲みてぇ~、馴染みの女に会いてぇ~

数十分の江戸コースを見終わると、資料館。金の製作工程などが展示されていますが、一般人が多数集まっているのは、金塊を持ち上げるコーナー。穴から手を入れて大きな金塊を取り出そうと皆が奮闘していて、その順番を待つ人が行列を作っています。私も並んで持ち上げてみましたが、とっても持ち上がりません!  妻も珍しく必死になっていましたが、大金持ちにはなれないようですね。
金塊を取り出すのを諦めて、お土産売り場へ。どうやらこの佐渡金山のメインはこっちの江戸コースで、明治コースに行かないでこのままバスに乗る団体客が多いようですね。妻も金塊のチョコレートや羊羹を買って早速お土産にするようです。
再び入口に戻って今度は「道遊坑 明治官営鉱山コース」へ向かいます。確かに、江戸時代の坑道と違って明治のそれは近代的ですが、こっちの坑道には人形もなくただ近代的な坑道が続くだけです。

「こっち、つまらないね」と話しながらひたすらに平坦な坑道を歩きますが、ようやく外に出て先に進むと、ようやく佐渡金山のシンボルである景色「道遊の割戸」が見えます。

この明治時代のルートの見学客は江戸時代のルートよりかなり少ないようなのですが、ということは、江戸時代しか見ない見学者はこの有名な眺めが見られないのでは… と、何か残念な感じです。出口近くにはトロッコのルートもあるのですが、雨でトロッコ道がグチャグチャにぬかるんでいて本当に歩くにくく、道遊の割戸が見える以外には本当に取り柄のない退屈なルートでした。出口に行くには同じお土産屋さんを通る必要がありますが、流石に妻も2度目のお土産屋さんはスルー。
次に向かった先は今日の朝昼兼用の食事。佐渡で大人気の回転寿司である「佐渡 廻転寿司 弁慶 佐渡本店」。このお店、新潟市内にも東京にも浦和にも支店があるようで、我々も新潟市内のお店には9年前には行った経験はあるのですが、やっぱり佐渡のお店だし佐渡本店で食べたい! と考えての訪問です。昨晩も友人と佐渡の寿司を楽しんだ我々ですが、このお店明日火曜日が定休日なので行くチャンスは今日しかありません。妻は寿司が大好物で、常々「寿司なら毎日でもいい!」と言い続けているので、図らずもその言葉を証明するかのような日程になってしまいました。このお店、兎に角行列が凄いお店とのことなので、出来るだけ並びたくない我々は開店時間の10:30にお店に行くべく朝昼兼用の食事としてセッティングしたのです。お店到着は開店の5分前、駐車場には数台の車が停まっており、雨なので皆車の中で開店を待っています。

10:30の開店と同時に入店し、無事にカウンター席を確保しますが、開店当初からもう寿司がレーンに流れています! とはいえ、我々はお目当てののどぐろなどの「佐渡の旨いもん」を次々に注文。

昨日も今日も、やっぱり佐渡の寿司は旨い!

佐渡の寿司を満喫、食べ過ぎてお店を出ると何とありがたいことにあれだけ激しかった雨が止んでいます。さぁ、これからは佐渡上半分(北半分)の観光に出発進行!
寿司で満腹になった妻は助手席でウトウトしていますが、私は両津から県道「佐渡一周線」をドライブして北に向かいます。まずは、45年前の思い出の地辿り。最初にナビを北端の弾崎灯台にセットしましたが、弾崎灯台が綺麗に見えて車が停められる場所もなく、45年振りの弾崎灯台は遠望で昔を偲びます。45年前には確かこのあたりをずっと歩いた記憶がありますが、次に向かった地は景勝地二ツ亀。この場所に来た記憶はあいまいですが、二ツ亀という地名が強烈な思い出として残っているので、間違いなく来ているのでしょう。やっぱりこの景色、記憶にあります!

雨は止んだものの、この日は気温は上がらず無茶苦茶寒い! 念のためとして持ってきた厚手のパーカーを羽織って寒さを凌ぎます。車での旅は荷物が積めるので本当に助かります!
次はメインの大野亀。この大野亀が見られる海辺で宴会&野宿をしたのが鮮烈な思い出なのです。

45年振りの大野亀

確か、この右側のあの道とぼとぼと歩いて海辺に行ったのです。

45年前、19歳の頃に戻りたいなぁ~!

それからは、佐渡島の海沿いの道を1時間程ドライブして、次に向かったのは「尖閣湾揚島遊園」。ここにも45年前に来た記憶が朧げにあるのです。

ここのメインは尖閣湾の景色と海中透視船での尖閣湾めぐり。海中透視船に乗るにはかなりの階段を降りる必要がありそうなので、料金を払う前に階段の手すりの設置状況を確認したところ「手すりはちゃんとあります。でも今日、揺れますよ!」
とりあえず景色を楽しみながらゆっくりと階段を下り、何とか遊覧船の乗り場まで。

カモメも45年振りを歓迎してくれているよう!

20分おきの遊覧船は3組6名の観光客を乗せて出発。海中透視船はいわゆるグラスボートですが、船長さんが餌を撒いてくれるお陰で小さな魚は結構寄ってきます。でも、カラフルさで言ったら先月行った石垣島の方がカラフルだったなぁ~などと考えますが、実はそれ以上に小舟は凄い揺れ。たった15分程度の遊覧でしたが、船酔いの寸前まで行ってしまいました。あと5分長かったら、確実に船酔いしていたでしょうね! その意味でも丁度良いクルーズ時間でした。

この施設は、大昔の「君の名は」のロケ地となったことがあるらしく展望台までの橋の名前が「真知子橋」と名付けられているそうです。でも、1950年代のラジオ・TVドラマや映画なんて私も生まれる前に流行ったものなので、一緒に船に乗った若いカップルはキョトンとしていました。今時、「君の名は」といえば新海誠監督のアニメですよね!?

まだ周辺に見どころはあったのですが、兎に角寒いのでこの日の観光を早めに切り上げてこの旅唯一の高級旅館にチェックイン。夕陽がウリの高級旅館ですが、流石に雨は止んだもののこの曇天では夕陽は期待薄。一応、夕陽の時間が18:45頃ということなので一縷の望みを託して夕食時間を19:30としてゆっくりと風呂に入って寛いでいると… 何と夕陽が見えそうな天気に変わってきたので、宿イチ押しのロビーに移動して夕陽鑑賞。

何と! こんなに綺麗な夕陽はいつ以来だろう! 佐渡に来てよかった! この宿に泊まって良かった! 頭の中で、私の生涯の夕陽のテーマソングである吉田拓郎の「落陽」を何度もリフレインしてしまいました!

また振り出しに 戻る旅に、日が沈んでゆく

夕陽の興奮も冷めやらぬ内の夕食も満足。新潟は酒どころですが、佐渡にも美味しいお酒がたくさんあるので、昨日から日本酒三昧を満喫!

これ、全部佐渡の地酒です!

夕食後には佐渡名物の鬼太鼓のショーまで楽しみました。

 

石垣島&八重山諸島への旅<後編>

3日目:4月10日(火)

 

石垣・八重山諸島の天気予報は今日も明日も相変わらず悪いままなのですが、昨日の経験から「どうやらこのあたりの天気は、1日中しとしと雨が降り続くのではなく、時折激しいスコールが来るだけなのかもしれないね。」と気を取り直して、少なくともこの旅では天気予報に一喜一憂することは止めることにします。
宿泊ホテルでは朝食付きのプランを予約していたのですが、基本料金のビュッフェの朝食ではなく今日は+500円の差額を払って和食レストランの朝食膳をチョイス。一般価格で2,500円の朝食なのですから大いに期待していたのですが、実際にはガッカリ。まずは場所が高級レストランの中ではなく、「コロナのため」ということでビュッフェ朝食の片隅の仕切られたスペースで。メインは石垣牛の朝食だったのですが、とても2500円の内容には見えません。おまけに、サービスも悪く食後のコーヒーはビュッフェに並んで取って来いというサービス内容でした。

右上が石垣牛の鍋でしたが… ガッカリ!

今回、ホテルの悪口は書きませんが、このグレードアップ朝食だけはどうにも…

 

この日は西表島由布島竹富島の3島めぐりのツアーに参加。今日の出発は8時半なので8時過ぎには昨日と同じ旅行会社で出発手続きを済ませます。昨日と30分違いですが混雑ぶりはかなり違い、今日はカウンターにも行列が出来ています。
昨日同様、桟橋前の具志堅さんの像に天気を祈願して西表行きの船に乗船。昨日の波照間の船よりは大きい船でトラベルミンは飲まなくても殆ど揺れることはありませんでした。西表島は沖縄では本島の次に大きな島で石垣島よりも大きな島なので、1日観光ではこの島をじっくり巡ることなどできません。西表といえばイリオモテヤマネコを想起しますが、イリオモテヤマネコを見る観光もありません。このツアーでの西表島の観光は仲間川のマングローブクルーズのみ。西表の大原港で高速船から仲間川のクルーズ船に乗り換えます。

仲間川マングローブクルーズ

マングローブは、熱帯と亜熱帯地域の淡水と海水の混ざり合う場所に生育している植物の総称なのだそうです。

原子の姿を残す日本最大のマングローブ林を、ガイドさんの説明を聞きながらのんびり見学します。

最近はマングローブといえば某タレントの名前を思い出しますが、淡水と海水の境目と男女の境目という共通点から付けられた芸名であることを、ここに来て改めて思い出しました。

河口付近の仲間川は結構大きな川ですが、この川も干潮の時間には船では通行できなくなるのだとか…

時折、他のクルーズボートとすれ違います。西表島滞在客も含めてこのマングローブクルーズの人気はかなりのもののようです。

仲間川クルーズの乗船時間は約1時間、今度は大型バスに乗って西表島を30分程度走り、西表島のすぐ先にある小さい島由布島(ゆぶじま)に向かいます。この日の乗るのは大型バスで、30名を超える参加者と一緒です。

由布島では、西表島由布島の間の浅い海岸を水牛車に乗り渡ることがメインイベント。海岸にいる仕切り役の人に乗る水牛車を指定されて、10名程度が1台の水牛車に乗って海を渡って由布島まで。

運転手は水牛なのですから正しいルートを走るわけではありませんが、波に流されながらもほぼ正確に由布島を目指してくれます。

向こうからは「回送」の水牛車が西表島を目指しています。

船頭さん(?)は三線で民謡を謡い、旅情を盛り上げてくれます。

由布島は島全体が亜熱帯植物園の島。ここではフリータイムとなり、植物園散策とツアーに含まれている昼食をいただきます。昼食はお弁当形式ですが、私は夕食をたらふく食べるために昼食を少しだけにセーブ。昼食後は熱帯植物園を楽しみます。

干潮で干上がった海を眺めながらのコーヒーブレイク。

フリータイムが終わり、再び水牛車乗り場に戻ります。すぐ横には休憩中の水牛車が休む場所があります。

水牛は人間でいうと3歳程度の知能はあるとのことです。(ということは、一番下の孫と同程度??)帰りもお利口な水牛は約10名の人命を無事に西表島まで運送してくれました。

再び西表島大原港に戻って、次は高速船で竹富島を目指します。石垣島に一番近い竹富島では、ツアー客はバス観光とフリータイムを選べるのですが、我々はフリータイムを選択。「一番沖縄らしい町並みが広がる島」といわれる竹富島では、ここでも町中を水牛車に乗って楽しむ観光があるので、何とかこのツアーに参加したいと考えてフリータイムを選択したのです。(なお、以前は水牛車付きのコースもあったようなのですが、何故か2024年4月には無くなっていました。)
竹富港で水牛車の送迎バスを見つけてダッシュ。(実際には走れませんが…)「予約してないんだけど、水牛車乗れますか?」というと、予約者とは別に並ぶように指示されます。結局同じ船で来て予約のない水牛車希望者は10名程度でしたが、全員乗れるとのことで送迎車で水牛車乗り場まで送っていただき、@3000円也を払って水牛車の順番を待ちます。

水牛車乗り場

順番が来て、乗り込んだ水牛車で町中をゆっくりと散策。

今度の水牛さんも我が家の末孫と同じで「3歳程度の知能」とのことですが、順路は全く間違えないし、曲がる際の水牛車の内輪差にも十分配慮しているし… どうやら、我が家の今の孫より優秀なのかもしれませんね!? 30分程度の水牛車の観光を終え、もう少し時間があるので改めて竹富島の”沖縄の原風景らしい”景色を満喫します。

竹富島、やっぱりいいなぁ~!

何となく「レレレのおじさん」を思い出しました

「水牛車乗船後の港までの送りは無くなったので、30分歩いて港に戻るか予約制の路線バスに乗れ。」とネットに書かれていたのですが、どうやら帰りの送りも復活したようで、帰りの最終バスには乗り切れないのでは…? と心配しましたが、結局何台ものバスが出て無事に竹富港まで。石垣島までは片道10分ですが、乗り切れないと見るやすぐにもう1台の船が出るという融通ぶりも発揮してくれました。今日の1日観光は約10時間のツアーでしたが、とっても充実した1日でした!
今日の夜は石垣牛の焼肉を予約しています。ホテルからは5分以内ですが、出ようとした瞬間に激しいスコールが! 雨宿りすること10分、ようやく小降りになったタイミングで730交差点にある焼肉屋さんへ。
初めての石垣牛(朝も食べましたが…)はコースでいただきました。

他の高級和牛と味を比較できるようなグルメではありませんが、久々の焼肉を堪能しました。

〆は冷麺(ハーフ)。

3日目も大満足の1日でした。

 

4日目:4月11日(水)

 

日曜日に石垣島に来て以来、滞在している石垣島そっちのけで波照間だ西表だと他の離島ばかりを観光してきましたので、観光ができる最終日の今日は石垣島を観光することにします。当初はタクシー貸切での島内観光も考えていたのですが、無職になった今では出来るだけ無駄遣いを避けることが賢明なので、バス会社が主催する定期観光バスに参加することにします。この石垣島観光バス、9時半から4時間半のツアーで、昼食付で4700円ととってもリーズナブル。ホテル隣のバスターミナルに集合した参加者は30名弱と、4月の平日にもかかわらずこの人数はかなりの人気のようです。
ところがこのツアー、本当に超忙しかった! 何が忙しかったと言えば、兎に角バス出発時間までの時間が短く、私が早足で歩いてもついていくのが精一杯。トイレになんか行く時間もないくらいで、私が旅行会社の社員時代に企画したツアーの担当者または添乗員だったら、恐らく猛烈なクレームを受けていただろうと思うほどです。ガイドさんは「私は石垣生まれなのでゆっくりしていて、早く喋ったり急ぐことが苦手なんです。」と最初の自己紹介で仰っていましたが、実際は話すスピードはともかく東京にいても超速足の観光だったのです。本当について来られて良かったと胸をなでおろすほどです。
最初に一昨日訪ねた具志堅用高記念館を車窓から紹介しながら、石垣島の郊外に向かいます。最初の途中下車は唐人墓。バスを降りて写真を撮ったらすぐに速足でバスに戻りましたが、バスに戻ったのは我々が最後でした。

旅行の計画当初に私が泊まろうと考えていたリゾートのフサキビーチホテルを通過。やっぱりここから繁華街までは遠い… レンタカーでなければ、ここに泊まるべきではなかったようです。

次は石垣島のメインイベントである川平湾。ここではオプションで+1000円払ってグラスボートに乗るプランがあるのですが、予想通り参加者全員がそのオプションに参加です。かなりの速足で海岸まで下ります。

30分程度のグラスボートですが、お魚さんはたくさん見えたもののどうも私の腕が悪いので写真にはうまく映りませんでした。

大きなウミガメも見えたのですが、カメラを構えるとすぐに動いてしまってうまく撮れませんでした。でも、30分間グラスボートを楽しませていただきました。
帰りは別の展望スポットを通って駐車場まで。天気はイマイチですが、「川平湾、晴れていたらさぞかしきれいだろうなぁ~!」と想像させる景色。

我々は列に追いつこうと必死に歩きます。我々よりご高齢の方も何人かいたようですが、皆愚痴も言わず何とかついて行こうと必死です。

バス車中から撮った川平湾の全景

昼食はハンバーグ定食。いただいたランチの定価は1100円を超えるらしく味も悪くはないのですが、やっぱり我儘な我々は「石垣島らしいものが食べたいぃ~!」

観光のランチとしてはクオリティは高いと思うのですが…

レストランからの海の眺め 素晴らしい!

次にバスは熱帯原生林で下車して少し歩くようですが、階段が急そうなので私は降りるのを断念。息を切らせながら戻ってきた妻曰く「急な階段ばかりであなたには絶対無理!降りなくて正解!」妻もついていくのが精一杯だったようです。
最後の観光地が石垣島随一の展望を誇る玉取崎展望台。

行きの飛行機から見えた石垣島が狭くなっている部分から北側にはこのバスは行きません。次回はこの北側には行ってみたいと思います。

石垣空港を経由してバスターミナルに戻ってきたのは予定通り2時半。ということは、この早いペース、毎日のことなのですね!?
午後は繁華街の中心地であるユーグレナモールにてお土産探し。

沖縄本島と石垣のお土産にあまり違いはないけれど、とりあえずあれこれお土産を仕入れます。
石垣島最後の夕食は予約していた居酒屋にて。海鮮と沖縄料理をたっぷりと満喫して石垣を満喫しました!

石垣滞在中は、ずっと泡盛


5日目:4月12日(木)

 

今日は午前中の便で石垣を離れる日。3回目のホテルのビュッフェ朝食では毎日のように八重山そばと朝からブルーシールのアイスクリームを食べていたので、今日も最後にそれらを満喫。8時半には空港行きの直行バスに乗り、見慣れた石垣島の景色でもお別れです。
石垣島、本当に楽しかった! 行く前は4日共の雨予報で、初日は荷物が届かないことや波照間行きが欠航になるかも… と、どうなることかとヒヤヒヤしたこともありましたが、結果オーライの旅でした。

でも、石垣島にはもう1回来る必要があります。次の目的地は日本最西端の与那国島と今回お世話になった波照間のペンションにも行って、波照間の泡盛を呑みたいなぁ~!
次も、必ず!

 

おまけ 翌週も沖縄へ!

 

実はその1週間後にも沖縄に行っています。今回は、最初の会社に1983年に一緒に入社した同期会が那覇で開催されたので、その同期会に久々に参加するための一人旅です。
行きは4/19(金)この日は快晴で富士山が綺麗です。

昼食は好物のソーキそばをいただきます。

(前週の波照間よりも)あまりに暑かったため、思わず国際通りかりゆしウエアを買い、牧志の”せんベロの店”で昼呑み。でもせんベロの店は物価高騰で「1,100円ベロ」になっていました。

同期会はホテルのプールサイドでのBBQパーティー。41年振りに再会した同期もいて、とっても懐かしかったぁ~

翌日、フライトの時間まで同期2人とレンタカーで市内観光。一度は行ってみたかった斎場御嶽(せーふぁうたき)に行ってみましたが、この世界遺産の坂がきつく私にはとっても辛い観光でした。同期二人にも大いに迷惑を掛けてしまいました。ゴメン!

 

石垣島&八重山諸島への旅<前編:念願の波照間島へ>

3月末で会社を退職して4月からは晴れて9年振りの無職に戻りましたので、今後は混雑するGWや夏休みではではなく人が少ない期間に旅行三昧を楽しむつもりです。最初の旅は、”日本2周目”の沖縄県Verとして石垣島八重山諸島への旅。退職を決意した昨年の秋から細々と計画していたこの4泊5日の旅を、いつも通りダラダラとレポートします。
退職した後の各種手続きについては、今回は2度目でもあるので前回と違ってスムーズでした。健康保険は今回は任意継続ではなく国保に加入することを決めていたので、4月1日には早速市役所に行って無保険状態を限りなくゼロ日にするようにしました。昔の会社の旧友には「会社を辞めます」と早めに連絡して、早速久しぶりの飲み会を何回か開催していただき、それなりに多忙な日々を過ごしました。ハローワークに失業保険を貰いに行くのは、離職票が4月中旬まで届かないことは判っていたので、この旅から帰ってきた後にゆっくり手続きするつもりにしています。
そんな4月上旬を狙っての石垣島の旅ですが、4月はまだ台風のシーズンでもなく、泳ぐには少し早いのかもしれませんが、泳ぎには興味のない老夫婦には全く関係はありません。今回は石垣島をベースにして、八重山諸島の日帰りの島めぐりを楽しむ4泊5日で日程を組みました。
八重山諸島でどうしても行きたい場所は、「日本最西端の与那国島」と「(有人島)日本最南端の波照間島」。1回の旅で両方には流石に行けないので、検討の結果、今回は”最南端”の波照間島をチョイス。本当の日本最南端は小笠原の沖ノ鳥島とのことですが、沖ノ鳥島には実際には大枚をはたいて飛行機か船をチャーターでもしない限り我々一般庶民は行くことはできないので、現実的に我々が行ける日本最南端は波照間島なのです。
今回、石垣島のホテルに4連泊するプランにして、当初は海辺のリゾートホテルでハワイのようなリゾートライフを満喫するつもりにしていたのですが、やはり晩ご飯を食べに毎日クシーで石垣島の繁華街まで往復するのは大変そうなので、結局繁華街や離島ターミナルにすぐ近く、少しはリゾート色がありそうなホテルをチョイス。退職後最初の旅なので、少しは奮発してその中では一番高い「ハイフロアオーシャンビュー」の部屋を選択しました。

 

1日目:4月7日(日)

 

今回もコロナ時期にせっせとショッピングで貯めたJALのマイルで、石垣島への2人分の往復航空券を確保します。JALの石垣島直行便は早朝や深夜以外の丁度良い時間が1日1便しかないので、初日と最終日は移動日となるため、5日間の旅行といっても実質観光できるのは丸3日しかありません。1日目のフライトは羽田発14時半で石垣空港着17時半の便。
ゆっくりと自宅を出て羽田空港へ。この日の東京の天気は決して悪くはないのですが、実は1週間前から石垣島のこの期間の天気予報はずっと雨予報で、特にこの旅のメインである波照間行きのツアーを予約している明日はずっとかなりの雨が降るという最悪の天気予報。「全く~ぅ、ついてないなぁ~!」と愚痴りながら羽田空港へ。
羽田で昼食。いつもなら混む羽田のランチは避けるのですが、たまには羽田のランチを楽しむことにします。妻の希望は「そば」なので、お昼時に混みあう蕎麦屋でいつも通り昼からビールと信州のそばを満喫。

JALの石垣便、オフ期とはいえほぼ満席のようです。流石に石垣島に行く外国人はそんなに多くないのでは…? と甘く見ていましたが、あにはからんやかなりの外人率です。

少し遅れて離陸。添乗員の時には絶対に座れなかった窓際席を確保して、離陸の風景を眺めます。

東京湾の景色、久し振りの飛行機からの風景を満喫。

でも、上空に出ると日本列島はずっと分厚い雲に覆われます。

仕方がないので外を見るのを止めてネットで色々と石垣島の情報を見ていましたが、ここで不吉な状況その1に気づきます。それは数日前に自宅から石垣島のホテルに送ったスーツケース。本来なら前日に「ホテルに着きました」というメールが来ているはずなのに、今回はヤマトからの到着メールがありません。ヤマトのHPにアクセスして荷物の配送状況を見てみると、羽田空港到着以降の動きが数日間空欄になっています。空の上では調べようもないのですが、「まぁ、天下のヤマトだから大丈夫だろう。」と高を括っていました。
そうこうしているうちに、憧れの石垣島が見えてきます。

無事に石垣空港に到着。沖縄県には10回以上は来ているのですが、実は沖縄本島以外に来るのは初めてなのです! やったぁ~!

ここで不吉なことの2つ目が起こります。明日、参加予定の波照間行きツアー会社から飛行機に乗っている間に数回着信があったようなのです。波照間行きの航路は外洋を走るので欠航率が高いらしく、「欠航の場合は、前日夕に電話連絡します。」との案内があります。明日はかなりの雨の予報なので、「やっぱり、中止かぁ~」と落ち込みながら空港から市内まで乗ったバスの中からそのツアー会社に折り返してみますが、もう6時を過ぎているので、旅行会社への電話には誰も出ません。
バスの終点である離島ターミナルに着いてすぐに旅行会社のカウンターに行ってみますが、やはりカウンターはもう閉まっていて、誰もいません。少しでも情報が欲しかったのですぐ隣にある船の運航会社である安栄観光の人に明日の波照間便の状況を聞いたところ、「明日の波照間便の欠航は決まってはいませんが、天候調査中で欠航の可能性があります。」とのこと。どうやら、何回かの旅行会社からの電話は、その状況を伝えたくて電話をくれたようなのです。
仕方がないので明日の運行を期待して、離島ターミナル目の前のホテルミヤヒラにチェックインすることにします。

ホテルミヤヒラの美崎館 離島ターミナルは目の前!

最初にフロントの人に、「スーツケース、届いていますか?」と聞いてみたところ、不吉な予感が的中してやはり届いていないとのこと。フロントの人にはよくあることなのか平静に連絡先等を教えてくれます。兎に角部屋に入り教えられた番号等に連絡しますが、AIでの自動回答ダイヤルなどにしか繋がらず、10分程度様々な場所に電話した結果、ようやく緊急連絡先の担当者に繋がり、30分後までに必ず調査の回答を連絡することを約束して電話を切ります。その後は、万一の対応の検討。寝巻も明日の半そでも全てスーツケース に入っているので、いくら雨模様とはいえ波照間に長袖のままではいけないので、どうしようかとあれこれ考え悩みます。35分後にようやく電話があり「お待たせしました! 荷物、今石垣島に着きましたので、今からお届けします!」。ということで兎に角一安心して、ヤマトを信じて夕食に行くことにします。
これほど焦ったことの理由の一つには、この日の夕食でこの旅の食事のメインとなる店の予約が取れていたため。そのお店とは、石垣島最大の人気居酒屋「ひとし石敢當店」。ネットなどで見ると、「電話を100回以上かけても繋がらない。」という記載が数多くあり、「流石に、そりゃ大袈裟だろう!」と思っていましたが、実際に私も100回以上は間違いなく電話を掛けました。予約は2カ月前からの受付で、営業時間内に(時間を変えて)1日10回は電話しましたが、悉く「話し中」。1日10回以上の電話を10日以上はトライしたのです。1回、20時頃に初めて呼び出し音が鳴り「やったぁ~!」と思ったのも束の間、結局数分電話に誰も出ないままシステムで切れてしまったのです。ようやく通じたのは2月下旬の夜の9時過ぎ。この頃のルーティーンのようにドラマを見ながらリダイヤルしたら通じて、しばらくして念願の「もしもし」が聞こえたのです! 1か月以上後の予約なのに、4月8日の19時半の予約は取れずに、「20時15分からなら」という回答で渋々20:15~で予約したのですが、丁度その時間はスーツケースの件で必死に電話していた頃だったので、今考えると20:15~というのは、絶妙な予約時間でしたね。
ホテルから徒歩10分以内のそのお店に行くと、この時間でも店の外で空くのを待っている人が多数! 多分、電話が繋がらなかった人たちなのでしょうね!

予約が取れている我々はすぐに店内に案内され、待望の夕食がスタート。まずは刺身の盛り合わせから。

その後は、ネット等で「絶対に食べるべき」と書かれていたモノを注文。まずはウニソーメンちゃんぷるー。

いかすみチャーハン。 なお、全てハーフサイズです。

石垣牛のにぎりもまいう~!

そして、このお店のメインはやっぱりマグロ。

大トロ、中トロ、赤身 本当に旨いのなんの! 本当に満足した石垣島最初の夕食でした!
ホテルに戻ると、無事にスーツケースが到着していて、一安心。
明日、雨は仕方ないとしても波照間行きの船が出ますように! と祈って床につきました。

 

2日目:4月8日(月)

 

目覚めたら朝の石垣島は天気予報通りの雨。すぐに船会社安栄観光のHPで波照間航路の運航状況をチェックしますが、昨晩とかわらずに「天候調査中」。8時の船の出航を信じて6時半にはホテルで朝ご飯を食べ、部屋に帰って再度運行状況をチェックすると、嬉しいことに波照間便は無事に運行するとのことです! やったぁ~!
雨の中傘をさしてホテル目の前の離島ターミナルへ。今日と明日の2日間のツアーを予約した旅行会社のカウンターにて、無事に参加手続きを完了。
石垣島離島ターミナルのシンボルと言えば、石垣島の英雄「具志堅用高」さん。高校・大学時代に大のボクシングファンになり当時のアイドル具志堅に熱中した私のイメージも、石垣島=具志堅。その具志堅さんの銅像に向かって、「具志堅さん 波照間は晴れますように!」と、無理難題をお願い。

波照間行きの船は、ネットでは「ゲロ船」と酷評されているように、欠航率が高い上に船酔いが兎に角激しい船とのことですが、近年は大型船が就航して船酔いもだいぶ減ったとのことでやや安心してたのですが、来た船は大型船ではなく従来からの小型船。

当然、我々も持参したトラベルミンを飲んで船酔い対策。出航後には尖閣諸島の監視船なのか海上保安庁らしき船が見え、ここが国境に近い島であることが実感されます。

高速船は噂通りのかなりの揺れで、窓から船外を眺めると窓が波ですべて覆われてしまうような激しい波&揺れ。

でも、トラベルミンのお陰で船酔いになることもなく予定通り9時半には無事に波照間島に到着!

何と何と! 嬉しいことに石垣島では激しかった雨が、ここ波照間では止んでいます!具志堅さんにお祈りしたお陰?? 憧れの波照間に来れただけではなく、雨も降っていないなんて、昨日の夜には信じられないくらいの最高の展開です!

ここからは貸切バスにて波照間島内の観光。波照間島へのツアーを催行している会社は何社かあるようですが、各社の波照間ツアーに申し込んでいる人は我々を含めて3組6名。その6名が全員同じマイクロバスに乗り、波照間生まれのガイドさんによる波照間島観光のスタート。

まずは波照間の中心街の散策。波照間島は最南端の島なので、そこにある施設は全て最南端なのです。例えば、交番(駐在所)も最南端。

小学校も最南端の小学校。

郵便局も勿論最南端で、ここで投函すると最南端の消印が貰えるのだとか…

部落を散策すると、沖縄らしい家並みを見ることが出来ます。

この景色、いいねぇ~!

また、波照間島産のものがとっても安く売られています。この共同売店で売られている黒糖、石垣島では同じものが倍の値段するそうです。(翌日、石垣島で確認しました。本当に倍の値段でした!)

波照間で有名な泡盛である泡波。お土産に買いたいところですが、瓶が割れるのが怖くて買えずに、後で激しく後悔することに。

その後、波照間空港にも立ち寄ります。現在の波照間空港は運航再開した石垣便のみで、週3便の運航だそうです。

そして、私が一番来たかった日本最南端の碑。

人生63年目にして、遂に日本最南端に辿り着きました!

ここでツアーにトラブルが発生します。ガイドさんから「最南端の碑の先は道が悪いので、十分に注意してくださいね!」と注意されていたので我々は確かに悪路のその先には行かなかったのですが、参加者の1人の方がその場所で激しく転倒されたのです。慌てて運転手さんとガイドさんが救出に向かい、波照間島の診療所に。この事故で、思いがけず波照間の診療所の外観を見ることが出来ました。離島の診療所といえば、Dr.コトーの診療所を思い出しますが、波照間の診療所は… 思いのほか立派でした!
ケガ人に付き添ったガイドさんがいなくなったので、急遽運転手さんがドライバーガイドを務めて「波照間ブルー」の名所である「ニシ浜」へ。雨が降らなかっただけでもラッキーな我々、今日の「波照間ブルー」には正直期待していなかったのですが… 何と、素晴らしい「波照間ブルー」!

波照間島に来て、本当に良かった!

ランチはツアーに含まれています。今回、3日間共にツアーに参加して昼食はすべてツアーに含まれているので好きなものが食べられそうにないことがストレスでしたが、この日のランチは旅行中に絶対1回は食べたかった「八重山そば」。

応急処置が終わって昼食時に合流されたケガされた方は、顔と両手に包帯をされています。両手骨折の大けがをされたようで、やっぱり注意は必要ですね。
また印象的だったのは波照間の人々が本当に親切なこと! 滞在はたった数時間でしたが、波照間島、大好きになりました! 特に港で様々親切にしてくれた方がいて、次に行くときの泊まる宿はその方のやっている宿に絶対お世話になろうと決めました! 本当に、波照間島、サイコーですよ!
とっても楽しかった波照間島の観光は無事終了。帰りの船は行きより更に小型船でしたが、今回も乗船前にトラベルミンを飲んだお陰で船酔いはせず。激揺れの船中でもウトウト出来て、快適な1時間半でした。
石垣のホテルに戻って15時以降は妻とは別行動。妻はホテルにある大浴場に向かいましたが、私はこの旅もう一つの自分的メインへの訪問。上述した通り、高校生・大学生だった7年の間熱狂的なボクシングファンだった私。高校入学してすぐに知り合った友人2人(T君、M君)に触発されて大のボクシングファンになったのですが、高校1年の10月に世界王者になったのが具志堅用高で、それから私のボクシング熱は具志堅と共にありました。その具志堅が世界王者のベルトを失ったのが大学2年の3月。当時北海道旅行中にサロマ湖の民宿で具志堅が敗れた試合を見て、「一つの時代が終わった…」と、流氷を見ながら涙したのですが、その日を境に私のボクシング熱も徐々に冷めていったのです。そんな私的には石垣島といえば具志堅さんなのですから、「石垣島に行く=具志堅用高記念館に行く」ということで、「何で、今まで行かなかった?」と、自分を叱責しているくらいです。
ところが、ホテルを出るといきなり激しい雨。慌てて雨宿りして気が付いたのですが、「この豪雨、東南アジアのスコールだぁ!」 確かに沖縄本島よりも台湾に近い石垣島ですから、東南アジアではよくある雨季のスコールなんですね! 少し雨が小降りになったので、タクシーで記念館に向かいます。

上述の通り具志堅さんが王者だった5年半≒私がボクシングに熱狂した期間ですから、展示品を見ながら当時の記憶が鮮やかに蘇ります。

私的に具志堅の防衛戦のベストバウトと思っているのは、7回目の防衛戦リゴベルト・マルカノとの2戦目。

1時間以上もゆっくりと思い出を堪能することが出来ました。
この日の夕食はホテル目の前の民謡居酒屋。

最初はもっと有名な民謡酒場に行こうと思っていたのですが、遠かったり階段に手すりが無かったりとさまざまな理由で一番無難なすぐ近くの店に。料理も通常の沖縄料理が中心。

肝心なライブもイマイチ盛り上がりに欠けるものの、沖縄らしさはちゃんと味わえたので、まぁ満足でした。

 

鉄旅4題

3月はじめから、鉄ちゃんに戻ってさまざまな列車の旅を実施してこのブログに投稿してきましたが、投稿したもの以外でもあと4回程「鉄ちゃんの旅」を楽しんでいますので、今回はその4回をまとめてご報告します。

 

その1:水郡線と水戸のあんこう鍋(3月25日実施)

 

本来は只見線を楽しんだ翌日に楽しむはずだった水郡線と水戸のあんこう鍋。ところが2回前のブログで報告した通り前日深夜の地震の影響でJRが動いていなかったために断念し、そのリベンジをどうしようかと考えていましたが、我が家のある白岡駅を始発列車で出て東北本線の各駅停車を乗り継ぐと水郡線の分岐駅である安積永盛駅でうまい具合に水郡線の列車を掴まえることが出来て、お昼過ぎには水戸に着けることが分かったので、「青春18きっぷの旅その4」として日帰りで実施することにしたのです。
白岡駅出発は5時50分の宇都宮行き始発列車にて。東京方面行きの始発列車のように座れないほどの混雑ではありませんが、さまざまな乗客がこんな時間から宇都宮線の15両編成の列車に乗り込んでいます。私の想像では短い区間乗車の利用者が多いのかと思いきや、かなりの乗客が宇都宮または小山まで行くので少し驚きました。終点宇都宮では向かいのホームに停まっている各駅停車に乗り継ぎ黒磯まで行くのですが、この列車が意外にもかなりの混雑で、乗り継ぎ客の我々はロングシートの座席にも全く座れません。朝7時前後の列車ですから宇都宮付近の駅で通勤の多くの乗客が降りるのでは… と予想した私の期待を見事に裏切り、宇都宮から30分以上は座れない状況が続きました。矢板那須など十数年前まではいつも車で来ていた懐かしいゴルフ場の名前にウルっとする場面もありながらの、栃木県北部の1時間。黒磯からは編成の長い列車にのんびり座ることが出来て旅情を味わうことが出来、東北地方に入る景色などをのんびりと眺めることが出来ています。
水郡線との分岐駅安積永盛で下車して、郡山からの水郡線を待ちます。

本当ならば水郡線の始発駅である郡山駅から乗り、ボックス席を確保したかったのですが、始発列車できてもこの時間がギリギリだったのでやむを得ないところです。待望の水郡線は定刻通り2両でトコトコと到着。

水郡線は混んではいませんでしたが、予想通り4人用と2人用のボックス席には全て乗客がいて、ボックスを独占することはできません。そしてそのほとんどが青春18きっぷを持った鉄ちゃんの風情なので、どうやらすぐに空くことは期待薄のようです。仕方がないので、私に近い年齢の鉄ちゃんらしき男性のいる4人用のボックスに座り、通路側から水郡線の車窓を楽しむことにします。この男性、朝からボックス席で車窓を眺めながら持ち込んだ日本酒をチビチビと呑んでいます。六角さんに憧れているのでしょうね…!?
水郡線、最初のうちは磐城石川磐城棚倉など磐城の着く駅名が多く、駅名標には「奥久慈清流ライン」の愛称表記がありますが、まだ久慈川の景色はあまり見えません。

でも、徐々に久慈川の流れが車窓から楽しめるようになってきて、鉄ちゃんのテンションも大いに上がります。

ようやく2人用のボックス席があいたので移動し、鉄ちゃんらしく窓に張り付きます。

矢祭山」 この駅名にも昔ひそかに憧れて、この地を舞台に推理小説を書きたいと考えたことがあったなぁ~… と、昔のことを懐かしく思い出しました。でも、この地は初訪問です。

茨城県に入って駅名が常陸に変わります。常陸大子もゆっくりと訪ねてみたい町です。

袋田の滝の玄関口である袋田駅袋田の滝は別名「四度(よど)の滝」と言われて、各季節毎に訪れることを推奨されているようですが、私はまだ1回しか行ったことがありません。「あと、3回かぁ…」と、感慨深くなってしまいました。久慈川の清流もいよいよ本格的になった感じです。

上菅谷からは同じ水郡線の名前を持つ常陸太田行きの支線が分岐しています。鉄ちゃん的には乗りつぶしのためには是非乗りたい支線なのですが、今回は「あんこう鍋」を優先してスルーとします。次には、乗ってみたい!
水戸が近づくにつれて、どんどん乗客が増えてきて座席は満席になり立ち客も徐々に増えていきます。廃止が議論されているローカル線というよりも活気ある都市近郊列車の風情ですね。満席の中で終着駅水戸駅に到着して、水郡線の旅は無事に終了。
水戸でのメインは、あんこう鍋を食べること。昔、出張で何度か来た昔の勤務先水戸支店すぐ近くで昔呑みに来た記憶もある居酒屋で、昼から「あんこうのコース料理」が食べられるというのでランチタイム終了前にギリギリで到着し、あんこう鍋コース@4,400也と生ビールを注文。

久し振りのあんこう、やっぱり旨い!

何と言ってもあん肝!

メインはやっぱり鍋!

そして、〆は雑炊!

すっかり満足したランチタイムでした。
本当は水戸東照宮に行こうかとも思っていたのですが、ここで雨が降り出したので、すぐ近くでも東照宮に行くのを断念して、停まっていた列車に飛び乗ります。水戸線との乗り継ぎ駅である友部駅でも出発直前のロングシートの旅情が薄い列車に飛び乗ります。水戸線の車窓は特に特徴のない田園風景で、朝が早かったのとほろ酔いもありうとうとしてしまい、あまり楽しめませんでした。

 

その2:埼玉県全鉄道路線乗りつぶしの旅<その③最終回>(3月28日実施)

 

2題目は過去2回実施した「埼玉県全鉄道路線乗りつぶしの旅」の最終回。過去2回は普段あんまり乗ったことがない路線や事前に設定した難題をクリアする等の目標があったので、鉄ちゃん的にもそれなりにワクワクした旅行になったのですが、最終回は乗り慣れないというか自分的には新鮮な路線はあんまりなく、ただ決められたことを淡々とこなすだけの感じ。とはいえ、過去2回を実施したのに最終回である3回目をやらなければいつまでたっても「達成」にはならないので、3月中に実施しました。

この日は埼玉県東部の東武鉄道乗りつぶしが午前中の目的。大宮駅発の東武アーバンパークラインという名前が私的にはいまだにスッキリ来ない東武野田線からスタート。

乗り慣れた野田線であまりに馴染みのある岩槻・春日部を過ぎて江戸川を超えて千葉県に入った川間駅まで乗車。

川間駅からは徐々に多くなる通勤客と一緒に春日部駅まで。春日部からは東武伊勢崎線スカイツリーライン)の急行でたくさんに増えた通勤客に揉まれて東京都を目指します。この路線の北越谷以降は複々線になるので何度乗っても楽しい路線。普通列車を急行列車がさまざまな区間で追い越してゆくのは鉄ちゃん的には何度見ても麻薬的な快感!でも今回は東京に入ってすぐの竹ノ塚で折り返したいので草加で各停に乗り換えて竹ノ塚まで。

竹ノ塚では一旦改札を出てまた改札を入るという律儀な鉄ちゃんらしさを発揮し、すぐに反対側ホームへ行き再び各停/急行と乗り継いで東武動物公園駅からは今度は東武日光線で日光方面を目指します。子供時代、母親の実家栃木県の鹿沼東武の快速電車で行くのが兎に角楽しみでした。当時の快速の停車駅は、浅草を出た後は北千住、春日部、杉戸… そう、ここ東武動物公園駅はかっては杉戸駅だったのです。東武動物公園が出来て駅名が杉戸から変わった時には子供ながらに猛烈な違和感があったことを覚えています。その東武動物公園駅が今では我が家から一番近い東武線の駅になることなんて、当時は全く想像していませんでした!
東武日光線は埼玉県を出て、一駅だけ群馬県に入ります。その板倉東洋大前駅で降りて久し振りに駅前風景を眺めます。昔、大宮で仕事していた頃ここの東洋大には仕事で何回か来たことがありとても懐かし~い!

東武線の新しい特急列車。カッコいい! そのうち乗ってみたい!

再び東武線に乗り東武動物公園まで戻り、次は東武伊勢崎線でとても馴染み深い久喜・加須などを経由して館林方面を目指します。群馬県に入って最初の駅川俣駅東武線埼玉県東部エリアの乗りつぶしは無事完遂!

次は隣駅羽生から秩父鉄道に乗車。

この秩父鉄道の熊谷までの区間は結構な直線区間で、私の好きな区間

この旅3回目のターミナル駅寄居が今日の秩父鉄道のゴール。はじめて寄居で乗り継ぎの時間があったので、ゆっくりと駅前を眺めてみました。各線の線路が連なり、何となく壮観な眺め。

寄居駅は… やっぱり田舎でした!(失礼!)

寄居からは初回に乗った八高線に再び乗って越生まで。

越生からは東武越生線で坂戸まで。

このまま東武線を再び北朝霞まで乗り通して、埼玉県内の東武線も全線クリアです!
その後は、2つのこの旅のJR未乗区間乗りつぶし。まずは埼京線武蔵浦和~浮間船渡の区間。実際は赤羽まで乗り通してそのまま職場に行き、退職に伴い健康保険証を返却します。そして秋葉原から京浜東北線を大宮まで乗り通して、めでたく埼玉県の鉄道全路線制覇の完遂です!

3日間でそれなりの費用も掛かりましたが、さわやかな達成感に満たされました!

 

その3:念願の飯田線(4月2日実施)

 

5枚綴りの青春18きっぷも、いよいよ最後の1枚になりました。最後の1枚は駅の数が兎に角多く全線完乗にはかなりの時間が掛かる飯田線にチャレンジしようと決めていました。4月1日になって正式に会社員から無職になり時間はたっぷりあるので、6時間を超える飯田線の長い時間も苦にはならないだろう… と、考えた故です。
最初は、この日あたりに飯田線沿線の「高遠城址公園の桜」が開花する予報だったので、沿線の伊那市あたりに1泊して飯田線と高遠の桜を一緒に楽しむ予定にしていたのですが、3月下旬からの異常気象で桜の開花が遅れ、4月上旬の高遠の桜はまだつぼみだというので、計画を日帰りに戻して飯田線だけを日帰りで楽しむことにしました。でも、各駅停車だけでは飯田線の日帰りはできないので、飯田線の終着駅豊橋駅からは新幹線で帰る日帰りの旅です。
出発は朝の6時頃。飯田線の始発駅岡谷駅までは2週間前に乗った中央本線の各駅停車なので前回と同じ。前回は「中央本線を端から端まで乗る」という目標があったのでちょっと遠回りして東京駅まで行きましたが、今回は武蔵野線経由で中央線列車の始発高尾を目指します。今回は岡谷駅まではダイヤを見ないで行き当たりばったりで向かったのですが、高尾駅で向かいに停まっていた列車に飛び乗り、間際に乗ったにも関わらず今回もボックスを独占できて素晴らしい眺めを満喫。中央線沿線の桜も見ごろになっています。

今回も晴天で、山並みはサイコー!

甲府からは空いていそうな小淵沢行きで前回とは違ってボックス席からの南アルプスの眺めを満喫!久し振りに対面した八ヶ岳、やっぱり素晴らしい!

昼前に岡谷駅到着。岡谷駅内にはコンビニがあり、ここなら「呑み鉄」用のお酒を仕入れられると楽しみにしていたのですが、岡谷駅に着いてみると「無人販売所」なのでアルコールの販売がなく、諦めきれない私は駅を出てコンビニ・酒屋を探しますが、残念ながら今回も呑み鉄は叶わず。やっぱり、ローカル線の旅の時は持参すべきですね。

何もない…岡谷駅

岡谷駅から乗る飯田線JR東海カラーの列車でボックス席があるので、今回も早めに並んで無事にボックス席を確保。

はじめのうちの飯田線は、秘境感もなく田園地帯を本当に細かく駅に停まりながら走って行きます。ずっと遠くには甲斐駒ヶ岳などの南アルプスの山並みが美しく見えています。

私が無知だっただけなのですが、飯田線ディーゼルではなく全区間で電化されていることに正直衝撃を受けました。こんな山の中でも、電化されているのですね!?

鼎駅。この駅名も時刻表を見ていて激しく憧れていた駅。でも、実際に見て見ると特に何と言うこともない普通の駅ですね。

沿線には桜が満開に。「これなら、高遠も咲いてるんじゃない?」と降りてみたくなりますが、ここはウエザーニュースの開花情報を信じることにします。

全部で6時間の飯田線の約半分の3時間経ったところで、この列車の終着駅天竜峡駅到着。すぐに向かいに停まっている豊橋行きに乗り換えますが、鉄ちゃん客は皆走って乗り移り、進行方向右側のボックス席を確保するので、走れずに出遅れた私は明らかに鉄と思われる人の向かいにちょこんと座ることに。そしてここからが飯田線のハイライト。進行方向右側に天竜峡の素晴らしい眺めが展開します。

本当に素晴らしき天竜峡の眺望。

そしてここからが飯田線の本領。「秘境駅」と呼ばれる駅が続くのです。秘境駅とは、山奥や原野といった人里離れた秘境にあり、列車の停車本数が少なく、列車以外ではアクセスも難しい駅のこと。ここからは鉄ちゃん垂涎の全国でも有数の秘境駅の続く区間なのです。秘境駅千代駅金野駅の次は、絶壁の駅と呼ばれる田本駅。”してぐり”と読む為栗駅。全部秘境駅として有名な駅。

でも、列車の中から眺めるだけでは、秘境駅の魅力はわかりません。いつかは降り立ってみたいと思うのですが…

秘境駅中井侍駅を出ると、長野県を後にして飯田線静岡県に入ります。静岡県最初の駅も秘境駅である小和田駅。この駅、”おわだ”ではなく”こわだ”と読むのですが、現天皇陛下ご成婚の時にはメチャメチャ取り上げられた駅です。

このあたりまでで飯田線の秘境区間は終了。窓に噛り付いて景色をずっと眺めていた私も、少々疲れてしまいました。ウトウトしていると相変わらず駅にはこまめに停まるものの、平凡な田園風景が続きます。愛知県に入る頃には通常の近郊列車の眺めとなり、列車も混雑してきて飯田線らしさと言えば兎に角都内の私鉄並みにちょこちょこと駅に停まることだけ。18時を過ぎて6時間に渡る飯田線の旅は終了。本当に楽しい6時間で、念願の飯田線を満喫できました!
豊橋駅でのお楽しみと言えば「豊橋カレーうどん」。昨年、九州からの帰りに豊橋に泊まった時にすっかりその魅力にハマり、今回も飯田線と並ぶ旅のメインに据えていました。駅前の名店にて味わったのは、カツ乗せの豊橋カレーうどん。今回もとっても美味でした!

豊橋からは青春18きっぷが使えない新幹線こだまで帰宅。とっても楽しい1日の旅でした!

 

その4:孫と鉄旅(4月4日実施)

 

私には孫が3人います。7歳の男の子と5歳・3歳の女の子で、孫の前ではご多分に漏れず私も毎回甘々ダラダラの”じいじ”ぶりを発揮しています。長男はありがたいことに電車好きで、じいじと共通の趣味があることはとても嬉しいことで、今までも鉄道博物館などに一緒に行ったことはあるのですが、一緒に鉄旅をしたことはなかったので、春休みを利用して鉄ちゃん2人で初めての鉄旅を楽しみました。
今回の日帰りの鉄旅は新幹線、SL、西武特急を楽しむコース。結果的に3月以降に行ったところばかりなので、何となく3月の旅行が今回の下見のような格好になりましたが、じいじとしては孫の前で迷ったりする不格好な姿は見せたくないので、下見をしておいて良かったというのが正直なところ。
集合は朝の東京駅。今年から2年生になる孫は、大きなカメラを持って登場。母親(=私の娘)は数年前に一念発起して会社員からカメラマンに転職したのですが、その母親から借りた本格的な一眼レフカメラのようです。新幹線ホームに上がった途端に様々な新幹線が発着するので、いきなりその風景に釘付けになる孫。

最初は、上越新幹線「とき」にて熊谷まで。東京~熊谷までの沿線は最近乗ったし勝手知ったルートなので、知識豊富なじいじを目指して孫にさまざまな蘊蓄を語ります。でも、孫は聞いているのかいないのか… 熊谷駅で新幹線を降りると、孫は早速写真撮影。じいじ(私)は呑み鉄ですが、孫は早くも「撮り鉄」ぶりを発揮。

秩父鉄道の駅でも、早速あちこちでパチパチ。

今日のメインイベントは秩父鉄道のSL「パレオエクスプレス」。

SLは新幹線はおろか各駅停車よりもさらに遅いので、孫は「SL、のろ~い」と再三愚痴っていましたが、甘々のじいじがたくさん買ったお土産の鉄道グッズとお菓子をたらふく食べながら、時折車窓にカメラを向けています。

途中の長瀞駅でもSLと駅員さんをパチリ。

SLの旅は御花畑駅まで。歩いて西武秩父駅まで移動し、西武秩父駅のフードコートでお昼を食べ、デザートにはじいじお薦めのいつもの「みそポテト」。

孫にも武甲山の山容は印象的だったようです。

その後、孫の両親と二人の妹にお土産を買い、西武特急ラビューに乗り込みます。

池袋駅で孫を母親に引き渡して、今回の鉄2人の初めての旅は終了。
次は大井川鉄道? それともリニア? 爺鉄の夢はどんどん広がります!

 

紀伊半島一周の旅

青春18きっぷを利用した2024年春の鉄ちゃん旅最長の旅は、2泊3日での紀伊半島一周。とはいえ、紀伊半島はかなり大きいし各駅停車での紀伊半島一周は本数も少なくかなり大変なので、青春18きっぷの利用は最初の紀伊半島の玄関口である名古屋までの利用だけで、翌日の紀伊半島周遊には特急を利用したので、「青春18きっぷの旅」とはとても言えないため、単に紀伊半島の旅としてレポートを記します。

 

1日目:3月18日(月)

 

この日は青春18きっぷを使って紀伊半島の入り口である三重県松阪市までの旅。でも普通に東海道本線の各駅停車で名古屋を経由して松阪まで行くのはあまりに面白くないので、私が一度も乗ったことがない塩尻~名古屋の中央西線を乗りつぶすことをメインに、中央線を全線乗車することをこの日のテーマと決め、朝早く中央線の始発駅東京駅に降り立ち、旅のスタート。

最初の高尾駅までは中央線快速列車で1時間の旅。この中央線快速にも2024年にグリーン車が導入されるらしく、導入されれば是非乗ってみたいと思っているのですが、この3月の導入ではなく今年秋以降の導入のようなので、この区間は何の面白みもなく乗り慣れたロングシートにちょこんと座っての1時間。中央線快速には昔からよく乗っているとはいえ、実は高尾まで乗り通した経験はあまりなく、当然と言えば当然なのですが、周辺の通勤・通学の乗客が乗ってきては降り、何度も何度も入れ替わるさまが何故かとても面白く、外の風景ではなく周囲の乗客から彼ら彼女らの人生を空想して楽しんでいました。(決して変質者ではありませんので、念のため)

高尾からはようやく青春18きっぷの旅らしくなります。やってきた各駅停車は旅情あるボックスシートがある電車で、贅沢にも1人で4人用のボックス席を独占して窓からの景色を楽しみます。すぐに神奈川県に入りますが、すぐ近づく相模湖は視界が広がることもなく、あっという間に見えなくなって写真が撮れなくなるのは以前の旅でも経験済み。この区間の各駅停車に初めて乗ったのは昭和48年、中学3年の時友人と2人でカメラを持って甲府に昇仙峡を見に行ったのが最初です。そんなおよそ50年前のことを回想しながらの旅。あの時一緒に旅したM君、中学を出てからは一度も会っていませんが、今どこでなにしているのでしょうか…?
大月駅、特急列車に抜かれた向こうのホームには富士急行線が見えています。そのうちに乗りに行きたいとは思うものの、今は外国人ばっかりなのでもう少し円が上がって(戻って)外国人観光客の数が落ち着いてからにしようと思っています。

中央線らしい山並みがきれいに見えています。こんな景色が、見たかったんです!

東山梨駅、ようやく富士山を見ることが出来ました!唯一真っ白い帽子を被り、四方の山を見下ろすその様は、やがり”日本一の山”ですね!

その他も、この区間の山並みをのんびり見られて満足。中央線で来て、正解!

甲府では乗り継ぎ時間も短いため慌ててホームを移動しますが、次に乗る松本行きは甲府まで8両ぐらいあった列車の乗り継ぎ列車が半分の4両ぐらいに減ってしまったため、大混雑。旅情の全くないロングシートのほぼ全ての座席が埋まっていて、結構立っている人もいます。本来なら八ヶ岳が見える右側のボックスに陣取り、アルプスの山並みを楽しみたいと思っていたのですが叶わず、ようやく見つけた左側の優先席に何とか座り、旅情少なめの旅。その後降りる人もあまり多くなく、山並みも諏訪湖もゆっくり見ることはあんまりできずに中央線の中間地点である塩尻に到着。

塩尻からは未乗の中央西線。このあたりの区間は自家用車では何度も走っていて、時折すれ違う列車を見るたびに「いつかは乗ってみたい!」と思っていたものです。その何度かすれ違った普通列車と同じデザインの列車の座席は、ロングシートではなく進行方向を向いているので、景色を見ながら旅情を楽しむにはよい配置。因みにここからはJR東海の運行になります。

塩尻からの中央西線木曽路木曽川に沿って山深い地域を走ります。塩尻から並走する国道19号線を走り、奈良井宿に行ったのは2015年。その時には、その後に上高地に行ったことをとても懐かしく思い出しました(その時の投稿はこちら)が、列車は奈良井駅に停まった後、奈良井宿はあっという間に通過してしまいます。
旗挙八幡宮も一度は行ってみたいとずっと思っている史跡。何故か親近感を覚える木曽義仲の時代をいつかは偲びたいと思っているのですが、鉄道の旅では「ここにあるのかぁ~…」と認識するのが精一杯。

「木曾路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。」この有名な島崎藤村の夜明け前の冒頭がこの景色を見ると、”その通りだなぁ…”と思い出され、藤村の表現力に改めて感服します。決して藤村ファンではない私ですが、この名作を読んだ中学(もしかしたら高校?)時代を思い出します。

中央西線は本当に木曽川に沿うように走ります。このあたりは木曽川の水量の多いところなのか木曽川に作られたダムなのでしょうか…? 確認できないままに列車は先を急ぎます。

この列車の終着駅は中津川。ここで中央西線のローカル線の旅が終わり、ここからは名古屋近郊の快速列車の区間です。

長い中央線の最初と最後の区間が同じような都市近郊の快速列車なのが何となく不思議な感じです。ロングシートで然程旅情は感じられないのですが、見たことがない景色を楽しみます。

瑞浪、多治見、高蔵寺など一度は降りてみたいと思っている街を通過、特に多治見は何故か昔から時刻表上で親しみがある町なので、次回こそ降りてみたいと思います。高蔵寺愛知万博の会場へのアクセス駅として覚えた駅で、この駅ではその時の仕事を思い出しました。(因みに、結局愛知万博には行けませんでした。)名古屋に近づくにつれてだんだんビルも多くなり、定刻通り16:37に名古屋駅到着。

この日の泊りは松阪市に設定しているので、名古屋から後1時間ローカル線に乗る必要があります。JRはやや遠回りなルートなので時間が掛かりすぎるし、JRを走って途中伊勢鉄道を走る「快速みえ」に乗ってもJR以外の乗車券代が掛かるようだし、おまけに次の「快速みえ」の出発は1時間後で、何となく旅情は味わえそうにないし… と考え、急遽昔から憧れていた近鉄特急に乗ることにして、急ぎ近鉄駅で間もなく出る特急の指定券を購入。

30分に一本程度出ている有料の近鉄特急ですが、その利用者の多さにはちょっとビックリ。私の横の席はずっと空いたままでしたが、前の座席は四日市と津で乗客が降り、そのたびに次の乗客がその席に座ります。つまりたった1時間で3人の乗客が1つの座席を使うなんて関東圏の有料特急ではちょっと考えられない運用ですね。近鉄特急の1時間はそんな意味でもとっても新鮮な1時間でした。

松阪に泊まった理由は、松阪牛ならぬ松阪鶏を楽しむため。松阪には2019年夏に台風の前日に泊まり、松阪牛回転焼肉を楽しんでいます。(その時の投稿はこちら)今回は、松阪牛を食べるまでの予算がなかったのと、鶏肉が苦手な妻と一緒の時には絶対に食べられないだろう隠れた名物の「松阪鶏」を楽しむための宿泊です。東横インすぐ近くの「だるまや」が目星をつけていた店。

1人なので予約はしていなかったのですが、カウンターの最後の1席に何とか座ることが出来ました。その後も何組かの方が来店され、入店できずに諦めてトボトボと帰っていかれました。流石は、人気店ですね!

網で焼き、味噌だれで食べる松阪鶏はとってもまいう~!

想像したよりしつこくなく、鶏の味を引き立ててくれます。鶏焼肉を堪能して、最後は「お店の名物」と書かれたカレーまで食べてしまいました!

2日目:3月19日(火)

 

この日は紀伊半島周遊の日。紀伊半島はとっても大きいので各駅停車でのんびりと走ったのではとても1日では回り切れそうにないため、今日は特急列車を乗り継いで紀伊半島反対側の和歌山駅までの旅。最初に乗る予定の特急南紀号は松阪駅9時過ぎの出発なので、その時間まで東横インでのんびりしていてもいいのですが、恐らく早く目覚めてしまい朝から時間を持て余すであろうという自分の予想通り7時には朝食も食べ終わって暇になってしまったため、7時半には宿をチェックアウトして、特急の時間まで1時間強の松阪市のぶらり散歩。松阪市内は、前回の訪問時に観光をする予定でしたが、その際には台風で市内観光どころではなかったのですが、事前に見どころをいろいろと検討したことを何となく覚えています。この日も数時間あればゆっくりと市内を見たいのですが、1時間強なので本当にただ歩くだけで終わってしまいそうです。

最初に見えたのは松阪牛の名店「和田金」。前回、松阪牛を食べるならここかなと眼をつけていたのですが、流石に真夏のすき焼きには食指が動かず、訪問を見送ったお店。

そのすぐ先には三越のライオン像の原型が。かって三井大豪商の屋敷があり、「豪商のまち松阪」の入口&シンボルだそうです。

朝の散歩のゴールと決めていたのは松阪城址の入口。中には入らずに今度は別の道で駅までのんびりと戻ることにします。

本居宣長の宮と記念館もあります。勿論記念館を見る時間はありませんが、記念館を見ても本居宣長国学の研究なんて何にもわからないでしょうね…

御城番屋敷 ここだけはのんびりと見たかったのですが、この日は火曜日で定休日なので見学は叶いません。和田金の松阪牛とともに、3度目の目標ですね。

約1時間半の散歩を終え、松阪駅へ。定刻通りに名古屋から走ってきた特急南紀号の指定席(勿論海側!)に乗り込みます。

JR東海の特急南紀号、最初の1時間以上は海沿いではなく田園風景と山岳風景の中を走ります。途中「紀伊長島」の名前を聞いたので、「紀伊、え~もう和歌山県なの?」とかなり驚いたのですが、この紀伊長島は”紀伊”といえどもまだ三重県なのだそうです。紀伊半島の地理は、和歌山県飛地があったり奈良と3県の県境が微妙に絡まり合ったり、素人の私には理解が難しそうです。

紀北町のあたりからようやく海が見え始め、熊野からは期待通り海沿いを走ります。

この辺りからは線路と国道42号線とが海沿いを交互に走り、過去2回のドライブでも「次は列車でのんびりと海を眺めたい」と念じながらハンドルを握っていた場所。

新宮で三重県から和歌山県になり、JR東海からJR西日本に移った次の停車駅がJR東海の特急南紀の終点である紀伊勝浦。次に乗る特急列車まで約2時間あるので、紀伊勝浦の駅前をとぼとぼと漁港まで散策してみます。

港の先には2015年に左手をケガして色々と大変だった思い出の宿「ホテル浦島」が見えています。(その時のブログはこちら)懐かしい~!

漁港の市場でお昼を食べるつもりでいたのですが、何と市場は定休日のようです。残念!

仕方がないので、駅と漁港の道にあったマグロ専門店「竹原」に入り、マグロ定食@1,650円也をいただきます。

でも、このマグロ、流石にマグロの町である那智勝浦、本当に旨かったぁ~!

まだ次の列車までは時間があったので、駅前のレトロなお土産屋さんに入り、私の大好きな「那智黒」をはじめいくつかのお土産を3月まではまだ籍がある職場に送ります。この旅行の翌日に私の送別会をしてくれるとのことなので、最後に職場に行くためのお土産です。

紀伊勝浦駅で特急列車を待つ間に印象的だったのはこのポスターがまだ残っていたこと。訪れた1週間前にすぐ近くの串本で打ち上げに失敗して打ち上げ後すぐに爆発してしまったロケット… その時のニュースの記憶がまだ生々しかったので、このポスターを涙なしでは見られませんでした。次回こそは成功しますように!

次に乗るJR西日本の特急くろしお号は沿線の目玉南紀白浜のパンダをイメージした特急列車。

今回も進行方向左側の指定席に陣取り、目に前に広がる太平洋の景色を堪能します。

沿線には過去の旅で立ち寄った太地、串本などの懐かしい地名が続き、とっても嬉しい時間だったのですが、列車から見えるかなぁと期待していた橋杭岩は、残念ながら見えませんでした。これらの写真は特急列車内で撮ったものですが、この海の近さ、感じていただけますか!? 

紀勢本線はやっぱり素晴らしい!

沿線の観光中心駅南紀白浜で殆どの乗客が入れ替わります。この特急は新大阪行きなので、白浜で温泉とパンダを満喫したファミリー客でほぼ満席となり、車内は関西弁と笑い声でかなり騒がしくなります。紀伊田辺、御坊などの懐かしい名前と景色を楽しみながら16時過ぎに予定通り和歌山駅に到着。
和歌山に降り立って宿泊を決めた目的は、自分的に大好きな「和歌山ラーメン」を満喫するため。まずは和歌山駅から市内をトボトボと歩き、一度は食べてみたかった和歌山の有名店「井出商店」を目指します。

5時過ぎなので人気店と言えども井出商店には行列はありませんでしたが、空席は1席しかなく最後の空席に何とか滑り込みます。 井出商店を食べるのは、新横浜のラーメン博物館以来凄く久し振りでしたが、やっぱり旨い!

店を出るタイミングでは、数組の待ち客の姿がありました。
和歌山駅前のホテルとビジネスホテルの中間のような宿に投宿。中途半端な時間にラーメンを食べたので何となく居酒屋などを探す気にもなれず、ホテル内のレストランでチキン南蛮定食のご飯を食べずにおかずだけをビールで流し込んで夕食としました。

3日目:3月20日(水)

 

この日は朝食も食べずにホテルの部屋でのんびり。その理由は10時の開店を待ってもう1つの人気店での和歌山ラーメンを食べるため。それでもあまりに暇すぎたので、小雨と強風の中和歌山駅まで行ってみますが,、何故か駅中が騒然としています。どうやら強風のため紀勢本線の一部列車が運休になっているようです。私の予定にはあんまり影響がないとはいえ、何となく嫌ぁ~な予感がしました。
10時まで時間を潰し駅前の近鉄デパートに10時に開店と同時に入店。目的は、このデパートの地下にある和歌山ラーメンの名店「清乃」の支店に行くため。はじめてのデパートなので地下へ降りてからお店まで少々迷いましたが、何とか3人目で食券を買うことが出来ました。

でも、食べ終わって出るときには行列が…

名店、清乃… 2019年にも本店に何とか行きたいと様々検討し結局諦めた経緯がある憧れのお店。はじめての味は… やっぱり大好きな和歌山ラーメンのNO1を井出商店と争うとも噂される通りとっても美味。駅前のデパートにこんな美味しいラーメン屋さんがある和歌山市民が本当に羨ましくなりました!

この日は関空発の午後のフライトをマイルで取っているので、フライトの時間まで時間はたっぷりあるのですが、雨と風で何もしたくないような天気です。とりあえず鉄ちゃんとして一度も行ったことがない南海の和歌山市駅に行きたいと思い、バスで和歌山市駅に向かいます。途中、和歌山城が見え一瞬降りようかとも思ったのですが、この悪天候ではお城の散策もできないので降りても仕方ありません。初めて見る和歌山市駅もあまり時間をつぶせる場所もなさそうなので、停まっていた南海電車につい乗ってしまい関空を目指すことに。

(南海)和歌山市駅 この時は小雨でも晴れていて、強風!

2000年(頃)に仕事で来て以来の関空は大混雑。とりあえずどっかに座って軽く腹を満たしたいと思っても、レストランもフードコートも大混雑。仕方がないのでりんくうタウンまで1駅戻り、フードコートで本場であろう(=絶対旨い)ことを信じ買ったタコ焼きを食べていると、JALからメールが入ります。「強風で飛ばないかも。飛んでも羽田で降りられずに関西に戻るかもしれません。」

とりあえず関空に戻ろうとすると今度は関空行きの列車ダイヤが強風の影響で大幅に乱れていて、次の電車はいつ来るのか? という状況。それでも何とか関空まで行けて、何とか飛び立ったJALは何とか羽田に降りられて、”やれやれ”と安堵したのですが…
この日の悲劇は最後の最後に。自宅まで帰る宇都宮線に乗っていると、隣駅蓮田駅で「強風で利根川の橋を渡れないため、運転を見合わせます。」とのこと。隣駅まで歩けば1時間半ではありますが、結構疲れているし駅前にはタクシーも見つかりません。仕方なく動き出すのを待っていて、結局1時間半後に宇都宮線は動き出したのです。
こんなことなら、すぐに歩き始めておけば良かった… 朝、和歌山駅で感じた不吉な予感が、ここまで戻ってきて現実になるなんて思ってもいませんでした!

 



 

「只見線+α」の旅

退職して青春18きっぷで乗りたかった路線と言えば、何と言っても只見線です。
只見線… 40年以上前の大学生時代には大好きだったローカル線で、当時は夏と冬に毎年2回は乗りに行っていた記憶があります。確か大学2年と3年の時には、試験が終わり冬休みになってすぐに只見線に乗りに行き、そのまま北海道に流氷を見に行ったという何ともハチャメチャな旅をしていたものです。
今では「乗り鉄」という便利な言葉がありますが、当時そんな言葉はなく、「列車に乗りに行くのが好きな鉄道ファン」として周囲の友人たちにも認識されていた私は、「どこのローカル線が一番好き?」とよく聞かれたのですが、当時の答えはほ決まっていて、「五能線只見線と湧網線(廃止になったサロマ湖岸を走るローカル線)」と回答していたものです。それだけ、只見線には特別な思い入れがあったのです。
そんな只見線ですが、会社員になってからは一度も乗りに行く機会がなく、そのうち災害での不通が10年以上にも及び、「もう、只見線に乗りに行くことは無理なのかも…」と諦めていたのですが、2022年に奇跡的に10年以上振りに復活! すぐにも乗りに行きたいと思ったのですが、復旧後の只見線人気は凄いらしく、座れないどころかラッシュアワー並みの混雑という報道もあり、「4時間を超える只見線で、立ちっぱなしは流石に嫌だなぁ~!」と考えていたため、すぐに乗りに行くことは諦めてしばし様子を見ていました。
このたび退職することになり、青春18きっぷを使ってローカル線に乗りに行こうと決めてからは、「まずは、混雑は怖いけれど長年の恋人である只見線には絶対に会いに行こう!」と決めてプランニングに入りました。白岡を朝早く出て上越線経由で各駅停車を乗り継げば、1日3本しかない小出発の只見線全線を行く列車に乗れ、会津若松・郡山を経由してその日の最終列車で白岡に帰る究極の日帰りも可能だし、お金はかかるものの郡山から新幹線を使えば早めに自宅には帰れるのですが、折角なので郡山に1泊して、翌日に水郡線水戸線乗りつぶして水戸であんこう鍋を食べよう! と、決め最初は3/12発に決めて郡山のホテルを予約したのですが、その後3/12は全国的に天気が崩れるとの天気予報を受け、天気が良さそうな3/14(木)に出発日を変更します。「こんな風に融通が利くのも、退職後の自由な身分だから… やっぱりいいな!」と自己満足していたのですが…

 

1日目:3月14日(木)

 

40年振りの恋人である只見線に会いに行くこの日。只見線福島県会津若松新潟県の小出の間の豪雪地帯を約4時間半かけて走る列車ですが、どちら発でも直通列車は1日に3本しかなく、関東からの始発では絶対に間に合わない早朝発の列車を除けば景色が楽しめる昼間発の列車はそれぞれ1本しかありません。ネット上のブログや旅行記などでは会津若松発の列車のレポートがかなり多いようなので、混雑を避けるためにも私は小出から会津若松を目指す逆ルートを選択。40年以上前に只見線から北海道を目指した時にも小出からのルートを選択した記憶があるので、自分的にも馴染みがあるルートです。
自宅のある白岡を朝に出て、大宮からは高崎線で高崎まで、高崎からは上越線で水上へ向かいます。水上が近づくと流石に雪景色が現れ、長岡行き各駅停車に乗り換えます。

水上からはスキー客や観光客中心で「国境の長いトンネル」に入ります。この清水トンネルの前後には鉄ちゃん的には大いに興味深い湯檜曽・土合・土樽の各駅やループ線などもあるのですが、今日のメインは只見線なので各駅などを眺めるだけで先を急ぎます。

越後湯沢・石内・上越国際などスキー場として名高い駅を通り、スキー場が近いらしい雪景色を楽しみます。

11時12分に小出駅到着。只見線の出発まではまだ2時間あるのですが、関東方面から青春18きっぷを使って只見線に乗るためにはこの列車で来なければならず、そう考えると「この列車で小出駅で降りる旅行者風の人」=「2時間後の只見線に乗る旅行者」だと思われ、この列車で降りる人の数で只見線に乗りそうな人の数(混雑度合い)が判るのですが、降りた人は20~30名程度。2両編成の窓際席の争奪戦は避けられそうにはありませんが、どうやら「座れないほどの混雑」にはなりそうになく、一安心。

只見線出発まで2時間あるので、降りた旅行者は各々駅付近の散策に出かけるようです。私も駅周辺を散策、計画時には「唯一ある駅前食堂でランチ」とも考えていましたが、この日は何故か昼食を食べる気分でもなかったので、駅前をブラブラ。

只見線の発車は13:12で、駅員さんに只見線は何時にドアが開くかを尋ねたところ、12時50分頃とのこと。待合室で待っていたのですが、特にすることもないし天気も悪くなかったので、12時10分ごろにはホームに行きホームの椅子で待つことにします。只見線は2両編成、赤い旧型車両と八高線などと同じ白地に緑の最近の車両の2両なので、私は後ろの車両の入口前の椅子にぼんやり座っています。

すると、若い鉄ちゃんではなく私より年配らしい女性2人と男性1人がその後に並び、その後は全く見ず知らずの4人で列車のドアが開くまで鉄ちゃん談義が始まります。高崎からの男性と神奈川からの女性は私と同じく青春18きっぷを利用、東京からの女性はキュンパスを使っての只見線の旅だとかで、ドアが開くまでの数十分の間、「あのローカル線は良かった」などで話が盛り上がり、全く退屈しないで済みました。学生時代の汽車旅では見ず知らずの乗り合わせた人と様々情報交換するのが常でしたが、こんな情報交換なんて何十年振りだったでしょうか? とっても嬉しい数十分でした。
予告通り12:50頃にドアが開き、我々4人は無事に希望の席を確保することに成功!「只見線の座席はどっちがいいか?」については、様々な意見が分かれるところで多くのブログなどでも「どっちでも、ほぼ一緒。」という「どっちでもいい(素晴らしい!)」という意見が大半を占めるようですが、40年前の私の記憶では「田子倉ダムが見える(小出発)右側の方が好き!」だった記憶があったのと、我々が乗る車両は、右側が1人席の向かい合わせで左側が2人席の向かい合わせなので、混雑するであろうことを考えると、右側の一人席の方がいいということで、私は右側の一人席を無事に確保。その後、只見線出発までの間に上越線の列車が上下2本小出に停車して、何人かの方が只見線に乗り込んできたもののその数は思ったより多くはなく、最後まで座席が満席になることはありませんでした。(私の向かいの席は、終点までずっと空いたままでした!)
13時12分に只見線は定刻通り小出駅を出発。」小出駅を出てすぐに鉄路は右に大きくカーブを切りすぐにやや大きな川を渡るのですが、「この景色、浅草駅を出てすぐに墨田川を渡る東武線みたいだなぁ~!」と毎回思っていた大学生だった自分の40年前を思い出しました。

私が尊敬してやまない紀行作家である宮脇俊三先生は、いつも景色のいい列車に乗るとその興奮を「ゾクゾクする」と表現されていましたが、今日の只見線では発車から1分以内で魚野川を渡りながら、もうそのゾクゾクが体全体に現れます。私の視線は車窓に釘付けになり、30分前にあれだけ話した3人の鉄好きな方々のことなど全く視線に入りません。(その3人も別々のボックス席で鉄ちゃんらしく食い入るように車窓に噛り付いていました。)

只見線の車窓はあっという間にそのハイライト区間に突入します。ここでここ只見線ではどうしても「呑み鉄」がしたかった私はわざわざ埼玉の自宅から持参したお酒とつまみを取り出し、念願の呑み鉄を開始!

呑み鉄本線只見線旅!

その時の私の頭の中では、呑み鉄の先達である六角さんの曲「只見線のうた」のメロディーが何度も何度もリフレインされています。”奥会津のライフ~ライン、その名も、只見線。”というフレーズ、只見線に乗りたくて乗りたくてその「呑み鉄本線日本旅」の回を何回も繰り返し観たので、その時に流れた曲の印象的なフレーズをすっかり覚えてしまったようですね。

只見線は我々にその変化に富んだ車窓を見せながら、コトコトと着実に走って行きます。時折、駅には停まりますが途中駅で対向列車とすれ違うこともありません。

それにしても3月中盤なのに、本当に雪深いですね。でも、この雪深さが只見線廃線を救ったという側面もあるので、これらの豪雪には感謝しなければいけませんね。

大白川駅から只見駅の間は駅間20キロを超え、北海道以外では珍しい長距離区間。この辺りは記憶では私が一番好きだった区間だったかもしれない区間

この辺りには、昔確か田子倉駅という駅があったようですが、駅の跡地は見つけられませんでした。(反対側だったのかな?)

田子倉湖(ダム)。「40年振り!元気だった!?」と懐かしい旧友と会話。

新潟県から福島県に入ります。只見駅も40年振り。降りたい衝動に駆られますが、我慢・我慢。

最高のつまみである只見線の車窓風景をお供に、持参した日本酒2本(2合)を早々に飲み干してしまいましたが、これ以上は酔っぱらって寝てしまいそうなので、ここからは車窓に集中。

車窓をパチパチとシャッターを切り続けます。(下手な写真ばっかりですが)

大学3年生の秋、友人2人と只見線に乗りに来て、確かこの付近に泊まって翌朝に線路を1駅歩いた時の記憶が蘇りました。鉄橋の上を歩いていたら列車が近づいて来て大いに慌てたことも懐かしい想い出です。当時は線路をを歩くことも結構多く、警笛を鳴らされたこともかなり多かったのです。

福島県に入ってからは「会津〇〇」という駅が多くなります。ここ会津川口ではじめて対向列車とすれ違い。どうやら会津若松発の大半の方の旅行記やブログに書かれたあの列車のようです。乗客も鉄っちゃんもあっちの方がやはり多い感じです。ずっと好天でしたが、ここにきて天気予報通り雨が降っています。

会津宮下駅。このあたりが一番雪が深かったような気がします。小出駅で話しをした女性一人がこの駅で降りて行かれました。

会津柳津会津坂下など40年前には大いに馴染みがあった駅名を通り過ぎ、ややうとうととし始めたころ、徐々に雪が消えはじめて、いつの間にかすっかり雪がなくなっています。

17:24に時刻通り会津若松駅到着。40年振りの只見線の旅、本当に最高でした! ちょっと無理すれば青春18きっぷで2000円ちょっとで来られるのですから、また夏にも乗りに来ようと思いました。
会津若松をすぐ出る快速列車に乗って郡山まで。快速は混雑している上にもう夕景で車窓風景は楽しめないので、小出駅で知り合った女性1名と隣り合わせてよもやま話をしながら約1時間の列車の旅。郡山からはキュンパスを使って新幹線で帰る女性の家は私の職場だった飯田橋近くのようなので、ご近所話で盛り上がりました。
郡山駅付近のビジネスホテルにチェックイン。夕食は近くの居酒屋にて。私の大好きな「ほや」。1983年に仙台に赴任してすぐに大好きになったほや、当時は夏にしか食べられず、仙台では「夏はほや、冬はカキ」が酒飲み定番の合言葉でした。

〆は「ホルモンうどん」。「郡山に来たら…」と書いてあったのですが、名物なのでしょうか?

翌日は朝の水郡線に乗って水戸へ行き、水戸であんこう鍋を楽しむ予定でした。

 

2日目:3月15日(金)

 

熟睡中の12時過ぎに突如携帯が大きな音で鳴り始め、飛び起きます。携帯の爆音は「緊急地震速報」で、目覚めた瞬間から凄い揺れです。本当に身の危険を感じた瞬間で、揺れはさほど長い時間ではありませんでしたが、「結構ヤバいかも…」と思い、すぐにTVをつけたところ、どうやら震源地は福島県沖で最大震度5弱だったのはどうやらこのあたりのようです。宿泊しているビジネスホテルではすぐに館内放送が流れ、最初は「全員、ロビーに降りて来て!」的なアナウンスだったのですが、服も着なければ降りられないのでどうしようか迷っていたところ再度アナウンスがあり、「余震の可能性もあるので、心配な人だけ降りて来てください。但し、エレベーターは止まっているので、降りるのは階段で。」というので、30分程度様子を見ていましたが、どうやらその後は地震はなさそうなので、そのまま眠りにつきました。
朝、普通に起きて昨晩コンビニで仕入れておいた朝食を食べ、早めにチェックアウトして駅に向かおうと思ったら… 何とエレベーターはまだ止まったままです! 10階以上あるビジネスホテルでしたが、幸いにも2階だったのでとりあえず階段でロビーまで。ビジネスホテルと言えども、いつもは高層階にアサインされると嬉しくなり、昨日のチェックインの時には「2階かぁ…」と、ちょっとがっかりしたのですが、この時だけは本当に「2階でよかった!」と喜んだものです!
駅まで行き、駅のエスカレーターは動いていて喜んだのも束の間、何と郡山発着の在来線は動いていないようです!

今日乗る筈の水郡線も、真っすぐ帰るとしても利用する東北本線も動いていません。7時15分発の水郡線に乗るべく7時前に駅に行ったのですが、8時頃まで約1時間待っても水郡線はおろか東北本線も動き出しません。様々な情報が錯綜して何が正しいのか判断が難しく、「どうやら午前中は動かないらしい」といった情報もありましたが、確かにあと30分程度で水郡線が動くとも思えず、どうやら今日の水郡線と水戸のあんこうは諦めるほかはなさそうです。東北本線はまだ動き出してはいませんが。どうやら新幹線は動いているようなので、今日の青春18きっぷでの旅を諦めてとりあえず宇都宮までの新幹線特急券と白岡までの乗車券を買い、新幹線ホームへ。新幹線も遅れてはいましたが、在来線とは違い何とか動いています。

久し振りに各駅停車タイプの「やまびこ」に乗りました。昭和57年の東北新幹線開業の頃には「ひかり」タイプの早い列車が「やまびこ」で、「こだま」タイプの各駅停車は「あおば」という名前の新幹線でした。昭和61年に仙台で娘が生まれた時、名前を「あおば」にしようかと一瞬考えましたが、”おばちゃん”と呼ばれてイジメられることを恐れて、”あおばちゃん”を断念した記憶が蘇りました。しかし、現在の各駅停車のやまびこは、こだま並みに各駅で高速列車に抜かれて行くので、本当にノロノロです。

宇都宮で降りたのは、この日の目的を急遽宇都宮の新しい鉄道LRT(ライトレール)乗車に切り替えたため。繁華街や餃子の像などとは反対側になる宇都宮駅東口は大規模な再開発が終わってかなり立派になっています。その東口にできたLRTの乗り場には黄色と黒のタイガーカラーの格好いいLRTが停まっています。

平日の9時過ぎなのにLRTはほぼ満席。4人掛け席の4人目として何とか座席を確保し、車窓を楽しみます。片道約50分ですが、最初の15分は街中を走りその後は田園地帯を。

最後の15分は工業団地の中を走り、終点も工業団地の中。

LRTは大半が専用軌道を走るようですが、交差点では信号で停車します。往復全行程共降りる人も乗る人も多く、平日の昼にこれだけ乗客が多ければ経営は安心な気がしました。なお、終点で折り返し列車にそのまま乗った明らかに鉄ちゃんと思われる方は私以外には2名だけで、思いのほか地元民の宇都宮駅以外の区間乗車が多かったことも意外でした。

まだお昼前ですが、宇都宮と言えばやっぱり餃子。東口には昔みんみんの支店がありましたが、今では風景が一変しています。でも新しくできたビルの中にもみんみんの店舗があるらしいので、11:30前に入店し、”ヤキ、アゲ、スイ”の3種の定食を満喫。

焼餃子と揚げ餃子

お店を出るころには、お店には行列が出来ていました。
昼食後はグリーン車で呑み鉄をして白岡に帰ることにしました。

水郡線と水戸のアンコウ鍋は近いうちにリベンジしようと思います。

埼玉県全鉄道路線乗りつぶしの旅<その②>

埼玉県全鉄道路線乗りつぶしの旅第2弾は、3月10日の日曜日に実施。2日目は残った”難敵”の全クリと、県東北部在住の私にはあまり馴染みがない県西部の西武鉄道線を中心にした乗りつぶしの一日です。

 

第2回目:3月10日(日)

 

この日の乗りつぶしのスタート地点は気分的には西武池袋駅なのですが、大宮から乗った「湘南新宿ライン」も大宮~赤羽間は宇都宮線高崎線とは違う線路を走るので、ここも乗りつぶしの対象です。ということで、この湘南新宿ラインを池袋まで乗り通し、この区間乗りつぶし完了してからスタート。
西武池袋駅からは、鉄ちゃん的にも大好きな西武線特急「ラビュー」に乗って西武秩父を目指します。

西武池袋線はしばし東京都内を走り、秋津の先というか所沢の手前で埼玉県に入るのですが、今回のプランニングで様々地図を眺めているうちに、「都内の東久留米と清瀬の間に、ほんの僅かながら埼玉県内に入るところがある!」ことを発見しました。何となく緊張して埼玉県通過の一瞬を体験しようと身構えていたのですが、県境に印がある筈もなく「何となく、この辺かなぁ~!?」と考えながら、パチリとしてみました。

多分違っていると思いますが、違っていたら大変申し訳ありません!

今日は好天で、特急ラビューからでも富士山がきれいに見えています。富士山が見えてすぐにすぐカメラを構えるのですが、シャッターを押そうとするとラビューは速いので障害物でビューが遮られてしまい、結局富士山のショットは撮れませんでした。
所沢からはまごうことなく埼玉県ですが、このあたりには自分的にも全く馴染みがなく、住宅街が大半の平凡な車窓風景です。
途中駅飯能でラビューはその走る向きを変えるのですが、飯能で車窓の風景も一変します。飯能までは県西部のベッドタウンのイメージが圧倒的ですが、先日乗った八高線東飯能ですれ違うあたりからは、埼玉県にしては珍しい山がちな田舎風景が続きます。

西武線には支線がいっぱいあり、私はあまり詳しくはないのですが各線に様々な路線名がつけられているのですが、飯能までは「西武池袋線」で、飯能からは「西武秩父線」なのだとか。ラビューは定刻通り西武秩父駅到着。ちょっと駅を降りて駅と駅前の雰囲気を眺めます。

秩父のシンボル武甲山。この山を見るたびに「秩父に来たなぁ~!」と気持ちが昂る好きな山です。

西武秩父駅に戻り、これからは今日の前半のハイライトである週末しかない西武線秩父鉄道の直通列車に乗ります。西武秩父駅のホームからは並走するような秩父鉄道の線路と、その先には御花畑駅が見えています。

まずは西武線横瀬駅まで一駅戻ります。

横瀬駅から見る武甲山の存在感も圧倒的ですね!

飯能から来た西武線秩父鉄道の直通急行は、ここ横瀬駅で2つに分割されます。

前方の4両は先に西武秩父まで行き、その後、方向転換して秩父最深部の三峰口に向かいます。

私は前4両の出発を見送った後に、後ろ4両の長瀞行きに乗り込みます。

後ろ4両は西武秩父駅を通らずに途中から秩父鉄道の線路に移り、さっき西武秩父駅から眺めた下の線路を御花畑駅に向かいます。

西武秩父駅。右にはさっき見送った三峰口行きが

懸案の難敵②のその1を無事達成です。秩父鉄道御花畑駅で下車して、次に来る秩父鉄道に乗り込みます。

この列車は、急行料金が必要な珍しい有料急行。有料だけありスピードは速く終点の三峰口まではあっという間です。

終点の三峰口駅

今回もこのあたりの観光はできずにすぐに折り返すのですが、三峰口駅に来ると必ず食べる秩父名物「みそポテト」をいただきます。

ここ三峰口で、さっき横瀬駅で見送った三峰口行きの列車の折り返しを捕まえます。

この列車は秩父鉄道路線内を走り、最後に西武線の線路に戻る西武秩父行き。でも、三峰口駅から乗る人は殆どいなくて、正直直通列車を走らせる必要があるのかは甚だ疑問です。ネットの噂通り、「このままでは廃止も近い」のかもしれませんね。西武秩父駅の直前で秩父鉄道の線路を離れ、2時間半前に出発した西武秩父駅へ。難敵②のその2も無事にクリアです。

西武秩父駅では、お昼代わりに大好きな「みそポテト」をもう1ついただきます。三峰口では250円だったみそポテトが西武秩父では330円。「観光地値段かな?」とも思いましたが、大きさが結構違っていたので値段相応でした。

西武秩父駅から御花畑駅までは私の足でも徒歩で5分程度。次の秩父鉄道まではまだ時間があったので、駅前のお寺さんに参拝。

御花畑駅に戻ると、先ほど長瀞行きだった西武鉄道の列車が回送で停まっていました。計画時にダイヤを見ながら「長瀞発の戻り列車がないなぁ~」と不思議に思っていましたが、こっちは回送だったのですね。

秩父鉄道を今回は寄居まで乗ります。寄居より先は、次回3回目で乗りつぶしする予定。

前回も来た寄居。3路線が集まるターミナル駅なので、今回もそして3回目にも来ることになるのですが、どうやら駅ビルすらなく3路線を繋ぐ跨線橋に各線の改札があるだけのようです。ここからは東武東上線で森林公園経由で川越を目指します。東武線の乗りつぶしは次回3回目で実施予定です。

東武東上線川越市駅で降り西武線本川越駅まで、私の足でも10分以内の散歩。

西武線の中では西武新宿線に圧倒的な親近感を持っている私。幼稚園年少まで(あんまり記憶はないのですが)東伏見に住んでいて、その後も親戚が野方と西武柳沢に住んでいたので小学生の頃から頻繁に乗っていたので、私にとって「西武線西武新宿線」だったのです。でも、西武線って、西武新宿といい本川越といいどうして他の駅とちょっと離れたところにターミナルを作ったのかは、今でも不思議なまま。

これからは埼玉県内にある西武線の支線を乗りつぶし。まずは西武新宿線本川越から所沢を経由して乗り継ぎの都合で都内の小平まで。都内に入ってすぐの東村山の発車ベルは絶対「東村山音頭」だと何故か確信していたのですが、普通のベルで逆にビックリ。その後も都内の西武拝島線から西武多摩湖線を乗り継いで”庭先”の多摩湖まで。因みに、多摩湖駅はまだ東京都です。

多摩湖駅で、ゆりかもめのようなゴムタイヤの新交通システム西武山口線に乗り換えます。20分に1本の山口線、写真を撮ろうと近づいたら発車ベルが鳴り響いたので、思わず飛び乗ってしまいました。隣駅「西武園ゆうえんち駅」からは埼玉県、終点「西武球場前駅」でようやく写真が撮れました!

ここまで来たらやはりドームにはご挨拶を。

試合がない日の西武球場前駅は閑散としていますね。

「日本一を目指す」ライオンズ。埼玉県人として応援はしますが、昨年5位で山川も抜けて目立った補強もないようなので、「日本一」は贔屓目に見てもやや厳しい気がしていますが、頑張れライオンズ!

西武球場前駅から西所沢駅まで西武狭山線に乗り、ここで埼玉県内の西武線全線乗りつぶしは無事クリアになります。

その後は西武池袋線秋津駅で降り、意外と距離があった武蔵野線新秋津駅までトボトボと歩き、武蔵野線北朝霞まで。ここから最後の難敵①のその2である「むさしの号」に乗って貨物線を大宮まで行くのが今日最後のメインイベントなのですが、各路線の乗り継ぎが順調に進みここまで予想より早く来られたので、むさしの号の時間までまだ1時間半もあります。ついては3回目でやる予定だった「和光市駅から都内までの往復」を実行することにしました。朝霞台から東武東上線を埼玉県最後の駅和光市まで。

ここで東武東上線と地下鉄が別れて、次の駅は共に東京都である成増と地下鉄成増なので、まずは地下鉄に乗って地下鉄成増駅を目指します。

地下鉄駅を出て、3分も歩くと東上線成増駅に着きます。

東上線で再び朝霞台の駅まで。これで川越市朝霞台の間は3回目に乗る必要はありますが、とりあえず和光市~成増・地下鉄成増間はクリアになりました、

本日の最後は「むさしの号」の乗車。北朝霞からはノンストップで貨物線を通って大宮駅まで走ります。北朝霞を出たらすぐに貨物線に入り、西浦和はホームがない貨物線で通過。その後、左に折れ新幹線・埼京線の下をくぐります。

トンネルに入って、北浦和と与野の間に出てくるのは、前回のしもうさ号と同じ。今回も感動的な「むさしの号」体験でした。
これで2つの難敵を全て制覇して、いよいよ次回県東部の東武線を中心に乗りつぶせば、埼玉県全路線が達成できそうです!