麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

5、北海道一周の旅<その5:稚内・サロベツ・美幸線のトロッコ>

 
7月10日にこの旅から帰宅してから、「次の旅行までは、まだ1か月あるから…」なんて安心し切ってのんびりとブログを書いていたのですが、のんびりしているうちに8月になり、間もなく次の旅行出発が近づいて来てしまいました!
何とか、北海道の旅行記だけはペースアップして、次の旅までには書き上げてしまいたいのですが… 書き始めるとついつい脱線して余分なことを書いてしまうのが、私のいつもの悪い癖ですね!!

9日目:7月3日(金)

北海道上陸以来、1週間以上ずっと曇天が続いていて、ドライブしながら毎日聞いている北海道のラジオも、「本当に毎日雨で、とっても寒い!」とキャスターさんが毎日毎日呟いています。でも北海道のお天気もようやく回復傾向にあるようで、北海道各地の天気予報ではこの日あたりから晴れマークが大半を占めるようになっています。
この日の天気予報を見ると、大半が晴れで”雨マーク”は広い北海道にたった一か所だけ! ”唯一の雨マーク”は、我々がこれから向かおうとしている「稚内地方」ただ一つです!! 全く、何てツイていないのでしょう!?

「34年振りで夏は初めて」の浜頓別を観光しようかとも思いましたが、朝から結構雨が激しく降っています。せめてクッチャロ湖ぐらいは観光しようとも思ったのですが、この雨では車を降りる気にもなりません。
浜頓別の観光を諦め、海岸沿いに日本最北端を目指し車を走らせます。雨は降り続いており、「北海道は全体的に晴れで、稚内だけが唯一雨」と言うのが信じられないような激しさです。我々は車だからいいものの、「昨晩民宿で泊まり合わせた、バイクと自転車で北海道を回っている先輩方(みんな、我々より年上!)は、大変だろうね…」と妻と同情しながらのドライブです。

でも、この辺が我々の強運のところなのでしょうか、宗谷岬が近づくにつれて雨は徐々に小降りになって来て、駐車場に車を停める頃には、傘がいらない天気になっていました!
宗谷岬に立つのも34年ぶりだと思います。「日本最北端の地」の碑は、当然ですが以前と変わらずに我々を迎えてくれました。
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最北端の売店などのお店の数は昔より増えたような気がしますが、朝から元気に営業しています。売店で昨晩同宿の(先輩)ライダーにまた会いましたが、想像通り「豪雨で、朝からとにかく大変なツーリングだった。」とのことです。やっぱりマイカーで来た我々は楽をしているなぁ~ と改めて感じました。(と言っても、この体では今更バイクや自転車には乗れないのですが…)

稚内市内に入り、「最北端の駅」に敬意を表して稚内駅に行ってみます。34年振りの稚内駅には、昔の馴染みの駅舎ではなく駅ビルが出来ていて、時代の変遷を感じました。
でも、駅のホームそのものは30年以上前とあんまり変わっていないような気がします。昔は、稚内に着いたのはいつも朝、(夜行)急行利尻で駅に降り立つたびに、昔からあった”西大山から3千キロ以上”の看板を見て、「最北端に来たんだぁ~!」と感慨に耽ったことを思い出します!
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3095キロ先の西大山、3年前にも行きましたが、来月また行くことになります!!

稚内港北の防波堤ドームは、「北海道遺産」にも認定されている歴史的建造物で、かっての稚内樺太大泊間の旧稚泊航路のために作られたのだそうです。
でも、以前厳冬期の厳しい気候の中で見た時の方が、やっぱり迫力と言うか凄味があったような気がします。
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稚内のシンボルの一つでもある「氷雪の門」。高台にある稚内公園に立っているここにも、忘れられない思い出があります。
初めて冬の北海道に来た大学1年生の冬、北海道に着くや否やいきなり夜行列車で稚内まで来て、雪道に慣れていない関東人の我々は、何度も何度も慣れない雪道で転倒を繰り返しながら、先輩二人とようやく辿り着いた想い出深い高台がここだったのです!!
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稚内にあるもう一つの岬である「ノシャップ岬」に来るのは37年振りだと思います。この紅白に塗られた灯台が、小学生の頃に住んでいた家近くの「ごみ焼却場」の煙突とそっくりだったので、その印象が強烈だったことが37年前の忘れられない記憶です。
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ノシャップ岬近くにある寒流水族館やプラネタリウムを楽しんだ後、最北端まで来たのですから、今度は日本海側に沿って南下を始めます。しばらく走り、抜海というあたりまで来ると、海から突然に聳える「利尻富士」が綺麗に現れる景色が見られるのを、このあたり最大の楽しみにしていたのですが、今日の天気では利尻富士にもしっかりと雲がかかっていて、残念ながら私が楽しみにしていた眺望を楽しむことが出来ません!
しばらく走る間、「晴れてくれ! 利尻富士、見たいよぉ~!」と祈り念じながらドライブしていますが、「やぁ~だよ!」と言わんばかりの雲は、まるで宝物を隠すように利尻富士をすっぽりと覆い隠して、全く見せてくれる気配はありません。
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一旦、利尻富士の眺望を諦めてサロベツ原野の原生花園を見に向かいます。久し振りのサロベツ原野で自然の花を見ますが、周囲にはバードウォッチングを楽しんでいる人たちがたくさんいましたので、私も知床では役に立たなかった双眼鏡を覗いてみますが、やはりこの程度の双眼鏡で野鳥は、そう簡単には見つけられるものではないようです。
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サロベツにある最北の天然温泉である豊富温泉は、油田発掘と一緒に掘り当てた温泉なので、温泉が”石油臭い”ことでも有名です。37年前には確かに凄く「石油臭かった」イメージがあったので、妻にも「臭いぞぉ~!」と事前にアナウンスしていたのですが、37年前と比べて「少し臭いけど、あんなに言うほどでも無いんじゃない?」と言われた通り、37年前のイメージが強すぎたのか以前に比べたら臭さが減ったのかは判りませんが、思っていたほどではありませんでした。
37年間、私のイメージに騙されていた人がいたら、申し訳ありません!

本日の宿泊も民宿で、サロベツにある「あしたの城」という宿。私が学生時代からあった民宿で、当時噂は聞いていたものの行く機会がなく、初訪問です。
オープン当時からのオーナーと、この近くにその当時あった(私が泊まった)民宿と、そのオーナーが今どうしているかなどの話が出来て、とても懐かしい一夜でした。

10日目:7月4日(土)

昨日見られなかった利尻富士がどうしても見たくって、再び海岸線に戻って利尻富士が見えるはずの海岸線に立ってみます。天気は昨日より少しはマシになったものの、肝心な利尻富士には相変わらずの重い雲がしっかりと垂れ込めており、島の海岸線しか見えない状況は残念ながら昨日と同じです。このあたりの天気も回復傾向で、もう一日待てば間違いなく利尻富士の秀峰が拝めそうなのですが、予定を決めている旅なので、もう一日延ばすことができません。

それでも諦めきれない私は、未練たらたらで海岸線の観光を続けます。北緯45度の記念モニュメント。ネットなどの写真では背後の利尻富士があると写真がより映えるのですが…
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迫力ある風力発電機数十機も並ぶが並ぶ「オトンルイ風力発電所」。発電機は今日も結構クルクルと回って発電していますが、一体どれくらいの発電が出来ているのでしょう? 原発をなくしてもいいくらいの発電が出来ればいいのですが…
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今日の目的地は留萌なので、海岸沿いをずっと下れば近いのですが、内陸部に行きたい場所があるので、一旦海岸線に別れを告げます。結局、利尻富士の眺望は叶いませんでしたが、次回は利尻・礼文にも37年振りに必ず行きます!

内陸部に戻り、幌延町のトナカイ観光牧場に行ってみます。トナカイなんてあんまり見たことがなかったので、奈良公園の「鹿せんべい」のような「トナカイのエサ」を興味本位で買い求めてみますが、餌を持ったというか観光客が我々だけだったので、あっという間にトナカイに囲まれ、あっという間に餌を強奪されてしまいました。餌を全部食べ切った後には、「もう、お前らには用はない!」って感じで我々の存在は完全に無視されます。どうやら、思ったより頭のいい動物のようです。
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ちょっと早いけれど、今日のお昼は駅にある立ち食いそば。とは言え、このあたりではちょっとは有名な駅のお蕎麦屋さんで、私も大学生の時に何度か食べた「音威子府(おといねっぷ)駅」のそばを食べに駅に向かいます。昔の音威子府駅は宗谷本線と天北線が分岐する主要駅で、天北線への乗り換えの際には必ず途中下車して、、毎回真っ黒なそばで名高いこの駅のそばを掻き込んだものです。
我々が到着した11時頃にこの駅を発着する列車は皆無なのですが、駅に着くと何人かの方が待合室でそばを食べています。お店を一人で仕切っているのは、昔からのおじいさんで、私もそばを注文しながら、「実は、30年以上前に何度かご馳走になってますので、30年以上振りです!」と、リピーターであることを喧伝しましたが、だからと言って特に何かサービスがある訳ではありません。
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でも、久しぶりのそば、堪能しました!。おじいさんに、「美味しかった!また、来ます!」と言いお店を後にします。次に来る時までは、元気で営業を続けていただきたいものです。
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本日のメインイベントは、昭和60年に廃線になった当時日本最大の赤字ローカル線だった「美幸(びこう)線」。美深から仁宇布という駅までのたった3駅の盲腸ローカル線でしたが、常に乗客が殆ど乗っていないため、その営業係数(100円稼ぐのにいくら費用がかかるか)が連続で日本最下位(記憶では100円稼ぐのに4000円近い経費が掛かっていたらしい)になり、当時のアイデア町長がその「日本一の赤字線」を逆手にとって銀座のホコ天で切符を売ったりして大いに話題になったローカル線でした。
その話題性で私も何度か乗りに来たことがあり、ある年の冬には終点「仁宇布駅」近くの民宿「山賊の根城(いえ)」に2泊して、この電話もなかった仁宇布の集落でのんびりと過ごしたのも思い出です。

とは言え、この美幸線沿線の過疎振りは半端じゃなかったので、我々が記念入場券を買って少しは売り上げに貢献したことの効果は全くなく、国鉄の分割民営化を待たずにこの美幸線は廃線になったのですが、地元の方々の熱意で終点の仁宇布駅と5キロの線路は残され、本物の廃線線路をトロッコで走れる「美深トロッコ王国」として生まれ変わり、美幸線時代には考えられない数の観光客が来ているらしいのです!!

「単線の美幸線で、どうやってトロッコはすれ違うのかしら?」 などの疑問を持ちながら、「クマが出てもおかしくはないなぁ~!?」と思われるような道路だけが立派でそれ以外何もない場所を、仁宇布に向かいます。
到着して聞くと、「出発は毎時00分。その時の出発する数組が、1~2分おきにスタートし、全組が往路を走った後にまた同じように復路を運転してくる。」とのことで、次の我々のスタートまではまだ時間があったので、しばし旧仁宇布駅あたりを眺めながら感傷タイムとします。
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仁宇布駅。記憶は全然定かではないのですが、最初に高倉健の映画「鉄道員(ぽっぽや」を見や時に、「あ、この駅って、仁宇布のイメージだ!」と思った記憶があります。映画の実際のロケでは別の駅が使われていましたが、もしあの頃仁宇布の駅があったら、正にぴったりだったのではないでしょうか?
記憶は全然ないのですが、特に最後に健さんが駅のホームで倒れているところを見るたびに、何故かそう思ってしまいます。(勝手な思い込みです。)

受付にいた方と昔話をしながら、当時から残っている遺品を眺めます。
「昭和60年、美幸線廃線の時の熱気は凄かった…」 
サラリーマンになりたてで仙台にいた私は、河北新報で「美幸線廃線」の記事を読み、人知れず涙したことを思い出しました。
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でも、「昔、山賊の根城と言う民宿がこのへんにあって、私も泊まったんですよ!」と言っても、地元の方には??でした。 もう、34年も前のことですから…

いよいよトロッコのスタートです。トロッコのアクセルは当然右側にあるので、免許を持ってる妻に運転してもらいます。 いきなり、線路の合流があり鉄ちゃんにとってはエキサイティングなスタートです。
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本物の線路ですから、橋もあれば歩道との踏切もあります。妻は初めて運転するトロッコが怖いらしく、ずっと真っすぐ前を見ていて左右を見渡す余裕はあありません。左右をキョロキョロ見ている私は、野生のシカとの遭遇にも気づきましたが、妻は鹿に気づくその余裕すらもなかったようです。
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このあたり、本当にクマがでても不思議じゃない感じです。勿論そんなことはありませんが、ドアのないトロッコですので、「出たらアウトだなぁ~!」 なんてことを思ってしまいます。
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殆どの方は、片道20分/往復でも40分程度で走るらしいのですが、のんびり走った我々が片道を30分以上もかけて走ったために、この組全体が大きく遅れがちです。「もっと速く走ってください!」と係の方に注意されて、帰りはかなり急いだつもりだったのですが、それでも次の出発の直前までかかってしまいましたが、素晴らしい体験でした!

ロッコを満喫した我々は、再び運転手を交代して本日の宿留萌を目指します。こちらも赤字ローカル線として有名だった「深名線」の近くを走りながら、雪深かった深名線の面影を辿ります。唯一の景勝地だった「朱鞠内湖」は、当然のことながら冬はビッシリと氷結していて、冬にしか来なかった私は湖面を見たことはありませんでしたので、初めて眺める朱鞠内湖の湖面です!
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このあたりに、昔駅前の一軒宿だった「政和温泉」があり、種村直樹さんの鉄道旅行記の影響を受けて、当時大学生だった我々も一泊しました。(大学生が泊まれる程度の料金設定だったのでしょう。)
翌朝、豪雪に見舞われなかなか列車が来ずに、大いに慌てたことを懐かしく思い出しましたが、その政和温泉が、いまだに健在で、今は「せいわ温泉 ルオント」として道の駅になっていることが、無性に嬉しいひとときでした!

私の鉄道旅行の師でもあったその種村直樹さんも、惜しくも昨年お亡くなりになっています。そのことを想いながらの、ちょっとブルーな朱鞠内湖畔のドライブでした。
 
合掌!