麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

「只見線+α」の旅

退職して青春18きっぷで乗りたかった路線と言えば、何と言っても只見線です。
只見線… 40年以上前の大学生時代には大好きだったローカル線で、当時は夏と冬に毎年2回は乗りに行っていた記憶があります。確か大学2年と3年の時には、試験が終わり冬休みになってすぐに只見線に乗りに行き、そのまま北海道に流氷を見に行ったという何ともハチャメチャな旅をしていたものです。
今では「乗り鉄」という便利な言葉がありますが、当時そんな言葉はなく、「列車に乗りに行くのが好きな鉄道ファン」として周囲の友人たちにも認識されていた私は、「どこのローカル線が一番好き?」とよく聞かれたのですが、当時の答えはほ決まっていて、「五能線只見線と湧網線(廃止になったサロマ湖岸を走るローカル線)」と回答していたものです。それだけ、只見線には特別な思い入れがあったのです。
そんな只見線ですが、会社員になってからは一度も乗りに行く機会がなく、そのうち災害での不通が10年以上にも及び、「もう、只見線に乗りに行くことは無理なのかも…」と諦めていたのですが、2022年に奇跡的に10年以上振りに復活! すぐにも乗りに行きたいと思ったのですが、復旧後の只見線人気は凄いらしく、座れないどころかラッシュアワー並みの混雑という報道もあり、「4時間を超える只見線で、立ちっぱなしは流石に嫌だなぁ~!」と考えていたため、すぐに乗りに行くことは諦めてしばし様子を見ていました。
このたび退職することになり、青春18きっぷを使ってローカル線に乗りに行こうと決めてからは、「まずは、混雑は怖いけれど長年の恋人である只見線には絶対に会いに行こう!」と決めてプランニングに入りました。白岡を朝早く出て上越線経由で各駅停車を乗り継げば、1日3本しかない小出発の只見線全線を行く列車に乗れ、会津若松・郡山を経由してその日の最終列車で白岡に帰る究極の日帰りも可能だし、お金はかかるものの郡山から新幹線を使えば早めに自宅には帰れるのですが、折角なので郡山に1泊して、翌日に水郡線水戸線乗りつぶして水戸であんこう鍋を食べよう! と、決め最初は3/12発に決めて郡山のホテルを予約したのですが、その後3/12は全国的に天気が崩れるとの天気予報を受け、天気が良さそうな3/14(木)に出発日を変更します。「こんな風に融通が利くのも、退職後の自由な身分だから… やっぱりいいな!」と自己満足していたのですが…

 

1日目:3月14日(木)

 

40年振りの恋人である只見線に会いに行くこの日。只見線福島県会津若松新潟県の小出の間の豪雪地帯を約4時間半かけて走る列車ですが、どちら発でも直通列車は1日に3本しかなく、関東からの始発では絶対に間に合わない早朝発の列車を除けば景色が楽しめる昼間発の列車はそれぞれ1本しかありません。ネット上のブログや旅行記などでは会津若松発の列車のレポートがかなり多いようなので、混雑を避けるためにも私は小出から会津若松を目指す逆ルートを選択。40年以上前に只見線から北海道を目指した時にも小出からのルートを選択した記憶があるので、自分的にも馴染みがあるルートです。
自宅のある白岡を朝に出て、大宮からは高崎線で高崎まで、高崎からは上越線で水上へ向かいます。水上が近づくと流石に雪景色が現れ、長岡行き各駅停車に乗り換えます。

水上からはスキー客や観光客中心で「国境の長いトンネル」に入ります。この清水トンネルの前後には鉄ちゃん的には大いに興味深い湯檜曽・土合・土樽の各駅やループ線などもあるのですが、今日のメインは只見線なので各駅などを眺めるだけで先を急ぎます。

越後湯沢・石内・上越国際などスキー場として名高い駅を通り、スキー場が近いらしい雪景色を楽しみます。

11時12分に小出駅到着。只見線の出発まではまだ2時間あるのですが、関東方面から青春18きっぷを使って只見線に乗るためにはこの列車で来なければならず、そう考えると「この列車で小出駅で降りる旅行者風の人」=「2時間後の只見線に乗る旅行者」だと思われ、この列車で降りる人の数で只見線に乗りそうな人の数(混雑度合い)が判るのですが、降りた人は20~30名程度。2両編成の窓際席の争奪戦は避けられそうにはありませんが、どうやら「座れないほどの混雑」にはなりそうになく、一安心。

只見線出発まで2時間あるので、降りた旅行者は各々駅付近の散策に出かけるようです。私も駅周辺を散策、計画時には「唯一ある駅前食堂でランチ」とも考えていましたが、この日は何故か昼食を食べる気分でもなかったので、駅前をブラブラ。

只見線の発車は13:12で、駅員さんに只見線は何時にドアが開くかを尋ねたところ、12時50分頃とのこと。待合室で待っていたのですが、特にすることもないし天気も悪くなかったので、12時10分ごろにはホームに行きホームの椅子で待つことにします。只見線は2両編成、赤い旧型車両と八高線などと同じ白地に緑の最近の車両の2両なので、私は後ろの車両の入口前の椅子にぼんやり座っています。

すると、若い鉄ちゃんではなく私より年配らしい女性2人と男性1人がその後に並び、その後は全く見ず知らずの4人で列車のドアが開くまで鉄ちゃん談義が始まります。高崎からの男性と神奈川からの女性は私と同じく青春18きっぷを利用、東京からの女性はキュンパスを使っての只見線の旅だとかで、ドアが開くまでの数十分の間、「あのローカル線は良かった」などで話が盛り上がり、全く退屈しないで済みました。学生時代の汽車旅では見ず知らずの乗り合わせた人と様々情報交換するのが常でしたが、こんな情報交換なんて何十年振りだったでしょうか? とっても嬉しい数十分でした。
予告通り12:50頃にドアが開き、我々4人は無事に希望の席を確保することに成功!「只見線の座席はどっちがいいか?」については、様々な意見が分かれるところで多くのブログなどでも「どっちでも、ほぼ一緒。」という「どっちでもいい(素晴らしい!)」という意見が大半を占めるようですが、40年前の私の記憶では「田子倉ダムが見える(小出発)右側の方が好き!」だった記憶があったのと、我々が乗る車両は、右側が1人席の向かい合わせで左側が2人席の向かい合わせなので、混雑するであろうことを考えると、右側の一人席の方がいいということで、私は右側の一人席を無事に確保。その後、只見線出発までの間に上越線の列車が上下2本小出に停車して、何人かの方が只見線に乗り込んできたもののその数は思ったより多くはなく、最後まで座席が満席になることはありませんでした。(私の向かいの席は、終点までずっと空いたままでした!)
13時12分に只見線は定刻通り小出駅を出発。」小出駅を出てすぐに鉄路は右に大きくカーブを切りすぐにやや大きな川を渡るのですが、「この景色、浅草駅を出てすぐに墨田川を渡る東武線みたいだなぁ~!」と毎回思っていた大学生だった自分の40年前を思い出しました。

私が尊敬してやまない紀行作家である宮脇俊三先生は、いつも景色のいい列車に乗るとその興奮を「ゾクゾクする」と表現されていましたが、今日の只見線では発車から1分以内で魚野川を渡りながら、もうそのゾクゾクが体全体に現れます。私の視線は車窓に釘付けになり、30分前にあれだけ話した3人の鉄好きな方々のことなど全く視線に入りません。(その3人も別々のボックス席で鉄ちゃんらしく食い入るように車窓に噛り付いていました。)

只見線の車窓はあっという間にそのハイライト区間に突入します。ここでここ只見線ではどうしても「呑み鉄」がしたかった私はわざわざ埼玉の自宅から持参したお酒とつまみを取り出し、念願の呑み鉄を開始!

呑み鉄本線只見線旅!

その時の私の頭の中では、呑み鉄の先達である六角さんの曲「只見線のうた」のメロディーが何度も何度もリフレインされています。”奥会津のライフ~ライン、その名も、只見線。”というフレーズ、只見線に乗りたくて乗りたくてその「呑み鉄本線日本旅」の回を何回も繰り返し観たので、その時に流れた曲の印象的なフレーズをすっかり覚えてしまったようですね。

只見線は我々にその変化に富んだ車窓を見せながら、コトコトと着実に走って行きます。時折、駅には停まりますが途中駅で対向列車とすれ違うこともありません。

それにしても3月中盤なのに、本当に雪深いですね。でも、この雪深さが只見線廃線を救ったという側面もあるので、これらの豪雪には感謝しなければいけませんね。

大白川駅から只見駅の間は駅間20キロを超え、北海道以外では珍しい長距離区間。この辺りは記憶では私が一番好きだった区間だったかもしれない区間

この辺りには、昔確か田子倉駅という駅があったようですが、駅の跡地は見つけられませんでした。(反対側だったのかな?)

田子倉湖(ダム)。「40年振り!元気だった!?」と懐かしい旧友と会話。

新潟県から福島県に入ります。只見駅も40年振り。降りたい衝動に駆られますが、我慢・我慢。

最高のつまみである只見線の車窓風景をお供に、持参した日本酒2本(2合)を早々に飲み干してしまいましたが、これ以上は酔っぱらって寝てしまいそうなので、ここからは車窓に集中。

車窓をパチパチとシャッターを切り続けます。(下手な写真ばっかりですが)

大学3年生の秋、友人2人と只見線に乗りに来て、確かこの付近に泊まって翌朝に線路を1駅歩いた時の記憶が蘇りました。鉄橋の上を歩いていたら列車が近づいて来て大いに慌てたことも懐かしい想い出です。当時は線路をを歩くことも結構多く、警笛を鳴らされたこともかなり多かったのです。

福島県に入ってからは「会津〇〇」という駅が多くなります。ここ会津川口ではじめて対向列車とすれ違い。どうやら会津若松発の大半の方の旅行記やブログに書かれたあの列車のようです。乗客も鉄っちゃんもあっちの方がやはり多い感じです。ずっと好天でしたが、ここにきて天気予報通り雨が降っています。

会津宮下駅。このあたりが一番雪が深かったような気がします。小出駅で話しをした女性一人がこの駅で降りて行かれました。

会津柳津会津坂下など40年前には大いに馴染みがあった駅名を通り過ぎ、ややうとうととし始めたころ、徐々に雪が消えはじめて、いつの間にかすっかり雪がなくなっています。

17:24に時刻通り会津若松駅到着。40年振りの只見線の旅、本当に最高でした! ちょっと無理すれば青春18きっぷで2000円ちょっとで来られるのですから、また夏にも乗りに来ようと思いました。
会津若松をすぐ出る快速列車に乗って郡山まで。快速は混雑している上にもう夕景で車窓風景は楽しめないので、小出駅で知り合った女性1名と隣り合わせてよもやま話をしながら約1時間の列車の旅。郡山からはキュンパスを使って新幹線で帰る女性の家は私の職場だった飯田橋近くのようなので、ご近所話で盛り上がりました。
郡山駅付近のビジネスホテルにチェックイン。夕食は近くの居酒屋にて。私の大好きな「ほや」。1983年に仙台に赴任してすぐに大好きになったほや、当時は夏にしか食べられず、仙台では「夏はほや、冬はカキ」が酒飲み定番の合言葉でした。

〆は「ホルモンうどん」。「郡山に来たら…」と書いてあったのですが、名物なのでしょうか?

翌日は朝の水郡線に乗って水戸へ行き、水戸であんこう鍋を楽しむ予定でした。

 

2日目:3月15日(金)

 

熟睡中の12時過ぎに突如携帯が大きな音で鳴り始め、飛び起きます。携帯の爆音は「緊急地震速報」で、目覚めた瞬間から凄い揺れです。本当に身の危険を感じた瞬間で、揺れはさほど長い時間ではありませんでしたが、「結構ヤバいかも…」と思い、すぐにTVをつけたところ、どうやら震源地は福島県沖で最大震度5弱だったのはどうやらこのあたりのようです。宿泊しているビジネスホテルではすぐに館内放送が流れ、最初は「全員、ロビーに降りて来て!」的なアナウンスだったのですが、服も着なければ降りられないのでどうしようか迷っていたところ再度アナウンスがあり、「余震の可能性もあるので、心配な人だけ降りて来てください。但し、エレベーターは止まっているので、降りるのは階段で。」というので、30分程度様子を見ていましたが、どうやらその後は地震はなさそうなので、そのまま眠りにつきました。
朝、普通に起きて昨晩コンビニで仕入れておいた朝食を食べ、早めにチェックアウトして駅に向かおうと思ったら… 何とエレベーターはまだ止まったままです! 10階以上あるビジネスホテルでしたが、幸いにも2階だったのでとりあえず階段でロビーまで。ビジネスホテルと言えども、いつもは高層階にアサインされると嬉しくなり、昨日のチェックインの時には「2階かぁ…」と、ちょっとがっかりしたのですが、この時だけは本当に「2階でよかった!」と喜んだものです!
駅まで行き、駅のエスカレーターは動いていて喜んだのも束の間、何と郡山発着の在来線は動いていないようです!

今日乗る筈の水郡線も、真っすぐ帰るとしても利用する東北本線も動いていません。7時15分発の水郡線に乗るべく7時前に駅に行ったのですが、8時頃まで約1時間待っても水郡線はおろか東北本線も動き出しません。様々な情報が錯綜して何が正しいのか判断が難しく、「どうやら午前中は動かないらしい」といった情報もありましたが、確かにあと30分程度で水郡線が動くとも思えず、どうやら今日の水郡線と水戸のあんこうは諦めるほかはなさそうです。東北本線はまだ動き出してはいませんが。どうやら新幹線は動いているようなので、今日の青春18きっぷでの旅を諦めてとりあえず宇都宮までの新幹線特急券と白岡までの乗車券を買い、新幹線ホームへ。新幹線も遅れてはいましたが、在来線とは違い何とか動いています。

久し振りに各駅停車タイプの「やまびこ」に乗りました。昭和57年の東北新幹線開業の頃には「ひかり」タイプの早い列車が「やまびこ」で、「こだま」タイプの各駅停車は「あおば」という名前の新幹線でした。昭和61年に仙台で娘が生まれた時、名前を「あおば」にしようかと一瞬考えましたが、”おばちゃん”と呼ばれてイジメられることを恐れて、”あおばちゃん”を断念した記憶が蘇りました。しかし、現在の各駅停車のやまびこは、こだま並みに各駅で高速列車に抜かれて行くので、本当にノロノロです。

宇都宮で降りたのは、この日の目的を急遽宇都宮の新しい鉄道LRT(ライトレール)乗車に切り替えたため。繁華街や餃子の像などとは反対側になる宇都宮駅東口は大規模な再開発が終わってかなり立派になっています。その東口にできたLRTの乗り場には黄色と黒のタイガーカラーの格好いいLRTが停まっています。

平日の9時過ぎなのにLRTはほぼ満席。4人掛け席の4人目として何とか座席を確保し、車窓を楽しみます。片道約50分ですが、最初の15分は街中を走りその後は田園地帯を。

最後の15分は工業団地の中を走り、終点も工業団地の中。

LRTは大半が専用軌道を走るようですが、交差点では信号で停車します。往復全行程共降りる人も乗る人も多く、平日の昼にこれだけ乗客が多ければ経営は安心な気がしました。なお、終点で折り返し列車にそのまま乗った明らかに鉄ちゃんと思われる方は私以外には2名だけで、思いのほか地元民の宇都宮駅以外の区間乗車が多かったことも意外でした。

まだお昼前ですが、宇都宮と言えばやっぱり餃子。東口には昔みんみんの支店がありましたが、今では風景が一変しています。でも新しくできたビルの中にもみんみんの店舗があるらしいので、11:30前に入店し、”ヤキ、アゲ、スイ”の3種の定食を満喫。

焼餃子と揚げ餃子

お店を出るころには、お店には行列が出来ていました。
昼食後はグリーン車で呑み鉄をして白岡に帰ることにしました。

水郡線と水戸のアンコウ鍋は近いうちにリベンジしようと思います。