麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

2022年北海道<その5:オホーツク&知床>

12日目:8月19日(金)

 

この日はホテルでの朝食を取らずに、まずは宿すぐ近くのコインランドリーでこの旅2回目の洗濯。7時オープンに合わせて行ったのですが、同じことを考えているらしい本州ナンバーの車が2台いて少々焦りましたが、無事に洗濯乾燥機を確保できて、まずは一安心。
1時間の洗濯の間に「もう一度、利尻富士を見よう!」と、抜海方面にドライブ。

この日も、天気はサイコー!

2015年には利尻富士は全く見えなかったのですが、今回は初日はともかくこんなに美しい利尻富士を存分に見ることができて、本当に我々は幸せ者ですね!

そして、稚内地区最後のグルメへ。ノシャップ岬近辺のグルメその2は、値段も高いけど味も最高だと言われる樺太食堂の「うにだけうに丼」。稚内エリア最後の楽しみとして、今日まで取っておいたのです。

憧れの「樺太食堂」

樺太食堂のオープンは9時。朝からお腹を空かせて8時半には一番乗りでお店前で待ちます。開店時間前に8人ぐらい並んでいたので、早めに席に案内いただき、早速注文。我々は勿論「うにだけうに丼」@4950円也。うにだけと言いながらトッピングも1つ出来て、私はイクラ、妻はホタテ。ずっとうにだけでやっていたそうなのですが、流石にうにだけでは飽きるのでトッピングをサービスし出したのだとか。
そして遂に憧れのうにだけうに丼とご対面!

これが、3年間憧れ続けた「うにだけうに丼

この味&このボリューム… やっぱり道北一と言われる通りの最高のうに丼で、この”(日本海)うに旅”のラストを飾るに相応しいうに丼でした。
因みにここのうにはエゾバフンウニではなくムラサキウニでしたが、それでも最高のうに丼と断言出来ると思います。

最高のうに丼に見送られて稚内を後にして、これからはオホーツク沿岸を徐々に南下してゆきます。
まずはお約束の最北端宗谷岬。2015年に来た時は、雨が降っていてブルブル震えながら写真を撮ったことを思い出しました。

間宮林蔵

樺太が見えそうな素晴らしい天気です

宗谷岬からは少し内陸部に入り、風力発電がたくさんある宗谷丘陵経由でホタテの貝殻が敷き詰められた「白い道」を目指します。
フォトジェニックな観光スポット白い道は、アクセスがとにかく分かりにくそうなので、3年前から何回もYou Tube をチェックしていたのですが、兎に角狭い道路なので対向車が来たらすれ違うのが大変そう。稚内観光のYOUTUBEでは、「出来れば、みんなが宗谷岬の方から入っていくルートを取ってください。」という案内がされていたので、我々はその指示通りに宗谷岬側からのアクセス。白い道までは結構間違いやすいルートのようですが、私は3年前から何度も動画を見ていたのでナビは役に立たないルートも迷わずに行くことができて、何とか白い道が見えてきます。

とにかく、最高に絵になる風景、時折車を停めて写真をパチパチ。

中でも、白い道越しに利尻富士が見えた時にはその感動もピークに!

来年の年賀状の写真はこれで決まり!?

利尻富士とはさっきこの旅最後の対面をしたつもりでしたが、こんなに素晴らしいアンコールが待っていたなんて…
利尻富士よ、本当にありがとう!

でも、観光局のPRが足りないのか、本当に対向車は結構来て、何度かヒヤヒヤさせられました。フットパスと言いながら車で来る人の方が圧倒的に多いので、事故が起きる前にもっと一方通行を徹底した方が良いのではないでしょうか!?

再び宗谷岬を通っていよいよオホーツク沿岸の南下を始めます。

この日のお昼はホタテの町猿払を予定していました。住民一人あたりの所得が日本一高く、街のあちこちにホタテ御殿が建つホタテの街でホタテ丼を食べるつもりでしたが、朝のウニ丼が予想以上にボリューミーで、猿払に着いてもまだ全くお腹は空きません。
一応、お目当てのお店に車を停めたのですが、頑張ってもラーメンぐらいしかお腹には入りそうにありません。

ついては、猿払村に敬意を評してホタテが乗ったホタテラーメンを食べることに。

さすがは猿払、ホタテラーメンも美味でした。

午後は引き継ぎオホーツク沿岸をドライブ。途中、ライダーに人気があるエサヌカ線という真っ直ぐな道をライダーたちに混じって観光。

エサヌカ線、どこまでも続きそうな道…

浜頓別あたりは2015年にも来ていますが、あの時はとにかく豪雨だったのと、昔毎年このあたりに来ていたのはいつも流氷時期の冬だったので、風景に思い出はありません。でも地名は昔の国鉄天北線、興浜北線・南線の駅名だったりするので、その意味では突然懐かしさがこみ上げて来ます。「昔来た興浜北線と南線の未開通区間にあった民宿、どこにあったかなぁ~?」なんて考えながらのドライブ。でも、見つかるはずもありません。
前回も立ち寄った雄武の道の駅。展望台から付近の風景を眺めます。

学生時代の旅の思い出が詰まった(??)興浜南線の終着駅雄武の街

今宵の宿は紋別。北海道有数の都市なのに、いつも通過するだけだったので、今回はそんな紋別に敬意を表して宿泊します… というより、紋別のホテルに「カニ三昧」メニューを見つけたので、「カニ食べ行こう~!」が、本当の目的。意外と早く紋別に着いたので、高いところから紋別市内を眺めます。

ここオホーツクスカイタワーからは

こんな風景が眺められました

北海道のカニ三昧といえば、私が大好きだったのは網走の「かに本陣友愛荘」。添乗員として初めて来てから、仕事&プライベートでも7~8回は来たでしょうか?2009年に妻と来たのが最後になり、今はその宿も廃業になってしまったので、あの感動的なかに尽くしメニューはもう食べられないのですが、せめて少しでも近いものが食べたいと思い、ここ紋別プリンスホテルの「三大カニコース」を予約していました。

意外とと言っては失礼ですが、ここのカニ、旨かったです。おまけに流石はホテル。片手の私を見て剥きにくい毛ガニを全部?いてくれるというサービス!

このホテル、温泉もあり選んで正解でした。
紋別に泊まって良かった!

 

13日目:8月20日(土)

 

今日は紋別をもう少し楽しんでから、知床半島付け根の宿まで行く日程ですが、今日の天気はあまり良くなく、午後からは雨予報です。でも、一番晴れてほしい日程は明日・明後日なので、明日&明後日の天気予報は悪くないということで、今日の悪天候は仕方ないね… と、自分を無理矢理納得させます。
まずは昨日食べたカニに敬意を表して、紋別カニの爪のモニュメントへ。

紋別のランドマークなのだそうです

続いて前回も来たオホーツク流氷科学センターで懐かしい流氷とご対面。何と言っても愛くるしいクリオネを見られるのが一番楽しい一時。

クリオネは小さすぎて私の腕では写真に撮れません

流氷の中マイナス20℃はやっぱり寒かった! 昔は、こんな寒い中で毎年観光をしていたなんて、我ながら信じられない風景です。
続いては、すぐ近くのオホーツクタワーへ。前回は結構歩いたような記憶があったので、今回は駐車場で電話するとすぐにバスが迎えに来てくれてあっという間にタワーまで連れて行ってくれます。すぐにエレベーターで海面の下へ。でも、前回もここでは海の中(やそこで泳ぐお魚さんたちも)は見えなかった記憶があったのですが、今回もやっぱり魚などは見えません。記憶が間違っていないことを確認するためだけに入場料を払った感じではあります。

お魚さんはほとんど見られませんでした

下が何も見えずつまらないので、今度は上に登って紋別の海を眺めながらのコーヒーブレイク。

曇天の紋別の海

この日の昼食は紋別のレストランでもう1回カニを食べようと考えていたのですが、カニは昨日の夕食でそこそこ満足したし、それより昨日食べ損ねたホタテが食べたいなんてあれこれ考えていたのですが、ホタテの生産量が日本一だという常呂のホタテレストランを見つけ、そこに行くことに方針を変更して紋別を後にします。

途中、サロマ湖を通るのですが、2015年には展望台まで車で登ってその風景を満喫したのですが、今回は道の駅にある遊園地の観覧車に乗ってサロマ湖を展望台から眺めようと思います。

さほど大きな観覧車ではないので、巨大なサロマ湖のその大きさはあまり感じられませんでしたが、手軽にサロマ湖の観光ができて何よりでした。

サロマ湖の全景は... さすがに見えません!

常呂といえば、ホタテよりも今は何と言っても「ロコ・ソラーレ」。街中のあちこちにポスターや等身大のパネルなどがありますが、流石に本人達には会えるはずもありません。ということで、我々はホタテのランチをお目当てのお店「レストハウスところ」でいただきます。

我々が注文したのは、「帆立づくし定食」@2200円也。常呂はやっぱりホタテ漁獲量日本一だけあり美味でした。

思わず、「そだねぇ~」と呟いてしまいました

午後は能取岬までドライブ。この岬には2015年にも来ているのですが、その後JALの嵐のCMで一躍有名になったので、前回は人は殆どいなかった記憶があるのですが、今回はそれなりに人がいました。

午前中からずっと今にも泣き出しそうな天気が続いていましたが、ここに来てようやく天気予報通り結構激しい雨が振り始まります。ここでこの日の観光を諦め、知床の付け根に位置する今日の宿に向かいます。

楽しみにしていた今日の宿は、グランピングが楽しめる宿。ロッジのような一棟に一組だけのお客さんで、そのロッジのテラスでのBBQが楽しみの高級宿です。

到着時は豪雨だったので、この写真は翌日の朝のものです

雨天の中のチェックインだったので「BBQはどうなるのですか?」と心配して聞いてみましたが、「テラスに屋根というかテントをかけるので大丈夫。」とのこと。キャンプやBBQは楽しみたいけれど、準備は面倒だし後片付けはもっと嫌なので、料金はちょっと高くても全部やってくれるこの宿の存在を知ってからは、とても楽しみにしていたのです。

天蓋つきのベッド

食事時には幸いに雨は上がり、テラスでワインを楽しみながら肉&海鮮のBBQを楽しむことができました。

美味しかったバーベキュー

熊が出そうな森の中でしたが、リスは見かけても熊が出ることはありませんでした。

 

14日目:8月21日(日)

 

今日は知床の付け根から知床半島に行く日。
素晴らしかったグランピングの宿、朝は自家製サンドイッチの朝食をテラスでいただきます。本当に最高の体験でしたが、これで「昨日の夕方の天気さえよかったらなぁ~」なんてないものねだりをしてしまいますが、今日が見事に晴れているのでこれ以上の贅沢を望んではバチが当たりますよね!?
知床半島に行く前に、少々立ち寄り。車を摩周湖方面の反対に1時間ほど走らせて、神秘の池と呼ばれる「神の子池」へ。

摩周湖の伏流水で出来ていると言われるこの神の子池に来るのは実は初めてです。底がはっきりと見えるほど澄んだ池なので、神秘的な風景を見ることができます。

ここを泳いでいる神秘の魚オショロコマが見えればいうことないのですが、いくら探しても朱い斑点の魚は見ることができませんでした。

ここまで来たら摩周湖に挨拶しないわけにはいきません。でも、定番コースの第一展望台・第三展望台まではここからはまだ結構な距離があるので、昔は第二展望台というのが正式名称だったようですが、最近は昔の俗称が正式名称になった感がある「裏摩周」へ。

この裏摩周、高校二年生の時に泊まった民宿でその存在を知ってから私の憧れの地になり、もう何回来たでしょうか? 最後に来たのはまだ元気だった2009年に妻と来て以来ですが、あの時とは違って結構立派な展望台が出来ていて、観光客もそれなりにいるようです。

ここは第一・第三展望台より低い(湖面に近い)ため霧がかかることが少ないので、確実に摩周湖に会いたいのならこちらがお薦めだと思います。もっとも、私はこと摩周湖に関してだけは全勝継続中で、10回以上の訪問で一度も霧で見えなかった事がないのだけが唯一の自慢なのですが…

来た道を戻り、知床半島の付け根の斜里まで。今は駅名も「知床斜里」に変わってしまいましたが、ウトロ側の玄関口として何度となく通った場所です。斜里と言えば昔の嫌な想い出が一つ。大学2年の時、疲れて泊まった斜里ユースホステルにて、全然美味しくなかった「名物」のカレーを嫌々腹に押し込んで早々に眠りについたところ、部屋の中で深夜遅くまで同宿者(常連?)が酒盛りを繰り返して大騒ぎしています。眠かった私が、「うるさい!」と酒盛りを(大声を)諫めたところ、「このユースの伝統だから!」と、取り付く島がありません。確かに、私も野田ユースホステルなどで朝まで酒盛りしたことも無数にありますが、野田ユースホステルでの我々のポリシーは、「真面目に旅している一般ホステラーに、絶対迷惑をかけないこと。」が最低条件で、乾杯すらグラスの音を気にして指と指とで乾杯していた程です。そんなイメージの悪い斜里なのであれ以来ずっと素通りしていたのですが、今回はあれ以来の観光と昼食を。
観光は「天に続く道」。確かにこの道は知床のイン/アウト時に何度か通った記憶がありますが、スタート地点の高台の展望台から眺めると、こんな直線道路だったとは思いませんでした!

この日のお昼は斜里でそばまたは丼系を食べるつもりでした。でも、このところ確かに朝・昼・晩共にガッツリと食べているので、そろそろズボンもきつくなりだしたし、あんまりお腹も空いていません。そんなタイミングで妻が「そういえば、北海道に来てまだトウモロコシを食べてないなぁ~!」と言い出したので、確かにトウモロコシなどで軽くお昼を食べるのもいいと思い、斜里近辺でトウモロコシを食べられるお店を検索。すると、「天に続く道」を少し戻ったところにじゃがいもとトウモロコシを売っている店を発見したので、予定を変更して向かってみます。

コロナ禍でお店の中では食べられないようなので、トウモロコシとじゃがバターを購入して、飲み物を買ったコンビニの駐車場でトウモロコシを満喫したのです。
(車の中で食べたので、写真は採れませんでした。)


午後はいよいよ知床半島へ。最初の定番はいつも必ず立ち寄る「オシンコシンの滝」。

滝のすぐ近くには知床半島の中心街ウトロがあるのですが、ウトロと言えば私の中ではあの今年春の観光船事故の印象がまだあまりにも生々し過ぎたため、ウトロの街に車を停める気にはならずに、私史上初めてウトロを素通りします。前回ウトロに来たのは2015年、あの時は会社は違いましたが同じ知床岬まで行く観光船に乗り、私的にはとんでもないトラブルに巻き込まれた(その時のブログはコチラ)のですが、船が沈没してしまうことに比べれば痛くも痒くもないトラブルですよね… 合掌

 

午後に向かったのは知床五湖知床五湖といえば高校生時代には五湖を大阪の女子大生3人と楽しく歩いた記憶が鮮明なのですが、近年は「クマ出没」で下道は通行禁止になったりで、あれ以来五湖は歩けていないのですが、今ではもう五湖全部を歩く元気もなく、熊が出ても大丈夫なように高架道で一湖にだけ行くことにして歩きだします。

それにしても、昨日の雨が信じられないほど今日は素晴らしい天気!

知床五湖(一湖)の観光、大満足でした!

知床半島を横断して、今度はラウス側に向かいます。過去2回の知床峠の景観は一勝一敗。2009年には素晴らしい景観が見られて、2015年には車を降りる気にもならないくらいの豪雨で、景色なんて全く見えませんでしたが... 今回は、2009年以来の最高の知床峠羅臼岳が!

国後島がきれいに見えます

羅臼ではまず「羅臼国後展望台」に立ち寄ります。ここに初めて来たのは大学2年生の時の冬。雪をかき分け、1時間以上(?)掛けて登った記憶が鮮明です。

北方領土は、日本固有の領土です

「返せ北方領土」の署名。ここに署名するのって、何年越しで何回目なのでしょう? プーチンさん、いい加減に返してもらえませんかねぇ??

羅臼の宿は初めての民宿ですが、ここの宿主「ナナメ氏」とは1982年2月16日に霧多布の民宿「きりたっぷり」で会って以来何と40年振りの感動の再会なのです!40年前のナナメ氏はまだ可愛い高校生だった記憶があり、顔はもうすっかり覚えていないのですが、「ナナメが民宿始めたよ!」という話をきりたっぷりで聞いて以来、時折HPをチェックしていたので、昔の顔は覚えていないけれど今の顔は(HPで)覚えています。以前、ナナメ氏の宿に行こうと思って設備を確認するために電話したのですが、私のことは覚えていてくれたものの、部屋は2階にしかなく階段には手すりがないとのことで訪問を断念したのですが、「そのうち手すり付けます。付けたら、ブログで報告します。」と言ってくれたので、チェックしたところ2年前に「手すり付けました」というブログの投稿があったので、今回40年振りの再会です。ナナメ氏と感動の再会を果たした後、「今日、あなたが来ることを伝えたら、懐かしいからH氏も来るよ! 懐かしいでしょう!?」と言われて大いに戸惑ってしまいます。H氏… 正直、全く記憶にないのです! そのH氏が来て、「久しぶりぃ~!「懐かしいぃ~!」と言われたので、正直に「スミマセン。全く覚えてません」と言ったところ、あの時、男4人+女2人の6名できりたっぷりに3連泊して、ずっと一緒にいたこと。東京に帰った後その6人で会って呑んだこと…等を言われて正直びっくり。私の中では、その時一緒だったのは男3人+女2人の5人で、彼以外の4人は全員名前も特徴も思い出せるのに、何故か彼だけはその存在すら思い出せないなんて...!? 加えて、H氏は私の当時の狛江の実家にも来たことがあって、母親と3人で会話したことも覚えていて、その母親の記憶がまさに私の母親のそれだったこと、私も彼の仙川のアパートに行ったことがあることなどを言われ、何となくおぼろげながら京王線路沿いの仙川のアパートのイメージを思い出したり…
恐らく、私の記憶の彼の部分だけが脳卒中ですっぽりと抜けてしまったのでしょうか… Hさん、本当に申し訳ありません。その後、1982年2月16・17日に間違いなく同じ宿で同じ時を過ごした3人の昔話で大いに盛り上がった一夜でした。
でも、脳卒中になった人から「確かに、一部の記憶がスポッと抜けている時がある。」と言われたことを思い出しました。(私を除いた)5人の中から、何でH氏の記憶だけ全く抜けているのかは、いまだに不思議で仕方がありません。
Hさん、本当に申し訳ありません。
(自宅に戻ってから改めて見たメモに、Hさんの仙川の住所がありました。)

 

15日目:8月22日(月)

 

最初は、ナナメ氏の民宿「とおまわり」に2泊して、羅臼の熊クルーズとネイチャークルーズの2つのクルーズを満喫するつもりでした。ところが、あの事故があり妻の「クルーズなんて乗りたくない。ましてや、知床でなんて... 絶対嫌!」という気持ちもわからなくはないので、とりあえず小さい船に乗る「熊クルーズ」は(私もちょっと怖いので)諦めることにして、羅臼での宿泊は1泊に変更しました。
とはいえ、羅臼に行く以上やっぱりネイチャークルーズには乗りたいので、妻には内緒でクルーズの予約だけはしていました。元々信頼できる船会社だし、あの事故以来安全性には今まで以上に細心の対応をしている筈なので、「妻が嫌がるのならば1人で乗るのも仕方ない」ぐらいの気持ちで妻を説得したところ、何とかOKとのことで今日は「知床ネイチャークルーズ」に乗る今回の知床のメインです。

40年振りのナナメ氏と再会を約束してクルーズ船の乗り場に向かいます。今日も天気は良く、あの事故以来欠航は増えているのでしょうが、波も穏やかそうなので出航に支障はなさそうとのこと。

この船が我々を安全にご案内してくれます

いくつかの救命胴衣には、過去にそれを使った有名人のサインがある救命胴衣を着けて、いよいよクルーズに出発。国後島が本当に近くに見えます。

国後は、すぐそこ

以前に比べて乗客は減っているのでしょうが、私が想像したよりは乗客は乗っているようでまずは嬉しい限りです。あの悲しい事故の記憶は消えることはないけれど、各船会社が安全に最大限に配慮して早く船に乗る観光客が戻ることを祈るばかりです。クルーズ船は何艘かあり、お互いに連絡を取り合って野生動物が見えると「いるぞぉ~!」と連絡を取り合っているようです。常に視界の中には他の船が見えるので、気づかずに沈没してしまうなんてことはなさそうです。

肝心な野生動物ですが、ラッキーなことにツチクジラやマッコウクジラをたくさん見ることが出来て、本当に楽しいクルーズでした。何分間か呼吸のために海面から少し顔を出すクジラ、潮を吹くところを写真に収めて満足します。

クジラがそろそろ海面に潜るタイミングが慣れたガイドさんにはわかるようで、「そろそろ、潜りますよぉ~!」と合図が出ます。この後、尾びれを上げて海に潜るので、「その瞬間の写真なんて、撮れないだろうなぁ~」なんて思っていましたが、私の腕&カメラでも、何とか撮ることが出来ました。

こんな写真が撮れて、ラッキーでした!

兎に角、本当に素晴らしい知床クルーズでした。諦めずに乗って良かった! 妻もたくさんクジラが見られて満足してくれてたと思います。

今回、知床半島を十分に満喫して、羅臼を後にして羅臼側の付け根の街標津に向かいます。「イクラ日本一」と言われる標津でのランチは、郷土料理武田の「しべつ鮭三代漬け丼」。

地元民+観光客で結構混んでいました

サーモンのの刺身やイクラはともかく、鮭節はどうなんだろう… とも思いましたが、この鮭節が何とも美味だったのには驚きました。

標津、この鮭節を食べにまた行きたいです

標津のサーモン科学館は2009年に満喫していたので今回はスルーして中標津へ。ところが、ここにきて雲というより霧が立ち込めてきて、これからの眺望にやや暗雲がたれこみます。中標津のシンボル「開陽台」に行く前に、このところ2回連続で定休日で降られ続けた有名店「ラ・レトリなかしべつ」でのソフトクリームタイム。

昔、開陽台に行くのに何度もお世話になった大好きだった民宿「地平線」も、その前を通るとまだ営業しているようで嬉しい限りでした。(大学卒業以来)2007年に久しぶりに泊まった時の記憶では、私の今の体では2階の部屋には泊まれそうにないので宿泊は断念していますが、いつかはもう一度訪ねたいと思っているところです。
学生時代、冬の明け方にマイナス20℃近い雪道を30分以上登り毎朝朝陽を見に来た地、私の人生を変えた思い出の地である開陽台。

大学4年生の時、今の会社の最終面接で当時の社長に向かって、「約270度地平線が見える、開陽台って知ってますか? こういう素晴らしいところがまだ日本にもたくさんあることを、もっと皆様に知ってほしいので、この会社に入りたいんです!」と言って旅行会社に入った私。そういう意味では私の人生を決定づけた本当に思い出の地ですが、その言葉で前の会社に入って以降、ずっと海外旅行だけを担当してきたので、結局開陽台を広めることは全くできなかったのです。このところ2回連続開陽台の風景が全く見えなかったので、久しぶりに見えて大満足でした。

近くにある懐かしの養老牛温泉。学生時代、その名前に憧れ、寅さんにも出てきてますます行きたくなり、その後何度か日帰り温泉も楽しんだのですが、今回はこの山肌の「牛」の字を楽しみに来ました。

この日の宿は40年前にナナメ氏とH氏と会った懐かしの「きりたっぷり」。
宿に荷物を置いてから、毎回行く近所の日帰り温泉を楽しんでから、先日亡くなったモンキーパンチ氏の故郷で、ルパンで町おこしをしている霧多布の「仮想の飲み屋」へ。
(外見だけで、中身はありません)
こんな店があったら、次元とバーボンを酌み交わしたいなぁ~!?

注文するのは、勿論「ジャックダニエルをロックで!」

こんな店なら、目のやり場に困るだろうなぁ~!?

きりたっぷり、昔は寿司が食べられることで有名になった宿でしたが、宿主の武士氏がもう寿司を握らなくなったので少し心配していましたが、この日も10名以上の宿泊者で満館状態。どうやら、Googleを見てくる人がかなり増えたようで、何が人気になるかは本当にわからない時代になったようです。