麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

「ラーメン二郎」のこと


昨日何気なくフジテレビの7時からの番組を見ていたら、後半で「ラーメン二郎」の特集をやっていました。茂木健一郎が二郎を食べている時の脳を科学するような番組だったと記憶しています。
直後にたまたまこの番組を見ていた友人から「見た?」というメールを貰い、私の頭の中は二郎一色になりましたので、今日は二郎について書きます。

私が初めて二郎を食べたのは1979年、そう大学に入学した年です。その当時はチェーン店どころか超マニアックなラーメン屋で、勿論三田に1件しかありませんでした。

我々学生の間では話題の店ですが、ハマっている人が多い反面入ったことがない人も多く、特に女性は雰囲気的には絶対に入れないイメージでした。恐らく当時の女性で二郎を食べたことがある人は殆どいないだろうと思います。当時は女性は「ラーメン屋に並んで入る」ということは非常にできづらい雰囲気がありました。

当時我々の間ではある伝説がまことしやかに流れていました。曰く「二郎には麻薬が入っている!」その理由は「最初に食べた時には何とも思わず、2回目にちょっと旨いと思い、3回食べたら中毒になる!」というその習慣性によるものです。

最初に食べた時のことは実はあまり覚えていません。確かに最初から「旨かった!」という記憶はあまりなく、当時は並んでまでラーメンを食べる文化があまりなかったので、「ラーメンごときに並ぶなんて…」というマイナスイメージの出会いでした。
その後はお決まりの通り見事に中毒に侵され、気づいたら週2回以上(時には3回!)二郎を食べないと体調が悪くなる毎日でした。

二郎と言えばよく呪文のようなオーダーの仕方が最近話題になりますが、昔は食券もなかったので、そのやり方は確かに初心者には難しいもので、「最初は先輩に連れて行ってもらうところ」というのが一般的でした。当時、壁に貼ってあったメニューは

ただのラーメン
豚入りラーメン
卵入りラーメン
全部入りラーメン(今はありませんが豚+生卵が入ります)
大盛りラーメン
大豚ラーメン
大卵入りラーメン
大全部入りラーメン

の8種類だけだった記憶があります。

しかしながらこのメニュー通りに頼む人は誰もいません。
まず、席に座っても自分からは何も言わず、二郎の親父さんからの声掛けを待ちます。
最初の声掛けは、座った人の顔を見て「はい、何?」と聞かれます。自分と目があったことを確認した後、ここではサイズのみ申告します。そう「大」か「小」と言うだけです。ここで先走ってオーダーを言う人がいますが「素人」だと思われて親父さんからは無視されます。因みにサイズにはもう一つ「増し(麺増し)」という超大盛りのメニューがありますが、当時いくら大食漢で鳴らした私でも残念ながら挑戦する気にさせない伝説のメニューでした。当時、体育会柔道部の専用メニューのような近寄りがたい雰囲気がありました。

ラーメンが出来上がり最後の仕上げの前に、親父さんからもう一度「はい 何?」と聞かれますのでここで初めて自分好みのオーダーを伝えます。
この追加オーダー、系列店ができた今では「トッピング」と呼ばれて定着しています。個人的にはラーメン特に二郎にはこの言い方は似合わないと思うのですが…

この時に学生時代の私のいつものオーダーは
「大ダブル辛め野菜ニンニク」
です。訳すと
大=大盛り
ダブル=豚肉ダブル(当時はメニューにはなく、チャーシューが倍の8枚)
辛め=スープ濃いめ(醤油ダレを追加!)
野菜=もやし・キャベツ中心の野菜を大盛りに!
にんにく=刻みにんにく追加!(思えばデートの日でもニンニク食べてたなぁ~)

というオーダーになります。当時は今の系列店のような「野菜ダブル」であるとかのメニューはありませんでした。また、ただでさえ脂っこい二郎に「油を増そう!」と考えた人はほぼ皆無だったように思います。少なくとも1980年代の最初の4年間には、このオーダーは聞いたことありませんでした。

当時、最初の頃は大ダブルで確か380円だったと思います。(その他の追加は無料)その後440円になり卒業する頃は480円になったと思います。もしかしたら最初っから440円だったかも知れません。ただ、卒業の時に大ダブルが480円だったのはよく覚えています。

卒業後、最初は仙台に赴任しましたが出張や休暇などで東京で時間があれば二郎に並びました。その後、東京に戻ってきてからも仕事途中で並んだりしました。特に覚えているのは旧三田本店の最後の日。区画整理で立ち退くことになった二郎の最後を惜しんで、最終日には長蛇の行列になりました。当然私も仕事をサボって当時のラーメン好きの部下と朝から2時間以上並びました。並んだ瞬間我々が「最後の客」となり、「後の人たちを断って下さい」と頼まれ、約2時間並ぼうとした人たちを断ったのが思い出です。
二郎関連のサイトで「旧三田本店最後の客」というペンネームで投稿をしていたのは、実は私だったのです!
ただ二郎は思いの外早く今の場所で復活し、我々を一安心させてくれました。
あの時は「当分食えない」と思って必死に並んだのに…

その後、あちこちに系列店ができ、我々を喜ばせてくれました。系列店は二郎そのものではありませんが、店によってはかなりレベルの高い店があり、満足です。特に私が神田で働いていた頃、神田に今神保町で営業している店がありました。
当時仕入れを担当していた私の取引先の人はたまたま二郎好きで、よく神田の駅で待ち合わせて二郎で一緒にラーメンを食いながら、かなり大口の大切な商談をしていたのです!

二郎の各支店のことは別の機会に書こうと思います。

食べたいな~!!

だけど脳卒中、医者には止められるだろうな~!!