麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

倒れてから現在まで… その③ 運命の日6月16日=その1=


いよいよ、倒れた当日6月16日のお話です。

5月の最後には、ホールインワン&ボーリングの驚異的スコア(私的には…ですが)と不思議な前兆が続き、そして6月になりました。
会社では「ホールインワン男」として一躍有名になり、不吉さも忘れてはしゃいでいました。調子に乗って次回のゴルフコンペの幹事も引き受け、仕事はそっちのけで次回のコンペの会場探しに没頭していました。

そうこうしているうちに、6月8日で遂に50になりました。兎にも角にも不吉な49歳を無事に乗り切ることができたのでほっとすると同時に、「今度こそ50なので体調管理に気をつけないと…」と、酒をグビグビ飲みなが体のことを真剣に考えることもありましたが、まぁ49を無事に乗り切った安堵感の方が大きかったのも事実です。
3月まで大崎ではジム通いを続けていましたが、実は昨年秋ごろから徐々に回数が減り始め、転勤したものですから一旦NASは解約しました。「池袋で落ち着いたら新しいジムに通おう!」とは思い続けていましたが、なかなか真剣に探せないまま2ヶ月が過ぎました。実は体重がリバウンドしはじめており、昨年秋93キロぐらいまで落ちたのですがジムに通わず酒だけはコンスタントに飲み続けていたものですから知らず知らずのうちに95キロを突破、気付いたら間もなく3桁に手の届きそうなところまでリバウンドしてしまいました。

そして、運命の日は6月16日。5月にホールインワンを達成したゴルフ場の帰り、同乗した先輩から「ホールインワン祝い」でお誘いいただいたコンペです。
会の会長は当社のOBで既にリタイアされた大先輩。私の10年以上前の直属の上司でもあるので、尊敬する先輩です。結構年齢層の高いその会に混ぜていただくことが出来たので、個人的には鼻高々でした。「これも、ホールインワンのお陰!」と有頂天になったものです。
その日は平日(確か木曜日)だったのですが有給を取り、勇んで茨城のコースへ向かいました・
当日「今考えたら体調悪かったかなぁ?」と思い返してみましたが、特に普通の日でした。朝7時とちょっと早い集合だったのですが、いつもどおり早めに目覚めシャワーを浴びて、5時には車のエンジンをスタートさせました。16号を柏ICまで走り、阿見のICまで。6時過ぎには到着してしまいましたが、50を過ぎても最年少に近いコンペの初参加ですから、いつもどおり早めに到着してコンビニで時間つぶしをしていました。
当日は相変わらずの雨でしたが、午前中に止むという予報も出ていましたので「止める」という選択肢はメンバーにもそして私自身にもありませんでした。大半のメンバーとは初対面、この日ラウンドしたメンバーですが初対面の70歳ぐらいの方、面識のある会社の先輩、そして10年以上前に一緒に働いた仲良しの先輩でした。結果的に、メンバーに知人がいたことが文字通り命拾いにつながりました。

7時半過ぎにゴルフスタート。ここでも、特に体調が悪いということはあまり無かったように記憶していますが、この日のゴルフは何故か最悪。「調子が悪い」というレベルの調子悪さではありませんでした。何故か普通にショットしても、飛ぶ距離がいつもと全く違うのです。前半終わってスコアは何故か70台。ゴルフを始めてから10年以上経ちますが、70を叩いたのは恐らくここ5年以上の記憶がありません。前半を終えクラブハウスへ。何故こんな調子が悪いのか皆目わからずに、ただ後半の復活を期してランチタイムです。時間はまだ10時半、お腹は未だ空いていませんが生ビールと塩ラーメンをオーダーしました。

ビールを飲みながら、遅れてきた塩ラーメンを賞味していましたが、ここでだんだん調子が悪くなりました。ラーメンを半分食べたぐらいで気持ちが悪くなり、とても後半プレーが出来る状況ではない気がして、メンバーの知人に「午後プレーしないで寝ています。」と宣言したその時でした。突然ラーメンを食べていた右手が動かなくなり、右手で持っていた箸が持てなくなり、手から離れて(落ちて)しまいました。
「あれ、手が動かない!」と叫んだ時突如全身を倦怠感が襲いました。我慢できなくなりテーブルの横に倒れてしまいました。
「救急車お願いします。」凄く苦しいわけではないのですが、何故か右半身が動かなくなってしまった訳です。