麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

倒れてから現在まで… その④ 運命の日6月16日=その2=


昨日に続いて当日のダイジェスト2回目です。

倒れて、救急車を待っている間は不思議な気分でした。
凄く痛いわけでもすごく苦しいわけでもないのですが、「気分が悪い」という気持ちはずっとありました。勿論、半身が動かないわけですから、これは尋常ならざることという認識はあり、「どうしたんだ??何が起きたんだ??」という驚きはありました。
後日一緒に入院していた同じ病気(脳内出血)の人に聞いたところ、「発症直後は頭が割れるように痛かった」と仰っていましたが、私の場合は上述の通り痛さはそんなにありませんでした。
ゴルフコース上ではなく、クラブハウス(レストラン)で倒れたので、救急車はおよそ10分ぐらいで到着したでしょうか。この間意識を失うことはありませんでしたが、徐々に事の重大さが自分の中で重くのしかかり、「このまま死んじゃうのかなぁ~! 死にたくな~い!」という気持ちが強くなり、だんだん意識の中は「死にたくないモード」一色になったわけです。
同席していただいた先輩の後日談によると、救急車は10分ぐらいで到着したそうです。それから、救急車ですぐ受け入れ病院が見つかり、搬送までも10分程度(勿論、本人の記憶では冷静に時間を図ることは出来ません。全て後日聞いた話しです。)
本人ですが、救急隊が到着していた瞬間は鮮明に記憶しています。ただ、このあたりから記憶が途切れ途切れになります。決して「痛かった」とか「死ぬほど苦しかった」というわけではないものの、やっぱり記憶が飛ぶくらいには苦しかったのでしょう。
10年以上前に一緒に働いていた1年先輩(I氏)が大好きなラウンドを途中放棄して救急車に同乗してくれました。I氏の記憶によると救急車内でも救急隊員の質問に本人は比較的しっかりと回答していたらしいのですが、本人の記憶はもうある程度曖昧です。とにかく「死にたくない!助かりたい!」ということだけを必死に念じ続けた時間でした。

気がついたら、大きな部屋のベッドに寝ていて、上から何本もの(よく考えたら)点滴につながれていました。頭は比較的冷静で、「これだけ何本もの線につながれているんだから、きっと助かったに違いない。」と、とりあえず死んでいないことに心からほっとしました。しかしながら右半身を動かそうとしてみても手足は全く動かず、「死にはしなかったものの、大変なことになっちまったなぁ…」 頭の中は比較的冷静でした。 
少し余裕を取り戻して左右を見回してみると、大きな病室には(左右を覗く余裕はありませんでしたが)ベッドが複数あり、恐らく他の重い人が寝ているICUのような病室だろうな…と想像しましたが、後で確認するとやはりICUでした。結構大きなICUのあるこの病院はそれなりに大きな救急病院で茨城にしては(失礼?)大きな東京医科大学茨城医療センターだったのです。倒れた場所(コース内ではなくクラブハウス)といい迅速な救急車対応といい運ばれた病院といい、かなりラッキーだった状況だったと言えます。
時間の観念はすっかりなくなっていましたが、とりあえず眠り続けました。途中I先輩が様子を見ていてくれることがわかり、「あぁ、Iさんはゴルフを放棄して看病してくれているんだ」ということだけわかり、「知り合いがいて良かった」とまずは組み合わせに感謝したものです。
その後、時間はわかりませんがカミさんと二人の子供が駆けつけてくれました。「パパ大丈夫!?」という第一声に「あ~ぁ、みんなわざわざ悪いね。」と返事したつもりだったのですが… 実際に出た声は「アウアウ」程度だったようです。この第一声を聞いた家族は「言葉をやられた~!」と思ったそうです。I氏が自宅と会社に連絡してくれたらしく、カミさんが既に働いている二人の子供に連絡し、取り急ぎ仕事を放り出して駆けつけてくれたようです。