麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

倒れてから現在まで… その⑥ 2つ目の病院


6月21日、脳卒中で倒れてから6日目です。取り急ぎ危機はとりあえず脱したと言うことで、自宅近くの病院に転院です。
実は、この病院をどうやって選んだのかはよく知らないのです。家族が病院に詳しい訳は全然ないので、恐らく最初の茨城の病院からの紹介なのでしょう。まぁ、茨城の病院では見舞いに来るにも片道2時間以上かかるわけですから、埼玉への転院は大歓迎です。そんな遠距離なのに、ほぼ毎日のように見舞いに来てくれた妻と子供には本当に感謝です。
転院当日、ベッドに寝たまま兎に角何の思い出も何もないICUとお別れです。完治した暁には、どんな病院だったのか一度は見てみたいような気もしますが、その時は周りを見回す余裕もなく、ただ青い空だけがひたすら印象に残っています。感傷にひたるという余裕は全くなく、まず出られたことに感謝です。(まだ、この病院を「見に行きたい」と思うような精神的余裕は生まれていません)
妻が手配した介護タクシーというベッドのままに乗る車に初乗車、2~3時間かかるという不思議なドライブです。発症直後なのに医者や看護士は一切同乗せずの長距離ドライブなので、「万一、何かあったら終りだなぁ…」ととっても怖かったのをよく覚えています。

転院した病院は埼玉北部久喜市久喜駅前にある新井病院というまあまあ大きな病院です。私の自宅からは久喜まで電車で2駅と近く、場所的には文句なしです。久喜のヨーカドーあたりには買物によく行ったので、駅前の土地勘はあったのですが、この病院は知りませんでした。
茨城から下道を通って2時間半程度、特に心配した体調悪化もなく無事に到着し、すぐに病室へ。今後入院がどのくらいの期間になるか皆目不明のため、入院費用は極力節約しなければならないところですが、生憎相部屋に空きはなく、とりあえず個室への入院です。なおこの病院への入院は18日間でしたが、結局退院直前まで相部屋が空くことはなく、最後まで個室で過ごすことになりました。

この病院での治療は救急病院の治療の延長のような毎日でした。茨城との違いはICUではなく病室だったのでTVがありましたから、殆ど寝ていることに変りはありませんでしたが寝ている以外の時間は大半TVを見ていました。病院のテレビカードは1,000円で15時間視聴できるのですが、2日に1回はカード購入をお願いしていましたので、一日10時間は見ていただろうと思われます。こんなように毎日TVばっかり見ていた私なので、すっかりTVには詳しくなりました。丁度W杯サッカーの時期、流石に深夜の中継は病院から止められて見られませんでしたが、試合翌日本田のゴールの瞬間は何度見たことか… 人生で一番TVを見た3週間だったと思います。
ここでの治療は基本的には毎日点滴などの治療です。時折ベッドに寝たまま別の場所に運ばれ、CTスキャンなどの検査を受けました。移動は勿論寝たままです。最初は下にも管をつながれ、トイレも垂れ流しでしたが、転院後1週間ぐらいでチ〇チ〇の管がはずされ、「小」は看護士(全員女性、結構若い人も多い)を呼んで尿瓶で処理です。「大」は看護士さん2~3人がかりでおまるに座らせてもらうのですが、この頃から便秘気味になり、入院中2~3回程度しかお世話になった記憶がありません。なお、便秘ですが50年間一切そのような症状はなく、快食・快便の私でしたが、その頃から今でも苦しむようになりました。脳卒中で倒れた方には、その後便秘で悩む方が多いんだそうな。また、風呂にも何回か入れていただきました。ベッドのままお風呂まで移動し、寝たきり用の風呂マシーンにうつされ、その後風呂場に運んでもらえるハイテクな設備です。結構感動の瞬間でした。
この病院にはリハビリの施設はありません。まぁ転院の目的も「救急治療その2」みたいな意味合いですからリハビリは「もう少し直ってから」と思っていました。ただ、リハビリのないこの病院でしたが、楽しみの一つに簡単なリハビリがありました。一人だけ理学療法士さんがいて、出勤の日は30分程度リハビリのようなことをしてくれます。麻痺している手や足のマッサージをしてくれ、その後ベッドから起き上がり「ベッドに座る練習」や「立つ練習」をします。残念ながらその時点ではベッドに座ったり立ち上がったりすることが精一杯です。「これ、回復まで先は長いぞ~!」と思わざるを得ませんでした。後で文献を読むと「リハビリは、兎に角早く始めた方がいい。極論すれば倒れた翌日からでもはじめるべき。」というのがここ最近の風潮のようで、その意味ではこの病院にいた約3週間が勿体無かったともいえますが、まぁ、今更仕方ありませんね。

ようやく7月になり、先生からも「そろそろ転院してリハビリを。」という許可が出て、いよいよ3箇所目の病院に転院、リハビリ生活を送る日々が始まることになります。