麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

1ヶ月が経過しました!


今日は1月22日です。
このブログは昨年12月22日にはじめて、第1回目の文章を投稿しましたので、ちょうど本日でめでたく1ヶ月になりました。

リハビリ目標で始めたブログですので、とりあえず「毎日サボることなく書き込む」ことを最低の義務にしました。
仕事のない日は自宅のPCに向かって、会社に行く日は往復の電車の中で携帯を使って書き込みを行い、目標は何とか達成しました。投稿記事も今日まで31日間で43ケも書くことが出来ました。

まぁ、リハビリが終わって暇な日は日がなPCに向かっていましたし、通勤時間は片手ですから本を読むことも出来ないので、結局この書き込みをするぐらいしかすることがありません。

これからも毎日更新は続けて行きたいと思っていますが、問題は「書き込みをする時間」ではなく「書き込む内容」になりそうです。

そう、「ネタ切れ」の恐怖… これはブログを始めた当初から危惧していたことでもあります。闘病記や普段考えていることなどを書いたら、次には何を書けばいいか?? 本当に夜寝る前にブログに書くことをあれこれ考えるときがあります。そうしてみると、5年も6年もブログを続けてほぼ毎日書き込んでいる人の努力には本当に頭が下がります。

私も闘病記に続いて普段考えていることそして日常のトピックスを書いています。通勤電車の車内では周りのお客さんの動きを書いたりもしています。
でも、通勤経路はそんなに変わらないわけで、実況中継するのにも限界があります。

いずれ、書くネタに苦しむ時代が来るのでしょうね。今から対応を真剣に考えなきゃ! というところです。

「初心者のブログ指南」などを読む限り、「1ヶ月は読者ゼロでも更新を我慢して続けなさい」と書かれています。
しかしながらなぜか私の駄文を読んで下さる方も不思議といらっしゃるようで、現在のアクセスを見ると訪問者数で何とか日に100アクセスを超えるようになってきました。これは本当に励みになる数字です。
ページビューも倍はいっており、「間違えてアクセスしちゃった」という人よりも「ついでに別の日のネタも読んだ」という人が多いと言うことが見て取れます。
本当に嬉しい限りです。

実は、何を隠そう「小説家」志望でした。大学も迷わず「文学部」を選択しました。(女性が多いからという理由は当時はありませんでした。)特に中学・高校時代は自分で私小説を書いていたこともあります。ただ、当時この文章を人に見せる勇気もなく、密かに隠して持っていました。

十数年前、たまたま大掃除していた時にこの原稿を見つけ、当時を思い出して大いに赤面し、迷わずゴミ箱に捨てたことを思い出します。
そこには、中原中也に影響を受け人生など何もわかっていない小生意気な17歳(ぐらい)が格好をつけて煙草をくわえて、人生を嘆いている詩までありました。
(当時、間違いなく喫煙しており、ご丁寧に懐かしい「焼け焦げ」までついていました!)

まぁ、もし持っていても絶対に公開することはないと思いますが…

今でも「小説を書いてみたい」という欲はないわけではありません。ところが、プロットが浮かばないのです。恐らく、これは小説家を目指すという観点からすると致命的な欠点なのでしょうね。
水嶋ヒロは本当に凄いと思います。

でも、紀行文なら書けそうな気がします。私の敬愛する師匠は故宮脇俊三さん。そう、鉄道に関する珠玉のエッセイを数多く残された名作家です。
この宮脇さん、時間があると電車に乗りに行き、その紀行文をエッセイにまとめられます。
これなら私にも出来るかな?とも思いますが、宮脇さんの別のエッセイを読むと、「文を書くには電車に乗る数倍の時間がかかる」のだそうです。
飄々とした文章に見えるときもありますが、実は見かけによらず推敲を重ねた練りに練られた文章だったのです。

こりゃやっぱり私には無理ですね。

でも、やっぱり紀行文は書いてみたいですね。
昔の「鉄ちゃん」魂に火がついてきました!