麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

倒れてから現在まで… 最終回 リハビリとその後


今日もゆっくりとした午前中でした。
朝食後、大沢親分のいなくなった「喝!」を見た後、日課となっている右腕のリハビリをゆっくりと行いました。

サンデーモーニングのスポーツコーナーは数年来欠かさずに見ていました。それだけに大沢親分の逝去はショックでした! 日ハムファンではないものの、親分は監督時代から好きで、変な話ですが何となく「監督だけ」をずっと応援していました。

サンデーモーニングの「喝!」「あっぱれ!」も忌憚のない意見が好きで、毎回(ゴルフなどに行く日以外は)欠かさず見ていました。昨年、体調不良で何度か休んでいた時に心配はしていたのですが… まさかそのまま昇天されてしまうとは思ってもいませんでした。
最近は相棒を失った張さんもイマイチ元気がないようで、「喝!」の件数も怒り具合も大人しくなったような気がします。
張さん! 我々が見たいのは大人しいコーナーではなく、世のスポーツ界を震撼させるような気合いの籠もった「喝ぁつぅ~!」なのですよ。

そのためにもTBSさん、早くレギュラーを固定化して下さい。毎回がゲストではゲストが張さんに遠慮してイマイチ面白くありません。
今日は遠慮してコメントの切れがイマイチでしたが、キャラ的には達川さんなんて良いと思うのですが…
親分のように歯に衣を着せないコメントが見たいものです。

前段が長くなりましたが、17回に渡った回顧録もいよいよ最終回になりました。

11月からはいよいよ通院リハビリと会社出社が始まりました。
月曜日と木曜日はリハビリセンターにてリハビリです。リハビリは3回目以降は基本一人で行くようにしていました。朝、娘の運転でセンターまで行き、1時間はリハビリを見学したりぶらぶらしています。最初のうちは病院に一緒に入院していた人がまだいたので、この人たちと運良く会話ができれば退屈しなくて済みます。その後血圧を計り、診察前の医師の簡単な診察を受けてその後PT(歩行)とOT(手)のリハビリを行います。
血圧を測るのは自動血圧計。最初の頃はたとえ人ではなく機械の血圧計相手でも緊張して血圧は上がってしまう私でしたが、何度か計るうちにようやく提出出来るレベルの値になりました。この頃はまだ血圧の変動が大きく、血圧計の数値に毎朝一喜一憂する日々が続きました。

PT(歩行)については杖を使って階段や段差などのギャップ対策に多くの時間が費やされました。OTは相変わらず思うに任せない手のマッサージが中心です。

終了後はPTの訓練室隅を借りて着替えをします。その後会計をしてバス停まで歩きます。12時15分の大宮駅直行バスに間に合えばいいのですが、目の前を無情に通り過ぎることも少なくなく、その場合が25分の指扇行きのバスで帰ります。

大抵大宮駅のエキュートで昼飯の菓子パンを買い込み、宇都宮線で帰ります。この時間の列車は大概座れるので問題ないのですが、座れなくてもまぁ15分なので何とか立って帰ることにしていました。
自宅に帰るのは1時半過ぎ。午後はTVを見たりしてのんびりと過ごします。

火曜日と金曜日は会社へ。11月中は「通勤家族同伴」が産業医によって義務づけられていましたので、基本妻に同行していただきました。9時過ぎに自宅を出て、グリーン車にて仲良く通勤します。妻は私を会社に送ると私がネットで予約したホテルへ。コンビニで昼食とお菓子を買ってデイユースのホテルでのんびりと過ごしていたようです。

私の方は… 半年ぶりの会社ですから、まず最初はメールを見ることから始めなければいけません。勿論、不在中の私宛のメールは全部周囲の方々に見ていただき処理していただいていましたが、その間のストーリーを全て追わないと復帰というかみんなの話題について行けません。

メールの未読件数は合計で3千件前後だったと記憶しています。最初メーラーの未読件数を見た時には気が遠くなりましたが、読む必要のない定期メールなどもあるので、読む必要があるのは1000件ぐらいでしょうか…
仕方がないので気を取り直して毎日少しずつ読んでいくことにしました。(結局メールを読み終わるのに1ヶ月かかりました)

11月が終わる頃に再度産業医と面談し、ようやく一人での通勤が認められ12月に入ってからは1人で通勤ができるようになりました。ただ、12月も勤務は11月と同じパターンです。

10月から11月の2ヶ月間は、万一の風呂場での事故を恐れ、週2回ヘルパーをお願いすることにしました。初めてヘルパーが来た日…倒れて以来5ヶ月ぶりに湯船に入れた日です。本当に待ちわびた湯船に入った気分は… うまく表現ができないほどに「格別」でした。
とは言え、お風呂にはすぐに慣れたので、ヘルパーさんは1ヶ月で終わりにしました。


こんな日々を続け、12月の20日には遂にリハビリセンターでのリハビリも発症後半年の期限を迎えて遂に終わりになります。
そして… 12月の後半にはこのブログを始め、その後のことはこのブログに綴られています。

以上、「倒れてからのことをどこかに綴っておきたい!」と思って始めた回顧録ですが、一応今回で終わりとします。
このシリーズは全17回。(番号のついていない看護師編を含む)左バーの「マイカテゴリー」の「回顧録」をクリックすると全17話がご参照いただけます!

ただ、まだ書いていないことがありそうな気がしています。たとえば転倒したことなどもまだ書いていませんし…
次回以降、ネタに困ったときにでも「番外編」として書く可能性があります!!

とりあえず長い間のご愛読に感謝申し上げます!!