麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

弘前の思い出<その2>

おはようございます。始業前の会社です。

昨日、弘前の思い出を打ちましたが、スマホでの入力の遅さに、打とうと思っていたことの半分も打てませんでした。「続きは後で」と書いたものの、いつもだと次にブログを入力するのは木曜日になります。そんなに引っ張る内容でもないので、今日はいつもより少し早く出勤して、続きを打ってしまおうと思い、ちょっと早起きしました。

それでは弘前「小倉屋」さんの続きです。

この店は、書いたように30年前の広島地方の日本を除けば、ほぼ「全国の常識」であった「ごちゃ混ぜにしてから焼く」お好み焼きではなく、まさに薄く広げた生地の上に大量のキャベツを乗せ、生焼けが心配になる肉を上に乗せ、そして卵を広げたところに見事にひっくり返し… その後焼きそばを焼いて乗せるのも広島風でした。でも当時(32年前)お好み焼きに焼きそばを入れるなんて信じられない作業でしたが、この店の味は「初めて体験するからおいしく感じた」のも事実かもしれませんが、今考えても非常に丁寧な作業で、じっくりと目の前の鉄板でご主人がじっくりとお好み焼きを焼いてくれるのを30分ぐらい雑談(主にご主人の弘前の諸々のことを聞きながら)しながら待ち、空腹が最高潮に達したころに焼きあがったお好み焼きを賞味するという、ただでさえおいしく感じるシチュエーションが全て揃った上での「いただきま~す!」ですので、おいしくないはずがありません!!

このお店のもう一つの名物は「ゴマ氷」。かき氷にゴマで味を付けたまろやかな逸品でした。今でこそゴマを使ったスイーツはそう珍しくありませんが、当時32年前はゴマを甘味に使う発想はみんなになく、「ゴマ氷? ウソだろ!」という発想でした。「騙されたと思って食べてごらん」とユースホステルで勧められて、初回は清水の舞台とまでは言わないものの、かなり思い切って注文してみたもののその美味しさに再度驚いた記憶があります。

そうして、私の中で「弘前=小倉屋」のイメージが出来上がり、大好きな街になりました。弘前に泊まると1日1回(つまり1泊2日なら2回)は小倉屋さんに行くのが日課になり、親父さんにもすっかり顔を覚えていただきました。

二度目に行ったのは冬の北海道の往路、青函連絡船の青森まで行く前に弘前に立寄り、冬ですがちゃんとお好み焼きとゴマ氷を堪能しました。ちょうど弘前大学の受験日に当たり、札幌から来た同級生(つまり一浪中)と仲良くなって1日に2回行ったことを思い出します。

3度目の訪問は翌年野田村のユースホステルに居候(というか麻雀のメンツ要員&酒・つまみ買い出し要員)に行く前に、東北の祭りを見に行ったのです。勿論青森県と言えば青森の「ねぶた」が有名ですが、小倉屋のご主人から弘前の「ねぷた」の話をたっぷりと聞かされていた私は、初めての東北の祭りにまよわず「ねぷた」を選択しました。

その後も北志向の私は学生時代何回か弘前に行って、ユースには泊まらなくても小倉屋さんには必ず立寄ったものです。

会社に入って仙台に赴任した私は、入社数年後に久しぶりに休暇を取って車で弘前に向かいました。とりあえずユースにチェックインして荷物を置き、「まずは小倉屋!」とすぐに外出しましたが、何と見慣れた街に小倉屋さんの看板がない!! ではありませんか!?

慌ててユースに戻って聞いてみると「何年か前にご主人がお亡くなりになって店をたたんだ…」とのこと。

実は弘前に行くのはそれ以来になります。すごく楽しみです。 

わかれば、おじさんの墓参りにも行ってみたいなぁ~!

間もなく9時、徐々に会社にも人が増えてきました! 業務開始です