麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

外貨預金、苦戦中!!


最近、外出することも少なく、「最低でも週1回は更新しよう!」と決めているこのブログですが、書くネタがなくて困っています。
そもそも闘病の記録を日記に書こうと思って始めたことですが、その時はネタは無尽蔵にあると信じていたのですが… 確かにはじめの頃は書く内容に困ったことはありませんでしたが、最近は書く前に「何を書こうか…」と1時間以上リハビリをしながら、ずっとずっと悩んでいます。

「闘病記や回復記を書けばいいじゃないか!」と思われると思いますが、正直自分でも呆れるほど回復が遅いというか症状が改善されず、自分なりには書くほどのネタが全く思い浮かびません。
久しぶりに逢った知人は「久しぶりに逢って、随分良くなったじゃない!?」と言ってくれる方もいますが、毎日この症状と付き合っている本人としては、全くその実感はなく、褒めていただいたその言葉も、お世辞にしか聞こえません。
少しは良くなっていると信じてはいますが、例えば「半年前の症状ってどうだったっけ??」と言っても明確には思い出せません。唯一歩く速度ぐらいが明快な指標になるモノですが、歩く速度はそんなに変わっていないような気がしています。駅までの道、相変わらずすべての人にさっさと追い抜かれてしまい、不動産屋表現で「駅まで7分」のマンション(元気な頃は目安8~10分)から駅までは、相変わらず15分程度です。

ということで、今日はお金・外貨貯金のことについてを書きたいと思います。

ようやく子供2人の養育・教育経費から解放され、少しですが給料から貯金に回せるようになったのが今から3年前。勿論、1年半前の脳卒中で倒れて生活が一変する1年ちょっと前のことです。
大学の学費は年間100万前後。子供の大学在学中は、この授業料を僅かな貯金を食い潰さずに1年間で貯めることがギリギリでした。4年生の秋、最後の学費を振り込んだ時には、本当に充足感というかほっとした満足感がありました。
そして、「これからは我々夫婦の老後の楽しみのために、せっせと貯金しよう!」と固く心に誓ったものです。

思い出せば会社に入った22才の時、手元の貯金はほぼゼロ。「江戸っ子だから、宵越しの銭はもたねぇ!」と気取っていた訳ではなく、単純に大学時代は「とにかく旅行とバイトに明け暮れ、バイトで貯めた金を夏休みと春休みの旅行で全て使い果たす!」という生活を4年間続けていた私でしたので、今から考えたら本当に武器を何も持たずに戦地に出かけて行ったような、非常に危険な状況でした。

研修中に貰った15万前後の初給料を全て研修所での飲み代に費やし、仙台に赴任した時には初めての一人暮らしなのに簡単な家具を買ったらあっという間になくなってしまう10万円が全財産という非常に心細い状況でした。
その10万で中古のTV・冷蔵庫・洗濯機を買い、残金1万円で最初の20日間を暮した記憶があります。

それでも「何とかなる」という楽天的な性格は当時から変わらず、給料が出ると颯爽と飲みに行って、給料の大半を最初の1週間でほぼ使い切ってしまうというのが当時の生活パターンだったのです。

妻と知り合ったのが1年目の3月、4・5月ぐらいから付き合うようになり、当時は倹約家だった妻から時折借金しながら生活していました。
結婚したのは3年目の12月。結婚式場のホテルの支払いは冬のボーナスを完全にあてにし、新婚旅行の費用は結婚式のご祝儀をご祝儀袋から出して使わせていただくような正に「綱渡り」の状況でした。

本当は結婚後、私の給料だけでは生活ができないと考え、当面共稼ぎをする予定でいたのですが、結婚を機にそれまで勤めていた会社を辞めた妻が、何とハネムーンベイビーに恵まれ、その2年後には2人目にも恵まれてしまったため、結局妻は結婚以降ほぼ働くことなく専業主婦で過ごすことになりました。

そんな状況でしたので、25歳で結婚、26歳で父親になった私は常に貧乏。我が家の生活費に子供たちの学費、車を買いそして家を買い、ローンの支払いに追われて正直貯金どころの騒ぎではありませんでした。

3年前、ようやくそんな生活から脱却、今までは学費を払って小遣いをあげていた子供が、逆に僅かですが生活費を家計に入れてくれるようになりました。ようやく毎月の収支が黒字になり、毎月僅かではありますが貯金ができるようになりました。(それまでは月の収支も赤字。毎月のマイナスをボーナス等で辛うじて埋める日々です。)
そこで、今までは興味を持てなかった貯金の金利を見てみると、銀行の金利なんて定期預金にしても限りなくゼロに近い金利。「これからコツコツ貯めよう!」と考えても、ちょっとその気にもならない金利です。

「何か率がいい投資はないかなぁ~?」と考えていましたが、若いころから海外旅行を商売にしていた私に親しみやすいのはドルを初めとした外貨預金。ずっと1ドル100円前後で推移していたドルが、当時95円程度と当時としてはちょっと円高で推移していました。
「これだぁ~!」と思い、早速貯金の大半をドルに両替、それでも全部をドルにするのはアメリカに何かあった時のリスクが高すぎると考え、1/4は当時の「優良通貨」ユーロに両替しました。

私が初めてアメリカに行ったのが昭和59年の入社2年目、当時1ドル240~250円が両替レートでした。当時アメリカ・ハワイへ旅行して、「物価、高っ!!」と感じたものです。というのはスーパーで当時コーラが一本$1、当時出張時に会社から支給される食事代が1700円。当時のドルに直すと$7~8程度で、朝食はホテルでなんか絶対に食べられず、会社支給での食事代で食べられる朝食はマクドナルドだけだった記憶があります。
その頃、友人と「$1は100円ぐらいが妥当。$1=¥100になるよう、日本も経済力つけたいよね!」と話していたことを思い出します。

その後円はジリジリと上昇、1時95年頃には$1=¥80前後の時もありました。その頃アメリカへ行き、当時アメリカの流行の最先端であったアウトレットモールへ行き、円高の恩恵を目いっぱい享受しましたが、その後ドルはじわじわと値を戻し、結局110円前後まで戻りました。
確かに80円の頃アメリカ本土に行くと、ニューヨーク等の大都会はともかく、ロスなどで売っている普通のものを比較すると、アメリカの物価はとてつもなく安く感じられ、その後$1=¥110に戻った時には、「やっぱり、1ドルは100円が適当」という信念を強く持つようになり、「1ドル=100円」が私のポリシーになりました。

ドル預金をする際、当時では最新の投資である「FX」も検討しましたが、やっぱり万一のリスクを考えるとそこまで踏み切れませんでした。ドル貯金でも95円で両替し、100円に戻した時に再両替すると5%の儲けです。とりあえず最初はそれで十分だと思っていました。今考えたら、この判断は本当に助かったと思っています。

その後90円まで下がった時、「今が勝負時!」と思って更にドルに両替しました。その後85円に下がっても、「おかしいなぁ~!?」と思いながら更にドルを追加していきましたが、徐々に顔が青ざめています。

ご存知のように今はドルが76円前後、投資初期に比べると最大25%ぐらいの大損です。ユーロに至っては、120円で買ったものがいまや97円です。

ということで、すぐに両替すると損失が確定するので、しばらく両替しないで放置しようと思っています。万一$1=¥100に戻ることがあれば(もうないかもしれませんが…) 追加で買った分も含めて考えると「大勝ち」になるのですが…

とりあえずドルもユーロも定期預金にして塩漬けにしてあります。
でも、やっぱり0.1%以下の金利では定期預金にする気、起きないんですよねぇ~…