麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

生涯で一番心配した数日間

 
今週の水曜日から、仕事もリハビリのスケジュールもメチャクチャになってしまうような、大変な出来事がありました。
本当に大袈裟ではなく、人生で一番不安だった、一番心配した数日間だったと言ってもい過言ではありません。
とりあえず今は何とか落ち着きましたが、今日はその激動の日々をレポートします。

2月になった水曜日、いつもの通り会社に出て働いていました。11時過ぎからは、間もなく社の会議室予約のシステムが変更になるので、30分程度のその新システムの予約の講習会に出席していました。

その講習中、滅多にならない携帯から着信がありました。会議中、携帯を見たり遊んだりするのはご法度なのはどこでも同じで、当然わが社でもNGなのですが、私の場合右手が麻痺しているのでメモが取れず、メモを取るために会議・講習には常に携帯を持ち込み、必要があれば携帯にメモを取っていますので、会議への携帯持ち込みは病人の特権のようなものです。
発信人を確認すると妻からです。妻からは至急の用件以外の仕事中の携帯への電話は厳禁にしているため、何か緊急事態が起きたものと推定されます。
それでもみんながいる前で「もしもし」と出るわけにはいかず、一旦着信を切って「何?」と一言メールを打ちました。それでも再度妻からの着信があり、これは本当に非常事態なのかもしれません。なので、席を立ち電話に出ます。妻からは
「長男が心筋梗塞の疑いで救急車で病院に搬送された!」との第一報が!

心筋梗塞」とはただ事ではありません。個人的な印象でも死亡率の高い重篤な病気の印象です。こうなるともう仕事どころではありません。講師に緊急事態を告げ講習を中座、自席に戻ってコートを取って周囲に事情を簡単に話し、すぐに会社前の池袋の自宅に戻り妻と合流、タクシーで病院に向かいます。

どういう状況なのか皆目見当が付きませんでしたが、病院へ行く途中にようやく少しづつ状況が見えてきます。妻への第一報は病院や救急車からではなく、本人から連絡があったのだそうです。本人が意識不明や昏睡状態なのを心配していましたが、とりあえずその状況ではないようでした。
その後判ったことは、「体調が悪く、胸が苦しかった息子は仕事を中座して会社の近くの医者へ。心電図等を取ったところ「心筋梗塞」の疑いがあり、早急に対ししないと命の危険もあるという医師の判断で、救急車で医師の出身であり心臓病にもノウハウが豊富な御茶ノ水の順天堂病院に連絡、救急車での搬送が決まった」のだそうです。息子から妻に第一報があったのはその直後、息子が息も絶え絶えながら自分で妻に電話してきたようです。

私の勤務先&通勤用の住居がある池袋とお茶の水は意外と近くにあります。第一報からすぐに会社を飛び出し、15分後には妻と落ち合ってタクシーに飛び乗りましたので、12時過ぎには御茶ノ水の順天堂病院に到着。勤務先の木場から救急車でサイレンを鳴らして向かってきているはずの息子の救急車はまだ到着しておらず、慌てて駆け付けた我々の方が早く駆けつけることができました。

勿論、救急車で向かっている息子の情報は病院には届いていますので、医師から治療予定と危険性(やっぱり、危険な病気なのです!)の説明を受け、必要な同意書などは本人到着前に我々がサインして、本人の到着を待ちます。

本人が救急センターに運ばれてきたのがその15分ぐらい後、目をつぶっており、声をかけても意識がないように感じられました。

救急センターで1時間を超える治療を受けている間も、我々は入院手続きや息子の会社への連絡など、心配しながらも忙しく様々な業務をこなします。
約2時間後、救急治療を終えた医師と面談。心筋梗塞だと思っていたのですが、「心臓の周りの血管には詰っている部分(梗塞)はなくきれいなもの。でもやっぱり心臓の動きはおかしく、心臓そのものが炎症を起こしている『心筋炎』という病気だと思われる。」とのこと。
医学に暗い私にとって、「心筋炎」とは初めて聞く病名だったので、あんまり死因で聞く病気でもないことから「大丈夫なんですよね??」と確認したところ、医師からは「必ずしもそうではない。油断大敵。まだ山が来るかもしれない。」などとちょっと心配させるような症状であると言われました。ただ、当分設備が整った順天堂病院のICUに入院するということで、先生からは「万一の時の人工心臓の用意もありますから、あらゆる手を尽くしてまだ若いご子息の命は我々が守ります!」という力強い言葉をいただき、こちらも「1千万・2千万かかってもいいですから、何とか息子を助けて下さい!」とお願い、「そんなにかからないよ~!」と笑われてしまいました。

救急治療後、ICUに入った息子と面会。苦しさは残っているもののしっかりしており、会話はなんとか成立。「こうなった上は全てを忘れ、医者にすべてを任せて治療に専念しよう。」と本人に言い聞かせました。本人もこうなった以上は諦めて治療に専念すると普段より聞き分けよく納得したようです。

その後、息子の勤務先に行き、状況を説明。ロッカーに残っていた息子のアパートの鍵を受け取り、息子の一人暮らしのアパートに向かいます。昨年春から一人暮らしを始めた息子のアパートに行くのは初めてでした。一度行きたいと思っていましたが、まさかこんな形で息子の一人暮らしのアパート訪問が実現するとは想像もしていませんでした。

翌日木曜日は会社へ行きましたが、ICUの面会時間(2~4時)に間に合うように会社を出て、再び順天堂へ。少しは良くなった息子を励ましてから、会社の鍵などを返しに行ったり、救急車で搬送を手配して頂いた病院に御礼と治療費の支払いをしたりなど所要を着々とこなします。

金曜日はリハビリの日ですがリハビリもキャンセルして見舞いに。結局水から今日日曜日まで5日連続毎日見舞いに行きました。
お陰様で症状は好転しており、危惧していた山も来ずに、徐々に&順調に回復してきています。
昨日先生から、「もう、一般病棟に移っていいよ!」と許可が出たのですが、一般病棟に空きベッドがなく、「仕方がないからベッドが空くまでICUにいていい…」という変なICU滞在になりました。

なので今はICUなのにTVを運んでもらい、フルサービスの看護を受けながらの贅沢な入院患者です。

でも、とにかく無事でほっとしました。我が家の大切な、たった二人しかいない子供達です。「精一杯人生を楽しんで、私たちに孫を見せて、そして我々をちゃんと見送ってからでないと、死ぬのは絶対に許さないぞ!」と、機会を見て言い聞かせたいと思っています。

それにしても本当にホッとしました!!