麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

我が家の宗教戦争


金曜日、予定通り順天堂の外来で診察を受けた息子は、「順調に回復しているので職場復帰OK」という太鼓判を貰い、その日のうちに自分のアパートに戻り、翌土曜日から勤務に戻ることができました。
忘れもしない2月1日11時過ぎ、「心筋梗塞の疑いで救急車にて緊急入院!」という連絡から24日間のドタバタでしたが、24日で無事に終了、元通りに戻りました。

土曜日からは、1月までと同じ息子がいない生活に戻り、妻は「淋しくなった」とは言っています。確かに淋しくはなったものの、こんな病気でのドタバタや療養での同居なら元気で働いていてくれた方がよほどいいのも事実。亭主も息子も「元気で留守がいい!」とは言いませんが、成人した息子も「元気で、自分のフィールドで活躍」するのがいいに決まっています。
責任感が強い息子なので、「不在中の挽回をしなきゃ!」と頑張りすぎることが心配ではありますが… でも3週間以上も休んでいたのに「責任を感じない」ことの方が問題だと思いますので、倒れない程度にはちょっとは無理して頑張って欲しいという気持ちがあります。

ところで先週の木曜日に、はじめて「いとこ」の訃報に接し、目黒で執り行われたお通夜に参列してきました。私より7歳年上のいとこはまだ58歳の働きざかり、自身でネット通販などを手掛ける会社を経営している現役の会社経営者ですので、とにかく参列者の多いお通夜でした。

私の母親などを含め、ある程度天寿を全うしたと思われる高齢の方のお葬式は、通常参列者もそう多くなく、また送る方にもある程度「もう十分…(?)」という気持ちがあるためなのか、悲しみよりも心のこもった「いいお見送りだったね」というお葬式が多いのですが、特に若い方の不意の逝去はお見送りというよりも、「まさか… 何で??」という驚きと悔しさの重なる本当に気の重くなる式になります。
私の経験でも、若い・仕事現役の方のお通夜ほど参列者も多く&悲しいお通夜はなく、参列者も凄い数になり焼香だけでも2時間かかるほど長蛇の列に並んだ経験もあります。

今回、いとこは早くから「末期がん」を宣告されていて、この日が来るのは予測はしていたらしいのですが、やはり取引先が多いのか、またはずっと地元の目黒に住んでいて小~大まで友人も多いからなのか、本当に参列者の多いお通夜でした。

私は親族なので式場の親族席の端っこの方に座り、神妙にお経を聞いていました。焼香に入ってからは最初の頃に焼香を済ませた後には、ただ頭を垂れて神妙に皆様のお焼香を見守っていたのですが…
親族の焼香の後、式場外で並んでいる参列者の焼香が始まります。参列者が多いのは予想はしていましたが、親族以外の参列者席は大人数に対応するためか早々に外され、焼香者の行列はふだんのそれよりどう考えても多い5列の列が作られています。
列を整理する式場のスタッフさんは小声で「今日は参列者が多いので、焼香(つまり線香を顔の前に持ってきて、遺影の前にくべる動作)は1回だけでお願いします。」と「さっさと焼香したら、すぐに出ていけ!」的な対応です。
参列者の中には驚愕の顔や涙ぐんでいる顔もあり、「ゆっくりお別れをいいたいなぁ~」という顔もたくさんあったのですが、手際よい葬儀場のスタッフのその手際の良さに圧倒され、次から次へと捌かれていった感じがしました。
個人的には、「時間がかかってもいいから、折角いらしてくれた人たちなので、ゆっくりとお別れさせてあげたら…」と言いたい気分でしたが、そうもいかないいろいろな事情もあるのでしょうね。

あれだけ急がせた結果でも、全員の焼香が終わったのは1時間半後。よくお経が持ったなと思いましたが、お焼香の間はずっとお経が続いていました。ずっと親族席に座っていた私も、多少疲れてしまいました。でも、「あれだけの人数で、お料理足りたかなぁ~」などといらぬ心配をしてしまいました。

いとこは半年近く前に「末期がん」の宣告を医師から受けたそうで、それから「自分の最期」を自分なりに準備していたそうです。
末期ガンで苦しんだ時のために「終末医療施設」を予約、仕事の引き継ぎも当然しっかりと済ませたものと思われます。
当然斎場の予約はできないものの、式の打ち合わせは本人が行い、遺影も自分で選んで決めていたようです。

びっくりしたのはお経をあげた導師さん。いとこの家の墓も、母の実家がある栃木県の鹿沼市の同じ菩提寺にあるのですが、どうも聞いたことのあるお経だと思っていたら、焼香中1時間半ずっとお経をあげていたのは、その栃木県の鹿沼からわざわざお経をあげに来た導師さんだったのです!
お経をあげた後、導師さんが法話をされたのですが、「先週、本人から電話が来て自らの最期が近いこと」と「その際はお経をあげに東京まで来てほしい」ことを淡々と冷静にお願いされたことの他に、「自分の戒名への希望(この文字を使ってほしい!)」についてもお願いされたのだそうです。
自らの最期を前にしたその冷静な対応について、本当にお坊さんもびっくりされておられました。

その話を聞いて、本当に「私ならどうするのだろう??」と心配になりました。
チキンハートの私は、万一「余命わずか」と宣告されたら恐らく気が狂ってしまうだろうと思っています。なので「告知はして欲しくない」と考えているのが正直なところです。
でも何らかの理由で告知をされたら、本当にどうなるのか… ちょっと想像がつきません。自分の遺影を選んだり戒名に思いを馳せたりなど、とっても考えられないだろうなと思います。

そういう意味では、たった7歳違いだけど、今回のいとこには本当に頭が下がります。

ところで、母の実家の菩提寺真言宗です。
仏教なんて良く分からないのですが、個人的には真言宗、気に入っています。
理由は、何となくお経がわかりやすいことも理由の一つですが、多くのお坊さんがお経をあげた後に「わかりやすい&印象に残る法話」をしてくれることが理由です。
このお坊さんは何回か親戚のお葬式や法要でお経を聞いたことがありましたが、毎回印象に残る話を必ずしてくれます。
「葬式」や「法事」なのでハッピーな気持ちになることはないのですが、何となく「いい葬式だった」と思えるような話をしてくれます。
以前、ある方のお葬式で、まだ元気だった母と「いい葬式だったね。あのお坊さんがよかった」と会話したことがあり、その時に「いつか来る母の葬儀は真言宗でやろう!」と決めていました。
その時のイメージが強く、母の葬儀は真言宗を希望して執り行いました。導師さんは葬儀社の紹介でしたが、この方もいいお坊さんで、印象に残る法話をしていただきました。

でも実は35年前に亡くなった父の実家は浄土真宗。我が家の仏壇には、2つの位牌が一見仲良く並んでいるのですが、法名をよく見ると毎日「宗教戦争」が勃発しているのです。

私はまだまだ死にたくありませんが、最期の時には真言宗にお世話になりたいと思っています。

でも、妻は敬虔なカトリック宗教戦争はわが夫婦にもあります!!