麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

2年振りの温泉!東北旅行記<その4> 世界遺産! 中尊寺


おはようございます。3連休、早くも最終日です。
いい加減、旅行記を書き上げなければとパソコンに向かっていますが、座りすぎて何故か腰が痛いので、ちょっと心配です。
でも、頑張ります!

2日目:6月23日(土)

志戸平温泉で快適な一夜を過ごし、2年振りの温泉を出来るだけ全身に感じようと、朝6時頃ゆっくりと部屋の露天風呂にて川のせせらぎと小鳥のさえずりをBGMに、30分ぐらい誰にも何にも邪魔されない至高の時間を楽しみました。
空腹の上に素材を吟味された朝食は最高の美味。胃も小さくなりダイエットにも気にするようになったので、ご飯をお代わりすることなんて全く無縁な2年間を送っていましたが、この日ばかりは別で、美味しいご飯とおかずで食は異常に進み、もう私には生涯縁のない言葉だと思っていた「おかわり!」というフレーズを、本当に数年振りに叫んでしまいました。

この日の予定は、世界遺産になった平泉をゆっくり観光し、午後には妻の実家仙台へいくというスケジュールでした。このスケジュールに決めた理由は、今回お世話になった旅館志だてが、宿泊者のために無料の「平泉ライナー」というバスを運行しており、ホテルの玄関より中尊寺の山門前まで送ってくれるというサービスを知ったためです。
旅館から駅に向かうのも大変ですし、中尊寺平泉駅からも遠く、距離はそう遠くなくとも志戸平温泉から中尊寺に行くだけでも半日近くかかりそうですが、このホテルのサービスのバスを利用すると僅か1時間で中尊寺までダイレクトアクセスが可能ですので、プランを立てる時から利用を決め、宿泊予約と同時にメールにて予約を済ませていました。

朝食も終わり、ロビーでホテルのサービスのコーヒーをご馳走になり、お土産などを眺めながら予約した平泉ライナーの出発を待ちます。
平泉ライナーの出発予定時間は9時、昨日の送迎バスの状況を考えても、「大型バス満員」の状況を予想していましたが、志だての玄関に来た車は誰も乗っていないマイクロバスで、そのマイクロバスは昨日と同様我々二人だけを乗せたらすぐに志だてを出発します。
その後本館の「ホテル志戸平」で10人弱の乗客を乗せた平泉ライナーは、一路高速に乗って中尊寺山門を目指します。どうもこのサービスはホテル志戸平独自のサービスのようです。でも、本当に助かりました。

バスで平泉・中尊寺に向かう東北道の上で、昔平泉や中尊寺に行った時のことを必死に思い出そうとしていました。
小学校の遠足で中尊寺に来た記憶が鮮明の妻はしきりに「中尊寺、上り坂大変だけど大丈夫かなぁ?」としきりに病人の私を気遣ってくれます。
かく言う私は、平泉には仙台時代(昭和58年から平成元年の6年間)に何度となく来ていますが、正直中尊寺の記憶はあまりなく、妻が言うほど登りが大変だった記憶がありません。
上り坂を気遣う妻に「そんな大変な記憶はない。(妻の記憶は)小さいころの記憶なので、ちょっと大げさなのでは? 大丈夫だよ!」とは言って、妻の心配を一笑に付してはみたものの、「いつ以来だっけ?」と自分の記憶の引き出しをあっちこっち引っ張り出してみますが、明確な答えは見つかりません。

平泉には予定通り10時ジャストに到着、約1時間の快適なドライブでした。25年振りくらいの中尊寺山門前はさすが世界遺産に認定されただけあり、お店がぐっと増えた感じです。朝から観光バスが何十台も停まっており、本当に旬な観光地を感じさせます。
とりあえずコインロッカーに荷物を預けて、中尊寺の山門を昇り始めます。
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山門からは、凄い上り坂が始まります。中尊寺の記憶力の勝負は完全に妻の勝ちのようで、結構上り坂は大変です。身障者用のエスカレーターなどの設備も無いようで、ここはスロープを何とか上がるしかなさそうです。
つかまるロープはありますが、結構スロープもきつく、20分ぐらい上り坂は続いたでしょうか… 古戦場が見えるこの景勝地でも、まだ半分ぐらいしか登っておりません。
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「こんなきつい坂、記憶にないなぁ… でも、あの駐車場や土産屋にはデジャヴがあるんだよなぁ~…」と不思議な思いをしながら、更に坂を登ってゆきます。
参道沿いには、たくさんの風情あるお堂があります。いちいち観光して歩きたいところですが、とりあえず一番上まで行きたい私は、必死に先を急ぎます。
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ようやく本堂です。でも観光客の目指す「金色堂」はまだ上にあり、少し眺めてお祈りをした後には、また先を目指します。
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ようやく終点、目指す金色堂に。この風景、散々見覚えがあります。
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この風景を見て、ようやくおぼろげな記憶が鮮明になりました。そう、この風景は「集合写真で散々見た風景。」だったのですが、実は「来るのは初めてなのではないか??」ということが見えてきたのです。

こう考えた結果、だんだん記憶が鮮明につながってきました。蘇った記憶によると
中尊寺に添乗員として来たのは2回。共に入社2年目まで。(昭和59年まで)
・1回目は、夜の宴会の準備のために観光をガイドに任せ、私は電話で旅館との打ち合わせのため観光中ずっと土産屋さんの電話を借りて打ち合わせしてたっけ…
 (当時は携帯なんてないので、観光の時間や休憩の時間は添乗員にとって一番忙しい時間でした。 だからお土産屋さんの記憶、あんなに鮮明だったんだぁ…)
・2回目は、お客さんの中に体調の悪い人がいて、これも観光をガイドさんに任せ、私は近くの病院に連れて行って注射打って貰ったっけ…

つまり、「中尊寺山門前には過去2回来たものの、中尊寺は一度も登ったことはない。でも金色堂のこの風景は、その時の集合写真のバックだったので鮮明に覚えている。」のです。登りがきついことを「忘れた」のではなく「知らなかった」のです。これでは妻との記憶合戦に勝てるわけがありません。

気を取り直して金色堂を見学します。金色堂だけの拝観料は800円ですが、私は身障者割引で400円になります。「これだけ必死に上ってきたご褒美」と勝手に考えて納得することにしました。
でも世界遺産効果… 凄い混雑です。金色堂を見るのに長い行列に並ばなければならない混雑ぶりです。思わず大きな声で、「パンダかっ!」と突っ込んでしまいました。
金色堂は建物の中に入っていますので保存状態はいいようですが、歴史の重みなどを感じることはなく、残念ながら藤原三代のいにしえの栄華を偲ぶことはできませんでした。(金ぴかすぎるからか…?)。昔藤原3代の歴史に興味を持って本を読み漁ったことを思いだしました。

金色堂近辺には芭蕉翁の句碑&銅像があります。 ここで自分の誤解を一つ発見。あの名句「五月雨の降り残してやひかりどう」ですが、私はこの日まで「五月雨を」だとずっと思っていました。確かによくよく考えると「五月雨の」の方が良さそうです。やっぱり芭蕉は「深イィ~」ですね。
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降りる時にも転倒に気を使いながら何とか参道を降り、12時前でちょっと早いけれど満員になり始めたレストランにようやく席を確保して昼食。昼過ぎにはもの凄い行列になってきましたが、何とか平泉の名物中心の昼食を味わうことができました。
(昨日の夕食&朝食が鮮烈だったので、味は特にコメントできません。)
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昼食後、タクシーを呼んでもらい平泉駅近くの毛越寺へ。こちらは両方の時にも入場観光しており、やっぱり記憶は鮮明です。(ちゃんと見ていたものはちゃんと覚えているのを確認して、少しほっとしました。)
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本堂に参拝した後は、毛越寺自慢の庭園へ。その後よく添乗で行った中国各地の公園を彷彿とさせるような池が大きくスケールの大きい庭園でした。昔来た時はまだ中国に行ったことがない頃だったので、この共通点に気づくこともありませんでした。
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この後平泉駅からみたびの一関駅に戻り、新幹線で仙台の妻の実家へ。翌日帰宅の途につきました。

これで6月の東北旅行のレポートを終わりにします。
次の旅行記は9月上旬、九州旅行を計画しています。