麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

アメリカ50州制覇の夢


今日もいつも通りにリハビリを1時間して、TVでヤンキースプレーオフを見ながらパソコンに向かっています。

ここ数年で、日本のプロ野球に対する興味は、残念ながらすっかりなくなってしまいました。私が野球を見なくなったきっかけは、大好きなドラゴンズに私の天敵ともいえる落合氏が監督として来た8年前であることは間違いないのですが、今年ようやく落合氏がいなくなってドラキチに戻ろうと決めていたのですが、いざシーズンが始まってみるとドラゴンズにも何故かあまり興味が持てず、昨日も午前中のメジャーリーグの中継は見たものの、午後の日本のクライマックスシリーズの中継にはセ・パ共にチャンネルを合わせませんでした。
パリーグでは埼玉の地元ライオンズを応援しなきゃ!とは思っているのですが…)

それにしてもメジャーリーグ、前にも書いた記憶がありますが、あれだけ選手が入れ替わるのに「地元のおらがチーム」の応援は本当に凄いと思います。今は特にプレーオフ期間中だけあって、スタンドは地元チームの応援一色です。球団のある都市はニューヨークやロスなどの大都会はともかく、そんなに大都市でもない都市も結構あるのに…
だからこそ、地元球団に余計愛着があるのでしょうか…

実は私は、結構アメリカフリークです。今まで、当然と言えば当然ではあるのですが、仕事では海外旅行にはそれなりに多く行っています。ツアーの添乗員として団体旅行に随行した旅行が大半で、それ以外には会議や視察や打ち合わせなどの出張がその次を占めます。
添乗員としての行先は「憧れのヨーロッパ」が圧倒的に多く、会議等の出張では近くて行きやすいこともありアジアが圧倒的な回数を占めます。どちらもアメリカはさほど多くありませんが、でも好きな「憧れの地」には変わりありません。

思えば日本人のアメリカ旅行には、何度か人気にブームがあったような気がします。私が知っている第1回目のブームは私がこの会社・業界に入った1983年の頃。当時は「西海岸」がトレンドで、誰しもがロスやサンフランシスコに憧れた時代だった気がします。
でも私が入った頃、まだ1ドルが240円はしていた時代。当時ビックマックが$4はしていた記憶がありますので、「ビックマック=1000円」のアメリカ旅行はとかく高嶺の花でした。
当時お客さんと、スーパーで$1(つまり240円)の缶コーラを飲みながら、「1ドルは100円ぐらいが物価が釣り合う妥当な交換レートですよね!?」と当時では夢物語で語っていたことを鮮明に思い出します。

その後アメリカ旅行人気は少し下火になった時期もありますが、2度目のブームは$1が90円を切り超円高になって東海岸が初めてと言っていいほどもてはやされた1995年の頃だった記憶があります。但し、このブーム感は明確な記録には残っておらず、日本人訪問者数は当時は倍々ゲームで伸びていた頃でしたから、人員等の根拠は全くない1旅行会社の海外旅行担当者の単なる皮膚感覚です。(間違っていたらゴメンナサイ)

私がハワイ以外のいわゆるアメリカ本土に初めて足を踏み入れたのは、1987年頃だったと記憶しています。初めてアメリカ本土で足を踏み入れた地は、私が個人的に一番憧れていて未だに一番好きな街でもあるサンフランシスコ。ゴールデンゲートブリッジを初めて見た時は、堀江健一が初めて太平洋をヨットで単独航行してゴールデンゲートブリッジに辿り着いた時とは比べ物にはならないものの、個人的には同じように震えが止まらず感動したものです。
サンフランで最終日の晩、カラオケスナックに行って昔から密かに得意だった「I left my heart in San Francisco(思い出のサンフランシスコ)」を英語の歌詞を見ずに歌って、本場サンフランシスコ(の日本人)に拍手喝采を浴びたことを思い出します。
(今でも歌詞はアカペラで歌えますが、音程は何故か狂って音痴になったままです。)

その後も、個人的にはアメリカが好きと言うこともあり、アメリカ旅行は積極的に企画し、機会があれば添乗員として乗り込んでいました。当時かなりアメリカに入れ込んでいる証拠に、アメリカのロードマップを自宅で暇さえあれば毎日眺めていたことを思い出します。日本の47都道府県と県庁所在地が言えるのは日本人の大人ならば別に不思議でもありませんが、私はアメリカ50州の名前と州都と愛称(各州に「何とかステート」という愛称が全てあるのです。因みにニューヨーク州は「エンパイア・ステート」です。)を全て覚えるというヲタク的な楽しみをしていました。

当時の夢は「アメリカ50州全制覇」。レンタカーでアメリカ中の田舎を見て回るのが夢でした。勿論、まだ諦めたわけでは全然ありませんが、現在ちょっとそのモチベーションは少し下がって来ています。(まず日本の47都道府県制覇が先なので…)
今までに訪問した州の数は、まだ20に達していません。やっぱり日本人の旅行先として選ばれるのはカリフォルニアなどの特定の州に限られるため、ロスやサンフランに何回か行っても、州の数は増えないためです。
一気に訪問州の数を増やすためには、小さい州がたくさんあるアメリカ独立当初の13州のあたり(東北部)に行けばいいことは分かっているのですが、このあたりに行くツアーは殆どありません。この地域の中心地ボストンとニューヨークには勿論行ったことはありますが、この区間の移動は勿論飛行機でした。
また、一番「つぶす」のが大変そうなのが、「ディープサウス」と呼ばれる南部~中南部の各州。南北戦争時代、南軍の中心地として奴隷解放に反対し続けた土地で、今でも黒人比率が高い地域です。勿論、このあたりも大都会のアトランタと観光地のフロリダ・ニューオリンズにしか行ったことがありません。
アトランタ以外の大都市も観光地もさほど多くなく、また各州もそれなりに大きいため、行く機会は滅多になさそうです。
クリントンが大統領になった1993年頃、当時バブル末期の視察旅行担当者だった私は、「これからのトレンドはアーカンソークリントンさんの出身の南部の田舎の州)だ!」と勝手に信じ込みアーカンソーを含む日程を必死に売り込みました。何本か私の売り込み通りアーカンソーには行ってくれたものの、結局私が同行してリトルロックアーカンソーの州都で中心都市)の地を踏むことはできませんでした。

アメリカには「既に行ったことのある憧れの地」も結構増えましたが、「まだ見ぬ憧れの地」がまだまだ圧倒的に多いのも事実です。少し例を挙げると

・今一番行ってみたい国立公園は、イエローストーンとマウントラシュモア (とデビルスタワー)
フロリダ半島突端部キーウエストで「老人と海」の世界に浸る
アイオワ州マディソン郡の橋。20年以上前に大流行した屋根つきの橋を見たい
・アラスカ最北限のポイントバロー アラスカ物語のフランク安田になる!
ナッシュビル・メンフィスで音楽にどっぷり浸かる…

ずっと考え続けているわけではなく、ちょっと考え始めるだけでも、いくらでも出てきそうな気がします。
早く復活してまたアメリカ三昧の旅行をしたいと思います。
もう10年以上使ってなくて完全に錆びついた英語… また勉強し直さなくてはいけませんね。

アメリカに憧れるようになってから好きになった曲があります。今は演歌歌手ですが我々の世代のフォークバンド「アリスのベーヤン」の曲で、カリフォルニアに憧れて旅を続け、届かなかった人の物語です。
テネシー~テキサス~ニューメキシコアリゾナと旅をするその風景が浮かんでくるような気がします。20年以上振りにこの曲を思い出し、ベーヤンの曲の動画が見つかったのでアップします。

でも私のアメリカ旅行のスタートはいつもサンフランシスコ。
勿論、いつか実行する「アメリカ50州全制覇」のスタートも… です!!