麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

「ラーメン二郎」に復活!!


今年の初め、「今年1年のうちにこれに復活しよう!」と決意していたこと(イベントなど)はたくさんありました。
生活に直結するところでは、「週5日の通常勤務」、「自宅からの通勤」などです。それ以外には趣味などの部分が多く、「温泉に入る」ことや「露天風呂」・「飛行機に乗る」などさまざまな皆さんにとってはささいなことですが、私にとってはそれなりにプレッシャーもかかる目標がありました。
そんな大きな目標はお陰様で達成できたものが多かったので、ほぼ満足している1年になったと思いますが、それ以外にシャレで考えていた「どうでもいい」ような目標もいくつかあり、それについては無理矢理復活したというよりもたまたま復活できたものもあれば、機会に恵まれず達成できていないものもあります。

ともあれ、今年もまだ2週間以上残っており、シャレとは言え少しでも普通の生活に戻った証拠としては、「復活」したものを少しでも増やしておきたいと思っています。
中でも、遊びの部分とは言えややシャレ度が低く、どうしても2012年中には復活したいと願っていたもので、まだ達成できていない目標の中には「二次会」と「カラオケ」があります。
中でも「二次会」については倒れる前までの生活サイクル(毎日のように二次会が当たり前)を考えると、闘病生活3年未満のうちに絶対に復帰したいと強く願っていたものですが、やっぱり帰りの時間や電車が気になり、また多くの場合翌日の出勤が気になって2次会に参加するタイミングが掴めませんでした。(周囲の人たちは、年を取ったので3次会や時間制限のない二次会は激減したとのことですが、二次会そのものは減ってはいないようです。いつも1次会のお店の前で一人だけ別れを告げて、一人でトボトボと駅に向かうパターンが圧倒的でした。)
10月の大学のサークルのOB会では二次会まで参加したのですが、この会の1次会の開始が午後3時からで、二次会が始まったのが夕方の6時、なのでとても世間で言う二次会にはカウント出来ないと考えているので、自分的にはまだ「未復活」と位置付けております。
ただ、この「2次会」と「カラオケ」については、これも2008年以来久しぶりに参加する昔の仲間の忘年会が今度の金曜日にあり、この会ばかりは「2次会」で「カラオケ」に行き、一人づつ「10年以上歌い続けている定番の曲を歌う」のが前提のような会合なので、早くから「今年中の復活はこのタイミングで!」 と決意していました。
忘年会ピーク日の今週金曜日の実施ですので、電車が混むことやタクシーが捕まらないことは覚悟の上です。この会は倒れる前年にも母親の葬儀の関係で欠席していますので、このメンバーと逢うのは4年以上振りです。翌日からは3連休なので、タクシーを待つのは覚悟しようと思います。

因みに「10年以上歌い続けている定番の曲を歌う」ルールなのですが、私が毎回この会で歌っている(いつも「歌わされている」とは言いながら、実は喜んで歌っている)のは「キャンディーズメドレー」。30年以上前のアイドルキャンディーズの曲を全部歌えるこのメドレー、年齢層的にもこのぐらいの年代のカラオケでないと恥ずかしくって歌えません。
脳卒中発症後、確かに音痴になり音程が取れなくなってきていますので、昔のように「バラード系の曲を聴かせる」カラオケは選曲できません。大勢で歌える曲で誤魔化すことしかできません。なので復活の曲としては丁度良いのかも知れません。
倒れる前にマスターした最後の曲は、50歳には似合わないと言われたくって覚えたEXILEの「Lovers Again」。まだメロディーは覚えていますが、もう音痴が進行して残念ながら今は歌えません。

非常に前段が長くなりましたが、今日書こうと思ったのは、「今週末に復活しようと思っていること」ではなく、「先週金曜日に、復活したこと」なのです。
一昨日復活したのはまさに「どうでもいいこと」なのですが、思い入れが深い分私的には「復活した象徴」ぐらいに考えられるぐらいインパクトがあることです。でも、興味のない方には本当にどうでもいいことだと思います。
何に復活したのかというと、超ジャンクフードの「ラーメン二郎」に復帰したことです!!

ラーメン二郎のことはこのブログにも何回か書いた記憶があります。(昔の二郎のことを書いた記事はこちら)昔は東京の三田(田町近辺)に一件だけあった超マニアックなラーメン店で、15年ぐらい前から都内のあちこちに支店ができ初めてメジャー化が進み、今は二郎風とかの亜流・傍系の店を含めると数十店舗になり、大袈裟に言うとラーメン業界の「一つの流れ」になっているともいえるラーメン屋です。
私は大学1年生だった18歳の時に食べ始めて以来、恐らく倒れるまでの32年間合計で300回は食べているのではないかと思うほど、このラーメンを食べて(愛して)いました。

このラーメンの特徴を一言で言うと「超健康に悪そうなラーメン」。普通盛「並」でも一般店の大盛りを遥かに凌ぐそのボリューム。若い頃ならいざ知らず、今では並の完食も体調が良くないと難しそうです。加えてスープはかなり塩辛く、塩分制限の人にとっては数日分の塩分がラーメン一杯に入っていそうです。おまけにラーメンの上には油がギトギトと浮かんでおり、食べると化学調味料の影響で舌が痺れるような感じがします。
誰がどう考えても「健康には良くないよね!?]と言ったラーメンです。おまけにトッピング(無料の追加)で「カラメ」(更に醤油ダレを追加)や「油増し」を頼めるのですから、健康への悪影響は更に…
でも、それでもまた食べたくなる「麻薬のような味」なのです。

私は上述の通り、18の頃から32年間本当に中毒のように食べ続けていました。大学時代は毎日の朝食代わりに(二日酔いを覚ますためにも)大盛りを腹いっぱい食し、仙台勤務時代には、東京出張があると自宅に帰る時間を惜しんでも二郎に並んだものです。
チェーン店ができ始めた1997年頃には、三田本店への忠誠心は変わらないものの、手軽に食べられて禁断症状を和らげる手段としてもチェーン店にもよく行きました。「あそこに二郎ができた!」という噂を聞くと、近辺に仕事を作っては半ば強引に昼頃にその場所まで行ったものです。倒れる1年前には、栃木に出来た二郎を食べるために、無理矢理栃木にまで仕事を作ったことを思い出します。
当時は「二郎全店舗制覇」が現実的な目標でした。

倒れてからは、食べたいことは食べたいけれど、体には良くなさそうな二郎を食べるものは如何なものか… と考えていたのも事実です。
また二郎の共通点として、「店が狭く、移動をするのが大変」とか「ラーメンテーブルから自分のカウンターにラーメンの上げ下げをしなくてはならない」だとか「多くの店はレンゲがなく、スープを飲むには両手でどんぶりを持って飲まなければいけない」など単に食事をするだけでも病身の私にとってはハードルは高い… と考えていました。

でも、今週の金曜日2時頃に別の用事で池袋駅近くに行く用があったので、終了後昔何度か訪問経験があった「池袋二郎」が気になりちょっと覗いてみました。
池袋二郎は二郎支店の中では私的には中位ぐらいのランクに位置します。(因みに、個人的なランキングでは三田本店を除くと上位にランキングされるのは神保町と目黒ぐらいかな?)でも三田本店やランキング上位のお店の混雑は尋常ではなく、とっても仕事中の休憩時間に行って・並んで・食べて・帰ることを許される範囲の中では無理な感じなのが倒れる前の感想です。
池袋二郎も昼時の混雑は凄まじいけれども、もう2時を回っているので混雑は落ち着いたかなぁ~… と思って向かいましたが、幸い行列は数人。なので意を決して行列の後ろに並びました。(食事中、行列はまた10人に達しました。2時過ぎなのに…)
行列はすぐに進み、食券を買って案内された席は幸いなことに一番入口に近い席。狭い通路を通ってカウンター席に行く必要もなく、左側の端なので箸を持つ左手が隣の人にぶつかる心配もない、今の私にはベストポジションです。

黙ってラーメンができるのを待っている間、「トッピング」を訊かれた時の対応をあれこれ考えていました。
昔の私の定番のトッピングは「野菜」「カラメ」「ニンニク」。一応仕事中なのでニンニクはダメだし、ただでさえ塩分オーバーな二郎を食べるのに「カラメ」はあり得ないし、量が多いので「野菜」は食えないなぁ~ でも、トッピングを何も頼まないと「二郎素人」と思われるだろうな~ と、32年間二郎を食べ続けたプライドが邪魔をします。隣の席では、二郎では良く見る風景ですが、初めて二郎を食べる人に、先輩面した人がトッピングのルールを教えています。
とは言え、結局トッピングを聞かれた際に「何もいらないです…」と素人回答をしてしまいました。店員さん、どう思ったかな?

3年振りにの二郎は本当に懐かしの味。味覚が変った影響もあり、本当にしょっぱく感じ、食後も化学調味料の影響で舌が痺れる感覚がほぼ半日残りましたが、それでも3年振りの二郎の味には大満足です。
ありがたいことに池袋にはレンゲがあったので、スープも少しだけ味わうことができました。三田本店や神保町などのA級の支店でなくても、3年振りの私にはやや店が広くレンゲがある池袋で十分のような気がします。

でもカロリー&塩分オーバーは間違いのないところなので、今後もせいぜい半年に1回のペースで我慢することにしようと思います。

でも、入院当時からの目標が一つ叶えられて何よりな一日でした!