麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

雪と宇都宮線


先週の月曜日は、関東地方でも珍しい大雪が降りました。
我が家がある白岡も同様で、朝から激しい雪が降り始め、昼前には周囲は一面の銀世界に変りました。
「これは、明日の出勤は大変だぞぉ~!」と覚悟していましたが、予想を遥かに超え、大変な通勤はほぼ今週一杯続きました。

関東地方・東京の大雪は「17年振り」という報道が多かった気がしますが、私が思い出す「すごい雪」も思い出すと確か17年前です。丁度我々家族が10月にこの家に引っ越してきた最初の冬で、大雪はまだ「ハッピーマンデー」という制度がなく、成人の日の祝日は毎年1月15日に固定されていた頃の成人の日の前日だか前々日の出来事だったような記憶があります。
神田にあった支店で勤務していた頃でしたが、成人の日前後にヨーロッパに行く大型団体があり、その斡旋で毎晩終電まで忙しく働いていた時にその大雪はやってきたように記憶しています。

話は脇道にそれますが、当時はまだまだ春~秋のシーズンのヨーロッパ旅行がかなりの高価で、庶民が気軽にヨーロッパに行けるのは値段が安くなる冬のシーズンに限定されていた時代でした。私が初めてヨーロッパに行ったのも2月で、以降のヨーロッパも当時は圧倒的に冬のツアーが多かったのを懐かしく思い出します。
当時の大学生・専門学校生へのヨーロッパ旅行の”ウリ言葉”は、「ヨーロッパには人生のうちに何度かしか行けない。学生時代の今を逃すと、次のヨーロッパ旅行のチャンスは(一般的には)定年後!? なので今のうちにローンを組んででも絶対に行っておくべき!」でした。
因みに一番旅費が安くなって専門学校のツアーなどが多い時期は12月。この時期ロンドンなどは3時半にはもう夕暮れが始まり、4時にはクリスマスイルミネーションがきれいに見えていました。(美術館などが充実していなければ、暇を持て余す訳ですね…)
因みに、当時ヨーロッパツアーと言えば冬の添乗が圧倒的に多かった私にとっては、イギリス・バッキンガム宮殿の衛兵の交代式の衣装は地味なグレーのオーバーが常識。よくTVで見る派手な赤の衣装は春~秋用なので、冬のツアーでは見ることはできません。
グレーの地味な衛兵の交代式を見て、ちょっとがっかりするお客さんの顔を見るのが定番でした。よく他の観光地にのことについて「世界三大ガッカリ」とか言われることがありましたが、冬のヨーロッパ旅行の最大ガッカリは、個人的にはこのバッキンガム宮殿の衛兵さんのオーバーだった気がしています。
でもロンドン、寒いんだからどうしようもありませんよね…

話が大分脇道にそれました。17年前の大雪のことです。
白岡で初めての冬を過ごしていた私ですが、古くには仙台での冬に慣れていた時代もあります。雪がしんしんと降り続き、帰りの交通機関が危なくなってきていて、みんな「自分の帰りも気になるし、出発前なので(旅行に参加される方のために)絶対にやっておかなければならない作業もあるし…」 気もそぞろで作業をしていたのを思い出します。でも私は実は結構楽天的に構えていました。何故かというとこの年から我が家に帰る電車は通称”宇都宮線”とは言っていますが、JR的な正式な路線名は東北本線」です。つまり仙台や盛岡などの降雪地帯を通り、最終的には豪雪地青森まで行く、その「東北本線」と同じ路線なのです。
「ということは、東京では豪雪でも青森あたりで考えたら”いつもの雪”なのだから、こんな雪で”東北本線”が止まる訳がない!!」と、勝手に信じていた故の余裕でした。
なので、帰りが心配な部下を帰し、人の分まで作業を引き受けて余裕でやっていたことを思い出します。でも、そんな余裕は単なる過信に過ぎませんでした…

雪は激しさを増し、気づいたら結構の電車が止まっています。まだネットはあまり発達しておらず、ネットでのニュース速報などのメディアの数も速報性も今とは比べ物にならない時代でしたので、支店の休憩室で時折TVのニュースをチェックしていましたが、運休路線のなかに「宇都宮線」はしっかりと入っているではありませんか…!?
「えっ、東北本線なのに、何故??」と疑問に思っていたところ、同じ沿線住民の方曰く「宇都宮線東北本線だと思ってはいけない。宇都宮線はすぐ止まる脆弱な電車である…」と初めてその真実を知らされました!!
慌てて帰る算段を考えましたが、その日はどう考えても帰る手段がなさそうだし、引き受けた仕事を投げ出すわけにもいかないので、結局覚悟を決めて支店に泊まり込んだことを思い出します。
そしてその後祝日の日当日も雪模様だったと記憶していますが、北関東の各地からはその団体用の貸切バスが成田まで何とか無事に運行されて、その大型団体も無事に出発できたことを思い出します。

宇都宮線」は東北本線の一部の割には確かに災害に弱い路線であることが徐々に判ってきました。私が”なるほど!”と感心した宇都宮線の別名(あだ名)は「大リーグボール2号」。”消える魔球”のその消え方が秘密だった大リーグボール2号ですが、いくつか弱点があり、大リーグボール2号は「風に弱い」とか「水に弱い」とか星一徹花形満などに見破られていたのです。
そして、宇都宮線も同じように「風に弱い」「雨(雪)に弱い」など弱点がいくつかあるのです。
青森あたりを逞しく走っている路線と同じ路線とは思わない方が良いようです。

ところで今週の通勤のご報告です。
大雪の翌日火曜日は、普段より50分も早く6時40分には家を出ました。勿論もう既に雪は上がっていましたが、なるべく雪が解けていそうな道を選んで、慎重に非常に短い歩幅で転倒しないようにゆっくりと歩きました。
雪が融けている道は殆どないので、車を避けながら車道の轍を中心に歩きました。
他の住民は、私を追い抜いてすたすたと歩いて行きますが、私を追い抜いた途端にすってんころりんと転倒した人が、私が見ただけでも3人… 確かにもう少し早く歩けるような気がしますが、転倒のリスクを考えて我慢しながらゆっくりと確実に歩きます。でも駅までの間に少なくとも3回は「ツルっと」ちょっと危ない場面もありました。
結局駅までは約25分もかかりましたが、宇都宮線は何とか普通通りに走っていてくれました。
会社までの道も危険でした。ツルツルで転倒のリスクもありますので、「大塚駅からタクシー」というのも選択肢に入れていましたが、都電が大塚駅に到着した時に目でタクシーを探しましたが、タクシー乗り場にも周囲にもタクシーはまったくありません。なので諦めていつもの向原駅まで都電に乗り、その後春日通をトボトボと歩きます。
緊張しながら慎重に倍の時間をかけて歩き、何とか会社に辿り着くことができました。50分も早く出たのに、会社に到着したのは始業時間ギリギリでした。

今週は基本的に外出はしないでのデスクワークです。昼食もレストランに行くのはリスクを伴いますので、会社隣のセブンイレブンでパンを買って済ませました。(木曜日までは全部このパターンでした。)

帰りも基本的に同じパターンです。会社近くはさすがに都内だけあって大半の歩道は夕方には除雪が終わっており、7割以上雪を踏まないで歩くことができましたが、それでもまだ3割は雪の上というよりアイスバーンの上を歩きます。やっぱり普段の1.5倍ぐらいの時間はかかってしまいます。
自宅付近はまだまだ雪が融けていないと思い、駅からは軟弱にもタクシーで帰ろうと考えていましたが、白岡駅のタクシー乗り場は珍しいほどの大行列で、この行列ならば歩いたほうが早そうな雰囲気です。覚悟を決めて雪の上を歩き始めましたが、道路の状態は朝の状態とほとんど同じで、やはり20分以上はかかって帰ったような気がします。

水・木・金と、徐々に状況は好転してはきました。もう会社の周りにはほとんど問題は無く、昼食にも出かけられるようになりましたが、田舎の我が家の周辺はまだまだリスクがあるので慎重の上にも慎重に歩かなければなりません。
「絶対に転倒しない!」という年明けの誓いをこんなところで1月からふいにしたくありませんので…

家の周りには、昨日土曜日のリハビリの時間でもまだまだたくさん危険な芽がありました。
もう少々、注意をしながら歩くことにします。