麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

千葉のリハビリセンターへ


私の主治医というかかかりつけの病院は、何度も書いていますが脳卒中で倒れた後約4カ月入院し、今でも経過観察及び血圧の管理で月1回は通っている「埼玉県総合リハビリテーションセンター」です。
現在の通院はいつも月曜日。明日久しぶりの診察予約がありますので、明日が2013年初めてのリハビリセンター通院になるのですが、実は先週一足早く「リハビリセンター」に行く機会がありましたので、今日はその訪問についてレポートさせていただきます。

と書くと「何のことやら。相変わらずあいつの言うことは支離滅裂。」とお思いになるかもしれませんが、先週訪問したリハビリセンターは私が通いなれた埼玉県のリハビリセンターではなく、「千葉県にある千葉リハビリセンター」なのです。
「埼玉に3年近く通っても症状が好転しないので、遂にあいつも埼玉を裏切って千葉に乗り換えたか!?」と陰口を叩かれるかもしれませんが、残念ながら通院ではなく、仕事での訪問なのです。
「私でなければいけない仕事」ではないのですが、(残念ながら今の私には『私でなければ絶対にダメ』なんていう仕事はほぼ存在しません。せいぜい人数合わせか自分の趣味での同行が大半なのです。そう考えると本当に悲しいものです。) たまたま担当者が休暇中で代理を立てる必要があったのと、他県のリハビリセンターがどんなところなのか正直興味もあったので、代理の方を立てる必要があるとなった時に、自ら名乗り出て訪問することになったのです。

また埼玉と千葉と言えば、昔はよく東京の隣県として「どっちがより田舎か?」とよく比較されていたことを思い出します。当時競争の圏外(東京に次ぐNO2であることは、当時でも今でも間違いはありません)の神奈川県在住だった私は、その「無益なな争い(中傷合戦)」を第3者的に大いに楽しんでいた記憶があります。
(因みに当時はどっちを応援していたというのはありません。成田があるので千葉にもそれなりに親近感があり、仕事でも行くことが結構多かった埼玉もそれなりに応援していましたので…)

埼玉県のリハビリセンターも結構不便な場所にありますが、HPを見る限り千葉のリハセンターも負けず劣らず結構田舎にあるようです。埼玉のリハセンターの最寄駅は川越線の指扇か高崎線の上尾で、その両方の駅からは本数の極端に少ないバスしかありません。千葉のリハビリセンターも千葉駅の先、外房線の一つ目の駅である鎌取という駅からバスで行く必要があるようです。

外房線の鎌取まで行くとなると、仕事ではありますが滅多に乗ることがない列車に乗ることができるわけですから、久しぶりの「ぶらり各駅停車の旅」を楽しむことができそうです。先方とのアポイントは火曜日の夕方… なので2時過ぎ、「途中下車」はできないものの鈍行列車を満喫するルンルンの観光気分で会社を出発します。

乗り継ぎ案内などで最短のルートを調べると、秋葉原総武線に乗り換えてその後快速に乗り換えて千葉まで行くルートが当然のごとく出るのですが、折角なので凄く久しぶりの東京駅の地下ホームから総武線の快速に乗っての千葉旅行を目論みます。調べるとちょうど東京駅から鎌取駅までのグリーン料金がギリギリで750円、仕事ですので勿論グリーン料金が出るわけではありませんが、”プチトリップ”を満喫するためにここは”プチ贅沢”を決行し、東京駅から外房線直行の上総一ノ宮行の快速列車に乗り込みます。

東京駅の地下ホームは、去年3月のプチトリップ銚子編で、結局めげて銚子から乗った房総特急を降りた時以来ほぼ10カ月振りです。地下ホームまでの長~いエスカレーターも久しぶり、東京駅で駅弁売りのアルバイトをしていたのは大学1年19歳の頃でしたが、その頃まだ珍しいこの長~いエスカレーターでは、我々バイトだけは空気を読まず、プチ休憩として必ずエスカレーターで座り込んでいたことを懐かしく思い出します。

ホームではこれも懐かしの成田エクスプレス(NEX)の連結作業を行っています。東京駅で池袋・新宿方面から来る列車と、横浜方面から来る列車を連結するのです。
私が横浜の支店で働いていたのが平成元年~平成6年ごろまで。当時運行を開始したNEXに初めて乗った時は本当に感動したものです。当時、グリーン車には無料の冷蔵庫が解放されており、本当に小さい(150ミリ缶?)缶ビールも飲み放題でしたので、必ず仕事中でも成田に着く前にはビールを1~2本飲んで気合いを入れなおしたことを思い出します。
そういえば、当時の市長の切符を間違えて大クレームをいただいたのも、このNEXでした…

地下ホームをスタートし、地下内の2つの駅に停車した房総快速は錦糸町目前で地上に出ます。地上に出た目の前には、スカイツリーが予想以上に大きく・近く見えます。それなりに感動する列車の旅のスタート風景です。
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錦糸町も思い出深い駅です。「下町のお祭りを海外で披露する」イベントを、当時数年後にオリンピックを控えたアトランタで開催した時の事務局があったのがこの錦糸町で、打ち合わせで何度も通ったものです。(オリンピックが1996年でしたから、1994~5年頃かな?)
入場無料のこのイベント、反対に「本当にアメリカ人が見に来るのか?」で心配で眠れない日々を過ごしましたが、予想に反して3000人は入れた会場は2/3以上は入っている予想以上の入場。直前に打った苦し紛れの入場対策「入場者のうち抽選で3名に(当時大人気の)SONYのハンディカムをプレゼント!」が見事に当たった結果でした。

東京の下町風景を列車は颯爽と走ります。新小岩は駅前に大学の先輩のマンションがあり、以前はOB会の最後は必ずその独身の先輩のマンションにお邪魔し、朝まで飲みながら麻雀をしたものです。昨年のOB会の最後もそんな状況になったはずで、その先輩からは「次のOB会の時は(自宅で)待ってるからな!」と言っていただきました。
次回は行けるように頑張ろうと思います。
江戸川を渡ると千葉県です。市川の駅前には大学時代にわざわざ徹夜麻雀をしに来た雀荘「メトロ」があったのですが、さすがにもう面影もありません。
千葉県内に入ると、見覚えの少ない風景が続き、ついついそんな風景に見入ってしまいます。

千葉駅に到着。千葉駅はホームの真ん中頃から先がYの字のように行先別に分岐している珍しい駅です。ちょうど分岐するところに無理矢理作った駅のような気がします。私が乗った列車は外房線直行列車なので、私の乗っていた前方部はもうホームが房総方面に向いており、成田方面とは完全に離れている感じで不思議な感じでした。

千葉駅を出ると2つ目で蘇我駅京葉線の終点&外房線内房線の分岐駅でそれなりに都会の駅ですが、風情を感じる駅です。私が目指す鎌取の駅はこの次の駅で、かなりのローカル駅を想像していましたが、駅前にはそれなりに建物があり、思ったより”都会”というより”田舎ではない”という感じです
駅で待ち合わせていた同行者とミートし、リハビリセンターに向かいます。。

バス停があり、HPによるとここからセンターのシャトルバスがでているとのことでしたが、バス停にはリハビリセンター行きの(有料)バスの乗り場や時刻表はあるものの、無料バス乗り場(の案内)はありません。
訝しがって探していると親切な市民の方から「リハセンター行きのバスはここから出ますよ」と親切にご案内されます。どう考えても私の姿はが「リハビリに行く患者」に見えたのでしょうね… 私も見栄を張って「仕事で行くんです!」なんて言ったりすることはありません。

しばらくすると、小型バスというか中型のバスが来て、センターでリハビリをしたと思われる方が続々と降りてきます。そして乗り込んだのは我々だけでバスは再びリハビリセンターに向けて出発します。

リハビリセンターは駅から5分程度、高速道路の脇の大きな敷地にあるセンターは埼玉県のそれより駅からのシャトルバス運行でもわかる通り大きな感じです。センターについたのは4時過ぎですが、この時間でもリハビリして家に帰るような人も多く、「通い」のリハビリも充実している感じです。
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(玄関&広大な敷地の案内図)
これに比べると埼玉のリハセンターは、入院でのリハビリが中心のような気がします。当然、千葉にも入院患者はいるのでしょうが、単に私が埼玉の入院施設を熟知しており、千葉のそれを知らないだけかもしれませんが…

あいつは旅行に行ったのか? と思われそうですが、一応無事に打ち合わせをこなして、商談は成功裡に終了しました。もっとも相手は当然関係者ですので、リハビリ患者まがいの私が行ったことで、本当は言いたいことがあっても言えなくなってしまったのかもしれませんが…

ということで、人生2か所目のリハビリセンター訪問は無事に終了しました。
帰りは夜だけど蘇我から京葉線に乗って違うルートで帰ろうと画策していましたが、蘇我駅に着くと京葉線は信号故障か何かでダイヤが大きく乱れています。
暫く待ってみましたが動き出す気配はなく、諦めて再び千葉駅経由の総武線で帰ることにしました。
30分のタイムロス… どうも京葉線とは縁が薄いようです。