麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

プチドライブ紀行 首都高で横浜へ<その1>


先週日曜日に、久しぶりのドライブでのプチ旅行に行きました。
忘れないうちに投稿しようと久しぶりに通勤途中に携帯に少しづつ書き始めましたが、いつも通り長くなりそうなので、前段ですが一旦投稿させていただきます。
続きは明日の定期ブログ更新日に書き込みます!
 

先週の日曜、また運転の練習での新しいステップにトライしました。
少し運転に慣れたら、どうしてもクリアしなければならない目標、そうそれは首都高速なのです!

首都高、以前は慣れていたのであらゆるルートを縦横無尽に走り回れるようになっていましたが、やっぱり日本中で一番運転に気を使わなくてはいけない道路であることには間違いはありません。

ましてや、私個人的には大きなトラウマがありました。
私の子供時代の偶像的なアイドルは、当時のボクシングの世界チャンピオン大場政夫。
5度目の防衛戦では強烈な初回のダウンで足を捻挫したにも関わらず、その後猛烈な反撃をみせ、終盤に大逆転KO勝ちで当時小学生の私を狂喜乱舞させたものです。

その防衛戦の数日後、自慢のスポーツカーで首都高で大事故を起こした大場チャンピオンは、帰らぬ人となり、そのまま永遠のチャンピオンになってしまったのです。

その翌日の新聞の一面は、恐らく一生忘れることはないでしょう。首都高で無残にも大破した大場チャンピオン自慢のスポーツカー。一緒にこの不幸を嘆いた父親が「やっぱり首都高は怖い!」とつぶやいた事などのイメージが子供ながらに非常に強く、免許を取ってからしばらく、首都高には乗るのが実は怖かったのです。

今は東京の周囲に都心部を回避するルートも徐々に出来てきていますので、「じゃぁ、そんな首都高なんて通らなければいいじゃん!」と言いたくなると思いますが、逆にそれだけ思いがある首都高だからこそ、「復活しておかなくては!」という思いも強くあるのです。
今後も「首都高をどんどん通ろう!」とは決して思ってはいませんが、とにかく一回は「復活の証」として通っておきたいと考えた次第です。

首都高に乗っていく行先についてですが、今年4月に息子が転勤した横浜みなとみらいのランドマークタワーに決めました。
中華料理のシェフを目指している息子は、4月に都内木場のお店から、みなとみらいのお店に転勤しており、久しぶりに息子の元気な顔を、遠くからでも眺めに行きたいと思っていたところでした。

「車で行くのが無理そうなら、電車ででも行こうかなぁ…」とも考えていましたが、順調に車の運転にも慣れて来ているので、「トライしてみよう!」 と決意をしたのは約1週間前ぐらいのことです。

息子には事前に言うと嫌がるので、勿論内緒です。休みでお店にいない確率があることはあるのですが、オフィス街というより観光地であるみなとみらいのランドマークタワー、平日より土日のお店がが混むのは間違いなく、そんな土日に下っ端の息子が休む確率は低いだろう!?と考えてリスクを承知で行って見ることにしたのです。
まぁ、休みでお店にいなかったら、この5月に息子が引っ越した横浜市内のアパートに行ってみることも考えていました。

予定では、午前中の混まない時間に首都高にチャレンジして横浜へ。久しぶりのみなとみらいを満喫、息子のお店で自慢の麻婆豆腐をいただいた後は、首都高を避けぐるっと関東半周ドライブを楽しみ、埼玉に戻るプランを考えていました。

出発は日曜の朝8時半過ぎ。ナビの到着予定時刻は10時を指しており、いささか早すぎる出発時間ではありますが、渋滞する前に都内を抜けてしまおうと考えるとこの時間が理想的だと昔からのドライバーとしてのカンでこの時間を選択したのです。
今回、3年ぶりの首都高のプレッシャーは相当のものがありましたので、「絶対に事故を起こさない」ために以下のことを固く自分に誓っていたのです。 それは

・絶対に無理はしない。兎に角安全第一
・首都高では基本80キロ以内で走る
・遅い車が前にいても今回は絶対に追い越さない。

特に3つ目の条件が、自分の性格を考えると難しいような気がしていましたが、とにかく今回だけは絶対にこの条件をクリアしなければいけなと、固く心に誓って片手でハンドルを握り、エンジンをスタートさせました。