麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

緊急入院顛末!(その2:入院・検査・退院)


おはようございます。
早速前回の続きを投稿します。

都立大塚病院のベッドにおさまったのは、7月19日金曜日の14時頃でした。いくらクールビズの時期だからとはいえ、病院⇒会社に行く予定だったので、ネクタイこそしていないもののYシャツにスラックスという、病室のベッドに寝るにはいささか不似合いな格好のままの入院です… (その時間、着替えを持った妻が電車で急ぎ大塚に向かってくれていたので、もう少し我慢しなければいけません。)
入院前から、既に左手には点滴がしっかりと装着されていましたので、行動は極めて制限されている生活が始まった訳です。

看護士さんからヒアリングなどを受けるうちに、ようやく妻が到着したので、とりあえずYシャツとスラックスをTシャツとジャージの普段着に着替え、ようやく入院患者らしくなりました。
でも、入院中は点滴をしていたため、上着の着替えは一人ではできず看護士さんに手伝ってもらわなければできない状況でした。風呂にも点滴のおかげで入れない毎日がしばらく続くことになったのです。

入院は3年前のリハビリセンターに3か月強、翌年BMIの治療のために慶応病院に2週間経験していますので、準備する妻も慣れたもので、必要なものの準備は的確に準備してもらえました。(こんなことに慣れてもらってもあんまり嬉しくはありませんが…)

一通りの準備を終えて妻が帰った後、いよいよ超退屈な入院生活がスタートしました。今までの入院生活、いくらやることはなくても3度の食事だけは時間通りにしっかりと運ばれてきて、病院食なので味はイマイチであっても入院中の唯一最大の楽しみだったのですが、今回「禁食」のステッカーをベッド横にデカデカと貼られた私には、定期的に運ばれてくるはずの食事も運ばれては来ず、逆に周囲のベッド(病室は6人部屋でした)からは美味しそうな食事の音などが漏れ聞こえてきて、一日の中で一番辛い時間でした。
最初のうちは、「お腹すいたよぉ~!」という感じで、お腹からは「グゥ~」という空腹の悲鳴が空しく響いて来るのですが、お腹を充たしてあげることはできません。
飲み物も「水だけ」が許されている状況なので、ナースステーション横にある自動販売機では、美味しそうなジュースや毎日日課のように飲んでいるお茶のペットボトルなどが販売されているのですが、私が買うことを許されているのは、ミネラルウォーターの「エビアン」だけなので、仕方なくエビアンだけを毎日数本飲むことにしていました。

入院の理由も人に言えないようなちょっと恥ずかしい症状でもあったので、入院を告げた一部の会社の人にも「見舞いには来ないで」と話していましたし、勿論妻と一部の会社の人以外には(子供2人も含めて)一切入院の事実を伝えていませんでしたので、妻以外には見舞いの人も来る筈はありません。
従って、本当に暇な時間が延々と続くのですが、点滴があるため病院内もあまり自由に出歩くことはできません。
慶応病院に入院していた時は、敷地内にスタバがあって美味しいコーヒーが飲めたので、入院中の本当に良い癒しの時間になっていたのですが、今度も病院内にはコーヒーが飲める喫茶店はあるのですが、水以外を飲めない私は喫茶店に行っても頼めるものがありません。
病院内の売店にも行ってみましたが、どうしてもおにぎりや美味しそうなお菓子に目が行ってしまい、欲望を抑えるのに苦労する苦痛の時間になることに気付いたため、雑誌を買ってさっさと部屋に戻ってきてしまいました。

土・日と本当に寝ることとテレビを見ることだけの日を過ごしました。部屋は6人部屋ではあるのですが、部屋を仕切るカーテンは常に閉ざされており、入院患者同士の会話などは全くありません。というより今回、「誰が同室者だか」も入院中、結局判りませんでした!(この状況は慶応病院の時と同じです。)

入院直後から、私のメイン検査である腸の内視鏡検査は火曜日と言われていましたので、月曜日になっても毎朝血を抜かれる採血検査以外には、特に何の検査もありません。出血が多く、貧血で入院した私でしたが、お蔭様で何とか出血は止まったようです。
でも月曜日夜からは、火曜日の検査に向けて、腸の中をきれいにしなくてはいけませんので、下剤生活が始まります。月曜日夜に飲んだ下剤は早速効果を発揮し、夜中にはもう出るものがない筈なのに何度かトイレに駆け込みます。

でも下剤の本番は火曜日。火曜日は朝から、「2リットルもの下剤を2時間かけてゆっくりと飲んでください」という指示です。大型ペットボトルと同じボリュームの下剤は、見るからに迫力満点! 容器には「レモン風味」と書かれていますが、確かにレモンの風味と塩味がついており、この5日間無味無臭の水だけしか飲んでいない私には、下剤とは言いながらちょっとだけこの味が嬉しかったりします。
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でもこの下剤の効果は強烈。看護士さんから「下剤の効果は強烈。トイレに間に合わなかったりトイレが満員の場合など我慢できない場面もよくあるので、念のため”おまる”を用意しますね。」と言われて、カーテンで仕切られているとはいえ、病室に便器を持ち込まれます。そのくらい強烈な下剤なので私も本当に10回近くトイレに駆け込みましたが、看護士さん配慮の”おまる”にはお世話にならずに済みました。
本当に人生で初めて腸に何も物がなくなったきれいな瞬間だったかもしれません。

胃の内視鏡検査は、去年人間ドックで受けた「鼻から内視鏡」検査を含めて数回経験していましたので恐怖はありませんでしたが、腸の内視鏡は「痛い」という話を聞いたこともあり、ちょっと恐怖ではありました。
お尻に穴が開いている専用の検査着に着替え、検査室に案内されたのは2時過ぎ、検査そのものは時折多少の痛みはありましたが、予想したものよりはさほど痛いものではありませんでした。
でも確かに「つらい」検査でした。何がつらいのかといえば、まず時間が異様に長いこと。胃の内視鏡は全部で15分程度で終わる筈なのですが、腸の検査ははじまってからたっぷりと1時間はかかったようです。
しかもお尻を向けた体勢での1時間ですので、この体勢の1時間は勿論お医者さんと雑談できる訳でもなく、画面が見える訳でもないので、「早く終わらないかなぁ~!」と願いながら1分1分を耐えるという、その意味で本当につらい時間でした。

「ガンの疑いあり」と言われて入院していたわけですから、無口で検査をするドクターが突然に「あれ、こんなところに大きな…」なんて不吉な呟きが聞こえないかという恐怖感に襲われながら検査が続いていきます。
40分近くたって初めてドクターが初めて口を開きました。「終わりかぁ~」と期待して聞きましたが、「今、一番奥まで到達しました。これから抜きながらゆっくりと見ていきます。」ということで、「半分終了」の合図でした。
でも「帰り」は行きよりは短かったようで、結局1時間ジャストぐらいで検査は終了しました。

ベッドを降りながら、「詳しくは主治医からお話がありますが、特にポリープのようなものは見つかりませんでした。」という検査結果を聞き、空腹に耐えながらも最悪の事態の恐怖におののいた数日間から、ようやく解放された瞬間でした。

主治医に話を聞き、退院後にネットで調べたところ、私の症状は「大腸憩室症」という症状らしく、成人の10人に一人は持っている症状なのだそうです。大半の人は何も症状がなく、その場合特に治療の必要はないのだそうですが、これも10人に一人くらいの割合で出血があるのだそうです。
つまり、私の症状は「100人に1人」の症状のようでした。

主治医との会話は
「今後の治療は?」
「もう、出血も止まっているので、特に何もしない。」
「再発の可能性は?」
「ないとは言えない」
「その場合は?」
「今回同様、入院・禁食・検査だね」
という感じのようでした。

とはいえ、「ガンの疑い」も晴れ、禁食生活もようやく終わりを告げました。
5日ぶりの食事は勿論おかゆでしたが、食べられることの幸せを本当にに強く感じました。
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そしてその翌日には、点滴も外されます。囚人がようやく手錠を外された時のような解放感でした!

貧血の症状も収まって退院を許されたのが翌々日の木曜日。ちょうど1週間の本当に予期せぬ入院でした。

結局、予定より1か月早い夏休みになってしまいました。
今年の旅行は、休暇の面でもお金の面でも延期せざるを得ない状況になりました!!