麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

年賀状の季節がやってきました


おはようございます。
今日もいつものように日曜日の朝です。
朝からテレビでは、相変わらずテンションの高いジャパネットの社長の声が響いています。それにしても毎日これだけのTVなどで宣伝をしていて、本当にすごい広告宣伝費ですね。これだけの広宣費でも採算が取れているなんて本当に凄いと思います。この会社のバランスシートを一度見てみたいと思いますが、株式は上場されていないようなので… 今度暇な時に探してみようと思います。

とは言っても、この会社の株に興味がある訳ではありません。この会社に投資することを考えると、今は好調でもこのような極端な会社は何かあるとすぐに投資した分がゼロになるリスクがあると考えるからです。
それでも日曜のこの時間には何故かジャパネットにチャンネルを合わせてしまうのです。個人的にも何度もお世話になっていますし…
 
ところで今日は、年賀状のことについて書きたいと思います。

 今年も、年賀状が気になる季節になってきました。最近は所属している会社などの「住所録」が無くなりましたので、年賀状を送る人は個人情報法の成立以来ほとんど増えていないのですが、それでも10年以上年賀状をやり取りしている人を中心に100通前後の年賀状を毎年やり取りしています。
中には入社以来30年、年賀状だけのやり取りで本人とは30年全く会っていない会社の同期もいます。

一番古くから年賀状のやり取りを続けているのは小学校低学年からの同級生。小学校1年生の時から年賀状のやり取りをしていますので、(途中何度かは途切れてはいますが)かれこれ46年ぐらいは年賀状が続いていることになります。勿論今年も出しますので、個人的なギネスは今年も更新です。

小学校時代から年賀状を出す相手の定番は「先生」。でもこの年になった私は既に年賀状を出し続けている先生はもういません。
複数年ご指導をいただいた小学校時代の恩師と高校の担任の方は、3人とも既に鬼籍に入ってしまっていますし、1年しか担任してもらっていない小学校・中学校の何人かの先生には、確か担任いただいた年の年賀状以外には出していないようで、もう30年以上年賀状を出していません。(名前を思い出すのにもパワーがいる有様です)
大学のゼミの教授には卒業後も年賀状を出していたのですが、いつかのタイミングで途絶えさせてしまい、その後もう10年以上年賀状を出していません。ゼミのOB会の案内でお元気なことは判っているのですが、ゼミの劣等生で何とか卒業できた私は、そのゼミのOB会にもかれこれ20年は出ておらず、何となく復活のタイミングを逸してしまった… という感じでしょうか.

でも職場の元上司には自分でも不思議なくらい続いている人が結構います。元上司の多くは既に会社をリタイアして既に悠悠自適の生活をしているからでしょうか… その元上司から年賀状をいただくので、こちらから「止める」訳にはいきません。
一番昔の上司としては、私が仙台に勤務していた昭和の時代の課長(自分たち約10人の元上司)と支店長。特にその支店長は当時60人以上の支店のトップで、私はその60人の一番下の方の超ペーペーだったにもかかわらず、25年以上たった今でも、その支店長からは毎年元旦に年賀状が届きます。

仙台時代は営業でしたので、今では考えられませんが当時のお客様で自宅への年賀状が続いている人が今でも続いている人がまだいます。その方は仙台ではなく宮城県の地方の方で、当然当時のセールスに行くのは会社の営業車です。なので、そのお客さんと時折一緒に飲みに行くと当然家には帰れませんので、そのお客様の家に泊めてもらう… という本当に仕事なのかプライベートなのかわからない良いお付き合いをさせていただいて、本当に良い「先輩!」という感じでした。
その方の家に泊めていただいて、翌朝にいただく自宅用に自宅の田んぼで作った「ササニシキ」のごはんの美味しさは今でも忘れられません!
(以前は何度か,そのお米の新米を送っていただいたこともありました!)
そのお客様とは転勤以来もう25年お会いしていませんが、年賀状は「死ぬまで」出し続けたいと思っています。

 私の年賀状はここ数年毎年同じパターンです。年賀状アプリの筆王を使い、筆王のテンプレートを選んでその中にその前年に自分で撮った旅行先の写真を数枚挿入します。写真には自分が入ることはあんまりなく、行った先の風景が中心です。
今年の年賀状は昨年の九州旅行の写真を3枚。「40年憧れ続けた初恋の相手、開聞岳」と珍しく夫婦で写真に納まった「長崎の平和記念公園」そして「SL人吉」の3枚の写真でした。(年賀状はこちらのブログに掲載しています。)
去年の年賀状は、やはりその前年の東北旅行の写真です。五能線リゾートしらかみの写真と弘前岩木山の写真でした。(記録はこちら

病気になる前まではその後に宛名と共に印字をして、その後に1人づつメッセージをできるだけ書いて送っていました。でも手抜きした年にはメッセージを書かずそのまま投函したこともありました。
病気になった後は、メッセージを手書きで書けなくなったので、一人づつメッセージを違う色で入力した後に、そのまま宛名と裏面を両面印刷でプリントしています。年に1回の年賀状ですからそのくらいの作業はするべきだと怠慢な自分のノルマにしていて、12月の土日のどこかでほぼ丸一日かけて作業します。
まぁ、大半の方は病気で私の行動範囲が狭まったためにその前年もご無沙汰した人なので、ご無沙汰を詫びる意味でもこのぐらいの作業は当然だと考えています。
一時期、友人からの年賀状は子供の写真ばっかりになった時期もありましたが、さすがにこの年になると子供の写真を送ってくる人はほとんどいなくなります。
そろそろ、孫の写真が増えてくるかもしれませんね!?

ところで、来年の年賀状を考えなければなりません。
来年の年賀状のレイアウトというかテンプレートはまだ決まっていませんが、同じように写真を何枚か入れた年賀状にしようと思ってはいるのですが、昨年・一昨年のように遠くに旅行に行った写真がないので、どうしようかちょっと迷っています。
今年旅行に行ったと言えば3月の淡路島と9月の仙台へのドライブですが、淡路島の写真は1枚は使うとしても、仙台へのドライブでは年賀状に使えそうな写真はないし… 
「もう少し、運転に復帰したことを報告するためにも、ドライブの写真が欲しいなぁ~!?」と思っています。

なので、どこかへドライブに行きたいと先週から考えています。行くのなら土曜日はリハビリがあるので、日曜しかないので本当は今日出かけようかと考えていたのですが、「午後から横殴りの雨」の天気予報で今日は断念しました。
今の時期、ドライブならばシーズンは「紅葉」ですが、道が混みそうで心配です。とはいえ簡単に休みは取れないし…

来週、天気が良ければドライブに行き、このブログをさぼるかもしれません。