麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

2、紀伊半島周遊の旅⑥<奈良県>


4月10日(金)

高野山の宿坊に宿泊して、この日は朝5時に目覚めました。宿坊ならではの早朝の「お勤め」に参加するために早起きしたのではなく、朝食を食べずに早々に宿坊をチェックアウト/出発するためにのみ早く起き、早朝の結構寒い中で粛々と出発の準備を薦め、予定通り6時には車をスタートさせ、高野山を後にします。

美味しいであろう朝食を権利放棄してまで早朝出発に拘った理由は、今日の観光地がこの旅行のメインの一つである「吉野の桜」なのですが、この日~この週末が桜の最盛期で、この日は平日でありながら金曜日なので、「駐車場に車を停められなくなるであろう大混雑がほぼ間違いない超ピーク日になる。」と予想されているため、同じくこの旅行のメインの一つであった高野山の滞在を早めに切り上げる決断をしたのです。
事前に駐車場などをメールで地元の観光協会に問い合わせしたところ、翌日の朝には観光協会から直接電話をいただき、訪問予定日のこの日はとにかく凄く混む日になる筈で、「近くの駐車場に停められなくなってしまう可能性が高い日なので、出来れば朝8時前には吉野に入った方が良いですよ!」という観光協会の職員さんの親切なアドバイスに従い、吉野に8時前に入るためには高野山を6時には出発する必要あり!と逆算した結果の6時スタートなのです。

でもこの日の天気予報は、ずっと雨に祟られ続けたこの旅行中でも最悪の予報で、「日本全国、間違いなくずっと大雨の一日」。奈良県の見学は2日間の予定なので、少しは天気が好転する可能性がある翌土曜日と訪問順序を逆にすることも検討しましたが、翌日の天気の保証がないことや翌日が混雑の年間最ピーク日の土曜日になるので、訪問順序を入れ替えることも断念して、天気予報通りの激しい雨が降り続く中を一路吉野に向かいます。

奈良には、若い頃には(数えられないくらい)何度も来ています。私の中学・高校の修学旅行はどちらも京都/奈良でしたし、入社してからは修学旅行の添乗員として何度となく来ていますが、ここ吉野山は初めてです。歴史好きだった私は、思い入れの強い歴史上の人物(=ファンの偉人)が何人かいるのですが、そのうちの一人で、唯一天皇家で思い入れがある人が後醍醐天皇で、その後醍醐天皇足利尊氏の裏切りに遭って京の都を追われ、この吉野に逃れて吉野朝廷南朝)を開いたくだりは、いまだに涙なくしては語れない(読めない)ほどです。
そんな思い入れの強い後醍醐天皇の足跡を訪ねて、ゆっくりと吉野山を歩いてみたいとはずっと思っているのですが、吉野の桜と言えば混雑度から行けば恐らく日本一に近いので、「のんびりと後醍醐天皇を偲ぶ」ことは今回はとてもできそうにありません。

予定通り8時前に近鉄吉野駅に着き、吉野駅から一番近い民間駐車場に駐車スペースを確保します。まだ車が少ないのは、雨天の影響なのでしょう… 
吉野山見学の拠点である近鉄吉野駅まで歩き、とりあえず山の中腹の中千本までバスで行くことにします。早めにバスに乗ったので我々は座席を確保できましたが、発車する頃にはぎゅうぎゅう詰めのバスになり、懐かしい榊原郁恵さんの曲を思い出していました。バスの車窓から雨に煙ってはいますが満開の桜が見えるたびに、満員の乗客からは大歓声が上がり、いやがおうにもムードを盛り上げてくれます。
終点の中千本でバスを降り、大半の方がさらに上の奥千本を目指して登って行くか、更に上に登るバスを待っています。我々も上に行くことも考えたのですが、雨は相変わらず激しく降っていますし、ここから下にゆっくりと歩いて降りるだけでも桜は楽しめそうなので、これより上に行くのは諦めてゆっくりと山を下りながらの観光に切り替えました。

吉野の桜は、近くから桜の木を一本一本眺めるのではなく、山麓に咲き乱れるたくさんの桜の木を見る観光です。木々は決して同じ色ではなく、みんな微妙に違う色の桜が咲いているのが、その醍醐味なのでしょう。雨に煙ってはいますが、本当に”見たことがある”風景が、目の前に展開してくれています。
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吉野に逃れた後醍醐天皇は、この桜を見て何を考えたのでしょうか…?

中千本からゆっくりと細い道を降りて行きます。途中には多くの寺院などがあり、売店やお休み処もありますので、ゆっくりと途中の道を楽しみながら下ってゆきます。相変わらず雨は激しく降っていて、近くのを見ると下の方には靄が出てきて、何やら少し神秘的ではあります。
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下から登って来る観光客も徐々に増えてきています。団体旅行の参加者の方々が大半ですが、団体旅行も”雨だから”と言う理由で日程を入れ替えたり変更は出来ないので、仕方がないのでしょう。
吉野の名物と言えば吉野葛。休憩して吉野葛のぜんざいをいただきますが、私にはあんまり馴染めない味でした。妻は葛やお菓子などをお土産にせっせと買い込んでいましたが、後で「吉野、何でも高かった!」と愚痴っていました。桜の季節だけでほぼ1年分稼ぐ土地柄ですから、物価が高いのはやむを得ないのでしょうね。

中腹からずっと歩いて降りてきましたが、最後の下千本エリアではロープウエイにも乗って、何とか近鉄吉野駅まで降りました。雨で十分に満足はできませんでしたが、ともかくあの有名な吉野の桜を見ることが出来ましたので、2015年春の桜三部作(河津桜、都内の桜名所、吉野の桜)は無事終了ということにさせていただきます。
後醍醐天皇めぐり”は、この日本一周とは別に、違う季節に再訪しようと誓いました。

その後は、奈良県でも私が行ったことのない場所をいくつか訪ねます。最初は明日香村の古墳群。まず向かったのは石舞台古墳蘇我馬子の墓とも言われているこの古墳、何となくずっと来てみたかったので、ようやく念願が叶った感じです。
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次に同じ明日香村の高松塚古墳にも行ってみますが、駐車場から古墳までの道が悪路で、雨でかなりぬかるんでいて、ちょっと私には危険です。現在、中は見られないらしいので、外観だけパチリと撮って気分だけ味わいました。
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次に訪れたのは橿原神宮明治天皇が建てたので、歴史が古い奈良の数々の建造物の中では新しいほう(?)なので、修学旅行などで来ることはあまりないのですが、祀っているのが神武天皇ということなので、今回の日本一周では是非来たいと思っていたところです。
伊勢神宮ほどではありませんがこの神宮も結構広く、この日も朝からかなり歩いて足の疲労はピーク状態になり、正直この神宮の広さが恨めしくもありました。
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この日の宿は、価格優先で奈良市内ではなく大和郡山市内。値段は今まで泊まった宿と同レベルでしたが、シングルルームに無理矢理ベッドを2台並べた感じのツインルームで、自分史上泊まったツインルームの中で、間違いなく最も狭い部屋でした。
部屋の中ですれ違うこともできずに、妻も「さすがに、この狭さは勘弁!」とぼやいています。部屋でwifiは使えるものの、当然パソコンを置く場所なんてあるわけもなく、ベッドに座って膝の上でノートPCを開かないとなりません。
翌日も奈良県内のホテルには高くて泊まれずに、宿を求めて三重県まで移動しましたが、やはり奈良県の宿泊は総じて高いようです。

4月11日(土)

この日は、奈良市内の観光です。奈良市内については、妻は(奈良自体が)初めてなので、案内人としても気合が入ります。私も何度も来ているとは言え、記憶を辿るとすべて昭和の時代の訪問で、どうも平成になってからは初めての奈良です。

近鉄奈良駅近くの駐車場に車を停め、取り合えず奈良公園を目指します。奈良公園での訪問順序は、まずは東大寺の大仏殿から始めて、東大寺二月堂~若草山麓のお土産屋さんで休憩して、春日大社興福寺というルートが当時の修学旅行の定番ルートだったように記憶していますが、この日は観光を始めたのが8時前と早かったため、東大寺大仏殿がまだ開いていかも? と考えて逆回りのルートを選択しましたが、実は大仏殿は7時半にはオープンしていたのです。

まず興福寺の五重の塔、特に拝観はせずに外観だけを眺めるだけにとどめました。
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奈良公園を散策しながら春日大社に向かいますが、初めての妻は奈良公園の鹿がとっても珍しそうです。早速鹿せんべいを買った途端に鹿の大群に囲まれて、袖を引っ張られてあっという間に買った鹿せんべいを全部取られてしまったので、動物があんまり好きではないタイプの妻は、以降奈良公園の鹿がすっかり怖くなってしまったようで、以降は鹿せんべいどころか鹿からは逃げるように歩くようになりました。
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春日大社を参拝、ここでも特別展示をやっているようでしたが、展示については入場せずに散策を続けます。
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若草山山麓の懐かしいお土産屋さんで休憩。刃物を作っているこのお店で、30年近く前、妻と結婚前に包丁を買って妻の名前を彫ってもらってお土産にしたのですが、結婚後10年以上その包丁を愛用したことを思い出し、2か月後に結婚する娘へのお土産として包丁を買って、娘の名前を彫ってもらいました。
母娘2代の包丁に、娘の幸せな結婚を祈念しました。
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東大寺エリアに入る頃には、観光客がかなり多くなってきました。まだ4月前半なので、修学旅行が多い時期ではないのですが、その代りにびっくりするぐらい多かったのが、中国・台湾からの団体の観光客です!
二月堂を見学するあたりには、中国人に囲まれて、「ここは故宮か!?」と錯覚するような状況になってきました。
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大仏殿に入る頃になると、更に中国人比率は増してゆき、大仏殿への行列の90%以上が日本語以外の言葉を喋っています。(決して大げさではなく。そして、その大半が北京語です。)中国人の数に比例して、行列の並び方や禁止事項の無視など観光客のマナーは間違いなくどんどん低下しています!
(台湾人のマナーはいいようで、その団体のマナーを見ただけで中国からか台湾からかがほぼ断定できるのです!)
昔、中国によく添乗に行った時に、地元でも人気の観光地で中国語の喧騒と横入りなどのマナー違反に耐え、お客さんと散々中国人のマナーの悪さに対して愚痴を言いながら、観光地に並んだ記憶が蘇ります。
大仏様、優しく微笑んでばかりいないで、「少しはマナーの勉強をしてから日本に来い!」と叱っていただけないでしょうか!?
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奈良公園の後、法隆寺に向かいます。ここでも何より懐かしかったのは参道にあるお土産屋さん。「このお店で、いつも昼ご飯を食べたなぁ~!」なんて30年前の記憶が蘇ります。奈良公園よりもずっと静かだった法隆寺ですが、静かな原因は殆ど外国人がいないことです。聖徳太子、海外では知名度はイマイチなのでしょうか? 正岡子規の俳句も、海外では知られていないでしょうし…
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この日の泊りは、奈良県内では手頃なホテルが見つからなかったため、県境の三重県名張市にあるビジネスホテル。無料の名阪国道を快適にドライブして、1時間半程度で到着しました。

4月12日(日)

とりあえずこの日で日本一周の2回目(1回目を沖縄としています)を切り上げて、一旦自宅に戻ることにしました。
帰る前に、最後にもう1か所だけ見ておきたい奈良の観光地があるので、再び奈良県に戻り、すぐ近くの古刹に向かいます。
紀伊半島周遊の最後の見学地は、”女人高野”と呼ばれる「室生寺」です。真言宗室生寺派の総本山であるこのお寺は、高野山に入ることが許されなかった女性が入れる山寺で、山深い場所にある五重の塔は他の五重の塔と風情が違うので、どうしても見てみたかったのですが、事前情報によると山深い地に立っている寺なので、私の足でどこまで行けるかは不安でしたが、幸い急峻な階段にも手すりがちゃんとあったので、下からは全く見ることが出来なかった五重の塔を見られる場所まで登ることが出来、”女人高野”の風情を満喫できました。
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最後の観光にも満足し、この後一路帰宅の途につき、18時前には無事自宅に帰り着くことが出来ました。


これで、「日本一周(一周目)」の都道府県数は47都道府県中5県になりました。
(沖縄、静岡、三重、和歌山、奈良)
GWまでは近隣のプチトリップに精を出し、5月中旬からは次の長い旅行に出る予定です