麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

【2017年夏の旅 山陽・山陰PARTⅡ】<その6> 隠岐(島前編)


10日目:8月13日(日)

宿に無理を言って朝早く食事を食べさせていただき、再び西郷の港に向かいます。本来なら都万地区にもう一泊して、”都万の秋”(前投稿を参照)の曲の風景通りの都万の漁港の風景と”おかみさん”や”子供たち”にも会ってみたいのですが、ちょっと気取って曲の三番の私の一番大好きな歌詞通りの行動を取ります。
「明日の朝は去ってしまおう。だって僕は、怠け者の渡り鳥だから。」(by 岡本おさみ

西郷港はさすがに昨日と違って全く混んではいません。今日乗る船は島前の3島に停まってから鳥取県の境港まで行くフェリー。境港行きらしく鬼太郎とキャラがペインティングがされています。
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今日の我々の目的地は隠岐島前でも最もマイナーな島である知夫里島隠岐4島の中でも唯一の村(知夫村)で、フェリーの便数も極端に少なく、島内の宿も数えるほど(というよりちゃんとしたホテルはたった一軒だけ?)、レンタカーを予約するのすら結構大変という噂の、云わば”隠岐の中の秘境”のような場所です。隠岐4島制覇の最難関ポイントでしたが、予約アクションが早かったお陰で知夫里島に行けるのですから、その大いなる僥幸には感謝しなければなりません。
鬼太郎フェリーは島前の他の2島に停まってから知夫里島に向かう各駅停車なので、所要時間は昨日の本州~隠岐とほぼ同じ2時間半。でも今日は席にも余裕があるし、隠岐の島々をゆっくりと眺められるので退屈することはありません。
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無事に知夫里島の来居港に到着、島前の他の2港に比べて乗る人も降りる人もめっきり少ない田舎港です。これから、明日のほぼ同じ時間まで約24時間ここ知夫里島で過ごすので、まずは港の観光局にて情報収集。とは言え、丸1日も観光するスポットは事前の調査通り無さそうな感じです。でも、ここで観光局に立ち寄ったことで後々危機(?)から救われることになるのですから、何が幸いするかはわかりません。
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(来居港と建設中の新ターミナル)

まずは港が見下ろせる高台の風景を満喫。丁度松江(七類港)から来たフェリーが到着するのが見えて、絵になる風景でした。
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そろそろお昼になるので、我々が今晩泊まる島唯一のホテルに隣接した島で数少ない食堂を目指しますが、何と「お盆休み」。ガイドブック等にも代案はなく、このままでは昼食難民になる可能性もあるので、隣にある今晩の宿に行き、「他に昼ご飯を食べられるところはありませんか?」と訊ねると、「宿泊の方なら、簡単な食事を用意しましょう。」と、本当にシンプルな炊き込みご飯が普通の茶碗一膳と、具が殆どない味噌汁だけの本当に簡単なお昼が出てきました。昼食難民にならなかったことだけは幸運でしたが、貴重な隠岐の一回の食事が楽しめなかったことがとても残念だったのと、「今晩泊まるホテルの提供する昼食がこれ?」というのが我々の不安を大いに煽りました。
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(ちなみに、これで昼食代350円でした。)

気を取り直して知夫里島の観光を始めます。知夫里島の道はとても細く、対向車が来るとすれ違いに苦労する道が大半。レンタカーが少ないという島ですが、この道でレンタカーを増やすと事故が多発しそうで、マイカーで埼玉県から来ている我々としては、レンタカーが少ない(=対向車が少ない)ことに感謝しながらもビクビクのドライブです。
徐々に坂道を上っていくと、家畜等が敷地外に出ないように工夫された道路の溝が現れます。「これ、”テキサスゲート”って言うんだよ。」と、大昔にカナディアンロッキーの添乗員で得たウンチクを得意気に妻に披露。その時点では、今日の残り半日牛馬に苦労させられ続けることなどは、知る由もありません。

知夫里島の主なみどころは2つ。まず、赤ハゲ山展望台に向かいます。道が開けた瞬間、のどかに牛馬が草を食んでおり、海とのコントラストもすごくいい感じ。
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展望台の反対側の海の向こう側には、同じ島前の西ノ島と中ノ島が地図と同じ形で広がっていて、今まで人生で見た景色の中でも間違いなくベスト5には必ず入る最高の景色です。
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かなりの長い時間、展望台からの眺めに心奪われていましたが、”隠岐に来て、知夫里島に来て、本当に良かった!”と心から思える隠岐最高のひとときでした。
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でも実は、ここからが苦難の連続でした。赤ハゲ山展望台から次のみどころ知夫赤壁(セキヘキ)に向かったのですが、今まで”超狭い道”だと思っていた道はまだずっとましな方だということに気づいた赤ハゲ~赤壁への想像を越える狭い道。幸いにも対向車は殆ど来なかったのですが、その代わりに我々を大いに悩ませたのが”牛馬(特に牛)”。車一台通るのがやっとの道で、そのど真ん中に超スローモーな牛が佇んでいるのです。
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牛とのにらみ合いは、毎回数分間かそれ以上。アクセルをふかしてもクラクションを鳴らしても、牛は”どこ吹く風”とばかり全く動きません。戻ろうにもUターンできる場所もなく、狭い道をずっとバックするのも片側に崖があったりでとても恐怖です。
数分間のにらみ合いをしたことが4~5回、最後は牛も諦めてようやく立ち去ってくれ、この時点では、「いい経験だね!」くらいの笑い話。

最大の難関は、狭い道の真ん中で牛の親子が寝そべっていた時。今までの牛はいくらスローとはいえ立っていたのですが、今回は完全に寝そべっている上に、子連れなので、子を守る動物の本能は恐ろしいものがあると聞いています。今までのように数分以上待っても全く動く気配もないので、さすがに困り果てて島到着時に訪ねた観光局に電話してしまいました!
観光局に「牛、どうやって追い払うの?」と聞く人も珍しいと思いますが、他に島に知り合いもいない私としてもそれしか対策を思いつかなかったのです。でも、流石は地元民。「車をギリギリまで接近させて、人間はとにかくオーバーアクションを」という対処法は的確で、ようやく数分後に最難関を突破できたのです!
(写真を撮る余裕もなかった… というのが、正直なところです。トホホホ…)

赤壁付近は雨が降っています。海に向かって聳える赤壁は見事なものではありますが、晴れていればもっとよい写真が撮れるのでは?と考えて、向こう側の青空を見ながら雨が止むのを待ってみます。
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展望所付近には遊歩道もあるようですが、塗れていて滑りそうな道には手すりもないので先に行く気にはなれません。でも、残念ながら雨が止む気配はなく、後で聞いた「赤壁は雨の時の方がかえって赤が鮮やかでいいんですよ!」という慰めを信じることにしました。
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帰り道も”牛との遭遇”の恐怖は続きます。でも、観光局の方に教えていただいた追い払い方はやはり役に立ちました。再びテキサスゲートを越えた時には、心から安堵する気持ちになりました。

 知夫里島メインの2つの観光を終えると、もうあまり見るところはありません。観光局に紹介してもらった観光スポットも、まぁいいと言えばいい景色なのですが…
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観光を終えると、そろそろ明日のフェリーが気になりはじめ、港に下見に行くことに。という訳は、明日乗る予定の島前間のフェリーは、予約を受け付けない”フェリーどうぜん”という船に頼ることになるので、万一1日2便のフェリーに乗れなかったら、大変なことになるからです。
フェリー乗り場には看板しかなく、切符売場も販売機すらありません。
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その前に数台の自家用車がフェリーを待っていて、フェリーが来ると係員の手際よい誘導で小さなフェリーに収まって行きます。下見の私と係員との会話は以下の通り。
「乗らないの?」
「明日の朝乗ります。ところで、何台収用できるの?」
「10台くらいかな」
「満員で車乗れないこと、ないの?」
「無いとは言えないから、不安なら30分ぐらい前に来たら?」
これだけ話すと、親切な係員さんとフェリーは出航して行きました。
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昼ご飯が全然少なかったので、私の空腹はもう極限状態です。ところが島にはコンビニもなく、空腹を満たすお菓子すら売っているお店も見つかりません。今朝立ち寄り、さっき牛の退治法を尋ねた港の観光局に「何か、食べ物ないかな?」と寄ってみると、すぐにさっきの電話の主と分かったらしく、「さっきは、大丈夫でしたか?」と優しく迎えてくれました。とは言え、空腹を満たす食べ物はお土産ぐらいしかなく、知夫里島土産を、その場で食べることになりました。

今晩の宿への不安は的中。温泉ではないもののホテル自慢の露天風呂に早速入りに行った妻によると、「2ヶ月くらいお湯が張られていない感じ。」で利用できず、楽しみだった夕食は、隠岐名物は岩ガキのカキフライぐらいで旅館の食事というより定食屋さんの食事のようでした。

インフラは整っていない知夫里島ですが、それでもあの景色を見られたことに満足して床に着いた夜でした。

11日目:8月14日(月)

宿にずっといてもすることもないので、1時間前にはフェリー乗船場に到着。当然、一番乗りでしたが、結局この日は他の車は最後まで現れず、フェリーの車庫は貸切状態でした!

今日、まず向かったのは中ノ島。今回の旅では隠岐4島を3泊4日で巡る計画だったので、どこか一島だけには宿泊が出来ない日程だったのですが、その唯一泊まれない島に決めたのがこの中ノ島です。もちろん”魅力がない”という理由ではなく、日程上の都合で苦渋の決断だったのですが…
中ノ島の滞在時間は僅か4時間。4時間で出来ることは限られているので、今回は計画段階から中ノ島での目的を4つに絞っていたのです。
隠岐神社
隠岐中ノ島と言えば、隠岐に流され失意のままに隠岐でその生涯を終えた優雅な文化人であったという後鳥羽上皇。その後鳥羽上皇ゆかりの地や、中ノ島を舞台にした内田康夫さんの「隠岐伝説殺人事件」に描かれた場所、隠岐の歴史を残す資料館のような”村上家”なども訪ねたいのですが、何せ4時間で巡るのはとても無理。隠岐神社に参拝して、後鳥羽上皇をしんみりと偲びました。
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お目当ての交通安全ステッカーはここでも手に入らず、結局隠岐に来た足跡が愛車に加わることはありませんでした。
ここにもですが、隠岐には至るところに土俵があり、相撲人気が伺えます。幕内力士隠岐の海は、こういうところで腕を磨いたのでしょうか?
(後で知ったのですが、隠岐の海は島後出身のようですが…)
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②ランチ
当初のプランでは、ここ中ノ島でのお昼は隠岐牛の予定でしたが、前半2回の昼食で思うように隠岐名物が食べられなかったため、予定を変更してフェリーターミナル内の隠岐名物がいろいろ食べられるレストランへ。私は(これだけはここのところほぼ毎日食べている)隠岐の代名詞白イカの刺身と念願の岩ガキのカキフライをたらふく食べ、妻はサザエカレーを。隠岐3日目にして初めて満足のランチでした。
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③遊覧船&海中展望船”あまんぼう”
中ノ島最大のウリであるこの船は、遊覧船&海中展望船。最初の30分は中ノ島周辺の景色を楽しむ遊覧船です。メインのみどころは3つの岩が連なる三郎岩。
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後半の20分は船の地下から海中を展望します。本当に美味しそうなお魚(!?)ばかりでした!
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でも、写真はやっぱりダメですね!

隠岐でのショッピング
隠岐4島の中でも、最も町起こしに力を入れているのがここ中ノ島との噂。確かに、私の勤務先に近い神楽坂にある”離島キッチン”というアンテナ居酒屋(?)も、ここ中ノ島の経営だとか。そういう島なら海産物の土産も揃うに違いないと、知人への土産をここで送る予定にしていました。
確かにお目当ての新鮮なイカの土産はあったのですが、いつまで経っても「着いたよ!ありがとう。」という電話がないので不安になって確認したところ、店側のミスで送られていないことが発覚。すぐに送ってはくれましたが、確認しなかったら大変なことでした。

4つの目的を無事達成し、予定通り4時間後にはまた午前中に乗った”フェリーどうぜん”で隠岐最後の西ノ島へ。フェリーどうぜんは今度は結構な混雑で、短い滞在時間だった中ノ島の菱浦港ともお別れです。
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隠岐4島目の西ノ島到着は3時半。西ノ島の滞在時間もおおよそ24時間あるので、例によって観光局に出向いて明日の観光の情報収集のつもりでしたが、「明日は雨予報なので、西ノ島最大のみどころである国賀海岸の展望場所だけでも、今のうちに行っておいたら?」というアドバイスに素直に従い、展望スポットを目指します。
展望スポットに近づくと、にわかに道が狭くなり、テキサスゲートが現れます。「すわ、知夫里島の再現か?」とビビるものの道はそこまでは狭くならず、牛とのすれ違いも出来たので一安心。

最初のビュースポット通天橋では着物などを着飾った男女の団体がいます。観光に来るにはいささかおかしな格好ですが、ビュースポットで記念撮影をしています。仕切り役の人は、「男子ぃ~」とか「女子ぃ~」と叫んでいて、懐かしい修学旅行を彷彿とさせます。後で聞いた話では、この島の「夏の成人式」なのだとか。「1月には故郷に帰りづらいので、夏に成人式をやる自治体も多い。」という話は聞いたことがありましたが、実際に見るのは初めてでした。
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次の摩天崖では先のビュースポットまでハイキング。
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途中には牛が馬がたくさんいて、家族連れはギリギリまで接近して写真を撮っています。
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上から見る景色も壮大なスケールですが、船から見上げるのも楽しそう。明日の遊覧船がとても楽しみになりました。
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今晩の宿「みつけ島荘」は、隠岐最後の宿泊にしてようやく私の隠岐の夕食のイメージにぴったりマッチする宿でした。夕食は同じ時間に大広間でほぼ満室のお客さんが集められ、隠岐らしい海鮮づくしの夕食。高級旅館のような気取った料理はないけれど、隠岐名物の白イカやサザエ、名前も知らない貝類などが豪快に供され、その後も焼きたてのノドグロなどが次々と…
おかみさんは座敷を飛び回ってドリンクの注文を捌いており、どっかの高級旅館のような気取っただけでサービスが遅くイライラすることもありません。
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隠岐最後の晩にようやく出会えた最高の夕食でした!

12日目:8月15日(火)

この日の午前中のメインは、西ノ島最大のみどころ国賀海岸の遊覧船。遊覧船出航は10:30なのですが、今日は雨予報なのに今のところはまだ雨が降っていないので、遊覧船の前に少しでも観光しようと宿を9時前には出発します。
再び国賀海岸に向かう途中に、何やら気になる「イカ寄せの浜」という名所看板を見つけて、思わず車を停めてみます。そこにあった故事来歴の案内を見ると、この浜はどうやら昔から一定の時期にイカが手で取れる場所だったと書かれています。
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というと、思い出すのはあの”都万の秋”の歌詞。一番の最後の詞に、「向こうの浜じゃ、大きなイカが手で掬えるんだ。」という歌詞があるのですが、「ひょっとして、”向こうの浜”ってここのこと?」と考えると、猛烈な感動が襲って来ます。拓郎の曲と言えどもさほど有名な曲でもないので、”向こうの浜ってどこ?”なんて分析は誰もしていないだろうし、少なくとも島後にはイカが手で掬えるところは調べた限りはなかったし…  作者の岡本おさみさんはすでに天に召されていらっしゃるので真相は?ですが、ここがあの歌詞の舞台で、ここへは岡本おさみさんがあの世から私をエスコートしてくれたのだと信じることにしました。
勿論、今はその季節ではないので、イカが手で掬えるどころか見ることもできませんが…

我々が目指した場所は赤尾展望台。ここにもやっぱり牛がいますが、  知夫里島と違ってのどかな風景だと言えるのは知夫里島に比べて道路がやや広いことと、我々に少しは余裕が出来たから。
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今にも泣き出しそうな空模様ですが、「イカ寄せの浜」のお陰で朝から私の心はスッキリです。
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遊覧船に乗るのとほぼ同時に激しい雨が降り始めます。でも窓を閉めると水滴で写真が撮れないので、時々決死の覚悟で窓を開けてシャッターをパチパチ。
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昨日、上から見下ろした摩天崖。上からは遠くていい写真が撮れませんでしたが、船からはバッチリ!
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この船、波が穏やかな時には天然のトンネルを何ヵ所かくぐってくれるらしいのですが、残念ながら今日はダメなようです。
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でも、この国賀海岸は上からの景色も下(船)からの景色も本当に素敵。我々は両方見られたことに、本当に感謝です。
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本来なら国賀海岸をUターンして来た道を戻るのですが、何らかの理由で、「このまま、一周して戻ります。」とのこと。そのお陰で期せずして西ノ島の南端まで来ることが出来たのですが、南端のすぐ近くにはあの知夫里島があり、我々が最高に感動した赤ハゲ山展望台がこの先に見えたのです!
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本当に素晴らしい隠岐最終日になりました。

隠岐での最後の食事は、「隠岐にいればどこでも食べられる筈」なのに、今回食べる機会がなかった”サザエ丼”。昨日の宿”みつけ島荘”の食事が美味しかったので、旅館の経営するレストランでいただきます。昼もおかみさんは昨晩同様てきぱきとお店を運営していて、サザエ丼は想像以上に美味でした。

中ノ島に流された後鳥羽上皇は失意のままに隠岐でその生涯を閉じたのですが、そのおよそ100年後にここ西ノ島に流されたのは後醍醐天皇。でも後醍醐天皇は1年で隠岐を脱出して、その後鎌倉幕府を滅ぼして建武の中興を成し遂げたことはご存知の通り。
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その黒木御所跡と建武の中興発祥の碑があります。最後は南朝を作ったとはいえ吉野に追われた後醍醐天皇のその人生は、本当にまるでジェットコースターのよう。そんな後醍醐天皇の人生の中でも、隠岐に流されていた1年は、まさにどん底から再上昇する前の雌伏の時代だったのでしょう。
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個人的に何となく思い入れのある後醍醐天皇を偲ぶことができた時間でした。隠岐の中でも、”後醍醐天皇は島後にいた”という説もあるようですが、私的には西ノ島説を信じることにします。
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本当に満足した隠岐を予定通り出航し、七類港に戻るフェリーの乗客となります。
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帰り道には、「もうすぐ、この旅も終わっちゃうんだ…」 と、早くも憂鬱な気分が襲ってきて、海に向かって「まだ、帰りたくな~い!」と大声で叫びたくなってしまいました!