麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

【2017年夏の旅 山陽・山陰PARTⅡ】<その5> 隠岐(島後編)”都万の夏”


9日目:8月12日(土)

今日からいよいよこの旅のメインイベントである3泊4日で念願の隠岐に渡ります。

隠岐に仄かな憧れを抱き始めたのは中学生の頃。当時、フォークソングにハマり、吉田拓郎井上陽水かぐや姫などを崇拝していた頃の話です。吉田拓郎に日本各地の旅情をあのダミ声で歌い上げる”旅情フォークソングシリーズ”とでも呼ぶべき曲たちがいくつかあります。旅好きの岡本おさみさんが日本各地を旅してリアリティたっぷりの詞を書き、滅多に旅行には行かない吉田拓郎が(想像で)曲をつけて唄うというパターン(という事実は、ずっと後に知りました。)のようで、その旅情フォークソングシリーズの代表格が”旅の宿”であり、あの”襟裳岬”なのです。
その何故か中学生心にも旅に出たくなる気にさせてくれる曲の中に”都万 (つま)の秋”という歌があり、比較的短い歌詞の曲なのに何故だかその歌詞が妙に気になり、猛烈にその場に立ってみたくなる曲がありました。”都万”がどこにあるのかは分からなかったのですが、2番の歌詞に”隠岐の島は、逃げるとこなし”という歌詞があったので、どうも都万は隠岐にあるらしいと思っていて、そのままその事は十年以上すっかり忘れていました。

成人したずっと後のある時、隠岐の地図に”都万”の文字を発見した時には、中学生時代のあの記憶がまざまざと甦り、そのあまりの懐かしさと嬉しさに、思わずホロリと来てしまいました。その時には歌詞もすっかり忘れていたのですが、15歳当時の青春が突然甦った感じです。すぐにCDを借り数十年振りに”都万の秋”を聞き、改めて猛烈に都万というか隠岐に行きたくなったのです。
それ以来十年以上、隠岐へ行くことは私の”絶対に叶えたい夢”として自身の中に確固たる地位を築き、時折”都万の秋”を聞いては、その憧れを忘れないようにリコンファームしていました。
また、削除されるかもしれませんが、とりあえず「都万の秋」のYou Tubeを貼り付けてみることにします。宜しければ、一度お聴きください。


今回、ようやくその隠岐旅行実現のメドが立ったので、改めて隠岐について詳細に渡って調べてみました。隠岐には4つの有人島があり、島後(どうご)と呼ばれる地区には隠岐で一番丸くて大きい島である”隠岐の島”があります。島前(どうぜん)地区には3つのやや小さい島があり、観光的にはどの島も魅力がありそうです。私の隠岐旅行最大のモチベーションである都万は島後(隠岐の島)にあるのですが、ここはやはり次またいつ来られるかもわかりませんので、4島全てに足跡を残して、塗りつぶしておくべきと考えました。

当初、隠岐だけは地元の旅行会社にアレンジをお願いするつもりでいました。理由は船の欠航リスク。地図で隠岐を見る限り、どうしても荒天で船が欠航するというリスクは一定程度あると思われ、その場合土地勘がない私が代案を探すよりも、その土地のプロに頼んだ方がいいという理由からです。”どうせ頼むのならプラン作りからお願いしたい。”と、イメージしていた日程を言わずに、要望だけ言ってプラン作りを依頼したところ、私の腹案と寸分違わない日程表が送られてきて、期待した”地元のプロならではの地元情報たっぷりなアドバイス”は一つもありません。おまけにまだ数ヶ月前なのに、”申し込み後、取扱料金の1万円強は返金不可。”とのこと。確かに旅行業法上違法ではありませんが、今後何が起こるか判らない半年前からそのリスクを背負う気にはなれず、結局他と同じくネットでの予約としたのです。
結果、欠航などの事態にはならなかったので、結果オーライでしたね!?

島後行きフェリーの松江郊外七類港出港は9時。フェリーは勿論予約してあるので、8時までに港に着けばよいのですが、「隠岐行きのフェリーはとにかく大混雑するよ!」という情報と慣れない島根の道に万全を期すため、東横インの無料朝食を放棄して6時半にはホテルを出発。読み通り7時過ぎには港に着いたのですが、既に予想を遥かに越えた船待ちの大行列が出来ています。
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(朝7時からこの状態なのです!)
無事チェックインは終わりましたが、ここ七類港では絶対に同乗者が車で船に乗ることは絶対にNGということで妻とは別々の乗船。
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(因みに、ここ七類港以外では障害者ということで全て同乗を許可していただきました。)

人も車も8時頃に順次乗船になりましたが、船上はまるで巨大な椅子取りゲーム状態。慣れない我々夫婦がお互いを探す間に、二人で座る場所は完全に無くなりました。仕方ないのでバラバラでもとにかく座る場所を確保しないと約3時間立ちっぱなしはさすがに辛いものがあるので、妻はべったり座る広間の片隅にようやく一人分のスペースを、私はデッキの椅子(=喫煙場所)にようやく場所を確保して、一人旅の気分を味わいます。
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(客室は出航前からこんな様子)

それにしても隠岐行きのフェリーの混雑は聞きしに勝る凄さ。慣れた家族連れなどは通路やエレベーター前にゴザをひき、ところ構わず寝そべっていますので、妻がいる場所まで歩くだけでも一苦労。
私の確保した場所はスモーキングゾーンなのですが、二人用の長椅子には小学生(一人旅?)と私が座っているにも関わらず、ひっきりなしにヘビースモーカーがやって来て、落ち着く暇はありません。
仕方なく、最後部で徐々に離れゆく本州を眺めていました。
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それにしても駐車場の車の数は凄い数ですね!? みんなここに車を置いて、隠岐に渡っているようです。

乗船時には同乗者の車での乗船はあれだけ”危ないから絶対にダメ!”だったのに、下船時は全員乗車OKなのですから隠岐汽船は不思議な会社。(島後の)”隠岐の島”の西郷港に着いたら、とりあえず車を停めて観光局にて島後の情報収集をしてから、お目当てのお店でまずランチを食べようという予定だったのですが、西郷港も七類港同様に激混みで、駐車場は全て満車状態。それでもスペースを探してうろうろしていると、後からフェリーを降りた車に”邪魔!”とばかりにクラクションを鳴らされ、仕方なく港を出ることに。愛車のナビはフェリー下船後すぐには正しい位置を示さないのは毎度のことなので、とりあえず西郷の町を走り始め、見覚えのある店名のレストランの駐車場が空いていたので、とりあえずそこでお昼にすることにします。確かに昼食候補としてチェックしたことがあるお店でしたが、隠岐色というか名物がなさそうな普通のやや高級な食堂だったので候補から外したお店でした。刺身と天ぷらの定食は美味でしたが… (隠岐じゃなくても食べられる??)
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もう港までは戻る気にもなれず、このまま丸~い隠岐の島を一周する観光を始めます。まずはすぐ近くの玉若酢神社で隠岐旅の安全を祈願。
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ここには隠岐の島三大巨大杉の一つ八百杉があります。
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次は島のちょうど真ん中ぐらいにある隠岐三大巨大杉のもう一つのかぶら杉。この辺りまで来ると、フェリーのあの混雑が嘘のように回りには誰もいません。
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丸い隠岐の島を時計の針に例えると、1時の辺りで再び海と出会い、2時のあたりにある浄土が浦海岸へ。”浄土”という言葉のイメージは日本全国でも共通しているのでしょうか? 何となく陸中海岸宮古の”浄土が浜”を思い出す風景でした。
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最北端12時のあたりにある展望台は白島展望台。今日はずっと曇り空でしたが、この展望台に向かう間のドライブはずっと雨。でも、展望台に向かって歩く時には雨はあがってくれていてラッキーです。
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隠岐の海岸線をゆっくりと眺望することもできました。
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竹島を指す看板を発見。確か竹島の住所は”隠岐”だった記憶がありますが、それにしても肉眼では見える筈のない距離ですね!?
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日本はまだまだ広い。塗り潰さなければいけない場所を、もう一つ心に刻みました。

次は隠岐の島観光のハイライトと言われているローソク岩の観光。隠岐を代表する風景としてよく写真が使われているローソク岩の芯のところに丁度ローソクが燃えているかの如く夕日があたる構図は、船からでしか見えないことは事前の調査で知ってはいたのですが、その遊覧船に乗ると帰り道が真っ暗になりかなり危険な感じがしたのと、私的な隠岐のメインイベントである都万の観光の時間が無くなるという判断で、早々に遊覧船での観光は諦めて、崖の上から見下ろす観光です。
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ここから、階段を降りればもっと近くまで行けるようなのですが、私にも妻にも”階段を降りる”という選択肢はありません。
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ローソク岩と言って思い出すのは、積丹半島にあった見事なローソク岩。高2の時の北海道旅行でそのローソク岩を遠望し、「次回は、もう少し近くまで!」と決意していたのですが、再訪を果たす前にポッキリと折れてしまったのです。(今でも、ローソク岩として存在していますが、昔ほどの迫力は無いとのこと。)
願わくは隠岐ローソク岩は未来永劫このまま隠岐のシンボルとして存在し続けて欲しいものです。

8時の方向にある那久岬。灯台の先に見える島は、明後日行く予定の西ノ島(島前)のようです。灯台が下に見える風景も何かいいものです。
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滝好きの私が是非行きたかったのは壇鏡神社の先にある”壇鏡の滝”。
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駐車場から歩いて数分で滝が見えますが、”驚くほど水量が少ない滝”という前評判に反して普通に滝が流れ落ちています。後ろから来た人が、「今日は水多いなぁ~!」とびっくりしていましたので、普段はやっぱりもっと水は全然少ないのでしょう。
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本当は、もっと滝に近いところまで行けるようなのですが、この先は手すりのない階段で、私には危険そうです。妻に上の写真を頼みたいところでしたが、妻にもその気はないようなので、とりあえず滝が見えたことに満足することにします。

いよいよ都万。都万地区唯一の宿に入り、妻を宿に残して岡本おさみさんの世界に会いに海岸を散策。都万の海岸と言えば、観光名所にもなっている舟屋群ですが、その舟屋群こそがあの曲の”現場”であると以前から推測していたので、迷わず現場と思しき場所に立ちます。
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夕方なので舟屋には漁師さんも曲の主人公である”おかみさん”たちもいなかったのですが、正にこの場が40年憧れ続けてきた都万であることを確信します。
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スマホで「都万の秋」を流し、1時間以上はその場で40年の時代を想像していました。
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私があまりに長時間舟屋のそばで佇んでいるので、宿の人が訝しがって様子を見に来てくれます。私は吉田拓郎の「都万の秋」と「都万の漁港に40年間憧れ続けた!」という話を自慢気にしたのですが、地元民とは言え若い人なので拓郎の曲を知るはずもなく、ちょっと不思議そうな顔をされてしまいました。
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都万地区唯一の宿”羽衣荘”は、将棋の名人戦も行われたらしいクオリティの高い旅館。岡本おさみさんが都万を訪ねた時の宿だったかどうかは不詳ですが、”隠岐と言えば”の新鮮な白イカやサザエも食べられて満足の一夜でした。
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でも私の勝手なイメージでは、隠岐の料理はもうちょっと豪快なイメージでしたが、正直ちょっとお上品すぎ。名物白イカの刺身は美味ではありましたが…