麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

宮脇俊三さんを目指して!

今日は雨がしとしと降り、憂鬱な一日です。こんな日でも妻は外出しており、朝から一人です。天気が良ければ散歩がてらお菓子でも買いに行きたいのですが、この雨ではそれもできず、サンデージャポンを見ながらパソコンに向かっています。

そろそろ回復に向けていろいろな行動を起こそうと計画しています。勿論会社の勤務とリハビリが最優先ですから、長期の休暇を取るわけにはいきません。月~木までは会社、金の午後と土の午前中はリハビリがあるので、出かけられるのは土曜日のリハビリ終了後の10時過ぎから日曜日までです。

ドライブは車の運転に復帰する来年までできないし、買い物に行くお金もないし… 勿論温泉に行くには、お金もともかくまだ大浴場の湯船は怖くて入れないし…

こんな今、思い出すのは昔の楽しみ・趣味であった「鉄道の乗りつぶし」です。久しぶりにこの趣味を復活させてやろうと思い始めています。

学生の頃には私は免許もなく(就職が決まって、地方に行く予感もあったので慌てて卒業前の春休みに、合宿免許で山形県で免許を取りました!)旅好きな私の唯一の交通手段は「鉄道」。鉄道ファンではありましたが、当時の鉄道ファンにもさまざまあり、私は「汽車にのんびり揺られて旅をするのが好き」な派でした。当時は勿論「乗り鉄」や「撮り鉄」はたくさんいました。どちらかというと「乗り鉄」がメインのようで、乗りながら車両の型を覚えたりするファンが多かったのではないでしょうか?

「列車に乗るのが好き」な派のなかでも当時の主流は「乗りつぶし」。当時の国鉄路線を端から端まで乗りつぶして、当時の国鉄営業キロ2万キロを全線完乗するのが一種のブームでした。国鉄も遅ればせながらそのブームに便乗し、「チャレンジ2万キロ」なんてキャンペーンを始めたのです。

このキャンペーンは、国鉄が1980年代(つまり最後の年代)に始めたキャンペーンで、国鉄の始発駅と終着駅で写真をパチリと撮り、その2枚の写真を事務局に送ると国鉄事務局が認定、一定の路線数ごとに表彰され、全線を完乗すると素敵な記念品を貰えるというキャンペーンだったと思います。

例えば「山手線はどこの駅で写真を撮ればいいのか」などの詳しいルールはもう思い出せませんし、今まで乗ったことがある例えば東海道本線など、既乗路線の認定制度がなく1から乗り直しをしなければいけないなど制約も多く、本当にこの趣味にお金も暇も全てをつぎ込まないと出来ないようなキャンペーンではあるけれど、当時の私としては一番関心も高く、就職を目前に控えているからチャレンジには躊躇していましたが、「生涯のうちには絶対チャレンジしてみたい!」と思わせるキャンペーンというか目標でした。

その後私も就職し、車を乗るようになり列車から離れてゆきます。電車から離れた決定的な理由は、昭和62年の「国鉄分割・民営化」。この合理化政策により、へき地を網羅していた赤字のローカル線が次々と廃線となってゆきました。

魅力あるローカル線は人里離れたへき地を走る列車です。1日数本の列車のたった数人の中の一人の客になり、本当の文字通り荒野など誰もいない場所をトボトボと走る… こんなことがローカル線車窓の醍醐味なわけですが、周囲に人家がない=乗客が少ない=赤字=廃線対象という構図が出来上がります。当時の好きな赤字ローカル線は悉く廃線対象に指定されます。

北海道がその典型的な例です。昔の時刻表の北海道の地図を見ると、今では考えられないくらいに路線が張り巡らされています。例えたらレントゲンで鉄道路線を見るだけで、だいたいの北海道の正確な地図が描けるぐらいです。ところが… 廃線に次ぐ廃線で、今では本当の主要路線しか残っていません。この鉄道路線図を見て北海道の地図を描くのは絶対に無理ですね!!

私は学生時代、流氷と白い大平原に憧れて、大学時代の4年間全て2・3月を北海道で過ごしました。当時、北海道へは勿論国鉄です。20日間の北海道地区全線乗り放題の周遊券を(ある年には2枚)持って、北海道の各地で一日数本の列車を待ちます。特にオホーツク沿岸などは流氷で人気も高く、列車もバスも本当に限られているので、1輌のローカル線に乗っているメンバーが毎日同じ… なんてこともザラでした。当時は女性の鉄道ファンなんてメディアに取り上げられることもなかったのですが、何故かこんな僻地でも女性の一人旅はしっかりいました。こういう場所で女性と知り合い束の間の恋心を抱くなんて旅の醍醐味は、北海道の僻地でもしっかりとあったのを覚えています。

そういえば、ずっと逢っていなかった高校の同級生の女の子と北見枝幸のバス停で再会したという椿事もありました。その後名簿にて彼女も別の旅行会社に就職したことを知りましたので、彼女も旅好きの人だったのでしょう。地方で友人と会ったのはイタリアのポンペイのツアーの昼食レストランで、別の高校の同級生と逢ってメチャメチャ驚いたことがありますが、同じくらい吃驚したものです。

そんなローカル線に乗るときのバイブル・愛読書は「宮脇俊三」さんです。宮脇さんは鉄道に乗るレポートを文章にする作家で、ただ電車に乗る文章だけなのに「なんでこんなに旅情をそそる掌編を書けるの?」と不思議になるくらいの文章を書く作家です。ウィキペディアに「地理や歴史の深い教養に裏打ちされた簡潔かつ格調高い文章」と記載されていますが、短い文章なのに全くその通りで、流石は東大卒で中央公論社で役員までやっていたのに好きな鉄道に乗るために会社を辞めて作家になった人だと思わず納得してしまいます。先ほど書いた「チャレンジ2万キロ」の国鉄のキャンペーンも宮脇さんの処女作の国鉄全線完乗記「時刻表2万キロ」がブームになったので、便乗してこのキャンペーンを始めたとか…

宮脇さんの本は、推理小説でもなくストーリー性があるわけでもないので、何回読んでもとても楽しいものです。「何が好き」と言われても代表作があるわけでもないので、「これ!」という作品名は出せませんが、「全部好き!」です。

話がそれましたが、これから日帰りで近所の列車に乗りに行こうと考えています。全線完乗などの記録を残すつもりはありませんので、山手線や中央線には乗りません。

そして、教養も文才もないけれど、宮脇さんのように「背筋がゾクゾクっとする」列車に乗った瞬間をレポートしようと思います!