麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

装具のチューニング


今週半ばに、我が家の目の前から撤退したスーパーマーケットの跡地に、大型ドラッグストアがオープンしました。
総合病院が目の前なので、当然のごとく調剤薬局を併設した大型ドラッグストアだと思っていましたが、今のところ調剤薬局ができる気配はなく、純粋な大型ドラッグストアです。
ありがたいことに夜9:45までの営業なので、オープン当日会社の帰りに早速覗いてみました。ティッシュやトイレットペーパーなどの生活必需品は勿論充実しており、食料品も肉野菜などの生鮮食品がないだけでそれ以外の食料品も充実、文句のつけようがありません。(パンはあるのでいいのですが、贅沢をいえば弁当があったらもっといい… って感じです。)
店の通路が狭くなって、買い物の「ゆったり感」は無くなりましたが、その分品数は以前のスーパーの1.5倍はある感じで、品数は本当に豊富です。
これは我が家から徒歩20分ぐらいの「マツキヨ」にとっても強力なライバルが現れた感じです。

このドラッグストアの名前は「セキ薬品」。ここ白岡市でも3店舗目で、それなりに多店舗展開しているドラッグストアチェーンです。埼玉県では結構メジャーなドラッグストアなのですが、都内や他のエリアでは殆ど見ません。今回のオープンを前に初めてホームページを見てみたところ、今回我が家前にできる店舗が第107号の店舗のようなのですが、第一号店からの全リストを見ると、何と107のお店、見事に全部「埼玉県内」です!!
これは、他県の方がご存知ないのは当然ですよね!! 
(次回のケンミンショーの埼玉特集で取り上げられることを期待しましょう!)
こんどのこのドラッグストアは是非長持ちしてほしいと思いますので、せめてもの気持ちを込めてすべてのドラッグストア系の買い物をこのお店でするように妻と約束しました。残念ながらいつも妻が自転車で行っている「マツキヨ」とはしばしのお別れです。

ところで今日は、まだ調整が続く(足の)装具のチューニングについて、続報をレポートしようと思います。

新しい装具を作ったのは10月5日(金)のこと。更新の経緯や流れについては10月7日のブログに記載しており、お陰様で順調なアクセスで推移しています。(「装具」などのキーワードで検索にヒットするのでしょうか… この手の記事は比較的読んでいただけるようです。)前回、型取りからたった一回の簡単な調整で装具を受け取り持ち帰りましたが、「こんなにチューニング時間短くって、大丈夫かしら?」とはあまり考えずに「出来た出来た!」とすぐに合ったことにすっかり舞い上がって満足していました。

装具屋さんの方は経験上そんなにすぐに「完全にフィットする」とは思っていなかったのか、「何かあったら毎週金曜日ならリハビリセンターにいます。それ以外ならウチの会社は京浜東北線北浦和駅からタクシーでワンメーターなので、気になったら電話いただき来てください!」とご案内いただきます。

思えば前回装具を作ったのはまだ入院中。入院中ですから基本的に車椅子で生活していて、装具を装着していた時間は1日1時間の歩行訓練の時間だけで、1日のうち15時間以上は装具をつけた生活をしている今とは全然違う生活環境です。
それでも1時間の訓練の前後には私の担当の理学療法士さんが毎日のように装具の微調整をしてくれたし、毎週金曜日には装具屋さん(正しくは義肢装具士さんと言うそうです)と理学療法士さんが何やら打ち合わせをしながら、引き続きチューニングをしてくれたので、退院後1日中ずっと装具を装着するようになってからも、問題なく装着することができました。でもよく思い出すと調整にはそれなりに時間がかかっていたのですから、今回はそんなに簡単に完全にフィットするわけがないのです。

でも人間は忘れる動物で、特に私は最近年のせいで健忘症が激しくなっている故なのか、前回の調整のことなんかすっかり忘れていましたので、もうすっかり完全にフィットしたかのように安心してしまい、「後は慣れるだけ!」と思い込んでいました。
装具は麻痺した方の足につけるものです。麻痺した方の足と言うことは、神経が限りなく鈍感になっているため、痛くなっても「どこが痛いのか。」は簡単には判らないものなのです。

最初の故障というかトラブルは、持ち帰って3日後にやって来ます。3連休の最終日に装具つけたままソファーに座ってTVを見ていたら、突然「バチッ」という音がして足を固定するテープが外れてしまったのです!
こんなことは装具をつけて以来全く初めての経験だったので、修復を試みてみますが、かなり力が入る部位でもあり、素人の応急処置のレベルではとっても直りそうにありません。祝日ですが装具会社に電話をかけてみたところ、電話は通じて「持ってきていただければすぐに直しますよ。」とのこと。でも時間は祝日の5時過ぎなので、流石にすぐ行く元気はありません。
ついては「翌日アサイチで行きます。」と予約して翌日、会社に行く前に装具屋さんに立寄ってから行くことにしました。

でも足を固定するテープが使えないため、この装具で北浦和まで行くにはちょっと危険を伴います。ついては前の装具を履いて、新しい装具を持ってゆくことにしますが、作業後この装具をずっと持って会社まで行くのはいささかしんどいので、妻には申し訳ないけれど装具屋までの同行をお願いして、帰りに古い装具を持って帰って帰って貰うことにしました。

北浦和の駅も本当に久しぶりです。2007年までの大宮に勤務していた頃は仕事で何度も来たことのある街ですし、09年には母親が入院していた病院へのバス乗り場があって、会社帰りに何度も来た街でした。
今回は駅前からタクシーにすぐ乗り込みます。義肢装具士さんの名刺を見せて「この会社、わかります?」と運転手さんに尋ねたところ、「あぁ、ここね。」と言葉通りご存知だったようです。さすがに「地元!」って感じです。

でも案内された工場は、一般家庭とあまり変わらないような家で、何人もの人が装具を作る作業場があります。(手作業が中心なので機械はあまりないようです。)
因みに前回装具作成中に義肢装具士さんに雑談で聞いたのですが、装具を作っている会社は埼玉県内に13~15社ぐらいあるそうです。多いか少ないかでいうと、「恐らく日本で一番多いのではないか?」とのこと。勿論、それだけ装具を使う人が多いという訳ではなく、これはお世話になっている訪問リハビリに来ている理学療法士さん曰く、「義肢装具士を育成する学校が(昔から)埼玉にあるので、その影響か?」とのことです。念のためネットで調べてみると大学で義肢装具士を目指す学科が全国で3つあり、そのうち1つが埼玉(岩槻)で、専門学校では義肢装具学科が7つありそのうち唯一の国立学校が埼玉(所沢)のようです。(でも、そのせいかどうかは良く分かりません…)

当日、私の装具を作ってくれたSさんは仕事で不在でしたが、代わりの若い義肢装具士さんが調整してくれました。テープの固定する場所はどうも私の力が強いせいで、外れてしまったようなので、今度は簡単に外れないようにかなり強く止めてくれて、再発防止をしてくれました。その後全体をチェックしていただいたところ、足のいくつかの部分が赤く腫れていて「擦れて」いるようです。普通なら軽く痛くてすぐに判るところなのですが、今の鈍感な私には全く気付きません。
なので、改めて調整をしていただきました。

その後は少しづつ慣れながらずっと新しい装具を使い続けていました。でも先々週の中ごろから結構鈍感な右足が痛くなります。でも悲しいかな「どこが痛いのか、わからない」状況が続きます。靴下を脱いで足全体を見てみますが、赤く腫れあがっているような部分はなく、「右足のどっかはすごく痛いのだが、どこが痛いのかわからない。」という悲惨な状況です。この状況、元気だった頃には絶対に信じられない状況です。麻痺したことがない方には絶対に理解していただけない状況だと思います。我ながら悲しくなってしまいます。
なので仕事中も極力歩くことをせずに、昼食も会社の隣のセブンイレブンでパンを買って済ませる毎日をしばらく続けました。

そして今週月曜日、帰宅後右足の装具を外して靴下を脱ぐと右足の親指の付け根あたりの皮がベロッと剥けており、この状況になると流石にいくら鈍感な私でもちょっと触ると激痛が走ります。この状況ではとりあえず今の装具は痛くてつけられません。

翌日、前の装具で会社に行き、会社から装具を作ってくれた義肢装具士さんに電話を掛け、今晩の訪問のアポイントを取り、再び妻に装具を持ってきて貰い北浦和の駅で合流し、再び装具の会社に向かいます。
今度は装具を作ってもらった義肢装具士さんに6時からじっくりと無人の工場で診断をしてもらい、1時間ぐらいじっくりと調整をして貰いました。

ベロッと皮が剥がれた場所は包帯をしていたものの、調整によって当たらなくなり、その結果違和感がなくなりました。その後今日まで5日間、例の痛みはだんだんなくなってきましたので、謎の痛みはこの部分の痛みだったのかもしれません。
でもやっぱり、装具は最低1週間は履き続けないとフィットしているかどうかは判断できません。本当に大丈夫なのかどうかはもう少し待つ必要がありそうです。

昨日、市役所から晴れて装具の認定書が届きました。自己負担はやはり1割で6千円程度の負担です。

でも、この装具が本当に自分の「体の一部」になるためには、もうちょっと時間が必要なのかもしれませんね。