麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

倒れてから現在まで… その⑭ 出社に向けて


おはようございます。
まだ、ショックからは抜け切れていない部分もありますが、本当にいい加減切り替えないといけませんね。
ということで退院直後の回顧録です。

10月19日、退院した日は昼前に自宅に戻りました。昼飯は当時からはまりかけていた菓子パンです。もう、一時帰宅を6~7回繰り返していましたので「家に帰ってきた~!」という感動はさほどありませんでした。兎に角一時帰宅の延長のような帰宅でした

自宅ではLDKにテーブルとこたつ(夏は単に座るテーブル)をずっと使っていましたが、足の悪い私が下(地べた)に座れないということで、こたつは撤去です。こたつがテレビ前の特等席だったのですが、テレビを見られる座席を確保するために、娘が(安物ですが)二人掛けのソファーを買ってくれ、テレビの前に置きました。
これで、食事はテーブル・寛ぐのはTVの前のソファーという我が家の当面のレイアウトが決まりました。

午後、トイレと風呂場に手すりの工事が入りました。今まではトイレでも立ち上がるときプレッシャー(というか緊張感)があったのですが、この結果トイレに安心して入れるようになりました。
風呂場はとりあえずヘルパーが入れてくれるまで自粛です。ただ、4ヶ月ぶりの浴槽までもう僅かです!

翌日は、アポを取って会社に向かいます。カミさんに同行してもらい数ヶ月ぶりに電車に乗ります。
ルートは現在の通勤と同じ、赤羽までは宇都宮線グリーン車京浜東北で王子まで出て、王子から都電荒川線で会社近くの向原まで。向原から徒歩ですが、ここが一番の最寄り駅です。入院中、復帰に向けて一番リスクが少ないと考え抜いていたルートです。
正直、すべてにおいてドキドキものでした。初めてのエスカレーターに乗るのとか初めて階段を歩くとか… 兎に角、「転倒しないように!」というのを第一に、慎重行動を心掛けました。

何とか11時過ぎに会社到着、まずは総務と社長にご挨拶です。丁度給料日だったので有り難いことに10月の給料明細をいただき、復帰について相談します。
出社については産業医と面談し、産業医の判断で決めましょうと言うことになりました。たまたま産業医が金曜日当社に来ると言うことなので、金曜日もう一度会社に行くことにしました。

その後、4ヶ月ぶりに自分の机に行きました。4ヶ月ぶりのデスクは有り難いことにまだ席があります。入院していた人の話では、倒れたのを機会にリストラされた人や、運転手の仕事のように復帰したくても完全に直るまでは復帰出来ない人も多いようですが、席があるだけ本当に私は恵まれています。数ヶ月ぶりに自分の席に座り思わず涙が流れてきます。
机の上はそれなりに片付けされていましたがとても懐かしい風景です、私のデスク上の小物もしっかりありました。

その後、入院中に楽天で購入し会社宛に送っておいた快気祝いの菓子を持って各セクションを回ります。各部署の皆様にとりあえず何とかご挨拶を済ませて、今日の会社への挨拶回りは終了です。
「金曜日にまた来ます!&(恐らく)11月から徐々に復帰します。」4ヶ月ぶりの会社行きはとっても疲れましたが何とか無事に終わりました。帰りも同じルートを何とか帰ります。
何とか自宅に帰れた時には文字通りクタクタでした。

金曜日、再び会社ですが中1日であの怖い電車で往復する度胸もなく、娘に車で送迎のアルバイトを持ちかけたところ快諾してくれたので、車で池袋に向かいます。
久しぶりの首都高をドライブして池袋に向かいます。「いつかはこの道を運転出来るまで復活するぞぉ~!」と慣れた5号線の景色を見ながら決意を新たにしたのですが、同時に「本当に首都高まで運転出来るようになるのかなぁ?」という不安は、実は今でも心の底にあります。勿論「絶対に復活する」という決意は強いので、絶対に復活しますが!!

無事に池袋到着、全然渋滞しなかったのでアポイント時間より1時間以上早く着きましたので、車を駅前に駐車してリハビリを兼ねてビックカメラにプリンタのインクを買いに行きました。ビックカメラには上りのエスカレーターがあるので上りはいいのですが、下りにはエスカレーターがなく階段のみです。まだ階段には恐怖がつきまとう私でしたので恐ろしくなりましたが、エレベーターがあるのを思い出し、何とか事なきを得ました。この頃は兎に角行きも帰りもルートを確認しないと動くのがしんどいという状態でした。

産業医とは初面談でした。同情されながらも「右手はこれ以上回復しないと思う」と初対面ながら冷酷に宣告され、またしばらく落ち込む原因となりました。
11月から復帰することは何とか許可していただき、回数は週2回 時間は11時から4時の実労4時間(昼食1時間)ということで、このあたりは私の希望通りとなりました。
しかしながら、大きく私の希望と違ったのは「通勤」です。通勤ルートについては希望とは一致したものの、産業医の判断では「当面、家族同行の通勤」がマストということです。
私は個人的にも何とか自分一人で行けると思っていましたが医者の目にはそうは映らなかったようです。

実はカミさんの体調に不安を抱えている現在、週2回カミさんに会社まで同行してもらうことは、かなりカミさんの体力に負担を強いることになります。
恐らくカミさんの主治医に言ったら「とんでもない!」と拒絶されそうなので、この件はかなり強く抵抗しました。
「それでは、私はいつまでたっても通勤(=復帰)出来ません!」と激しく抵抗しましたが、主治医の意志も強く、ついに判断を変えるまでには至りませんでした。

結局、カミさんに負担をお願いすることにしましたが、とは言え私の働いている間には何とかカミさんを休ませることが必要です。
結局会社到着後業務終了までの5時間、近くのホテルのデイユースを手配し、カミさんは私の仕事中このホテルの部屋で寝てもらうことに決めました。往復の交通費・グリーン車代(勿論自腹!)を含めると1回1万円以上の負担ですが、やむを得なかったと思います。

翌週月曜日には日本橋三越に快気祝いの購入に行きました。品物を送付依頼した後、一部の方の会社には直接お届けにいったり、私の前勤務先にも社長に快気祝いを持って行きました。

この日の行動は
自宅→三越前→浜松町→大崎→新橋→有楽町→自宅

疲れましたが都内を回って、少しずつ自信をつけて行きました。