麻痺からの脱却~日本二周目挑戦中!~

2010年に脳卒中で右半身麻痺に。でも、「絶対に諦めない」をモットーに現在は『日本2周目』に取り組んでいます。

スーラーメンと酸辣湯麺

 
今週は、退院して自宅療養している息子がいる久しぶりの我が家です。
息子は月曜日に退院しましたが、約2週間の自宅療養を医者から命令され、就職以来最長の休暇を過ごしています。本人的にはもうすっかり元気なのですが、一応救急車で搬送された人生初の大病なので、医者が「もう働いていいよ」というまでは無理せずに療養に専念しなさい! という親のアドバイスを珍しく遵守しています。
 
先週は会社と自分のアパートに母親同伴で行った以外は、我が家で毎日TVを見たりボケーっとしているのと、自宅(職場?)から持って帰ってきたノートPCで何やら毎日仕事らしきものをしています。
来週の金曜日に順天堂病院の診療予約があり、この診察でOKがでればその日のうちにアパートに帰り、土曜日から通常通りの仕事に復帰する予定です。本人はもう100%その気でいますし、我々もそうなってくれると信じています。
2月1日の発病から24日目、ほぼ1カ月の思いがけない療養でした。
 
入院費や諸経費などは一旦すべて私が立て替えており、本人には「俺が60になるまで、あと9年間貸しておく!」と言ってあります。
どうせほんの僅かは遺産として残すわけですし、あげてもいいと言えばいいのですが、やっぱり今後も体を大切にするためにも、「もうこんなお金のかかる病気なんかしない!」という覚悟を持ってほしいことと、「もう大人なのだから、自分の入院費用は自分で払う」という強い気持ちは持って欲しいと思い、「貸し」と言い続ける予定です。
返してくれなくてもいいと言えばいいのですが、あと9年後つまり退職の年になって思いがけずに返してもらえれば、恐らくこんな嬉しいことはないんじゃないかと密かに楽しみにすることにしています。
そういえば、私も何回か「何年後かまで貸してあげる」と言われて母親からお金を借りた経験があったなぁ~と今更ながら思い出します。
でも、ちゃんとは返さなかったなぁ~ 

 
ところで今日は、好きなというかハマっている食べ物とその思い出について書きます。
その好きな料理とは、「酸辣湯麺(サンラータンメン)」という酸っぱくて、辛いラーメンです。最近、中華というか四川料理の店で多くメニューに取り入れられており、勿論息子の勤務する四川料理のチェーンでも、当然メニューにあります。
元々は「サンラータン」という酸っぱ辛いスープがあり、そのスープに麺を入れたものらしいのです。

実はこの料理との出会いはもうかなり前です。平成2年ですから1990年、当時横浜の関内駅前にあった支店にいた頃によく行っていたそれなりに高級感のある中華料理店のメニューにあり、「スーラーメン」という名前で愛されていたものをしょっちゅう食べていたのがはじめなのです。

横浜の関内と言えば、「横浜スタジアムを超えればすぐ、あの横濱中華街」という中華の本場中の本場。あの周辺で食事会や宴会と言えば、中華街が当然というぐらい中華料理が生活に根付いている街です。おまけに当時はまだバブル絶頂期で、まだペイペイの我々でも中華の名店で1万円ぐらいのコースを食べることも珍しくありませんでした!
当時まだデビュー直後の大魔神がビュンビュン投げていた横浜スタジアムからはベイスターズの応援歌が聞こえ、誰かの特大ホームランが飛び込んで来そうなくらい近いビルのオフィスで働いていた我々は、週に1回ぐらい昼飯は片道10~15分掛けて、中華街に出かけることも茶飯事だったのです。(でもランチはそんなに高いものは頼んでいませんでしたが)

そんな中華街に近い関内の駅前で孤軍奮闘していた店は「大雅飯店」という3階建ての店、中華街の店に負けない規模ですが、場所のハンデをものともせず、それなりに繁盛していた記憶があります。

でも我々の間では、「大雅飯店行く?」なんていう人は誰もおらず、「スーラーメン、行かない?」というのが大雅飯店でランチを誘う合言葉でした。大勢で大雅飯店の丸テーブルを囲んでも、定食(それなりにあった記憶はあるのですが…)を食べる人は誰もおらず、円卓のテーブルに座った全員がメニューも碌に見ずに「スーラーメン!」。
週に1回とは言いませんが、月に1回はどうしても食べたくなる麻薬のような味に中毒になった同僚は、今思い出すだけでも10人はいたと記憶しています。

肝心のスーラーメンは当時でも確か700円(?)。スーラーメンの漢字は酢で始まっており、初めて食べる人には衝撃の酸っぱさです。でも、その酸っぱさが次第に病み付きになり、気が付くと一心不乱に夢中になって食べ、汁まで完食しています。
他の店の「酸辣湯麺」のようにスープに赤い色はそんなにありません。ただ辛さはそれなりにありました。でも主役は「辛さ」ではなく「酸っぱさ」だったことは間違いありません。仕上げに卵をといたスープのイメージはやっぱり「酸っぱいスーラーメン」というイメージ。ラーメン一杯700円というのは、当時としては決して安い方ではありませんでしたが、比較的大きなプリプリのエビがかなり入っていましたので、その意味でも満足感ありました。

関内に勤務したのは丸5年、その後都内に転勤して自宅も横浜から埼玉に引っ越しましたので、関内に行く機会もほとんどなくなりました。時折、中毒が切れたかのように、「無性にスーラーメン」が食べたくなりますが、その頃は「関内の大雅飯店のオリジナルメニュー」だと思っていましたので、そのうちに少しずつ記憶は忘却の彼方に消えかけていきました。

数年前、別の知人からある店の「酸辣湯麺」を教えられました。食べてみると大雅飯店のスーラーメンと比べると、「酸っぱさはちょっと物足りないし、スーラーメンよりちょっと辛いけど、旨い。これはスーラーメンと同種の食べ物では?」。その後は、四川系の中華料理店に行くと、あの「スーラーメン」の味を求めて、酸辣湯麺を頼むようにしています。
確かに美味しい店もあるのですが、まだ「スーラーメン」を超える味には出会っていません。

倒れる半年前ぐらいだと思いますが、横浜で用事があったので「久々の大雅飯店でスーラーメン!」とわざわざ足を延ばして関内まで行き、大雅飯店を訪ねました。
昔と変わらない外観で、1階受付には20年前からいるおじさんがいます。私を見ると、以前と同じように「毎度っ!」と声を掛けてくれて2階へご案内です。
スーラーメンは当時と同じ味、酸辣湯麺という名前が徐々にメジャーになってきた頃でしたが、名前を変えるなんて小細工をせずに、あたかも「うちのが、元祖スーラーメン!」と言わんばかりの迫力と酸っぱさは相変わらずです。
帰りにも1階のおじさんは、いつもの通り「毎度っ!」。10年振りぐらいなのを感じさせないような常連さんに対する接し方で、何故かとっても嬉しくてたまりませんでした。
久し振りかどうかはともかく、私のことは間違いなく覚えていていただいたようです。

その後も私の「スーラーメン探し」は続いています。当然、池袋エリアでも酸辣湯麺のある店はかなり訪ねて食べましたが、残念ながらまだ横浜関内の大雅飯店のスーラーメンを超える(匹敵する)味には出会えていません。
これからも「私のスーラーメン探し」は継続するつもりです。

スーラーメンを超える酸辣湯麺はともかくとして、最近、インスタントでありながら酸辣湯麺の中ではスープの味は上出来なラーメンを発見、調子に乗って楽天でケース買いをしました。それは明星の中華三昧の酸辣湯麺。麺はいかにもインスタントでちょっといただけないのですが、スープは食べ歩きをした店の真ん中~上位には入るぐらいの出来で、インスタントとしては満足できるものです。

これを食べてスタミナをつけて、「私のスーラーメン」探し、引き続き頑張ります!!

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